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ヴェルレーヌの「秋の歌」三訳

 ちょっと季節はずれで気がひけますが、今日はポール・ヴェルレーヌが20歳の時に作った「秋の歌」の訳を三人の技を吟味して比べてみようと思います。この詩に接していると、ロマンに満ちていた遙か彼方の青春の日々がおぼろげに脳裏に甦ります。まず、最初は金子光晴の訳ですが、ほかの二人と少し感じが違います。

  《秋のヴィオロンが いつまでも すすりあげてる 身のおきどころがない さびしい僕には ひしひしとこたえるよ 鐘が鳴っている 息も止まる程はっとして 顔青ざめて 僕は思い出す むかしの日のこと するととめどない涙だ つらい風が 僕をさらって 落ち葉を追っかけるように あっちへこっちへ 翻弄するがままなのだ》。

   次は堀口大学で《秋風の ヴィオロンの 節長き啜り泣き もの憂き哀しみに わが魂を 痛ましむ 時の鐘 鳴りも出づれば せつなくも胸せまり 思ひぞ出づる 来し方に涙は湧く 落葉ならぬ 身をばやる われもかなたこなた 吹きまくれ 逆風(さかかぜよ》。

  そして、上田敏の「海潮音」の題名は「落葉」。《秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し 鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな》。やっぱり、上田敏が一番好きです。蛇足ですが、勿論、「ヴィオロン」は「ヴァイオリン」のことです。

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