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脚色がある「関ヶ原の合戦」

 「教えちゃいけない日本史の裏」という本に、1600年(慶長5年)9月15日に起きた関ヶ原の合戦は、小説、映画、ドラマなどで数多く取り上げられていますが、日本一有名な合戦と言っていいでしょうとあります。合戦自体は僅か半日程度で勝敗は決し、そこにある数々のドラマが歴史好きを捉えています。

  中でも、徳川家康が上杉討伐のために東下していた諸将を下野国小山(現在の栃木県小山市)に招集して行われた「小山評定」や、西軍の有力武将だった小早川秀秋の裏切りなどはあまりにも有名ですが、近世史の専門家の一部からは、こうしたエピソードは創作ではないかという指摘があるそうです。

 関ヶ原の戦いで必ず描かれる「小山評定」は、実は行われていなかったというのです。関ヶ原の合戦が行われる前の1600年(慶長5年)7月25日、上杉討伐を中止し、挙兵した石田三成を討つために諸将が西上することを決定したものとして知られていますが、それに関する資料がまったく無いのです。

 また、小早川秀秋は、寝返りに躊躇しながらも家康の催促で、正午頃にようやく西軍を裏切ったとされていますが、家康方の武将が合戦の翌々日に書いた連署状には「開戦直後にすでに小早川秀秋は裏切っていた」とあるのだそうです。つまり、最初から小早川秀秋は西軍ではなくあっさり負けたのでは話が面白く無いので軍記物の作者が脚色した可能性があるのです。いやはや、関ヶ原の合戦には話を面白くするための脚色のアトがあるのです。

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