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中原中也にからまれた太宰治

 出版社は凄い本を出すものです。1919年6月21日に出版された「文豪たちの悪口本」というタイトルの暴露本。滅法面白く、この中から詩人の中原中也にからまれた太宰治を紹介しましょう。恐らく、あの有名な「汚れちまった悲しみ」がお好きな方はびっくりされるに違いありません。

 はるか昔の青春時代のことで、忘れている方に少しだけこの詩を書き出します。「汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる 汚れつちまつた悲しみは たとへば狐の革裘 汚れつちまつた悲しみは 小雪のかかつてちぢこまる

 この繊細な詩を書いた中原中也をお好きな方はいっぱいおられるでしょう。ところが中也は詩とはウラハラのようで、中也を尊敬していた太宰治は、初対面の中也に「何だ、おめえは。蒼鯖(あおさば)が空に浮かんだような顔をしやがって。と言われてろくに話しも出来なかったというから驚きです。

 また、太宰治が中也に好きな花を聞かれた時の会話「全体、おめえは何の花が好きなんだい?に太宰はドモって「モ、モ、ノ、ハ、ナ」」と答えると、中也はチェッ、だからおめえは。と言われたそうですから後何も言えません。更に「君は俺に対して、馬鹿丁寧言葉を使うなぁ、俺はその丁寧な言葉という奴が大嫌いなんだ」と言われて太宰治はどうしたかは書いてありません。では中原中也太宰治の映像です。

 

ノーベル賞の愉快なパロディ

 世界には「イグノーベル賞」というのがあって、日本はこの賞の受賞の常連であるのをご存知でしょうか。もし知らない方はまず「イグノーベル賞」のウィキペディアをお読みになって下さい。人々を笑わせ、そして、考えさせる研究に与えられる1991年に創設された賞で、「ノーベル賞のパロディ」とも言われて」います。

 ところで、作年2020年12月21日に五十嵐杏南著「ヘンな科学」(総合法令出版㈱)という本が出版されていて、受賞したこの「イグノーベル賞」を40も集めているのです。中に「イグノーベル賞誕生秘話」というコラムがあるので掻い摘んで紹介しましょう。

 《そもそも事の始まりは、イグノーベル賞創設者のマーク・エイブラハムさんが始めた副業にあるんだそうです。マークさんは、ハーバード大学の応用数学科(ビル・ゲイツはここの一年先輩)を卒業してプログラマーとして働いた働いた後、ソフトウェア会社を立ち上げました。そして、マークさんの趣味は科学ネタについての文章を書くことだったのです。しかし、文章を書いても出版してくれる会社が思いつかず、あるコラムニストの紹介で始めた雑誌が扱ってくれたのです》

   ともかく、「イグノーベル賞」はいつしか有名になり、毎年、9月もしくは10月に受賞式がありこれが中々ユニークでニュースになるのです。ネットにある幾つかのYouTube(    )をリンクしますのでご覧になって下さい。こういった知的な遊び大好きです。

 

悲しい悲しい和田誠氏の訃報

 映画が好きで好きで堪らない私が、宝物のように大切にしている本に、映画評論家山田宏一とイラストレーターで、二年前、他界された和田誠との映画の対談[たかが映画じゃないか]という文藝春秋社出版の単行本を持ってます。奥付を見ると、ⅰ978年12月10日出版ですからもう40年も前の本です。

 映画評論家の山田宏一の対談の相手は、いつも「週刊文春」の表紙を描いていた和田誠。何で画家が映画を語って分厚い単行本を出版しているかと言う疑問を持たれた方は、和田誠という人物をご存じないのに間違いありません。何しろ、映画に関する知識たるや専門の映画評論家が脱帽すると言っても過言ではないのです。

 それが証拠に、この本の初めに山田宏一さんは「和田誠と映画を語るとき」という一文を書いていて、「ぼくは、和田誠を知ったとき、彼があのハッピーな感覚にあふれた絵がぼくに生きる気力吹きこんだのである。つまり、和田誠という、無類の映画好きの、だからこそ映画について果てしなく語り合える友人を得たことを意味しています。

 そうなんです。和田誠さんは本当に映画が好きで、この本以外にもいっぱい映画の本を書いています。もし、私が和田誠さんと語れる機会があったら(あり得ない!)、絶対に私と映画を語って頂けませんかと頼んでいたことでしょう。すると、和田さんは、恐らく気軽に応じてくれた気がしています。二年前、和田誠さんの訃報を知った時、私はもう新しい本が読めなくなったなったのが悲しくて涙がいつまでも止まりませんでした。それほど和田誠さんのファンなのです。では、夫の和田誠氏を語る平野レミさんです。

言語学者が推薦の美しき三首

 言語学者金田一春彦著「心にしまっておきたい日本語」という本に「男と女のものがたり短歌」なる章があり、何度繰り返し読んでいるか解りません。今日はこの中から私が飛びきり好きな短歌を三首紹介しますから、日本語の魅力にどっぷりつかってコロナ禍で憂鬱な日々をしばし忘れて下さい。俳句も和歌も実にいいです。

   まず最初は北原白秋の「雨のあとさき」で、《湯上がりの 好いた娘が ふくよかに 足の爪切る 石竹の花》。どうです。白秋の詩はいっぱい知ってても、短歌などあまり眼にしたことが無い方が多いかもしれません。金田一先生の解説によると、この歌のポイントは何といっても「湯上がり」だとか。確かに日本語ならではのボキャブラリーです。

 次は石川啄木の「一握の砂」で《よごれたる 煉瓦の壁に 降りて融け 降りては融くる 春の雪かな》。この本の著者の父京助氏は啄木と同郷ということで親交があり、よくお父さんのところにお金を借りに来ていたそうで、京助氏もそうお金を持っていたわけではないのに貸していたそうです。

   それではもう一首は与謝野晶子の「みだれ髪」。《清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよい会ふ人 みなうつくしき》。「桜月夜」は昌子の造語だそうですが、「清水へ祇園をよぎる」という表現が眼に触れたら、昔、家内とよく京都に行って清水寺の舞台の混雑ぶりを思い出し、何だか京都が無性に懐かしくなりました。京都駅前の地下街はまるで池袋駅のような親近感があり大好きです。それに京都駅構内の「ホテルグランビア京都」を定宿にしていてよかったです。

 

 

 

 

 

 

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