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赤穂浪士の「討ち入り」の発端

   今日は12月14日、元禄15年のこの日、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした日です。討ち入りについては、ネットに「赤穂浪士の討ち入り」というタイトルの記事があり、結構、詳しく書いてあるので、私も改めて読んでみました。ここには、討ち入りの発端が書いてあるので要点を書き出します。

   江戸城内で刀を抜くのは大変な事件で、吉良に斬りかかった浅野は近くにいた大奥の留守番役、梶川与惣兵衛に「殿中でござる!」と必死に抱き止められたので、上野介は背中と眉間に傷を受けただけで助かりました。しかし、この事件を聞いた五代将軍徳川綱吉は激怒して、その日のうちに内匠頭に切腹を命じます。

   《切腹の知らせは早馬により赤穂に到着。城内には家臣が集まり騒然とします。そして吉良上野介にはおとがめがなかったことと、赤穂藩が取りつぶされることになったことが次々と到着する使者により明らかになります。やがて幕府から正式に城から去るよう命じる文書が届きます。

   家臣たちは口々に籠城して幕府に対抗しようという声をとなえます。ところが、家老の大石は家臣たちに籠城策を取ったり全員切腹して果てることを許可せず、そのまま幕府に城を引き渡します》。恐らく、大石はこの時、すでに討ち入りが頭にあったに違いありません。詳しいことは本文をお読みになって下さい。

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