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愉快な「記念日登録制度」

 日本に「記念日登録制度」というのがあって、申請すると誰でも自分の記念日を登録出来るのをご存知でしょうか。それを管理してるのは「日本記念日協会」で、国家が申請し登録しているのは祭日といい、公的機関、学校、企業等、原則としてこの日はどこも休日になっているのは言うまでもありません。

 何はともあれ、ちょっと一般の方が、現在、登録している記念日をご覧になって下さい。《もし業界団体、企業、個人の方々などで、自らの記念日を登録したいとお考えの場合は、記念日の名称・日付・由来・目的・活動などの必要事項を、所定の「記念日登録申請書」に記入の上、郵便やFAXで協会に送ればいいようです。

  そうすると、毎週、火曜日に記念日審査会による審査が行われ、合格すると協会から通知が送られてきて、登録料は1件につき15万円。これだけの金額を支払うのですから、記念日を登録することによる何らかのメリットが必要でしょう。遊び気分で登録というわけにはいきません。

  ところで、審査で合格すればいいのですから、この日を沢山の人に知ってもらったらこんなメリットがあるというものを考えて登録したらいかがでしょうか。もしかしたら登録料の15万円以上の利得があるかも知れません。それにしても、世の中には楽しい記念日が沢山あるものです。

永遠に残る黒澤監督の傑作

 巨匠、黒澤明監督の映画の中から、好きな一本を選べと言われたら、私は「七人の侍」でも「酔いどれ天使」でもなく、迷わず「天国と地獄」を選択します。ともかく、シナリオ、演出、演技が三位一体となった傑作で、内容を知り尽くしていながら、何度繰り返しDVDを観ても飽きないのです。

  何しろ、例の「映画大辞典」の点数が8点、9点、10点の人が約76%もいます。未見の人にこの映画を紹介するには10点を附けた人の《圧倒的。前半の密室劇も、特急のシーンのスピード感も、後半の捜査の描写も全部素晴らしい。登場人物たちのなんと魅力的なことか。仲代達矢のカッコ良さ。

 ラストシーンの山崎努の迫力。そして何より三船敏郎!彼が身代金を払うことを決め、自らカバンに細工をするシーンが素敵すぎる。大富豪である彼も、かつてはしがない一職工に過ぎなかったわけだ。なんの前知識もなく観た一回目も感動したが、色々と撮影の裏話を知ってからもう一回観てまた感動した》。が最もいいでしょう。 

  何と言っても、 原作がエド・マクベインの「キングの身代金」ですから面白くないわけがなく、それを黒澤明監督は腕によりをかけてシナリオを書き、芸達者な俳優を使い演出したのです。私のようなサスペンス・ファンが感動して当然で、未見の方は絶対にTSUTAYAにありますから、是非、ご覧になって下さい。きっと黒澤監督のワザに驚きます。

食い逃げ寸前だった徳川家康

 歴史学者の磯田道史氏が書いた「日本史の内幕」(中央公論社)やたらに面白くて、ブログで紹介したいことが山ほどあります。しかし、この本が発刊されのは二年前で、読まれた方が沢山いると思うといささか躊躇。それでも徳川家康が三方ガ原の戦いで武田信玄に敗れ、逃げた話が面白いのでアップすることにしました。

  ともかく、家康は三方ガ原の戦いに破れ、必死に浜松城に逃げ帰ります。この時、家康は途中で腹が減り、茶屋の老婆から小豆餅を買い、むさぼり食いました。ところが敵が迫り、家康は銭を払わずに逃げるのです、つまり食い逃げになりそうです。しかし、老婆は懸命に追いかけ、家康から銭を取った話が残されています。

 そして、家康が餅を食べた場所は「小豆餅(あずきもち)」として、後世、地名になりましたが、さすが老婆が追いついて銭を取った「銭取(ぜにとり)」は地名としては残らずにバス停があるそうです、でも、ここでバスを降りると、車内のアナウンスが「ぜにとり」「ぜにとり」と連呼。

  ところで、疲れて帰城した家康は、中々城の中に入れて貰えず、後で用心深い門番を讃えて「銀の延べ棒」を褒美に与えたことが記録に残っているそうです。それにしても、磯田道史氏は、徳川家康が天下を獲れたのは三方ガ原の戦いで、死なずに逃げ延びたことによると書いています。

「静御前」に因む美しい多年草

 多年草に「ヒトリシズカ」という花があるのをご存知でしょうか。実は、この花の姿が源義経が愛した静御前に似ていることからこう名付けられたもので、学名を「Chloranthus japonicus」と言います。では、この際、この名前のもととなった静御前がどんな人生を送ったかネットのウィキペディアをベースに紹介しましょう。

  「吾妻鏡」によれば、源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京から九州へ向かう際は静御前も一緒でした。しかし、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻されます。静御前は吉野で義経と別れ京へ戻りますが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡されます。 

  そして、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師と共に鎌倉に送られ、同年4月8日に静御前は頼朝に鶴岡八幡宮社前で舞を命じられて「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」と歌い踊ります。この時、静御前は義経を思い「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の  跡ぞ恋しき」と詠みます。

 これを聞いた頼朝は激怒(なんという!)しますが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して静御前の命を助けたことが「吾妻鏡」に書いてあるそうです。そして、静御前の舞(833年前を頭に浮かべて下さい)の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と場にいた人がみんな絶賛しているそうです。ところで義経と雪の吉野山で別れた場面を思うと何だか悲しいです。

「植物にも血液型がある」事実

  人間はA型、B型、O型、AB型の4種類の血液型があるのはどなたもご存知ですが、まさか血液が無い植物に血液型が存在するのを知っていた方はほとんどいないでしょう。ところが、昨日、ネットで《植物にも血液型がある?!ついつい人に話したくなる植物の血液型トリビア》というサイトを発見しました。

  そのサイトによると、植物の血液型も人間と同じABO式で、A型、B型、O型、AB型の4種類の血液型が存在します。では、どうやって測定するかと言うと、すりおろした液で調べるのですが、植物が持っている「糖タンパク」の種類によって決まるのです。ここに代表的な植物の血液型が書いてあるので紹介します。

  まず、O型の植物は、ダイコン、ゴボウ、エノキ、キャベツ、ブドウ、イチゴ、ナシ、ツバキ、サザンカなど。次はAB型で、ソバ、スモモ、アワビ、バラなど。A型の植物は、アオキ、キブシ、サカキなど、そして、B型の植物は、セロリ、アセビ、イヌツゲ、ツルマサキなど。

  ちなみに植物の血液型は約8割がO型で次にAB型が多く、A型やB型の血液を持つ植物は希少だそうです。また、赤いカエデはO型で、黄色いカエデはAB型。だからと言って、人間のように血液型によって「性格」が解るわけではなく、ただ「植物にも血液型がある」というだけでは、ちょっと不満かも知れませんが、そういうものだと信じて誰かに教えてあげて下さい。

 

渋谷の「スクランブル交差点」

  渋谷駅前の「スクランブル交差点」は今や世界の名所です。世界中に販売されている東京のガイド・ブックに必ず載っている渋谷の「スクランブル交差点」、ここを外国人が感動する理由は、一度に渡る人、約3000人が実に巧みに人を避け、決してぶつからないからです。つまり「混沌の中の秩序」と言っていいでしょう。

  ところで「スクランブル交差点」を世界で初めて設置したのは日本ではなく、1960年代にアメリカのミズーリ州カンザスシティで、その頃、カナダのバンクーバーでも、このシステムを取り入れています。また日本で初めて「スクランブル交差点」が出現したのは1968年(昭和43年)に熊本県熊本市です。

 その後、福岡市、金沢市など全国11か所に広がり、東京の渋谷駅前に導入されたのは、1973年(昭和48年)。ここは、交通量が多い場所だけに、ことさら有名になりました。そして、この状況を目の当たりに観察出来る絶好の場所は、ここの直ぐ前のビルにある「スターバックスコーヒージャパン」。

 最近は、中断していますが友人との「音楽とオーディオを語る会」の例会を渋谷で開催した時にはよくここに行きましたが、窓に面した席は、カメラを手にした外国人で占められ、坐れたことなどありません。で雨の日の渋谷の「スクランブル交差点」がどんな状態になるか見たいと思ったら、やはりYouTubeがありました。それにしても日本人のぶつからないテクニックに拍手です。

ラベルの「ボレロ」の逆演奏

 武蔵野音楽大学在学中より現代音楽の評論活動を行っていた野中映さんが書いた「名曲偏愛学」(時事通信社)という本に野中さんは「鮮血!さかさボレロの呪い」と題し、ラヴェルの「ボレロ」はさかさまに演奏した方が絶対いいという一文を書いています。その先をちょっと続けてコピーしてみましょう。

 《この曲、最初はたった三段の五線譜でこと足りるのに、おしまいになると豪華三十五段飾りという東宝の雛人形も真っ青の楽譜になってしまうのだ。盛り上がって盛り上がって盛り上がりまくる宴会みたいな作品だから、演奏者たちもいい気になって、最後の方になると自分が目立ちたい一心で、やたらに大音響を鳴らしまくる。

  目立ちたくても目立てない第二ヴァイオリンの後の奏者などは、バケツを叩いたり機関銃を乱射したりして必死に対抗しようとする。……だから「ボレロ」はすべて逆に演奏すべきなのだ。そうすればこの曲はジワリジワリと盛り下がっていく音楽になって、没落の美学を漂わせた文学的作品になる》。

  もし、これをお読みになって野中映さんが言いたいことが理解出来たら、あなたはかなりクラシック音楽のツーと言っててもいいかもしれません。「ボレロ」が盛り上がった末にエンディングを迎えた時の虚脱感と哀愁感。何だか野中映さんがよく解るような気がします。ではカラヤンの「ボレロ」をじっくりお聴きになって下さい。手の動きに注目です。

驚!「放射性炭素年代測定法」

  「放射性炭素年代測定法」という科学者が使う方法をご存知でしょうか。生物がかって生存していた年代を正確に特定する方法で、ネットに《「炭素年代測定法」は2万6000年前までの正確な測定が可能に》というサイトがあります。その理屈を掻い摘んで紹介することにしましょう。

  地上の生物は、どれも炭素を基本として作られています。通常の炭素原子「炭素12」は陽子6個と中性子6個で出来ていますが、時に地球の大気圏に入ってきた宇宙線が窒素原子に当たって、窒素を放射性を持った特殊な炭素に変えてしまうことがあり、この放射性炭素を「炭素14」と言います。

 この「炭素14」は普通の炭素より中性子の数が2個多く、次第に崩壊して5730年絶つと半数がもとの窒素に戻ります。これを「炭素14」は半減期か5730年であると言います。ところで、植物も動物も「炭素12」と「炭素14」を区別することが出来ないで、その両方を死ぬまで取り込み続けるのです。

  しかし、植物や動物が死ぬと、組織内の「炭素14」の含有量が減り始めますが、「炭素12」の量は変わりません。そこで、死んだ生物の年代を特定するには、その生物の「炭素12」に対する「炭素14」の割合を、生きている同種の生物に含まれる「炭素14」の割合と比較すればよいのです。何と人間の知恵の凄いこと!

 

人類の二足歩行への進化

  ネットで《「2足歩行は4足歩行より効率的」、人類の進化を説明する研究が明らかに》という記事を見つけました。ちょっと古いその記事によると、「初期の人類にとって、直立2足歩行は、4足歩行よりずっと効率的だった」とする研究結果が、アメリカの雑誌「科学アカデミー紀要」に掲載されたそうです。

 なぜ人類がほかの大半の霊長類と違って2本足で歩くのかを説明する「チンパンジーの運動エネルギー論と人類の2足歩行の起源」と題するこの研究を行ったのは、アメリカのアリゾナ大学人類学科のデヴィッド・レイチェレン助教授率いる研究チーム。この研究を始めて早くも数十年は経ってるそうです。

  研究では「人類が2足歩行に進化したのは、2足歩行の方が4足歩行よりも少ないエネルギーで済むからだ」との仮説を立てて研究を進めた結果です。ともかく、2足歩行は、人類とその他霊長類との進化上の決定的な相違で、エネルギーを節約できる2足歩行に移行したことにより、食糧を容易に調達出来るようになったとか。

  ところで、もう一つ、ネットに立教大学名誉教授の香原志勢氏が書いた「人類の直立姿勢再寸考」と題した小論文を見つけ、これを読んでみると、結構、面白いので、人間が4足歩行から2足歩行になった進化に関心がある方はお読みになるといいでしょう。インターネットはとても勉強になります。

武田信玄と上杉謙信の逸話

 「戦国時代通説のウソ」という本に、塩が無くて困っている武田信玄に、ライバルの上杉謙信が「敵に塩を送る」という逸話で知られる有名なエピソードはウソだと書いてあります。この本によると、そもそも、「敵に塩を送る」は後世の資料に少しだけあって、信憑性はかなり低いのだそうです。

  1568年、今川家の弱体化を好機と見た武田信玄は、同盟を破棄して今川家を攻撃しました。これに対し、今川家がとった策が武田領への塩のストップです。領内に海が無い武田家にとって塩のストップは大きな痛手です。この危機を武田家はどう乗りこえたかから、謙信が「塩を送った」が出てきます。

   しかし、この逸話は、大部分が後世の脚色で、今川家が塩で制裁を行ったのは事実ですが、謙信が塩を送ったと言う記述は、江戸時代以降の歴史書にしか登場しないのです。それにしても、謙信はもともと塩の商売をしていて、武田家は塩を買ってくれる大切なお客さんだったのです。

  つまり、武田家が塩に困っているから塩を送ったのではなくて、経済感覚に優れた謙信は、武田家が塩を沢山買ってくれることを願って塩を送ったのが真相のようです。敵に手を差し伸べるどころか、逆に足下見ているかのような行動が、上杉謙信は戦国時代に「敵に塩を送る」凄い人物になってしまうのですから不思議です。

心に響く島崎藤村の詩二つ

 本箱の中の「藤村詩抄」がふと目に留まり取り出しました。日本の近代詩の出発点になった島崎藤村の詩集です。理屈に囲まれギスギスしているコンピューター時代、時に美しい詩に接するのも悪くはないでしょう。この詩集の自序に「遂に、新しき詩歌の時は来たりぬ」と書いてある詩集、まず有名な「初恋」です。

 《まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃を 君が情けに酌みしかな。

  林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰(た)が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ》。そして、もう一つ、七夕をテーマにした「銀河」。《天の河原を ながむれば 星の力は おとろへて 遠きむかしの ゆめのあと ここにちとせを すぎにけり そらの泉を よのひとの 汲むにまかせて わきいでし。

  天の河原は かれはてて 水はいづこに うせつらむ ひびきをあげよ 織姫よ みどりの空は かわらねど ほしのやどりの 今ははた いづこ梭の 音をきかむ ああひこぼしも 織姫も 今はむなしく 老い朽ちて 夏のゆふべを かたるべき みそらに若き 星もなし》。藤村の詩には、リズムの心地よさに加え、何か心に響く独特の情感があるのではないでしょうか。ところで、「初恋」にこともあろうにメロディを附け舟木一夫が歌っている作品があります。藤村の詩にフシをつけるなんてと怒っている方がいたらごめんなさい。

 

指揮者が語る「CD鑑賞法」

  東京芸術大学名誉教授で、カラヤンの薫陶を受けた指揮者の大町陽一郎さんが書いた「クラシック音楽を楽しもう!」に「CD鑑賞法」があり、音楽ファンの参考になりそうなので、掻い摘んでブログにアップしたくなりました。まず、大町氏は生演奏とCDの違いについて詳しく書いています。

  大町氏は、ご自分が住まわれているウィーンと日本とのCDに対する考え方を書いていて、ウィーンの音楽ファンはあまりCDを買わないのだそうです。その理由は、ウィーンには、非常に多くのオーケストラがあり、市民たちは生の音楽になじんでいるために、CDを買う必要が無いのです。

  ところが、日本では、今度、こんなCDが発売になったので一つ買っておこうかといったような、CDは切手の収集に似た一種のコレクションになってる気がすると大町氏は書いています。では、生演奏とCDはどう違うのかと言うと、生演奏は直接の場で聴ける音楽ですが、CDは言わば音楽の缶詰。

  缶詰ですから、出来るだけ鮮度を保とうとはしていますが、どうしても、そこには色々な技術的、時間的制約があって、生演奏のようにはいかないのです。例えば、演奏家が同じ曲をCDに録音する場合には、生演奏と違った観点から演奏することになるというのです。つまり、「CD」を聴く際には、演奏家が「生演奏」の時とは違う意識で演奏をしていることを知っていた方がいいのです。

生命誕生の謎に迫る技術力

 今日(7月12日)の朝日新聞1面の見出し《はやぶさ2 地下の砂採取か「太陽系の歴史のかけら手に入れた」》は宇宙や地球誕生に興味のある私のような者には、ゾクゾクするような記事で、目を皿のようにして、全文を最初から最後まで丹念に読みました。そこでその概略をちょっと紹介しましょう。

  「宇宙航空研究開発機構」(JAXA)は、7月11日、探査機「はやぶさ2」が地球から2.4億キロ離れた小惑星「リュウグウ」への再着陸に成功したと発表したのです。つまり、この小惑星の地下で眠っていた、太陽の光や放射線で風化してない砂や石を採取出来た可能性が高いというのです。

 この事が何でそんなに凄い価値を持っているかというと、約46億年前に太陽系が誕生した頃のままの姿の物質を調べることで、太陽系の成り立ちや生命誕生の謎に迫る可能性があるのです。「はやぶさ2計画」の責任者が「太陽系の歴史のかけらを手に入れた。100点満点でいうと1千点です」と言うほど凄いことなのです。

  この「リュウグウ」は、地球と火星の軌道付近を回る直径約900メートルの小惑星。ここには炭素や有機物が豊富にあるとされていて、その成分を詳しく分析すれば、生命のもとになった材料がどこから来たのかの解明につながるというのです。その小惑星を見つけて、そこに着陸させた「JAXA」の技術力に盛大な拍手です。勿論、太陽系の歴史のかけらを手に入れたのは、日本が世界で初めてなのです。恐らくアメリカのNASAも大いに祝福してくれてることでしょう。

後鳥羽上皇と藤原定家

 ネットで《和歌の天才「後鳥羽上皇」と「百人一首」にまつわる人間模様》というサイトを見つけました。どなたもよくご存知のことですが、「百人一首」には番号が振ってあり、99番が後鳥羽上皇の《人もをし 人も恨めし あじきなく 世をおもふゆえに もの思ふ身は》。

  そして、最後の100番は、後鳥羽上皇の子息、順徳院の《ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりける》。藤原定家が選んだ100首の中にあって、この2首はちょっと異質の感じがしませんか。実はこの2首は色恋に関係なく「承久の乱」の戦火の匂いが漂っているような気がします。

  承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対し討伐の兵を挙げ、結局、破れて後鳥羽上皇は隠岐に、息子の順徳天皇は佐渡島に島流しになった「承久の乱」。和歌のライバルで、後鳥羽上皇に「百人一首」の編纂を命じられた藤原定家は、後鳥羽上皇との交流を絶たれてしまいました。

 ちなみに、藤原定家(「さだいえ」より「ていか」の方がカッコいいです)は97番目に自作の《こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ》を入れていますが、もしかしたら、後鳥羽上皇と和歌の上で親しかった頃の懐かしさを思って詠んだ一首かも知れません。ところで藤原定家、かなり激しい性格だったようです。

渋谷の名曲喫茶「ライオン」

 ジャズのLPやCDを聴かせる店を「ジャズ喫茶」と言い、クラシック音楽を聴かせる店は「名曲喫茶」と呼びます。東京の名曲喫茶をいっぱい紹介している「東京クラシック地図」という本を持っていて、一番最初にある店は名曲喫茶「ライオン」。時々、レコード・コンサートを行うこの店に、昔、本当によく行きました。

 この本に載ってる紹介記事をちょっと書き出しましょう。《道玄坂の一画にひっそりと立っている古風なヨーロピアン建築の一軒屋。外観からも歴史の重さは感じられるが、店内に一歩足を踏み入れてみれば、平成の渋谷とは思えない異空間が広がる。創業はなんと昭和元年(1926年)。

  当時の建物は戦争で焼失してしまったものの、ヨーロピアン建築に造詣が深かった創業者が戦後すぐに建て直し、それがそのまま現在の店舗になっているのだから、存在そのものが文化遺産とも言えるだろう。クラシックファンに限らずとも、一度は行ってみる価値がある名店中の名店だ。

  現在、条例の関係で3階と地下室は営業に使われていないが、吹き抜けになっている1・2階はまさにコンサートホールの佇まい。客席のほとんどが前方に向けられた劇場型の造りになっていて、その正面には巨大としか言いようがないスピーカーが鎮座している。……》。音楽もオーディオもお好きな方は、是非、一度お聴きになって下さい。クラシックによく合っているこのスピーカーの音、きっと気に入ります。

生物が持つ驚きの「体内時計」

 ネットで「体内時計とは?」というサイトを見つけました。読んでみると、冒頭にこんなことが書いてあります。《生物は1日周期でリズムを刻む「体内時計」が備わっており、意識しなくても日中はカラダと心が活動状態に、夜間は休息状態に切り替わります。体内時計の働きで人は夜になると自然な眠りに導びかれるのです》。

  また、かなり売れている「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」(文響社)によると、すべての生物は生まれながらに体内時計を持っていて、覚醒と睡眠、代謝、心拍数、血圧、体温がコントロールされています。つまり、24時間を1サイクルとする概日リズムに合わせられているのです。

  哺乳類では。体内時計は「視交叉上核(しこうさじょうかく)SCN」にあり、ここで体温、水分と電解質の量、及びホルモンの生産を調整しているのです。SCNは、目の組織のうち、光についての情報を受け取る網膜とつながっていて、外が暗ければ、SCNは体を眠らせるホルモン「メラトニン」の分泌を命じます。

  つまり、この「メラトニン」の分泌により体が眠くなってしまうのです。そして、外が明るくなれば、「メラトニン」の生産をやめさせることによって目覚めるのです。ともかく、SCNが正常なら、人間も動物も途切れることなく、一定時間覚醒し、一定時間眠るのです。身体のメカニズムって凄い!

続けて欲しい「七夕」の行事

 今日は7月7日、つまり「七夕」で天の川を隔てて暮らす「彦星」と「織姫」が一年に一度、会える日です。有名な話ですが、ご存知ない方もおられるかも知れないので、この七夕伝説を少し紹介しましょう。天に「彦星」と「織姫」という真面目な恋人同士がいて、やがて結婚しました。

  すると、いつしか二人は、仕事をせずに遊んでばかりいるようになり、怒った天帝は二人を天の川を隔てて暮らすように命じ、でも年に一度、「七夕」の日だけ会ってもいいということにしたのです。従って、今日は二人の一年ぶりのデートの日ですが、もし雨が降ると天の川が溢れて会えなくなるのです。

 そこで、そのごとになぞらえて、短冊に願いを書き、笹の木にくくりつけると必ず思いが叶うと言うしきたりが生まれたのです。現役時代、私は地下鉄有楽町線の有楽町駅で京浜東北線に乗り換えていた関係で、地下鉄の有楽町駅の改札口近くに机が置いてあり、そこに短冊と筆があったのを覚えています。

  私は「七夕」前になると、改札口近くにある笹の木に飾ってある「○○ちゃんが私の思いを解ってくれるように願っています」のような文章を読むのが楽しみでした。最近は有楽町駅にご無沙汰していますが、今の駅長もこの行事を続けているのでしょうか。何だか電話で聞いてみたくなりました。

「左利きの武士」の刀の位置

  昔にも「左利きの武士」はいたと思います。なら、刀は右の腰に差していたのかという疑問が生じ、調べたくなるのは当然で、ネットに「左利きの武士」というサイトがあり、こんな質問が載ってました。《江戸時代の武士にも左利きはいたと思います。ですが刀を右の腰に差している武士を見た事がありません。

 実際いなかったのでしょうか?それとも不利な右腕を無理やり使っていたのでしょうか?》。好奇心旺盛な人の当然の質問で、私も身を乗り出して解答を探しました。その回答の中に、一つ、面白いのを見つけましたので紹介しましょう。《剣豪として有名な宮本武蔵は左利きでした。

 これは宮本武蔵が晩年に描いた水墨画の筆使いから判明した事です。宮本武蔵が二刀流を編み出したのも、利き腕の左腕を有効利用したかったからだと思われます。また、時代劇によく出てくる丹下左膳も左で刀を振るっていますが(というのは右腕がないのです)刀を差していたのは左腰でした。

 つまり、当時の武士たちは習慣として左利きであろうがなかろうが左腰に刀を差していたと思われます。……》。どうやら、利き腕に関係無く、差していたのは左の腰だったようです。というのも、江戸時代から左側通行で、刀を左の腰に差していないと、すれ違った敵と戦うのにも不自由だったのです。余談ですが、現役時代、会社に両刀遣いの男性がいて、左手で電卓を操作しながら、右手でメモをとっていました。

缶切は缶詰が出来て48年後

 今日は意外な話を提供しましょう。ネットの「缶切り」のウィキペディアによると,「缶詰」を発明したのは、1810年、イギリスのピーター・デュラントという人で、軍隊の保存食として画期的な製品でした。ところが、発明者はそれを開ける道具を考えなかったために、開けるのに四苦八苦。

 ハンマーとのみで叩いて開けるか、そんな道具がない戦場ではナイフを缶に突き立てて無理やりこじ開けたり、銃で撃ち飛ばして開けたりしていたのです。そのため、折角の画期的発明も台無しで、中身が周囲に飛び散ったりして惨憺たる状況になっていました。正に片手落ちと言っていいでしょう。

  これを何とかしないといけないと、缶詰の発明から何と48年経った1858年、アメリカのエズラ・J・ワーナーという人によって、引き廻して開ける方式の缶切りが発明されました。そして、その約10年後、現在、市場に出回っている缶の縁を切る方式が発明されたのです。

 缶切りは、使用者の利き手の違いに対応するため、右利き用と左利き用とがあり、一般に市販されているものの多くは右利き用。かつては、缶詰は缶切りが無ければ開けられなかったのですが、1970年代後半より、「イージーオープンエンド」の採用がすすみ、大抵は缶切りを用いなくても開缶可能となりました。いやはや。

他界したジャック・ルーシェ

 ネットサーフィンをしていたら、何とジャック・ルーシェのYouTubeが出てきました。前にバッハをジャズで演奏したCDを出して大ヒットしたアーティストです。私など、このCDを買った日は、かなり長時間聴いた覚えがあります。何しろ、バッハが最初からジャズで作曲したように、バッハはジャズがよく似合います。

  ところが、ルーシェは、その後、バッハだけではなく、ラベルの「ボレロ」、ヴィバルディの「四季」、ショパンの「夜想曲」、モーツアルトの「ピアノ協奏曲第20番」などをジャズ化したCDを次から次に出し、クラシックもジャズも好きな私はすべて買うことになり、何度繰り返し聴いたか解りません。

 それに、バッハも小曲だけでなく「ゴルドベルク変奏曲」、「イタリア協奏曲」などすべて全曲を編曲したのです。何と意欲的な出来事でしょう。正にクラシック音楽を完璧にジャズにつなげてしまったのです。ともかく聴いていてまったく違和感がないのです。私の所持してるルーシェのCDは全部で29枚。

  ところで、ジャック・ルーシェは1934年10月26日生まれのフランス人。10歳からピアノを始め、パリ国立高等音楽学校に進み、イヴ・ナットに学びました。卒業後、ピエール・ミシュロとクリスチャン・ギャロのの3人でピアノ・トリオを結成。世界中の音楽ファンを喜ばせました。そして、つい最近の3月5日、残念ですが85歳でこの世を去りました。何だかとても悲しいです。では、ルーシェが初めて出したバッハの演奏です。

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