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ミートソースとナポリタン

   「週刊文春」10月19日号に《パスタなんて言葉がなかった頃、巷にはスパゲッティしかなくて、ミートソースかナポリタンかの二者択一だった》の書き出しで、この二つのパスタを論じています。実は私もナポリタンが大好きで、家の近くのカフェのランチのナポリタンが滅法美味しいのです。

    この店に行くと家内は「このナポリタン、ほかの店とは全然違うわね」といって、いつも必ずこのナポリタンを食べるのですが、私はこの店の「生姜焼き」の味に魅せられている関係で、このところすっかりこの店のナポリタンにご無沙汰しています。何しろナポリタンにはミートソースにない魅力があります。

   しかし、この文春の記事には《子供の頃、ミートソースはナポリタンより上等だった。大体、ケチャップ・スパゲッティは洋食の添え物イメージが強く、ハンバーグや海老フライの脇にキャベツと橙色の冷たいスパゲッティが添えらていた》などと書いてあり、ナポリタンはミートソースより落ちる感じです。

   でもこの記事はナポリタンの名誉のために最高に美味しいナポリタンが食べられる店を紹介しています。銀座の歌舞伎座のすぐ隣にある喫茶「YOU」、ここのナポリタン(ランチセット1100円)はやや細めのスパゲッティで全くもって歯ごたえの良い本格派で次元が違うとか。銀座に出たら是非食べてみたいです。

ベルレーヌの三つの「秋の歌」

   一ヶ月ほど前に「突然訪れた寂しい秋」をアップして日本の詩を鑑賞しました。今日は堀口大学の訳を集めた「ヴェルレーヌ詩集」(新潮社)の中から、一層、深まった秋にぴったりな詩を取り上げます。と言われれば、直ぐに有名過ぎるくらい有名な「秋の歌」が頭に浮かぶでしょう。これを三人の詩人が訳しています。

   まず最初は堀口大学の訳で《秋風のヴィオロンの 節ながき啜り泣き もの憂きかなしみに わがこころ 傷つくる 時の鐘 鳴りも出づれば せつなくも胸せまり 思いぞ出づる 来し方に 涙は湧く 落葉ならね 身をはやる われも かなたこなた 吹きまくれ 逆風(さやかぜ)よ》。ヴィオロンはバイオリンのことです。

   次はウィキペディアより上田敏の訳で《秋の日のヴィオロンのためいきの 身にしみて ひたぶるにうら悲し 鐘のおとに胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ 過ぎし日のおもひでや げにわれはうらぶれて ここかしこ さだめなくとび散らふ落葉かな》。もしかしたらこの訳の方が聞きなれているかも知れません。

   そして、三つ目は金子光晴の訳で《秋のヴィオロンが いつまでもすすりあげてる身のおきどころのないさびしい僕には ひしひしこたえるよ 鐘が鳴っている息も止まる程はっとして 顔蒼ざめて 僕はおもいだすむかしの日のこと すると止途(とめど)もない涙だ つらい風が僕をさらって 落葉を追っかけるようにあっちへこっちへ 翻弄するがままなのだ》。訳によって感じが大幅に違います。

「毒舌」は漫談家の知的戦略

   今日は梶原しげる著「毒舌の会話術」(幻冬舎)の話です。この本の裏表紙に《カリスマや仕事のデキる人は、実は「毒舌家」であることが多い。毒舌とは、悪口や皮肉のように、人を攻撃するためのものではない。相手との距離を一気に縮める、高度な会話テクニックなのである》と書いてあります。

   でも、今回は毒舌を商売にしている漫談家綾小路きみまろさんの話をします。きみまろさんは自分のしゃべるスタイルをこう言っています、《わたしの漫談には、ちょっとした毒が入っております。失礼を承知で、少しまぶしているわけです。例えば「体重計、ソーと乗ってもデブはデブ」は真実ですが毒舌です》。

   きみまろさんの漫談は言うまでもなく「毒舌」という道具を使った知的戦略の上に成り立っています。持ち上げて、持ち上げて、持ち上げて、最後の一言でドスンと落とすのです。持ち上げる頻度と、上げ下げの高低差が大きいほど笑いのインパクトが大きく跳ね返ってきてお客さんに受けるのです。

   梶原さんの分析によると、お客さんへの呼びかけは「奥様」「お客様」「皆様」と、敬意あふれる尊称を用いるのが特徴。話のほとんどは、です、ます、ございますの丁寧語を主とし《私のライブに来られるのは、きれいな方ばかりです。奥様もきれいですね。首から下が》。綾小路きみまろさんの毒舌漫談、大好きです。

映像の美に魅せられる映画

   深まりいく秋の中で、ちょっと不思議で魅力的な映画を一本紹介しましょう。スペインとフランスの合作で、私はWOWOWを録画したDVDを持っているのですが、市販されているDVDもあり、勿論、TSUTAYAに行けば借りられます。その映画のタイトルは「シルビアのいる街で」(予告編)

   ただ、断っておきたいのは、この映画を観る方は映画が相当に好きでないと無理かも知れません。脚本と監督はホセ・ルイス・グリンというスペインのバルセロナ生まれの57歳の映画作家です。そして、主演はグザヴィエ・ラフィットという男優ともう一人の女優だけの映画で、あとの出演者多数はみんなエキストラです。

   ストーリーは6年前にある街で会ったシルビアという女性をその街で探す映画と言っていいでしょう。男性はそれらしき女性を見つけ後をつけます。つけられている女性の急ぎ足の靴音がひたすら街に響きます。もし、ドラマを期待してこの映画を観たら、きっと裏切られるのは間違いありません。

   しかし、映像の美がお好きな方は恐らく最後まで引きつけられるでしょう。映画大辞典のコメント《やりすぎとも言える演出が暴き立てる彼女の虚構性。映画そのものもストーリーらしいものは無かったが、後に残る心地良い余韻は何なのだろうか》は私とまったく同意見。では元東大総長の映画評論家蓮實重彦氏の感想です。

阿川佐和子さんの対談の極意

   「週刊文春」の「この人に会いたい」と土曜日の朝7時半からのTBSの「サワコの朝」で、毎週、インタビューを行ってる阿川佐和子さんの「聞く力」(文藝春秋社)、実に面白いです。この本には副題として《心をひらく35のヒント》がついてますが、正にインタビューの極意を披露したと言っていいでしょう。

   この35の項目の中から私が興味を持った「知ったかぶりをしない」をこの本を読んでいない方のために紹介します。そもそも阿川さんはプロ野球についてまったく知らないんだそうで、それが、当時、ヤクルトの監督だった野村克也氏夫妻との対談が決まった時の話を書いてます。

   何しろ、ヤクルトがセ・リーグかパ・リーグかも知らない阿川さんが野村氏夫妻にインタビューするのです。対談の始まる前に、編集部の野球に精通している記者からレクチャーを受けたのだそうですが、所詮、付け刃です。阿川さんは覚悟を決めて、質問の内容を野球の専門的なことを避けることにしたようです。

   つまり、阿川さんは「そんなにお二人は性格が違っていらっしゃるんですか?」みたいな質問で約2時間の対談を終わらせたそうです。要するに対談の極意は、知ったかぶりをしないで自分の苦手な分野を避けて、得意な世界に相手を引き込むことにあるようです。でも、この本を書くのは大分迷ったみたいです。

他界後80年になる中原中也

   今朝の「朝日新聞」文化・文芸欄は《没後80年 色あせぬ中也》の見出しで、中原中也の話です。中也が他界してまもなく80年になるそうですが、最近、詩を歌うライヴや評論の出版などが盛んで、その作品は新たな創作を生み出しているようです。実は私も中原中也の詩は大好きで、昔、よく暗記しました。

   《汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる 汚れっちまった悲しみは たとえば狐の革裘(かわごろも) 汚れっちまった悲しみは 小雪のかかってちぢこまる…》。中原中也と言えば、なんとなくこの詩が頭をよぎります。

   それが、9月2日に東京芸大の卒業生でつくる「VOICE SPASE」が中也の詩にメロディをつけて渋谷で演奏会を開催したと新聞にありました。中也の詩にメロディを付けてクラシックの歌手が歌うとどんな風になるのか聴いてみたい気がします。また、中也をテーマにした漫画「最果てにサーカス」も出ています。

   これは、評論家の小林秀雄中原中也の恋人だった女優の長谷川康子を奪うまでを描いているそうですが、罪悪感に悩む小林秀雄に漫画の中の中也は「僕たちは生きている限り、お互いをどこまでも傷つけ合って、とことん地獄まで堕ちて掴むんだ…」と言ってるとか。この漫画、見てみたいと思っています。

「アリス」の古いLPを入手

   散歩がてら、家の近くのセコハン店に立ち寄って、ポピュラーのコーナーを見ていたら「アリス・メモリアル 1972~1975」という2枚組のLPを発見、500円で買ってきました。「アリス」が結成当時の曲がメインのLPで、ジャケットに谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の若い顔が並んでいます。

   収録されている全24曲の一部をちょっと書き出すと、最初の3曲が「走っておいで恋人よ」「さよなら昨日までの悲しい思い出」「アリスの飛行船」、そして、最後の3曲が「ポイント・アフターの夜」「やさしさに包まれて」「今はもうだれも」。最後の「今はもうだれも」以外はみんな埋もれている感じです。

   聴いてみると、音質は全体的に良好で、針音がほとんど無く、新品同様と言っていいでしょう。ウイキペディアで「アリス」を調べると、1970年に大阪のフォークグループ「ロック・キャンディーズ」のリーダーだった谷村新司とドラマーの矢沢透が知り合い、それにアマチュア・バンドにいた堀内孝雄を勧誘します。

   そして、1971年12月25日に谷村新司と堀内孝雄が大阪のホテルで話し合い、矢沢透が加入することを条件にフォーク・グループ「アリス」を結成します。デビュー曲は翌1972年にシングルで発売した「走っておいで恋人よ」(YouTube)。この曲が入ってるLPを500円で手に入れるとはラッキーです。

クラシックの「悪魔の辞典」

   アメリカの短編小説家、アンブローズ・ピアスの「悪魔の辞典」をご存知の方は恐らく沢山おられるでしょう。また読んでないにせよ耳にしたことがある方もいっぱいおられに違いありません。ともかく、ネットに50音順に沢山並べたサイトがありますので、お読みになって下さい。「冷笑家用語集」と言われる所以が解ります。

   ところで、音楽評論家鈴木淳史氏が2001年12月に出版した「クラシック悪魔の辞典」(洋泉社)という本をご存知でしょうか。この本の表紙裏に《いま、この本を手にとられたあなた、クラシックの良心とありがたい権威と引き換えに、その「禁断の快楽」をあなたにお譲りしましょう》と書いてあります。

   例えばベートーヴェンの項目は「音楽に自らの人生観を注入するという、とんでもない行為をしでかしたバクチ打ち。こういう作曲家を今さらコンサートで取り上げようなどと思っている演奏家も恐れを知らないバクチ打ちに違いないが、主催者の懐に入る収入にのみ、安定をもたしてる」と書いてあります。

   また、モーツアルトは「あまりにもその音楽の流れが心地よいので、すべての音楽の中でもっとも知的で情感豊かで緊張感を伴った過激な音楽を書き続けたことさえ、気に留められなくなっている」。クラシック音楽をあまりにも沢山聴き過ぎて、食傷気味の音楽ファンにお奨めの一冊です。是非、お読みになって下さい。

村上春樹氏とイシグロ氏

 数多くのハルキストの願いは虚しく、今年も村上春樹氏はノーベル文学賞を逃がし、私には馴染みが薄い日系英国人の作家、カズオ・イシグロ氏がその栄に浴しました。とても残念です。ところで、「週刊文春」10月19日号に「日の名残り」を書いた世界的ベストセラー作家のイシグロ氏の素顔が詳しく書いてあります。

   この記事によると、イシグロ氏は5歳まで長崎市で過ごし、日本との繋がりが深く、海外のミステリーを多く出版している早川書房社長の早川浩氏とは長年交流していて、息子の早川淳氏(副社長)が2015年6月に行った結婚式の仲人をイシグロ夫妻にお願いしたほどの仲だそうです。

   そして、帝国ホテルで行われた披露宴ではイシグロ氏は貴重なスピーチを贈ってくれて、当人の淳氏はこう語っています。《5分ほどの長さで、まるで短編小説のようでした。原稿には、スラッシュを振って息継ぎのタイミングまで記してあった。…》と。ノーベル賞作家が仲人とは凄いです。

   イシグロ氏は村上春樹氏とも交流があるようで、イシグロ氏が来日した時の歓迎会に村上氏は出席しています。また、村上春樹氏は「雑文集」に《カズオ・イシグロのような同時代作家を持つこと》という一文を書いていて、イシグロ氏の作品はいつも発売と同時に買ってると書いています。きっと心から祝福」したことでしょう。

「大政奉還」の発表があった日

   ネットに《明治維新より輝かしい「大政奉還」という偉業150年前の「慶応維新」は世界史上の奇跡だ 》という記事を見つけました。何しろ、今日は日本にとって大変なことがあった日なのです。今からちょうど150年前の今日、つまり慶応3年(1867年)10月13日、徳川慶喜が「大政奉還」を発表したのです。

   これを聞いた坂本龍馬は《体をよじりながら、「これで戦争は起こらぬ。将軍のお心はいかばかりかと察するに余りある。よく決断なされた。私は誓って、この将軍のために一命を捧げん」と感涙した》とこの記事にあります。つまり、龍馬は薩長と幕府の日本を二分する流血の戦いが勃発することを恐れていたのです。

    翌日の10月14日、徳川慶喜は「大政奉還」の上表文を朝廷に提出し、そこには《政権を朝廷に奉帰(ほうき)して、広く天下の公議を尽して御聖断(ごせいだん)を仰ぎ、万民一致して皇国を興隆し、外国と並び立つこと」という内容が記されていた》そうです。朝廷は直ちにこれを受理しました。

   この記事には更にこう書いてあります。《これは平和的な絶対権力の移行である。慶応3年(1867年)10月14日は、日本の歴史で記憶すべき日である。まさに幕府自らにより「慶応維新」というべき変革を成しとげたのである》と。もっと詳しいことを知りたい方は、是非、全文をお読みになって下さい。

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