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僅か三代で崩壊した鎌倉幕府

   「おごる平家は久しからず」という言葉がありますが、平家を打ち倒し、初めて開いた武家政権、鎌倉幕府もたった三代で滅びてしまいます。その最大の原因は、頼朝と義経の対立で、幕府を開いた当初、しっかりした体制づくりが出来ていなかったからだと言われています。つまり、兄弟喧嘩がもたらした結果でしょう。

   頼朝が落馬して亡くなった後、その跡を継承した頼家は能を愛した軟弱将軍。そして三代目の将軍の実朝も和歌の達人だったことが有名で、侍としてはこれといった功績は残していません。結局、鎌倉幕府は後継者に恵まれずに三代にして崩壊してしまったのです。ところで、三代将軍実朝の暗殺の話です。

   実朝は承久元年の正月、雪が舞う中を鎌倉「鶴岡八幡宮」に参拝し、石段を登る途中、石段脇の大イチョウの陰に潜んでいた公卿ほか数名の反逆者の手により、命を落としたことになっています。公卿は二代将軍頼家の息子で、父頼家の死因に不審を抱いた末の暗殺と伝えられています。

   この暗殺は史実ですが、公卿らが大イチョウの陰に隠れいて不意をつかれたというのは真っ赤なウソ。というのは、イチョウは帰化植物で、日本に渡来したのは鎌倉時代になってからで、人が数人隠れるほどの大木に育つにはあまりにも歳月が不足していて、これは後世の人の作り話が本当のようです。歴史は面白いです。

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