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演奏に18時間も掛かる曲

   世の中には、全曲演奏するのに何と18時間も掛かるピアノ曲が存在するのをご存知でしょうか。フランスの著名な作曲家、エリック・サティの「ヴェクサシオン」。この曲は52拍からなる約1分20秒のメロディを840回ひたすら繰り返すことで構成されており、更に演奏には「ゆっくり」という指示があります。

   ウイキペディアによると、曲名の「ヴェクサシオン」はフランス語で「嫌がらせ」「癪の種」を意味し、作曲者のノートには「このモチーフを連続して840回繰り返し演奏するためには、大いなる静寂の中で、真剣に身動きしないことを、あらかじめ心構えしておくべきであろう」と書かれているそうです。

   この曲はサティの弟子のロベール・キャビーが、フランスの「国立中央文書館」から見つけてきたもので、サティの3曲の遺作のうちの1曲です。そして、初演は1963年にジョン・ケージらにより、この時は10人のピアニストと2人の助っ人が夕方6時から演奏を開始し、翌日の午後0時40分まで演奏をし続けました。

   また、日本では、黛敏郎、一柳慧、石井真木、湯浅譲二ら16人によって昭和42年(1967年)12月31日の昼前から1968年1月1日の朝まで東京の「アメリカ文化センター」で演奏しています。何しろ18時間も掛かる曲のYouTubeなど絶対に無いと思っていたら、ほんのサワリがありました。

人間の頭脳を超えた人工頭脳

   何年も前、会社でコンピューターのSEやプログラムの仕事をしていた頃、まだ、AI(人工知能)の話題はあまりありませんでした。ところが、今やAIは知らないと恥ずかしい状態になり、ネットに易しい解説がいっぱいあります。その中から「非エンジニアもわかる!AI(人工知能)を分かりやすく紹介」というサイトを発見。

   まず、AIの定義。《AIとは「Artificial Intelligence(人工知能)」という大量のデータから「判断」するシステムのことを言います。AIの研究は「推論」「学習」するの二つの分野に分かれています。「推論」はデータをあらかじめ与えておいて、その情報から答えを導き出すものです。例えば「アルファ碁」です。

   アルファ碁は、GoogleのDeepMindによって発展した囲碁プログラムです。2016年3月に囲碁界のトップ李九段との5番勝負で、4勝1敗で勝ちました。チェスや将棋に比べ、盤面が広く、対局のパターンが多いことから、このアルファ碁の勝利は、AIの進歩をより鮮明にしました》。

   私もこのニュースに接した時、まさか、囲碁界のトップ・レベル  李九段と5回戦って4勝1敗になるとは思わずに仰天。従来、囲碁や将棋のコンピューターは試行錯誤で最もいい手を探して戦うものとばかり思っていたらAIはそうではないのです。つまり、AIは人間の頭脳を超えているのです。では「What’sAI」をどうぞ。

待ち遠しい「リニア新幹線」

   JR東海は「リニア中央新幹線」の開業を2027年に実行に移すことをすでに発表しています。何しろ、時速600キロを実現するためには「リニアモーター推進浮上式鉄道」の研究が必要で、それが開始されたのが昭和37年(1962年)ですから、すでに半世紀以上が経過しています。

   周知のように、「リニア新幹線」は「リニアモーター」を駆動源として、「磁気浮上方式」を採用したことに特徴があります。「リニアモーター」とは、その言葉通りに直線状(リニア)のモーターを言い、ネットに「リニアの仕組み」というサイトがありますので、よく読んで知識として知っておいてもいいでしょう(実験走行の映像)。

   また、「リニアモーター」の車両が浮上して走る原理も詳しく説明しているのでよく読むと、磁石の性質を利用してるのが解り、人間の頭脳の凄さにはたたただ驚くばかり。早く開通して東京と大阪が一時間で結ばれるのが待ち遠しいです。何はともあれ、大阪や京都旅行が電車で日帰り出来るなんて夢のようです。

   ところで、リニアモーターを駆動源とする車両は決して斬新なものではなく、都営地下鉄大江戸線の車両はリニアモーターで走っています。これにより、車体を小さく出来るため、トンネル断面積を小さくするのが可能で、建設コストを下げられる利点があります。すでにリニアモーターの車両は都内を走行しているのです。

「スキヤキ」に曲名変更の理由

   坂本九のヒット曲「上を向いて歩こう」が、アメリカの音楽専門誌ビルボードのチャートで、アメリカ以外の曲として、「スキヤキ」という名前で史上初めて3週連続1位を記録しました。この快挙は、日本人として誇るべきことですが、曲名がどうして日本の食べ物の「スキヤキ」になったかご存知でしょうか。

    作詞が永六輔、作曲が中村八大の「上を向いて歩こう」は昭和36年(1961年)、NHKの音楽バラエティー「夢であいましょう」で人気が出て、3ヶ月で35万枚を超えるという、当時としては、大ヒットを記録したのです。その翌年、イギリスのレコード会社の社長が商談のため来日しました。

   そして、お土産として持ち帰ったレコードの中にあったこの曲を社長はいたく気に入り、ジャズ風にアレンジしてイギリスで発売。しかし、「上を向いて歩こう」はDJたちには発音が難しそうでした。そこで、社長は曲名を変えることを思い付き、日本滞在中に浅草で食べた「スキヤキ」が頭に浮かんだのです。

   ジャズ盤「スキヤキ」は全英チャートで10位を記録、そして、アメリカで坂本九が歌うオリジナル盤を発売し、好評だったのです。もし社長が浅草で食べたのが「テンプラ」や「スシ」だったら、曲名もそうなるところでした。つまり、社長は、DJが曲名で苦労するのを気の毒に思いきっと曲名を「スキヤキ」に変えたのです。

九月に観るべき映画「旅愁」

   九月になると、観たくなる映画に「セプテンバー・ソング」で有名なアメリカ映画「旅愁」があります。ジョセフ・コットンとジョーン・フォンティンの恋愛映画で、コットンは妻子あるアメリカの技師、フォンテーンは美貌のピアニスト、二人はローマからフランスに向かう旅客機の中で知り合います。

    ところが、旅客機は機体の整備とかで出発時間が遅れ、それを利用して一緒にローマの街を観光をすることにします。あちこち観てるうちに飛行機の出発時間に間に合わずに、二人は空港にとり残されることになります。そして、飛び立った飛行機は何と事故で墜落し、二人はこの世にいないことになってしまうのです。

    実は、この技師の家庭は、奥さんとの関係がうまくいってなくて、二人はフィレンツェに居を構え、過去を捨ててこのまま生活していくことにとにします。しかし、この計画は長くは続かず、やがて全てが明るみに出ることになり、二人の決別の時が訪れます。つまり、世の中は思い通りにはならないのです。

     さて、二人がローマを観光してる時、とある古びたカフェのレコードで一緒に聴いた「セプテンバー・ソング」こそ、映画「旅愁」の白眉と言っていいでしょう。この曲、何とも言えない素晴らしいメロディで、二人が恋に落ちたのも「セプテンバー・ソング」が原因。未見の方は、是非、九月ご覧になって切なさを味合って下さい。

「歌舞伎」の始まりは何と女性

   「宝塚歌劇」は女性ばかりで、男性は絶対にいたことが無いと思っていたら、かって過去に25人も男性がいたことをネットで知り、前にブログにアップしました。ところで、今回は歌舞伎の話で、歌舞伎では女性はまったくいたことが無いど思っていたら、何と歌舞伎のスタートは女性だったのを知りびっくりです。

   そもそも、徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年、出雲大社の巫女と称する「出雲の阿国(いづものおくに)」という踊り子が京の都に出現したことに端を発しています。出雲から来た一座のアイドルの阿国の踊りは、京都の民衆の心を掴み熱狂させ、その人気の演目は「かぶき踊り」と言われました。

   阿国人気に便乗し、遊女らによる女一座が次々に誕生し、女性によって演じられたかぶき踊りは「女歌舞伎」と呼ばれるようになり、大ブームが起こります。ところが、阿国を真似てできた遊女一座の「女歌舞伎」の中には、ストリップまがいの際どい演目を行なうものも出てきました。

   また、この人気の影響で遊女を巡るトラブルや淫らな事件が多発し、徳川幕府は武家社会の風俗を乱すという理由で、1629年に「女歌舞伎」を禁止します。そして、女性から少年への変遷を経て、現在の成人男子の「歌舞伎」が誕生し、現在に至っているのです。つまり、「歌舞伎」の ルーツは女性だったのです。

秋に二つのヴェルレーヌの詩

   さしもの猛暑もいつしか別れの言葉も無く、急ぎ足でいずこにかに立ち去り、ヴェルレーヌの詩を口ずさみたくなる季節が訪れました。ヴェルレーヌの詩とくれば、やっぱり、堀口大学の訳でなければなりません。ほかの人の訳では私は駄目なのです。そこで取り出したのが、新潮社の堀口大学訳「ヴェルレーヌ詩集」

   さて、最初にどうしても取り上げたいのが「わびしい対話」。《うら枯れて 人気なき 廃園のうち かげ二つ現れて また消え去りぬ かげの人 まなこ死に 唇ゆがみ ささやくも とぎれとぎれや うら枯れて 人気なき 廃園のうち 妖(まが)つ影 ふたりして 昔をしのぶ………》。

   そうです。ジュリアン・デュヴィヴィエの映画「舞踏会の手帖」の中で、ルイ・ジューヴェとマリー・ベルが楽しかった若き日を脳裏に描き、二人口を合わせてとなえていた詩です。訳は字幕作者で堀口大学ではありませんが、何度繰り返しこのシーンを観たか解りません。で、もう一つ書き出したいのはこよなく美しい「秋の歌」。

   《秋風の ヴィオロンの 節ながき 啜り泣き もの憂き かなしみに わがこころ 傷つくる 時の鐘 鳴りも出づれば せつなくも 胸せまり 思いぞ 出づる 来し方に 涙は湧く 落葉ならぬ 身をばやる われも かなたこなた 吹きまくれ 逆(さか)風よ》。何か物憂い初秋のひと時、ヴェルレーヌの詩を二つ紹介しました。

明智光秀は永く生きていた説

   本屋の店頭で小和田哲男監修「400字で読むあらすじ日本史」という本を見つけ買ってきました。というのは、この本に「明智光秀は死んでいなかった!?」というコラムが眼に留まり、家でじっくり読みたかったからです。天正10年(1582年)6月2日、光秀は本能寺で主君、織田信長を殺めました。

   この情報を知った豊臣秀吉は、かの有名な「中国大返し」によって戻り、明智光秀を山崎の戦いで破って、その逃走途中に落ち武者狩りで命を落としたというのが、歴史上の定説になっています。そして、光秀の首は本能寺の焼け跡にさらされていたということになっているのです。

   ところが、この首は偽物で、光秀本人はその後もずっと生きていたことが、江戸時代の随筆「翁草」に書いてあるというのです。では、光秀は宿敵秀吉の治世下をどうやって生きていたかというと、徳川家康のブレーンとして活躍した天海僧正その人こそ明智光秀だったという説があるのだとか。

   その証拠として、天海が造営に携わった日光の東照宮には、明智家の家紋である桔梗紋があることや、日光の明智平を命名したのが天海であることを見ても、天海と明智光秀が同一人物の可能性があるというのです。小和田氏はこの一文を《天下支配の夢破れた光秀が家康の下で天下経営に参加してたのはロマンがある話である》で結んでいます。歴史は実に面白いです。
 

国民が勝手に作った記念日

   毎月22日は何の日かご存知でしょうか。建国記念日や文化の日は、国が定めた祝日ですが、最近では民間で決めた記念日が続々と誕生し、平成3年(1991年)に設立された民間団体の「日本記念日協会」によると、日本には記念日が約2800もあり、協会が認定している記念日は1600以上あるのだそうです。

   例えば、2月3日は「ニユーサン」と読み「乳酸菌」の日。また、11月10日は「イイトウヒ」の語呂合わせから「いい頭皮の日」に制定されてるそうですが、何を記念して、どんなことを行うのかさっぱり解りません。では、冒頭の22日は仙台の洋菓子店が発案した「ショートケーキの日」。

   ちょっと、1か月表示のカレンダーをご覧になってみて下さい。22日の一週間前は15日で、必ず上に15日が乗っています。どうです、やっとお解りになったでしょう。22日の上には必ず「イチゴ」。更にこれより少し難解なのは7月10日の「植物油」の日、その理由は少しだけ頭を使います。

   つまり、「710」を横に並べて書き、180度回転させると「OIL」になるからです。それではネットに「語呂合わせの日」と題し、月と日の数字の組み合わせで、勝手に記念日を作ったサイトを発見しましたのでご覧になって下さい。人間って本当に「ダジャレ」が好きで好きで堪らないようです。

名画「モナ・リザ」盗難の経緯

   世界で最も有名な絵と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチの縦77センチ、横55センチの小柄な「モナ・リザ」が、1911年8月22日のあと少しで正午になろうという時、休館日だったパリの「ルーブル美術館」から、忽然と姿を消したのをご存知の方はいっぱいおられるでしょう。つまり、盗まれたのです。

   警察は必死に捜査をしましたが、その過程で、ある大変な人物が容疑者の一人に挙げられました。その容疑者はキュビズム(立体主義)の創始者で有名な画家のパブロ・ピカソ。実は彼は1907年、「ルーブル美術館」から詩人アポリネールの秘書が盗んだ彫刻と関わりを持っていたのです。

   この事件をもう少し詳しく書くと、アポリネールの秘書が、「ルーブル美術館」から盗み出した彫刻をピカソに分け与えたのです。しかも、その秘書が顛末を雑誌に投稿し、驚いたピカソは、貰った彫刻をセーヌ川に捨てようとして捨てきれず「ルーブル美術館」へ返しに行った事件です。

   やがて、ピカソの嫌疑は晴れ、事件は1913年にイタリアのフィレンツェで解決を見ることになります。結局、「モナ・リザ」を盗んだ犯人は「ルーブル美術館」に出入りしていたイタリアの職人で、休館日で無人だった展示室の壁から絵を外し、服に隠して外に出たそうです。戻って本当によかったですね。

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