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食指が動く一本の最新映画

   いつも古い映画しか紹介しない私が、観たくて仕方がない最新の映画があります。最近、テレビを観ていたら、これは絶対にお奨めと言っている映画がありました。脚本と監督が32歳のディミアン・チャゼルのミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」で、かなり感動する映画のようです。

   ところで「週刊文春」2月23日号の映画欄をみたらこの映画が取り上げられていて、5人中4人が最高点を付けています。そのうち、コラムニストの中野翠さんのコメントを書くと《早くも今年ベストと確信!主演二人のプロ意識の凄み。夢物語でありつつ終盤の大人っぽい苦味。映画遺産への敬意。感涙》です。

   また、映画評論家森直人さんも《ずば抜けた新古典派。高偏差値で愛敬も抜群。85年生の監督チャゼルは映画の夢と魔法を全力で取り戻そうとしている》と。そして、作家の斉藤綾子さんは《ワンショットだけでない心が弾む映像演出は見事。ミュージカルのお作法的縛りはないのに、古き良き作品の香りも》と書いています。

   「映画大辞典」にはまさかまだコメントはないだろうと試しに見てみると《話題の映画「ラ・ラ・ランド」を海外で観てきました。…また観たいと心底思わせる作品です。日本で公開されてから、もう一度観に行こうと思います》が一人だけありました。家内に話したら映画館に行くのに乗り気になってます。では予告編です。

「ポケモンGO」の開発経緯

   この前、ソニーのロボット産業再参入のことを書いていた辻野晃一郎氏が、最新の「週刊文春」8月4日号で、「ポケモンGO」の開発の経緯を詳しく書いているので掻い摘んで紹介します。7月22日に日本でも配信がスタートして以来、「ポケモンGO」は日本中に大きな話題を提供しています。

   中には《「ポケモンGO」に熱中する人を軽蔑します》と言ってる有名人もいれば《これはかって見たことがないゲームの王様です》と絶賛してる人もいて大変な騒ぎになっています。ともかく、新たな社会現象とも言える熱狂的なブームを世界中に巻き起こし、任天堂の株価は高騰しています。

   この「ポケモンGO」を開発した会社は、2010年にグーグルの社内ベンチャーとしてスタートし、2015年に独立したアメリカのナイアンティック社。この会社はスマホのGPS機能とグーグルマップをベースに開発した陣取りゲーム「イングレス」をヒットさせ「ポケモンGO」の基礎を築いたと言っていいでしょう。

   そのナイアンティック社を率いるのはジョン・ハンケで、同氏はもともとキーホールというベンチャー企業で衛星写真を使った地球儀のアプリを開発していたのが2004年にグーグルに買収されて、グーグルアースの普及に貢献しています。ともかく、「ポケモンGO」はゲーマーを家の中から外に出しました。

大満足の映画「白い巨塔」

   昨日、午前10時から2時間半、WOWOWで放映された山崎豊子原作の映画「白い巨塔」を家内と一緒にじっくり観ました。この映画は5月のWOWOW番組表が自宅に送られてきた時から待っていた作品で、山本薩夫監督が演技に定評のある俳優を何人も集め渾身の力をふりしぼって作った映画と言っていいでしょう。

   ちょっと、出演している俳優を書き出すと、主演は言うまでもなく田宮二郎、そして、東野英治郎、田村高廣、小沢栄太郎、船越英二、滝沢修、藤村志保、小川真由美、岸輝子、加藤嘉、清水将夫、加藤武などの人達。病院内部の抗争を巧みな演出によって描いていて、2時間半をまったく飽きさせません。

   私としての難点が幾つかあって、中でも驚いたのは手術場面で、いくらモノクロとはいえリアル過ぎて、グロテスクが苦手な私はちょっと眼を覆いたくなりました。でも、そんなことはどうでも良くなるくらいに田宮二郎の存在感は傑出していて、こんないい俳優を失った映画界の嘆きが聞こえるようです。

   それにしても、この映画を観て改めて山崎豊子の筆の力の凄さを感じ、このような男社会を迫力充分に描いています。恐らく、橋本忍のシナリオも大いに寄与しているのは間違いなく、前から観たいと思っていた映画を観て、大満足のゴールデンウィークの一日でした。こんな映画を放映するWOWOWに感謝です。

「百人一首」のエピソード

   私が大好きな百人一首のエピソードを書きます。「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに」、この歌は「世界三大美人」の一人と言われている小野小町の作品で、板野博行著「眠れないほどおもしろい百人一首」(三笠書房)に小野小町のことや詳しい解説が書いてあります。

   小野小町は同じ百人一首の「天つ風 雲のかよひぢ 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ」の作者良岑宗貞の意中の女性でした。この宗貞もかなりの美男子で小野小町のところに九十九夜も通ったのにいい返事が貰えずに性根尽き果てて諦めてしまったようです。きっと宗貞は小野小町のタイプではなかったのでしょう。

   このことが原因でそうなったのかは定かではありませんが、宗貞はまだ35歳の時に、突如、出家して比叡山に入り、僧正遍昭を名乗りました。この歌はまだ出家しない前の宗貞の時に読んだそうですが、百人一首では最終的な身分を記載することになっているので、僧正遍昭の名前になっています。

   ともかく、まだ宗貞がエリート役人だった頃、宮中で開かれた「豊明節会」に参加した際に詠んだもので、この行事の中では五人の美女が舞を披露し、この歌にある「乙女」は彼女たちの事だったそうです。どうやら、彼は小野小町のところに足繁く通ったりしてかなり女性に興味があったようです。