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心に響く島崎藤村の詩二つ

 本箱の中の「藤村詩抄」がふと目に留まり取り出しました。日本の近代詩の出発点になった島崎藤村の詩集です。理屈に囲まれギスギスしているコンピューター時代、時に美しい詩に接するのも悪くはないでしょう。この詩集の自序に「遂に、新しき詩歌の時は来たりぬ」と書いてある詩集、まず有名な「初恋」です。

 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃を 君が情けに酌みしかな。

  林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ》。そして、もう一つ「銀河」。《天の河原を ながむれば 星の力は おとろへて 遠きむかしの ゆめのあと ここにちとせを すぎにけり そらの泉を よのひとの 汲むにまかせて わきいでし。

  天の河原は かれはてて 水はいづこに うせつらむ ひびきをあげよ 織姫よ みどりの空は かわらねど ほしのやどりの 今ははた いづこ梭の 音をきかむ ああひこぼしも 織姫も 今はむなしく 老い朽ちて 夏のゆふべを かたるべき みそらに若き 星もなし》。藤村の詩には心に響く何かがあるのではないでしょうか。ところで、「初恋」にこともあろうにメロディを附け舟木一夫が歌っている作品があります。藤村の詩にフシをつけるなんてと怒っている方がいたらごめんなさい。

 

指揮者が語る「CD鑑賞法」

  東京芸術大学名誉教授で、カラヤンの薫陶を受けた指揮者の大町陽一郎さんが書いた「クラシック音楽を楽しもう!」に「CD鑑賞法」があり、音楽ファンの参考になりそうなので、掻い摘んでブログにアップしたくなりました。まず、大町氏は生演奏とCDの違いについて詳しく書いています。

  大町氏は、ご自分が住まわれているウィーンと日本とのCDに対する考え方を書いていて、ウィーンの音楽ファンはあまりCDを買わないのだそうです。その理由は、ウィーンには、非常に多くのオーケストラがあり、市民たちは生の音楽になじんでいるために、CDを買う必要が無いのです。

  ところが、日本では、今度、こんなCDが発売になったので一つ買っておこうかといったような、CDは切手の収集に似た一種のコレクションになってる気がすると大町氏は書いています。では、生演奏とCDはどう違うのかと言うと、生演奏は直接の場で聴ける音楽ですが、CDは言わば音楽の缶詰。

  缶詰ですから、出来るだけ鮮度を保とうとはしていますが、どうしても、そこには色々な技術的、時間的制約があって、生演奏のようにはいかないのです。例えば、演奏家が同じ曲をCDに録音する場合には、生演奏と違った観点から演奏することになるというのです。つまり、「CD」を聴く際には、演奏家が「生演奏」の時とは違う意識で演奏をしていることを知っていた方がいいのです。

生命誕生の謎に迫る技術力

 今日(7月12日)の朝日新聞1面の見出し《はやぶさ2 地下の砂採取か「太陽系の歴史のかけら手に入れた」》は宇宙や地球誕生に興味のある私のような者には、ゾクゾクするような記事で、目を皿のようにして、全文を最初から最後まで丹念に読みました。そこでその概略をちょっと紹介しましょう。

  「宇宙航空研究開発機構」(JAXA)は、7月11日、探査機「はやぶさ2」が地球から2.4億キロ離れた小惑星「リュウグウ」への再着陸に成功したと発表したのです。つまり、この小惑星の地下で眠っていた、太陽の光や放射線で風化してない砂や石を採取出来た可能性が高いというのです。

 この事が何でそんなに凄い価値を持っているかというと、約46億年前に太陽系が誕生した頃のままの姿の物質を調べることで、太陽系の成り立ちや生命誕生の謎に迫る可能性があるのです。「はやぶさ2計画」の責任者が「太陽系の歴史のかけらを手に入れた。100点満点でいうと1千点です」と言うほど凄いことなのです。

  この「リュウグウ」は、地球と火星の軌道付近を回る直径約900メートルの小惑星。ここには炭素や有機物が豊富にあるとされていて、その成分を詳しく分析すれば、生命のもとになった材料がどこから来たのかの解明につながるというのです。その小惑星を見つけて、そこに着陸させた「JAXA」の技術力に盛大な拍手です。勿論、太陽系の歴史のかけらを手に入れたのは、日本が世界で初めてなのです。恐らくアメリカのNASAも大いに祝福してくれてることでしょう。

後鳥羽上皇と藤原定家

 ネットで《和歌の天才「後鳥羽上皇」と「百人一首」にまつわる人間模様》というサイトを見つけました。どなたもよくご存知のことですが、「百人一首」には番号が振ってあり、99番が後鳥羽上皇の《人もをし 人も恨めし あじきなく 世をおもふゆえに もの思ふ身は》。

  そして、最後の100番は、後鳥羽上皇の子息、順徳院の《ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりける》。藤原定家が選んだ100首の中にあって、この2首はちょっと異質の感じがしませんか。実はこの2首は色恋に関係なく「承久の乱」の戦火の匂いが漂っているような気がします。

  承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対し討伐の兵を挙げ、結局、破れて後鳥羽上皇は隠岐に、息子の順徳天皇は佐渡島に島流しになった「承久の乱」。和歌のライバルで、後鳥羽上皇に「百人一首」の編纂を命じられた藤原定家は、後鳥羽上皇との交流を絶たれてしまいました。

 ちなみに、藤原定家(「さだいえ」より「ていか」の方がカッコいいです)は97番目に自作の《こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ》を入れていますが、もしかしたら、後鳥羽上皇と和歌の上で親しかった頃の懐かしさを思って詠んだ一首かも知れません。ところで藤原定家、かなり激しい性格だったようです。

渋谷の名曲喫茶「ライオン」

 ジャズのLPやCDを聴かせる店を「ジャズ喫茶」と言い、クラシック音楽を聴かせる店は「名曲喫茶」と呼びます。東京の名曲喫茶をいっぱい紹介している「東京クラシック地図」という本を持っていて、一番最初にある店は名曲喫茶「ライオン」。時々、レコード・コンサートを行うこの店に、昔、本当によく行きました。

 この本に載ってる紹介記事をちょっと書き出しましょう。《道玄坂の一画にひっそりと立っている古風なヨーロピアン建築の一軒屋。外観からも歴史の重さは感じられるが、店内に一歩足を踏み入れてみれば、平成の渋谷とは思えない異空間が広がる。創業はなんと昭和元年(1926年)。

  当時の建物は戦争で焼失してしまったものの、ヨーロピアン建築に造詣が深かった創業者が戦後すぐに建て直し、それがそのまま現在の店舗になっているのだから、存在そのものが文化遺産とも言えるだろう。クラシックファンに限らずとも、一度は行ってみる価値がある名店中の名店だ。

  現在、条例の関係で3階と地下室は営業に使われていないが、吹き抜けになっている1・2階はまさにコンサートホールの佇まい。客席のほとんどが前方に向けられた劇場型の造りになっていて、その正面には巨大としか言いようがないスピーカーが鎮座している。……》。音楽もオーディオもお好きな方は、是非、一度お聴きになって下さい。クラシックによく合っているこのスピーカーの音、きっと気に入ります。

生物が持つ驚きの「体内時計」

 ネットで「体内時計とは?」というサイトを見つけました。読んでみると、冒頭にこんなことが書いてあります。《生物は1日周期でリズムを刻む「体内時計」が備わっており、意識しなくても日中はカラダと心が活動状態に、夜間は休息状態に切り替わります。体内時計の働きで人は夜になると自然な眠りに導びかれるのです》。

  また、かなり売れている「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」(文響社)によると、すべての生物は生まれながらに体内時計を持っていて、覚醒と睡眠、代謝、心拍数、血圧、体温がコントロールされています。つまり、24時間を1サイクルとする概日リズムに合わせられているのです。

  哺乳類では。体内時計は「視交叉上核(しこうさじょうかく)SCN」にあり、ここで体温、水分と電解質の量、及びホルモンの生産を調整しているのです。SCNは、目の組織のうち、光についての情報を受け取る網膜とつながっていて、外が暗ければ、SCNは体を眠らせるホルモン「メラトニン」の分泌を命じます。

  つまり、この「メラトニン」の分泌により体が眠くなってしまうのです。そして、外が明るくなれば、「メラトニン」の生産をやめさせることによって目覚めるのです。ともかく、SCNが正常なら、人間も動物も途切れることなく、一定時間覚醒し、一定時間眠るのです。身体のメカニズムって凄い!

続けて欲しい「七夕」の行事

 今日は7月7日、つまり「七夕」で天の川を隔てて暮らす「彦星」と「織姫」が一年に一度、会える日です。有名な話ですが、ご存知ない方もおられるかも知れないので、この七夕伝説を少し紹介しましょう。天に「彦星」と「織姫」という真面目な恋人同士がいて、やがて結婚しました。

  すると、いつしか二人は、仕事をせずに遊んでばかりいるようになり、怒った天帝は二人を天の川を隔てて暮らすように命じ、でも年に一度、「七夕」の日だけ会ってもいいということにしたのです。従って、今日は二人の一年ぶりのデートの日ですが、もし雨が降ると天の川が溢れて会えなくなるのです。

 そこで、そのごとになぞらえて、短冊に願いを書き、笹の木にくくりつけると必ず思いが叶うと言うしきたりが生まれたのです。現役時代、私は地下鉄有楽町線の有楽町駅で京浜東北線に乗り換えていた関係で、地下鉄の有楽町駅の改札口近くに机が置いてあり、そこに短冊と筆があったのを覚えています。

  私は「七夕」前になると、改札口近くにある笹の木に飾ってある「○○ちゃんが私の思いを解ってくれるように願っています」のような文章を読むのが楽しみでした。最近は有楽町駅にご無沙汰していますが、今の駅長もこの行事を続けているのでしょうか。何だか電話で聞いてみたくなりました。

「左利きの武士」の刀の位置

  昔にも「左利きの武士」はいたと思います。なら、刀は右の腰に差していたのかという疑問が生じ、調べたくなるのは当然で、ネットに「左利きの武士」というサイトがあり、こんな質問が載ってました。《江戸時代の武士にも左利きはいたと思います。ですが刀を右の腰に差している武士を見た事がありません。

 実際いなかったのでしょうか?それとも不利な右腕を無理やり使っていたのでしょうか?》。好奇心旺盛な人の当然の質問で、私も身を乗り出して解答を探しました。その回答の中に、一つ、面白いのを見つけましたので紹介しましょう。《剣豪として有名な宮本武蔵は左利きでした。

 これは宮本武蔵が晩年に描いた水墨画の筆使いから判明した事です。宮本武蔵が二刀流を編み出したのも、利き腕の左腕を有効利用したかったからだと思われます。また、時代劇によく出てくる丹下左膳も左で刀を振るっていますが(というのは右腕がないのです)刀を差していたのは左腰でした。

 つまり、当時の武士たちは習慣として左利きであろうがなかろうが左腰に刀を差していたと思われます。……》。どうやら、利き腕に関係無く、差していたのは左の腰だったようです。というのも、江戸時代から左側通行で、刀を左の腰に差していないと、すれ違った敵と戦うのにも不自由だったのです。余談ですが、現役時代、会社に両刀遣いの男性がいて、左手で電卓を操作しながら、右手でメモをとっていました。

缶切は缶詰が出来て48年後

 今日は意外な話を提供しましょう。ネットの「缶切り」のウィキペディアによると,「缶詰」を発明したのは、1810年、イギリスのピーター・デュラントという人で、軍隊の保存食として画期的な製品でした。ところが、発明者はそれを開ける道具を考えなかったために、開けるのに四苦八苦。

 ハンマーとのみで叩いて開けるか、そんな道具がない戦場ではナイフを缶に突き立てて無理やりこじ開けたり、銃で撃ち飛ばして開けたりしていたのです。そのため、折角の画期的発明も台無しで、中身が周囲に飛び散ったりして惨憺たる状況になっていました。正に片手落ちと言っていいでしょう。

  これを何とかしないといけないと、缶詰の発明から何と48年経った1858年、アメリカのエズラ・J・ワーナーという人によって、引き廻して開ける方式の缶切りが発明されました。そして、その約10年後、現在、市場に出回っている缶の縁を切る方式が発明されたのです。

 缶切りは、使用者の利き手の違いに対応するため、右利き用と左利き用とがあり、一般に市販されているものの多くは右利き用。かつては、缶詰は缶切りが無ければ開けられなかったのですが、1970年代後半より、「イージーオープンエンド」の採用がすすみ、大抵は缶切りを用いなくても開缶可能となりました。いやはや。

他界したジャック・ルーシェ

 ネットサーフィンをしていたら、何とジャック・ルーシェのYouTubeが出てきました。前にバッハをジャズで演奏したCDを出して大ヒットしたアーティストです。私など、このCDを買った日は、かなり長時間聴いた覚えがあります。何しろ、バッハが最初からジャズで作曲したように、バッハはジャズがよく似合います。

  ところが、ルーシェは、その後、バッハだけではなく、ラベルの「ボレロ」、ヴィバルディの「四季」、ショパンの「夜想曲」、モーツアルトの「ピアノ協奏曲第20番」などをジャズ化したCDを次から次に出し、クラシックもジャズも好きな私はすべて買うことになり、何度繰り返し聴いたか解りません。

 それに、バッハも小曲だけでなく「ゴルドベルク変奏曲」、「イタリア協奏曲」などすべて全曲を編曲したのです。何と意欲的な出来事でしょう。正にクラシック音楽を完璧にジャズにつなげてしまったのです。ともかく聴いていてまったく違和感がないのです。私の所持してるルーシェのCDは全部で29枚。

  ところで、ジャック・ルーシェは1934年10月26日生まれのフランス人。10歳からピアノを始め、パリ国立高等音楽学校に進み、イヴ・ナットに学びました。卒業後、ピエール・ミシュロとクリスチャン・ギャロのの3人でピアノ・トリオを結成。世界中の音楽ファンを喜ばせました。そして、つい最近の3月5日、残念ですが85歳でこの世を去りました。何だかとても悲しいです。では、ルーシェが初めて出したバッハの演奏です。

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