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「メートル」を定義した推移

   桜井進著「面白くて眠れなくなる数学」という本から「単位」の話を書きます。「単位」とは「メートル」や「キログラム」のことで、私たちの生活は「単位」なしには考えられません。長さや重さといった量をはかり、その量を共有することで私たちの生活は成り立っていると言っていいでしょう。

   今回はこの中から1「メートル」はどうやって決めたのかということを話題にします。実は「メートル」は世界史の中で最も重要な出来事といわれているフランス革命の中で生まれたのだそうです。革命政府は、自国の測量のためだけではなく、これからは世界共通の単位が必要になると考え、「メートル」を作り出しました。

   ともかく、新しい単位は地球上の誰もが認める普遍的なルールをもとに定められる必要があると考え地球を基準にしたのです。それが「地球の北極から赤道までの子午線の長さの1000万分の1」。この測量は大変な難事業で、苦心を重ね1795年にやっとの思いで「メートル法」を成立させたのです。

   そして、ヨーロッパの各国が「メートル条約」を締結させたのが1875年で、日本がこの条約に加盟したのが1885年。ところが、1983年(昭和58年)に基準が見直され、現在は「真空中で光が1/299,792,458秒間に進む距離を1メートル」と定められています。では、もっと詳しく知りたい方は《長さの定義メートルの決め方ってどうやってるの?》をお読みになって下さい。秒が複雑な数字になっている理由も解り、きっと誰かに自慢したくなります。

徳川家康も伊達政宗も鉛筆

   鉛筆の濃さには幾つ種類があるかご存じでしょうか。まず、鉛筆の濃さにはH、B、Fの3つがあって、Hはハード(硬い)、Bはブラック(黒い)、Fはファーム(しっかりした)。硬い順に並べると、9H、8H、7H、6H、5H、4H、3H、2H、H、F、HB、B、2B、3B、4B、5B、6Bの17種類。

   芯の材料は黒鉛と粘度で、堅さはこの二つの割合で決まります。一般的に使われるHBは、FとBの間の堅さで、黒鉛が7に対し粘土が3の割合で出来ています。ちょっと鉛筆の歴史を紐解くと、1560年代、イギリスノボロウデール鉱山で良質の黒鉛が発見され、それを細かく加工して筆記具として使ったのが鉛筆です。

   そして、1795年、フランス人のニコラス・ジャック・コンテという人が、粘土に黒鉛を混ぜる割合によって堅さが変化することに気がついたのです。現在の鉛筆の製法は基本的にこれとほとんど変わっていません。日本で鉛筆が本格的に使われるようになったのは明治時代以降です。

   ちなみに、久能山東照宮博物館に展示されている徳川家康の遺品の中には、オランダ人から献上されたとされる一本の鉛筆があるそうです。また、昭和49年(1974年)、伊達正宗の墓所である瑞鳳殿を発掘調査したところ、7センチの鉛筆が見つかったことから、徳川家康も伊達正宗も鉛筆を使っていたことが解ります。

傑作映画の監督の素行最悪

   ロックバンド「クイーン」のリードボーカル、故フレディ・マーキュリーの生き様を軸に描かれた感動の音楽映画「ボヘミアン・ラプソディ」。テレビを観ていても絶賛する方が多く、また、「映画大辞典」の評価も高くコメントは7点以上が73人中60人もいて、私も是非、観たい映画の一本です。

   それに今年のアカデミー賞にもノミネートされていて、取れる可能性が高いと専らの評判です。ところが、昨日のテレビのニュースで、この映画の監督ブライアン・シンガーが、何人かの少年に性的暴行をしたというのです。何しろ、レッキとした法律上の犯罪のようです。

    しかし、シンガー氏は記事について、アカデミー賞に作品賞を含む5部門でノミネートされた「ボヘミアン・ラプソディ」の成功を妬む者の仕業と反発しています。ともかく、この監督をめぐっては、長年にわたり性的不品行のうわさが飛び交っており、少年への性的虐待に関する訴えをこれまでに何度か起こされています。

   また、ブライアン・シンガー監督は「ボヘミアン・ラプソディ」の撮影終了が目前になった2017年12月、突然、撮影現場に来なくなり、「20世紀フォックス」を解雇されています。いくら作品が優秀で、沢山の人に感動を与えている映画とは言え、監督の素行に関係なくアカデミー賞は貰えるのでしょうか。

優勝に貢献サーブの偉力

   ついに大坂なおみがチェコのクビトバを破り全豪オープンに優勝しました。しかし、大坂は第2セット5-2になり、しかもポイントは4-0、マッチポイントが3本もあり、間違いなく勝ったと思いました。ところが、クビトバの頑張りによって何と第2セットを奪われて最終セットに突入。この時の大坂の暗い顔を思い出します。

   やっぱり、勝負は決めるところで決めないとよくとんでもないことになります。でも、大坂はそれを引きずること無く気持を入れ換え、第3ゲームをブレークしたのが大きく、大事なところでエースを決めて、クビトバを寄せ付けずに勝ちました。ともかく、クビトバの予想していた以上にサーブが冴えていたのが勝因と言っていいでしょう。

   今朝の「日刊スポーツ」によると《大坂は、普段、あまり使わない滑って逃げるスライスサーブを多用した。通常使う縦回転のスピンサーブだと、安全だが、バウンドが跳ねるためリターンをたたかれる。そこで、滑るサーブで相手のリターンを封じた。それを大胆に攻め、繊細にコントールした。正に隠し玉だった。

   第1セットを先取したら、約2年間、負けなしは、今回も生きていた。これで67連勝。ただ、3本のマッチポイントを逃して第2セットを落とし、迎えた最終セットは「空洞だった。ロボットみたいに命令を実行していただけ」》。本当に勝ててよかったです。これで、大坂は世界ランク1位を手にしたようです。では、試合のハイライトです。

評論家の「恐怖の男」の書評

   「ウォーターゲート事件」を暴いた新聞記者ボブ・ウッドワードが書いた「FEAR(恐怖)」がアメリカでの発売初週、100万部を突破したのは何かで読みました。日本でも「恐怖の男」(立ち読み可)という邦題で伏見威蕃訳で発売になったのを知って、読みたいのは山々ですが、分厚いので躊躇しているところです。

   そこへ、「週刊文春」1月31日号の書評欄に評論家の山形浩生氏が紹介しているのを発見。読んだら私と同じように迷っている方にちょっと教えたくなりました。《評者はスターリンやポル・ポトのような話を予想していた。無軌道な傍若無人ぶりと独裁を発揮して、あらゆる邪魔者を冷酷に粛清する恐怖の独裁者。

   だが各種取材の結果、蛮行に貫徹する狂った論理の片鱗が明らかになるにつれ、なおさらその恐怖は深まる……。が、この期待は裏切られた。ある一つの事実さえなければ、ここに書かれたトランプ政権の内実は、恐怖どころかバカ殿シリーズ的なギャグとして大笑いしたくなる代物なのだ。

   その事実とはもちろん、この人がホントにアメリカ大統領だということだ。そう、ここに描かれた人物が世界を牛耳っているのでなければ、本書の主人公に親しみすらおぼえかねない。誰もがどこかで出会ってる、口先と勢いだけの無能な上司。……》。山形浩生氏の巧みな筆致で、この本の内容がほぼ解りました。

定期的に掃除すべき「冷蔵庫」

   快適生活研究会の「汚れを落とす!ワザあり事典」(PHP研究所)によると、冷蔵庫の中も外も定期的に掃除をした方がよく、掃除をすると決めたら、まず中の食品をすべて外に出し、新聞紙の上に並べます。棚などはずせるものはみんなはずして、庫内を台所用中性洗剤を薄めた水で拭き、さらに絞った雑巾で拭きます。

   そして、最後にエタノールで拭いておけば除菌が出来ます。さらに丁寧に行うなら、パッキングも中性洗剤で拭き、もしカビがついているところは、エタノールを古歯ブラシにつけてこすります。また、取り外した棚類も、中性洗剤を薄めたぬるま湯に浸けてスポンジで洗うといいでしょう。

   ともかく、外に出した食品が傷まないように、用具や洗剤などをあらかじめ用意しておいて、出来るだけ早く終わらせるようにしなければなりません。冷蔵庫の中の掃除が終わったら、外側も中性洗剤を薄めた液でふくときれいになります。しかし、こびついてしまった汚れや全体的な黄ばみは取れません。

   そこで、「液体クレンザー」をスポンジや布に揉み込んでこすり落とすと、スッキリとときれいになります。さらに、白っぽい冷蔵庫を汚れにくくする裏ワザは、全体を水拭きしてすっかり乾いた後、布に自動車用のワックスをほんの少し布につけて拭くと汚れがつき難くなるとこの本に書いてあります。

お奨めのフランス映画「望郷」

   映画評論家高沢瑛一氏が編集した「ラストシーンをもう一度」というタイトルの本を持ってます。タイトルの後に「名画のエンディングBest80」とあり、ラストシーンが有名な映画80本のことが書いてあって、この本を本屋の店頭で見つけた時、飛び上がって喜んだ覚えがあります。

   今日はこの80本の映画の中から、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督がジャン・ギャバンを主演にして制作した映画「望郷」を紹介しましょう。舞台はアルジェリアの首都アルジェのカスパ。フランス人の凶悪犯ジャン・ギャバン扮するペペ・ル・モコは警察に追われてパリからカスパに逃げ込みます。

   やがて、彼はカスパで暗黒街のボスとして君臨。ところが、ペペはパリからやって来た美女ギャビー(ミレーヌ・バラン)に郷愁に似た憧れを抱いて夢中になります。それを知った警察は、パリに帰るギャビーを囮にして、ペペをカスパから街におびきだして捕まえるのです。凶悪犯としては大変なミス。

   女を乗せた船が港を出る汽笛に向かって、ペペは手錠をかけられたまま、波止場の鉄柵を握りしめ、腹の底から力をふりしぼって「ギャビー!」と叫ぶのです。でも、その声は大きな汽笛の音に消されてギャビーには届きません。彼は隠し持ったカミソリの刃で手首を切り石畳に崩れ落ちて「FIN」が出ます。古い映画でもTSUTAYAに絶対にありますから、未見の方は、是非、ご覧になって下さい。ネットを必死に探しましたがラストの映像は無く、せめてギャバンとミレーヌ・バランが ちらっと見えるのでお許しを

86歳の三浦さん登頂を自重

   今朝の朝日新聞の一面に《登頂断念86歳三浦さん「挑戦続けたい」》という見出しの記事がありました。内容を読むと、南米大陸最高峰アコンカグア(標高6961メートル)の登頂とスキー滑降をめざしていたプロスキーヤー三浦雄一郎さん(86)が登頂を断念し下山したというのです。

   というのは、三浦さんの体調から、同行する医師がこれ以上標高の高いところに行くのは難しいと判断したというのです。三浦さんは、現地時間1月21日朝、滞在しているアルゼンチンのメンドサ市内のホテルで、朝日新聞の取材に応じ「これ以上は事故の可能性が大きいと説得されて諦めた。残念です」と話しています。

   新聞の二面に三浦さんが目指していたアコンカグアの説明があり、アンデス山脈にそびえる南米大陸に存在し「7大陸最高峰(セブン・サミッツ)」の一つなんです。三浦さんはすでに1985年に53歳で登頂に成功していて、今回は86歳で2度目の挑戦だったのに中止を決断しさぞ残念だったことでしょう。

   新聞の解説によると、三浦さんが計画した山は、それほど高度の技術が必要というわけではなく、これまでに最高齢は87歳、最年少9歳が登っているそうですが、三浦さんには不整脈の持病があり、今回は肉体的、生理的な負担を考慮しての判断では無理をしないで本当によかったです。そのネットの記事です。

山手線の新駅名が賛否両論

   JRは2020年に山手線の品川駅と田町駅の間に出来る新駅の名称の公募を行いました。その結果、64,052件の応募があり、1位が「高輪」で8,398件、2位が「芝浦」で4,265件、3位が「芝浜」で3,497件、4位が「新品川」と「泉岳寺」で同数の2,422件でした。ところが、JRの発表は「高輪ゲートウェイ」。

   この駅名に投票した人は36件、130位だったのです。別にJRは最初から1位に決めるとは言ってないので構わないのですが、「高輪」に投票した人は、採用してくれないことに何だか釈然としないかも知れません。当然、この駅名は賛否が分かれ、現在、反対者は35,000人を越えているいるようです。

   それに対しJR広報部のコメントは次の通りです。「駅名を募集し始めたときからお伝えしていたとおり、応募数で決めるのではなく、応募されたすべての駅名を参考にして……日本と海外を結ぶ、それに人と人を結ぶ玄関口の意味を込めたいという思いで「高輪ゲートウェイ」に決まりました……」。

   確かに、ネイミングは人それぞれで、別におかしな名前とは言えない「高輪ゲートウェイ」は妥当なネイミングと言えるでしょう。というのは、現在、都営浅草線に「高輪台」という駅があり、もし「高輪」を採用すると紛らわしいのは間違いがなく、高輪の後に少し長いカタカナを附けたのはいい考えかも知れません。

芸が「通行手形」の江戸時代

   江戸時代、幕府は江戸を守るため、街道の要所に関所を設けました。通行人をチェックして、怪しい旅人が通らないようにしていたのです。ことに重要だったのが箱根の関所で、ネットにその概略を紹介した記事がありますから、まずご覧になって下さい。特に大きなチェック・ポイントは「入鉄砲に出女」。

   つまり、鉄砲を持った旅人が江戸に入らないようにすることと、人質の意味で江戸に住まわせてる大名の妻女が江戸を出ることを防がなくてはなりません。もし、そんなことでも起きたら、幕府の政策が水の泡になってしまいます。ともかく、江戸に入るのも出るのも、どうしても箱根の関所を通らねばならなかったのです。

   そのため、江戸時代の女性の旅はいたって大変で、ことに武家の女性が関所を通る時には現代なら間違いなくセクハラになりそうな屈辱的な検査を受けなければなりませんでした。そこで、旅する女性たちは、検査係にワイロを渡して、検査を軽くしてもらうように画策したりしたのです。

   一方、落語家、講釈師などの芸人たちは、男も女も関所を通過するのがラクで、手形さえ見せる必要がなく、芸を行えば関所が通過出来たのです。つまり、まだ娯楽が少なかった時代に芸人が芸をタダで見せれば、役人は大喜びで通してくれたのです。正に「芸は身を助ける」だったのです。

平成22年に起きた「決闘罪」

   日本には1889年(明治22年)に公布された「決闘罪」という法律が今でもあって、そこには《決闘をした者は2年以上5年以下の懲役。決闘によって人を殺傷したる者は刑法の各本条に照して処断する》と書いてあるそうです。ところで、平成23年(2011年)に京都で「決闘罪」が実際に起きたのをご存知でしょうか。

   彩図社が発刊した「本当は怖い京都の話」によると、京都の中学生が「15対15で決闘するぞ!」と公に宣言してから喧嘩したことが、警察は「決闘罪」に当たると解釈したのです。そもそも、ことの発端は当事者のブログへの書き込みのようでそこに「素手で」と約束事を決めた後、乱闘を約50分行ったのです。

   こんな事件ならネットにあるのではないかと探したら、《中学生の大喧嘩に適用された「決闘罪」》というタイトルの記事がありました。そこには京都府警少年課と八幡署はこの乱闘騒ぎに参加した京都市伏見区と八幡市の14歳~15歳の男子中学生ら25人と、この対決を見届けた26歳の男を「決闘罪」で書類送検。

   不良中学生グループは普段から何かと角突き合わせていたのです。今回は互いに武器を使わず素手でやりあうことなどを取り決め、4月28日午後9時頃、伏見区竹田狩賀公園で乱闘による決闘をしたのです。もっと詳しいことを知りたい方は、直接、記事をお読みになって下さい。

白鵬の連勝止めた稀勢の里

   別に稀勢の里のファンではありませんが、取り組み前に土俵下で待ってる時の稀勢の里の眼には真剣さが漂い、早く横綱になったばかりの頃の強い稀勢の里に戻って欲しいと願うばかりでした。ところが、初場所が始まるやあっという間の三連敗、恐らく「引退」の話が出るのではないかと思ってました。

   案の定、稀勢の里は横綱の重圧に耐えきれず引退せざる得なくなったのです。稀勢の里の真面目な人間性がよく出ているのは引退の理由の説明で「怪我をする前の自分に戻ることが出来なかった。やりきった、という気持ち。私の土俵人生において、一片の悔いはございません」に何だか悲哀感が漂っていました。

   ところで、かって横綱白鵬が63連勝と43連勝を達成し、双葉山が持っている大記録69連勝に迫ったことががあります。双葉山の後援会長が親戚(子供の頃叔母と一緒に一度会ってます)だったということもあり、この連勝記録を外人に持っていかれることに抵抗があって、何とか誰かが阻止してくれることを願っていました。

   ところが、稀勢の里はこの連勝を二度も阻止したのです。白鵬ファンには悪いけど、この時くらい稀勢の里を応援したことはありません。もし稀勢の里が63連勝を止めていなかったら双葉山の69連勝が抜かれた可能性が充分にあります。では、63連勝を止めた相撲43連勝を止めた相撲です。

「祇園祭」とお薦めの恋愛小説

    京都の夏を彩る「祇園祭」、祭には様々な種類があり、五穀豊穣を祈るもの、商売繁盛を願うもの、子孫繁栄を祈るものなどありますが、「祇園祭」が目的とするのは疫病退散。もとはと言えば平安時代、京都では疫病が流行り、死者が続出したため、「祇園祭」によって災いが去ることを祈願したのです。

   ところで、私にとっての「祇園祭」は五木寛之の古い恋愛小説「燃える秋」が脳裏をよぎり、ちょっとこの小説の書き出しをコピーします。《桐生亜希が、その青年をはじめて見かけたのは、祇園祭の宵山の雑踏のなかでだった。その年の夏、二十七歳になった亜希は、ひとりで京都へ三日間の小旅行に出かけた。……》。

   こうして、悩みを抱えて京都に旅行した桐生亜希は一人の商社マンと「祇園祭」の雑踏の中で出合います。そして、ある雨が激しく降る土曜日の夜、亜希は付き合っている初老の男性から電話を貰った後、「祇園祭」で会った青年を思い出し、自宅の電話番号が書いてある名刺を取り出し電話を入れてこう言います。「私のこと、まだ覚えて下さっていますか?」。

   「もちろん」「会っていただけます?」「いつ?」「これから」「え?どこから電話かけてるんです?」「東京の自宅から」「ぼくはいま、名古屋にいるんですよ」「わかっています」「なにかあるんですね、わけが」「ええ」「わかった、行きます」。こうして、青年はどしゃぶりの雨の中、深夜、四時間かけて自動車を飛ばして亜希に会いにくるのです。もし、何かいい恋愛小説が読みたいと思っている方がいたら、五木寛之の「燃える秋」,絶対にお奨めです。古いですが、角川文庫で今も出ています。

錦織選手の奇跡的逆転勝利

   テニスの全豪オープン、錦織圭の第1回戦の相手は世界ランク176位のポーランドのカミル・マイシュジャク。錦織の楽勝と思って観ていたら、何と第1セットも第2セットも連取され、勝つためにはフル・セットに持ち込んで、それに勝つしか方法がなくなりました。第3セットの始まる前の錦織の表情は暗く、危うさが漂っています。

   ところが始まった途端にマイシュジャクの身体に異変が起きたのです。ラケットを持つ手が震え、サーブさえまともに出来ません。それに足の運びも引きずるようで、どう観ても異常事態の発生です。第3セットまでの強烈なサーブは陰を潜め、ボールのコントールさえ思うようにいかない感じです。

   マイシュジャクの周りに集まったコーチ陣が手当を始めましたが、かろうじてテニスをしてるとしか思えないマイシュジャクは痛みがあるようで苦しそうです。当然、錦織は第4セットを6-0で取り、ついにフル・セットに突入、錦織が3-0になった場面でマイシュジャクは棄権して錦織は大逆転で勝ちました。

   長い間、テニスの試合を観ていますが、圧倒的に優勢だった選手が、突然、体調を崩して、瞬く間に崩壊してしまった試合を初めて観ました。錦織も第2セットが終わった時点ではまさか勝つとは思わなかったのでは無いでしょうか。錦織に大変なツキがあると思える全豪オープン、勝ち進んで欲しいです。ではハイライトです。

力士が食べれば皆「ちゃんこ」

   大相撲が始まりましたが、お相撲さんが食べるものに「ちゃんこ鍋」と言うものがあります。私は食べたことがありませんが、今では国技館がある墨田区をはじめ、各地に「ちゃんこ鍋」屋があり、食べたことがある方はいっぱいおられるでしょう。ところで、この「ちゃんこ」の意味をご存じでしょうか。

   最近、ある本で知ったのですが、鍋料理のみならず、実は力士が口にするものは、何でもすべて「ちゃんこ」と呼ぶのだそうです。つまり、ハンバーガーでもピザでもラーメンでも、力士が食べる物はすべて「ちゃんこ」なのです。この言葉の由来は幾つかあって、まず、その一つは長崎ではアルマイトの大きな中華鍋を「ちゃんこ」。

   そこで、同地を巡業した力士が食べた鍋料理を「ちゃんこ鍋」と認識して広まった説。そして、もう一つは、「ちゃん」は父ちゃん母ちゃんのちゃんで、「こ」は子供を意味し、「親方と力士が一緒に食べる料理」という意味合いから「ちゃんこ鍋」と呼ばれるようになったという説もあるそうです。

   ところで、「ちゃんこ鍋」は相撲部屋の幕下力士が担当し、醤油味、塩味、味噌味など多くの種類がありますが、「これが入ってないとちゃんこ鍋とは言えない」という決まりは何もなく、力士が口にする鍋料理は何でも「ちゃんこ鍋」と呼ぶのだそうです。従って、力士が食べた「親子丼」はきっと「ちゃんこ丼」になるのです。

マイルス・ディヴィスの超名演

   ジャズがお好きな方なら、恐らく沢山の人が知っている小川隆夫著「ジャズ名盤おもしろ雑学事典」。この中にマイルス・ディヴィスがスーパースターの道を歩き始めるきっかけとなった1955年7月に開催された「第二回ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル」のことが書いてあります。

   この日、彼はフェスティヴァルのトリを飾るオールスター・グループの一員としてステージに登場しました。当初、このフェスティヴァルにマイルスの名前は含まれていないで、組まれていたのはズート・シムズ、ジェリー・マリガン、セロニアス・モンク、パーシー・ヒース、コニー・ケイのクインテッドでした。

   ところが、直前になってマイルスに参加の要請が舞い込んできたのです。プロジューサーが演奏の華が欲しいということからトランペッターの参加を考えたのです。トリのステージの最初はマイルス抜きで二曲が演奏され、三曲目の「ハッケンサック」から司会のデューク・エリントンに紹介された彼が加わります。

   そして、次の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」では、前年のクリスマス・イブのレコーディングでモンクの伴奏を拒否したマイルスがモンクとデュオでトランペット・ソロまで吹いたのです。この名演がきっかけとなってコロンビアと契約を結び、マイルスはスーパースターの道を歩むようになったのです。実に嬉しい出来事でした。

映画「カサブランカ」の後の話

   お正月のことだし、かなり前にアップした丸谷才一さんの随筆の中から、飛びきり気にいってる作品を、再度、リメイクして書きたくなりました。何しろ、私のブログ4,538件の中に埋もれている一文なので、そんなのは前に読んだと言われる可能性はまず無いでしょう。では、その丸谷さんの随筆のタイトルは「君の瞳に乾杯」。

   ちょっと、映画「カサブランカ」の有名な空港のラストシーンをご覧になって下さい。瞳も乾杯も出てこないボガートのセリフ「君の瞳に乾杯」が出てくるこの空港のシーンは、一体、何年何月何日かがこの随筆のテーマです。それには、この「カサブランカ」の後日譚を書いた小説の存在を知らなければなりません。

   この小説の著者は「タイム」の記者だったマイケル・ウォルシュという方でタイトルは《もうひとつの「カサブランカ」》。その夜、二人を乗せたリスボン行きの飛行機が飛び立ち、ボガートと警察署長のクロード・レインズが「うるわしい友情のはじまりだな」と言って肩を並べて歩いていて「THE END」が出た後の話です。

   そこにピアニストのサムが運転するビュイックがやってきて、三人はそれに乗ってモロッコ北西部の都市ポール・リョーテーに向かいます。その時、車のラジオから流れてきたニュースは何と「ただいま日本軍がハワイの真珠湾を攻撃しています」。時に1941年12月7日の夜10時、つまり日本は12月8日です。ところで、丸谷さんの紹介によると、《もうひとつの「カサブランカ」》の日本語版は2002年に汀一弘訳で扶桑社から出版されているそうです。とても読みたいですが、恐らく絶版で無理かも知れません。

初の「成人式」は埼玉県蕨市

   昭和23年(1948年)に始まった「成人式」、日本で初めて「成人式」を開催したのは埼玉県蕨町(現在の蕨市)なのをご存知でしょうか。当時の蕨町の青年団長が「何としても次代を担う青年たちに明るい希望を持たせ、励ましてやりたい」ということで主唱者になり、「第1回青年祭」を開きそれが発祥になったのです。

   会場は蕨第一国民学校内のテントで行われ、復員してきた先輩たちを暖かく迎えながら、自分たちの町を平和で住みよい文化の高い町にしようと話し合ったのです。その後、この慣習は全国に波及し、昭和23年に1月15日を「成人式」に決めたのです。しかし、平成12年に1月の第二月曜日に変更しました。

   そして、蕨市では成人の日制定30周年を記念して、昭和54年(1979年)1月15日に、城址公園に「成年式発祥の地像」が建立されました。ところで、世界の「成人式」はどうなっているかというと、中には成人になった記念に命がけのことをさせる国があり、きっと日本に生まれてよかったと思うでしょう。

   バヌアツ共和国の「成人式」は「バンジージャンプ」を行います。ただし、普通の「バンジージャンプ」ではありません。ジャンプ台は30メートル近いやぐらを組み、高さはオフィスビルの7階から8階。そこからヤムイモのツルを自分の足に結んでジャンプするのです。ではユニークな「成人式」のYouTubeをご覧になって下さい。

全国民に苗字を附けた理由

   明治8年(1875年)2月13日に公布された「平民苗字必称義務令」という法律をご存知でしょうか。この法律が公布されるまで、日本では武士や公家など身分が高い人以外は誰も姓を持っていませんでした。そこで、政府はこの法律によって、全ての国民に強制的に苗字を附けることを命じたのです。

   ところが、先祖から受け継いだ家名を持ってる人はよかったのですが、それが解らない人が多く、彼らは新しく苗字を考えなければならなくなりました。実は、この法律が出きた背景は、平等の見地からと思いがちですが、実はネットの記事によってそうでない事を知りました。

   それによると《「徴兵制度」を確立する上では、何処に何と言う名前の者が住んでいるのかを正確に把握することが最も重要であった。兵士となる候補者を集める上では、江戸時代までの様な多くの庶民が適当で(いい加減な)呼び名で呼ばれていた状態では確実に「徴兵制度」を遂行することが難しかった》のです。

   つまり、日本国民のすべてに苗字を附けることにしたのは、上下の格差を無くすためではなくて「徴兵制度」をスムーズに行う為には名簿をきちんと整備しなければならず、それにはどうしても苗字が必要だったのです。戦国時代の名残を払拭するためではなくて、本当の理由が別にあったとは驚きです。

美しい筆致の文章と追憶の涙

   昨年の暮、息子さんからの葉書で知った「ジャズ・ヴォーカル哀愁旅行」の著者、北村公一さんの訃報。思えば、私と北村さんとは面識がなく、4冊のジャズ・ヴォーカルの本と年賀状だけの繋がりでしたが、そのきっかけになったのが、この本の中にある「軽井沢までの二時間に」というタイトルの一文です。

   実はこの一文は、軽井沢には何の関係もなく、歌手のナット・キング・コールに歌手の娘がいて、昔、父親がヒットした「アンフォゲッタブル」という歌をタイトルにしたCDの話です。この中で、かなり前に亡くなった父親と、現在、生きている娘とが現代技術によってデュエットするのです。

   ちょっと北村さんの原文をそのままコピーしましょう。《収められた22曲の最後に、このタイトル・ソングが歌われる。父のむかしのレコードの歌に、現存する娘の歌をダビングしたもの。編曲、構成が見事で違和感がない。まるで二人がいっしょに歌っているような錯覚に陥る。

 父44歳の時の歌に、41歳になった娘の歌を重ねたデュエットということになる。不思議なタイム・スリップである。……》。私もこのCD持っていて時々聴きますが、昨日、「アンフォゲッタブル」を聴いていたら、この本の奥付に書いてあった住所に手紙を出した25年前を思い出し涙が出ました。

一週間経った年賀状の再読

   頂いた年賀状を読んでから一週間が経ち、改めて眼を通す慣習がずっと続いています。枚数は出した枚数とほぼ同じ、つまり、お互いに喪中の時以外は必ず年賀状の交換だけはしていると言っていいでしょう。年に一度のコミニケーションはとても貴重と言っていいかも知れません。ちょっと、相手がどんな方か披露します。

   ①学生時代の友人②会社の現役時代にお世話になった公認会計士や弁護士③会社で一緒に仕事をした人達④現役時代に仕事で知り合った人⑤家の設計者⑥病院の医師⑦親戚⑧散歩してる時に知り合った人⑨学校も会社も関係ない友人⑩学生向けアパートを経営していた時に住んでいた人など140枚。何年どころか何十年もお会いしてない人が大半です。

   中で、一番の高齢者は93歳の女性で、知り合った場所は、家内が定期検診に行っている総合病院で、偶然、家内の親友と従姉妹同士だったのです。私も家内と一緒にお会いしたことがありますが、実に知的な眼をしていて、話が理路整然でとても90歳を過ぎているとは思えません。ちゃんと自筆の賀状を頂きました。

   あと、散歩してる時、銀座の裏通りのギャラリーで個展を開催していた画家や写真家もいます。また、30年以上前に雑司ヶ谷で学生向けアパートを経営していた時に早稲田大学の学生で、卒業してNHKに入り、結婚し子供が生まれ、昨年、NHKを定年退職した男性もいます。ほかにアパートの住人だった方が10人近くいて、中に家内が結婚式に出席」してる方が二人います。年賀状のお相手はお会いしてなくても、とても大切な人達です。

テンポが超早いN響の「第九」

   昨年の12月31日に「紅白歌合戦」と同時に演奏していたマレク・ヤノフスキ指揮のN響の「第九」を録画しておいて、昨日、じっくり聴きました。毎年、暮に行われる「第九」演奏会は、このところずっと小林研一郎指揮の日本フィルの演奏を聴きにいくのが我が家恒例の行事でした。

   ところが、昨年はコバケンと日本フィルの組み合わせにによる「第九」はマチネーを東京中のどこのホールでも行わず、昼間の演奏会でなければ行かないと決めている私達夫婦は、涙を呑んで断念し、「第九」の生を聴きませんでした。そこで、必ず放送のあるN響の「第九」を待ちに待っていたのです。

   さて、ポーランド生まれのドイツ人のマレク・ヤノフスキのN響の「第九」、N響のオーケストラのメンバーの一人が演奏が始まる前に《かって体験したことがない早いテンポの「第九」》と言ってた通り、私が持ってる12人の指揮者の中でもこれ以上の早いテンポの演奏は無いのではないかと思いました。

 私もどちらかと言うと早いテンポの「第九」の方が好きで、出だしから圧倒されて、この調子で最後の「歓喜の歌」はどんな演奏になるのか期待しながら聴いていました。そして、聴き終わっての私の感想。決して悪い演奏ではありませんでしたが、やっぱり、コバケンと日本フィルの「第九」の方が好きです。

血液型とは何かの詳しい説明

   2005年にリタイアした会社の社長が、昨年暮に拙宅に見えた時、社長が得意とする血液型談義をしました。私が在職中からの社長の持論は、B型の既婚者(実は私も)で、左手の薬指に結婚指輪をしてる男性はいないとよく言ってました。実は私の知人も何人かが社長の言う通りなのでこの説にずっと賛同しています。

   ところで、今日1月5日付朝日新聞に、読者からの質問《血液型の違いって何だろう?》に大学教授が答えている記事があって、そこから説明しようと思ったらネットに《血液型(A型、B型、O型、AB型)は何が違うの?》というサイトがあり、かなり詳しいので、新聞には悪いけど、それを読んで頂くことにします。

   それによると、まず日本人はA型が40%、O型30%、B型20%、AB型10%(新聞も同じ)。では世界全体はO型が一番多く45%、A型40%、B型11%、AB型4%。次に血液の成分について書いてあり、血液型の違いの説明には血液の事を知る必要があり、血液は、大まかに分けて以下の4つの成分で構成されています。

   《赤血球は酸素を運ぶ役割を担っている。白血球は体に侵入してきた敵をやっつける免疫を担っている。血小板は傷ついたところに集合して傷口をふさぎ、止血する。血しょうは液性で90%は水分でできている》。そして、血液型の違いは赤血球の表面の違いで、もっと詳しく知りたい方はこのサイトをお読みになって下さい。

川端康成のノーベル賞裏話

   ノーベル賞は授賞から50年間、選考課程が非公開とされているんだそうです。1968年に川端康成がノーベル文学賞を授賞して50年が過ぎ、朝日新聞の求めに応じて、スウェーデン・アカデミーが1月2日、情報を開示し、朝日新聞1月3日の朝刊にその選考の内輪話が載っているので、読んでいない方の為に紹介します。

   その選考資料によると、発表時の授賞理由は《日本人の心の精髄を、優れた感受性をもって表現するその叙述の巧みさ》。1968年には川端のほか、三島由紀夫と詩人の西脇順三郎も候補の中に入っていたのだそうです。三島は「今後の伸びによって再検討されるだろう」とされて惜しくも除外。

   ところで、川端の名前が初めて候補者リストにあがったのは1961年、当時は海外の翻訳がほぼ「千羽鶴」と「雪国」に限られていて、アカデミーは「現在、手に入る翻訳があまりに少なく、判断することが出来ない」と授賞を見送っていて、川端はその後も、毎年、候補者リストにあがっていたのです。

   スウェーデン・アカデミーは川端、谷崎潤一郎、三島由紀夫、西脇順三郎の4人を比較、三島は「比較的若いので深く検討しない」とされ、川端と谷崎で意見が分かれていたのです。「細雪」や「蓼食う虫」が高く評価された谷崎が最有力だったのに1965年に他界、川端の受賞の2年後に三島は割腹、その2年後に川端も自ら命を絶ってます。何だか授賞と不幸の因縁を感じます。

2019年の新年のご挨拶

   明けましておめでとうございます。今年、朝起きて驚いたのが、いつも、昼近くに配達される年賀状が、新聞の朝刊と一緒に郵便ポストに入っていたことで、郵便局のスピード・アップへの努力を感じました。お陰でいい気分で新年を迎えることが出来て、とても爽やかな新年の幕開けです。

   さて、2019年はどんな年になるのでしょうか。本年も私のブログ「ドアのない談話室」を知恵を絞って相変わらず書き続けようと思っていますので、時間がある時、眼を通していだけたら幸甚です。ところで、今朝の「天声人語」に20世紀に発明された最も重要なものが書いてありました。

   それは、空気中から「窒素」を取り出すための工業技術なんだそうです。《「窒素」は植物の生長を促すが、……空気中の「窒素」を使って作られた化学肥料が農業を劇的に変え、1900年に16億人だった世界人口が何倍にも増えたことに、大きく貢献した》というのです。

 20世紀に発明された「飛行機」や「コンピューター」より空気中から「窒素」を取り出すための工業技術の方が人類に貢献しているとは驚きです。どこかに載っている小さな情報を見逃さないようにして、精一杯、いい記事を書くように努力しますので、本年もどうぞよろしくお願い致します。

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