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俳句は五七五の「定型感覚」

 慶応義塾大学在学中に俳句を始め、日野草城に師事した楠本憲吉氏の記した「俳句をひねる」という本の冒頭は《俳句は、なぜ五・七・五なのか》で、始めに「カラキシニアジサノサノハタバナミヲマヨノオルタタニモテアレシテバナ」という「無意味つづり文」が出ています。

 これは心理学の実験に用いられるまったく意味のない文章なのに、多くの日本人は、これを五・七・五・七・七に区切って読もうとするのです。この実験からも解るように、日本語は五音や七音で読むのがいちばん読みやすいのです。つまり、俳句はこの五・七・五のリズムの上に成立しているのです。

 要するに、私たち日本人は子供のころから、五・七・五のリズムに生理的に適応していると言っていいでしょう。しかし、俳句を作る時に何が何でも五・七・五でなければならないということではないと楠本憲吉氏は書いています。例えば中村草田男の一句《浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねえやい」》。

 また、篠原梵の「冬日の車窓(まど)に朱きあかるき耳持つ人々」といった句は、字数が十七文字を越えていても、言葉にリズム感があるので俳句として詠むことが出来るのだそうです。つまり、五・七・五の定型はくずれていてもこの「定型感覚」が頭のどこかに残っていると楠本氏は書いています。では俳句とは

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