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2018年幕引きのご挨拶

   今年もいつしか大晦日を迎えました。私の拙いブログを、一年間、読んで頂き誠に有り難うございました。テーマについては気を使ったつもりですが、あまり傑作と言えるような作品が書けずに申し訳ありません。また、毎日更新を目標としたにも拘わらず、時にアップしないこともあり、自分で自分に怒りたいです。

   それから、一つ私的なことを書かせて頂くと、長い間、友人と続けている二人だけの「音楽とオーディオを語る会」が、友人がちょっと体調を崩し、中断しているのが淋しいです。でも、先ほど自宅に電話をいれて、友人の声を聞きながら、早く再開することをお互いに願いました。渋谷の街の喧噪が懐かしいです。

   ところで、今日の大晦日、私の好きな俳句の世界で、大晦日をテーマにした作品を詠んでいる俳人が沢山います。幾つか並べますので、今年最期の日の感傷を味わって下さい。「大晦日 こゝに生きとし 生けるもの」高浜虚子「大晦日 定めなき世の さだめ哉」井原西鶴「娘二人 来て帰りけり 大晦日」永井龍男。

   「燭きつて 暁ちかし 大晦日」夏目漱石「酒五合 寝てすむものを 大晦日」幸田露伴「佳きひとの ものたうべをり 大晦日」日野草城「君が代は 大つごもりの 月夜哉」正岡子規 「大晦日 こゝに生きとし 生けるもの」高浜虚子。では、来年もどうぞよろしくお願い致します。いい年をお迎え下さい。

心を激しく乱す師走の訃報

   この師走に一枚の葉書が手許に届きました。文面は「父 公一が八月二十四日に八十二歳で永眠いたしました ご通知が遅れました事を深くお詫び申し上げます…………」。この葉書は北村公一さんの息子さんからで、7月頃、俳句の会の催しに参集のお誘いがあったのに、8月に他界されたとはびっくりしました。

   ジャズ・ヴォーカルの随筆「ジャズ・ヴォーカル感傷旅行」「ジャズ・ヴォーカル哀愁旅行」「ジャズ・ヴォーカル抱擁旅行」「ジャズ・ヴォーカル追憶旅行」の4冊の単行本を出版されている北村公一さんと約25年も年賀状のみのやり取りをしていますが、実は一度もお会いしたことがありません。

   年賀状を始めたきっかけは、1993年に発行された「ジャズ・ヴォーカル哀愁旅行」を購入し、中の「軽井沢までの二時間に」というタイトルの一文を読み、あまりにも美しい筆致に魅せられて胸を打たれました。そして、奥付を見ると何と住所が書いてあったのです。私は、直ぐに感想などを書き、手紙を送付したのです。

   そうしたら、北村さんから間髪を入れずにかなり長文の返事を送って下さったのです。すっかり嬉しくなった私は、再度、北村さんとジャズ・ヴォーカルを語りたくなり、また手紙を書いたた覚えがあります。7月に北村さんの句会にもし出席していたらお会い出来たのに残念です。お顔も知らない北村公一さんのご冥福を心からお祈りします。

英語の二つの別れの言葉

   英語で別れの挨拶として口にするのは「Good bye(グッドバイ)」。日本でも、親しい子供が相手の場合や親しい友人同士など、これを変形させて「バイバイ」「バーイ」などと言うこともあります。実はこの「Good bye」は「God be with you」が短縮されたものです。

   直訳すると《神があなたと共にいる》ですが、本当は「I wish」が頭について《神のご加護があらんことを》《神があなたをお守り下さいますように願います》と言った意味で、人と会って別れを告げる時に相手への労りからこう言っていたのです。つまり、相手への思いやりとキリスト教信仰から生まれたのです。

   また、日本ではあまり知られていませんが、英語にはとく使われる別れの挨拶として「farewell」というのがあります。fare(暮らす・やっていく)にwell(上手に・りっぱに)がくっついたもので、「立派にやっていきなさいよ・しっかり旅路を歩んでいきなさいよ」って相手を送り出す言葉なのです。

   蛇足ですが、このfare とwellをひっくり返してつなげ、welfareという語ができています。元々の「立派でしっかりした暮らし・生き方」という意味から「幸福・安楽・健康・快適な生活」が出来るよう様々な条件・環境を設えること、すなわち「福祉」という意味で使われています。ともかく、「farewell」より「Good bye」の方が一般的です。

実際は無い「京浜東北線」

   ちょっと鉄道に詳しい方ならご存知のことですが、実は大宮と横浜間を走っていて「京浜東北線」と言われている路線は正式な路線名ではありません。正式には大宮~東京間は「東北本線」、そして、東京~横浜間は「東海道本線」と言います。つまり「京浜東北線」の路線名は実際には存在しないのです。

   何しろ「東北本線」も「東海道本線」も、「京浜東北線」とは別に存在するので、奇妙にに思うかも知れませんが、別の線路を走っていても、同じ区間なら路線名は一つというのが、JRの原則なのです。では、どうして「京浜東北線」と呼ぶかというと、ちゃんとした理由があります。

   もし、この電車を「東北本線」「東海道本線」と呼んだのでは、大宮より北に行く「東北本線」列車や、横浜より西に行く「東海道本線」列車と区別がつき難くなるからです。つまり、同じ「東北本線」「東海道本線」でも、停車する駅の数は違うし、横浜から「根岸線」に直通運転してるので乗客が乗り間違うと困ります。

   それに、大宮~横浜間は、東京駅発着にして乗り換えるより、直通で運転した方が通勤列車として利用しやすく便利。どうせ通しで運転するのなら、一つの名前をつけておいた方が解りやすいだろうという配慮から、「京浜東北線」という通称で呼んでいるのです。JRも乗客のために色々と考えています。

大女優のコンプレックスの話

   家の近くの本屋の店頭を見ていたら、大野正人著「失敗図鑑」と言う本を発見しました。中を見ると、各界の著名人、20人の失敗をベースにして成功した話が書いてあって、とてもユニークで、これは絶対にブログのテーマに出来ると確信して買いました。今日はこの中から女優オードリー・ヘップバーンの話です。

   「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」なので私たちを魅了したヘップバーン。誰も失敗するような事は何もしてないと思うのが普通です。ところが、ヘップバーンは「自分のことを美しいと思ったことなんてない」と言ってるそうで、何とヘップバーンは自分の顔にコンプレックスお持っていたのです。

    コンプレックスが大きくなると、心が暗くなって、とてもじゃないけど、カメラの前で良い演技など出来るわけがありません。そこで、ヘップバーンがこのコンプレックスを克服するために何をしたかと言うと「自分の美しくない部分を、美しいと感じて貰えるように努力した」のです。

    つまり、《ヘップバーンは沢山の地道な努力によって、自分ならではの美しさ、女性らしさを作り上げ、世界中の人に認めさせたのです》。魅力的な大女優オードリー・ヘップバーンは自分の顔にコンプレックスを持っていいたマイナスを努力によってプラスに変えたなど、どうしても紹介したくなりました。

ウソの情報でシステムを破壊

   パソコン(7)が、昨日、画面に《現在。システムが破損しています》のメッセージが出て作業が出来なくなりました。勿論、ブログがアップ出来ないまま、今朝を迎えました。そこで、いつも、パソコンのトラブルをすべて解決してくれてる愛光企画の沼崎氏の携帯電話に朝早く電話を入れました。

   今日の沼崎氏の予定は、午後4時過ぎに拙宅に来られるということで、待っていたらその通り、4時10過ぎくらいに私のパソコンの前に坐り、ほぼ10分ほどキーボードを操作しただけで原因を解明し、普通の状態でパソコンを使えるようにしてくれたのです。そして、原因を私に説明してくれたのを聞いて唖然。

   実は、昨日、使っていたパソコンに、突然、《あなたのPCにウイールスがが検出されましたので、この「PCクリーナー」というソフトをインスツールして下さい。そうすれば、悪いファイルを削除してPCは普通の状態に戻ります》というメッセージはウソの情報だったのです。慌てた私がその通りにしたのでデシステムが破壊したのです。

   この場合の対応を沼崎市はメモに残してくれたので、参考になるかも知れませんので紹介します。《サイトで検索する場合の注意事項 サイトを開いた時にユーザに過大な心配をかけるような画面が表示される事がありますが、その場合は下記のいずれかの処置をして下さい a)そのサイトを速やかに閉じる(Xをクリック) b)パソコン自身を「再起動」して下さい》。ウソの情報は無視しないと大変なことになります。

フェルメールの絵の贋作

   現在でも人気が高いフェルメールの絵画ですが、実は戦後間もない頃、美術界を揺るがす大事件が起きたことを「世界の名画」という本で知りました。1945年、ナチス・ドイツの高官ゲーリングの妻の所からフェルメールの作品とされていた「キリストと悔恨の女」が発見されました。

   フェルメールの絵画はオランダにとって国宝級の美術作品。それがナチスに売却されていたとなる正に一大事で、オランダの検察は絵画を売ったハン・ファン・メーヘレンを反逆罪で起訴しました。ところが、メーヘレンは裁判で、「この絵はフェルメールが描いたものでは無く、自分が描いた贋作である」と主張したのです。

   さらに、オランダ政府などに買い取られている5点のフェルメール作品も、自分が描いた贋作と供述。しかし、裁判の当初はメーヘレンの主張は信用されませんでしたが、自分が本当に描いたと証明するため、法廷で実際に絵を描いてみせました。これには検察側も唖然、その供述を信用するしかなくなったのです。

   結果、判決は一年の実刑のみとなり、メーヘレンはナチスに絵を売った反逆者から、一転、ナチスを欺いた国民的英雄となりましたが、何と獄中で病死してしまったのです。それにしても、フェルメールの絵は贋作が沢山あありそうで、本物と贋作の区別が明確に出来る腕のいい鑑定人が必要そうです。

必ず4年ごとではない「閏年」

   ご存知の方は沢山いると思いますが、閏年は4年に一度とは限りません。一年は、普通、365日で、4年に一度2月を29日として、1年が366日になるのが「閏年」で、これが誰でも知ってる常識と思ったら大間違いです。実は「閏年」になるはずの年が「閏年」ではない年が400年に3回あります。

   何故、そんなことになるかの理由を知るためには、地球は太陽の周りをきっちり365日で回っているわけではなく、365.2422日で回っているからです。端数の0.2422日は4年で0.9688日となり、ほぼ1日となる計算です。従って、何もしないと、120年でほぼ一月分ずれてしまいます。

   そこで、日付と季節が合わなくなってしまうのを避けるために、「閏年」を設けて調整しているのです。ところが、4年間のずれはきっかり1日ではないために。4年に一度の「閏年」を必ず続けていると、今度は400年に3.12日、暦の方が先に進んでしまうことになってしまいます。

   それでは困るということで、400年に3回、「閏年」を止めて。公転周期と暦の差がなくなるように調整することを考えたのです。その方法はどうするかと言うと、西暦年数が4で割り切れる年は「閏年」。ただし、100で割り切れ、400で割り切れない場合は「平年」とするのです。人間の頭のよさに感動しませんか。

羽生善治九段がついに無冠

   将棋界には竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖の7つのタイトルがあり、1995年にはこの全てを独占していた羽生善治九段(48)が、広瀬章人八段(31)に、唯一、持っていた竜王戦に3勝4敗で破れ、27年振りに無冠となりました。恐らく、羽生九段の心の中は悔しさが充満しているに違いありません。

   今朝の「日刊スポーツ」に羽生九段の将棋界の軌跡が載っているので、この際、主な出来事を紹介しましょう。羽生九段は1970年、埼玉県所沢市で生まれました。1982年に小学生名人になり、プロ棋士の養成機関「奨励会」に入会、1985年に史上3人目の中学生でプロになりました。

   そして、1989年に19歳で、初タイトルの竜王を獲得、1996年には史上初めての7冠を達成、女優の畠田理恵さんと結婚します。2008年に通算5期目の名人になり永世名人の資格を得ます。2012年にはタイトル獲得数が81となって故大山康晴15世名人を抜き、歴代1位となります。

   羽生九段は、現在、無冠ですが、来年の春行われる名人戦の挑戦者を争うA級順位戦で5勝1敗の2番手につけ、5勝0敗の豊島八段(28)を追っています。頑張って名人の挑戦者になれば、直ぐにタイトルが取れる可能性が生まれるのです。今朝の朝日新聞に羽生九段はAI時代の若手に苦労しているとありました。

永遠に残る「第三の男」の終幕

   映画が好きで好きで堪らない私にとって、「私の一本の映画」上下2巻は何度繰り返し読んでいるか解りません。各界の著名人が、過去に観た映画の中から印象に残っている映画を一本選び、それについて色々と書いているのです。最近、私の眼に留まったのは推理作家都築道夫さんの「第三の男」。

   昭和27年に日本公開ですから、かなり古いです。この映画については、すでに多くの方が語っていることだし、一体、都築さんは何を書いていたのだろうかと思いながら再読したら、久しぶりにこの映画を観ないわけにはいかなくなり、DVDを取り出し観ました。そして、見終わって改めて感動です。

   それにしても、監督のキャロル・リードは凄い映画を作ったものです。映画ファンでもしこの映画を観ていなかったら絶対に人生の損失と言っても過言ではないでしょう。サスペンス映画で、男と男の友情映画で、深い絆で結ばれている恋愛映画。そして、決して脳裏から消すことが出来ないラスト・シーン。

   ジョセフ・コットンは墓地の長い一本道に置いてある荷車に寄り掛かって、アリダ・ヴァリが歩いてくるのを待っています。しかし、アリダ・ヴァリはコットンの前を、視線は前を見つめたまま通り過ぎます。コットンは煙草に火を点け、それに被せて例の音楽が流れ「THE END」。では映画「第三の男」のラストコメント集です。

「豚に真珠」の語源は聖書

    値打ちが解らない者に価値がある物を与えても無駄だということを意味することわざに 「豚に真珠」や「猫に小判」があります。これらは古代中国で生まれたことわざと思い勝ちですが「豚に真珠」はキリストが言った言葉として知られ、「新約聖書」に記載されているのをご存知でしょうか。

   「新約聖書」の「マタイによる福音書」によると、キリストは「聖なるものを犬に与えるな。また、真珠を豚の前に投げるな。おそらくは足ににて踏みつけ、向き直って汝らに噛みついてくるであろう」と言ったというのです。ちなみに「真珠を豚の前に投げるな」 を英語で書くと次の通りです。

   「Do not cast pearls before swine.」となり、この言葉の中には豚「pig」はありませんが、豚を意味する「swine」という古語が使われています。それゆえ、古来よりヨーロッパでは、豚は不潔で汚らわしい動物だとされていたのです。つまり、汚らしい動物に高価なものをあたえるなということわざになっているのです。,

    「旧約聖書」の「レピ記」には「獣畜の中で、蹄が分かれ反芻するものは食べてもいい。豚は、蹄は分かれているが、反芻しないので汚れた動物であり、その肉を食べるべからず」と書いてありますが、実際にはヨーロッパの人は、豚を軽蔑しながら、豚肉を美味しく味わっているようです。

サケの素晴らしい帰巣能力

   サケを炊きたての熱いご飯で食べるの大好きです。サケは大部分が北半球の温帯に分布していて、海水にも淡水にも生息しています。淡紅色のサケの肉は美味しくて古来より重要な食用魚です。ところで、特筆すべきサケの能力としては、間違いなく帰巣能力と言っていいでしょう。

   川で生まれたサケの卵は二ヶ月くらいで孵化し、幼魚は春に川を下って海へ泳いでいき、四年ほど経過してから、また生まれた川に戻ってきます。サケは一度海洋に出ると。1300キロ~1,400キロの旅をして、再び生まれ故郷の川に戻ってきますが、その秘密は臭覚にあります。

   一般的に魚類は匂いに敏感で、普通の魚類は鼻孔が二つに分かれた閉口部を持っていて、一つの口から水が入り、もう一つの口から出る間に鼻孔内が化学的な刺激を受け、その刺激が臭覚神経を興奮させるのです。そして、それが中枢神経に伝えられ、匂いを感じる仕組みになっているのです。

   東京大学の教授が、北日本を流れている様々な川の水を集め、サケの鼻にそれを掛け、脳の電流の変化を調べました。すると、そのサケが生まれた川の水をかけた時だけ、脳を流れる電流が大きく変化したのです。つまり、サケは自分の生まれた川を記憶していて、必ずその場所に戻ってくる能力があるのです。

知的な宇宙人(?)に発信

   我々人類は、宇宙のどこかに文明を持った知的生物がいるかも知れないというロマンを夢みています。もしも、宇宙にそんな生物がいるなら、向こうから呼びかけて来るのを待たずに、いっそこちらから呼びかけてみようという発想から、1974年に「アレシボ・メッセージ」が宇宙に向かって発信されました。

   発信された場所は、アメリカ領プエルトリコ島のアレシボ電波望遠鏡から、ヘルクレス座の球状星団M13に向かってです。M13は何十万もの星からなる星団で、もしもその中に地球と同じ知性を持った生物が住んでいれば、電波に乗せて送ったメッセージをキャッチして返事をくれるであろうと思ったのです。

   しかし、もしM13から返事が返ってきても、私たちがそれを知ることは出来ません。なぜならば、地球とM13の距離は約2万1千光年。つまり、送った電波が届くのに2万1千年もかかり、例え返信をしてくれてもまた2万1千も要するからです。これは、あまりに不可能と、ある日本人は考えたのです。

   そこで、1983年に恒星「アルタイル」に向かって6万3千355字のメールを出した日本人がいることがネットにありました。《万事順調(?)に進めば彦星…こと恒星「アルタイル」に出した電波メッセージに返事が届くのは2015年だそうです》。もう3年経ちましたが、結果がどうなったのかはどこにも見当たりません。

お奨めの楽しい「知的遊具」

   12年前の2006年にリタイアしてから名刺がありません。従って、どなたかに名刺を頂いても「リタイアしたので、名刺がないのですみません」と言葉を添えて、名刺は頂くだけです。しかし、何か相手に名刺代わりに渡すものはないかと考えたのが、PRを兼ねた「ブログへの招待状」で、文面は次の通りです。

   《「ドアのない談話室」で検索出来ますので訪問して下さい。内容は随筆風で基本的に毎日更新しています。記事は4500件を少し越え、音楽や映画を愛し、森羅万象に関心があれば退屈しないかも知れません》。これを名刺大の厚手のカードにパソコンで印刷し、電話番号もメアドも書いていません。

   ところで、ブログを始めたきっかけは、リタイアする時、会社のプロバイダーのニフティ㈱に挨拶に行ったら、担当の女性が私にこう言うのです。「いつも仕事が忙しかった人がリタイアして暇になると、虚脱感でおかしくなることがあるように聞きます。最近、うちの会社が無料のブログを始めたばかりです。

   設定については私がお教えしますから、リタイアした機会に始めてみたらいかがでしょう。文章を書くのに抵抗がなかったら「知的遊具」として楽しいかも知れませんよ」と。私はこの言葉に直ぐに飛びつき「是非、お願いします」と言ったのです。そのお陰で、現在、ブログを書き虚脱感も無く楽しく毎日暮らしています。

便利な値千金の「コゼニ入れ」

   何年か前に手に入れたとても便利な値千金の「コゼニ入れ」を持っています。何しろ、中の仕切が幾つもあるのです。従って、500円、100円、50円、10円、5円、1円の6種類のコゼニをすべて別の仕切に入れることが出来て、更にもう一つ、ニュートラルの場所まで作っておくことが可能。

   つまり、受け取っても直ぐに分類出来ない場合は、取りあえずこの仕切の中に入れておいて、後で暇な時に正規の場所に入れればいいのです。実は、まだこの「コゼニ入れ」を持っていない時《こんな「コゼニ入れ」があればいいな》と思っていたら、偶然、池袋駅の地下道で売っていたのを見つけたのです。

   この「コゼニ入れ」を持っているお陰で、スーパーやコンビニで買い物をした時、826円を目にも留まらぬ速さで取り出すことが出来ます。また、1万円札しか手許にない際に3221円の買い物をしてこのまま出すと6779円のお釣りを受け取る事態になりますがこの「コゼニ入れ」が威力を発揮。

   221円を取り出して渡せばお釣りは7千円。そんな些細なことと笑うなかれです。時に相手が私の「コゼニ入れ」の中を覗き「ほほう」という顔を見るのも楽しいです。ところで、仕切りのある「コゼニ入れ」ならどこでも売ってると思っても簡単には手に入りません。ちなみにお札はクリップ型の財布を持ってます。

赤穂浪士の「討ち入り」の発端

   今日は12月14日、元禄15年のこの日、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした日です。討ち入りについては、ネットに「赤穂浪士の討ち入り」というタイトルの記事があり、結構、詳しく書いてあるので、私も改めて読んでみました。ここには、討ち入りの発端が書いてあるので要点を書き出します。

   江戸城内で刀を抜くのは大変な事件で、吉良に斬りかかった浅野は近くにいた大奥の留守番役、梶川与惣兵衛に「殿中でござる!」と必死に抱き止められたので、上野介は背中と眉間に傷を受けただけで助かりました。しかし、この事件を聞いた五代将軍徳川綱吉は激怒して、その日のうちに内匠頭に切腹を命じます。

   《切腹の知らせは早馬により赤穂に到着。城内には家臣が集まり騒然とします。そして吉良上野介にはおとがめがなかったことと、赤穂藩が取りつぶされることになったことが次々と到着する使者により明らかになります。やがて幕府から正式に城から去るよう命じる文書が届きます。

   家臣たちは口々に籠城して幕府に対抗しようという声をとなえます。ところが、家老の大石は家臣たちに籠城策を取ったり全員切腹して果てることを許可せず、そのまま幕府に城を引き渡します》。恐らく、大石はこの時、すでに討ち入りが頭にあったに違いありません。詳しいことは本文をお読みになって下さい。

達成感が心地よい「障子張」

   我が家に障子が何張かあり、何年か前に生まれて初めて「障子張」に挑戦、うまくいきましたので、師走のことだし、まだ張り替えてない4張を張り替えることにしました。何しろ、自分でやれば、手数料がタダばかりではなく、仕事をした気分になれます。では経験したことがない方のために「障子張」の手順を紹介します。

   まず、「障子張」に必要な道具は、濡れた雑巾、障子のサイズの巻いてある紙(東急ハンズにあらゆるサイズがあります)、鋭利な歯のカッター、紙用のスティック糊(乾くのを待つ必要がない)、30センチの透明なスケール、印をつけるボールペン。これだけ用意して、いよいよ、作業を開始します。その手順は次の通りです。

   ①まず、障子を敷居からはずし貼ってある紙を全て破きます②サンを濡れた雑巾で丹念に拭きます③少し乾く間を置き糊を全てのサンに塗ります④巻いてある紙を障子の一番上に持っていき、一番下までころがしてサンに貼り付けます⑤紙の上からサンを指で丁寧に押さえ貼り付いたことを確認。

   そして、最後に上下左右4つの辺をカッターで切り取って完了です。最初やった時は長いスケールを使いましたが、私の経験上、切り取りたいポイントに10センチおきにボールペンで印を付け、分けて切った方がきれいに仕上がることが解りました。完成した時の達成感が心地よいので「障子張」お奨めです。

儚く消える「スターダスト」

   夜空をよぎって、流れては消えてしまう流れ星。その儚さゆえに、流れ星を見て消えるまでに三度、願いごとをとなえれば、その願いは叶うと言い伝えられています。ところで、この流れ星は、一体、どこに行ってしまうのでしょうか。ある本によると、流れ星の正体は星ではなくて星くずより小さい宇宙のチリです。

   宇宙空間には、小惑星が誕生する時に出来たかけらなど、チリに類するものが沢山浮遊しています。このチリが地球の引力圏に入ると、地球に向かって突入してくるので流れているように見えますが、大気圏を通過するうちに燃え尽きて、しまいに消滅してしまいます。つまり、儚く消えてゆく「スターダスト」です。

   この「スターダスト」の量は半端ではなく、一日、20トンも降り注いでいるそうですが、ごくまれに燃え尽きる前に地球に激突するものがあり、それが隕石です。さすがに宇宙のチリはスケールが大きくて、これまでの最大級の隕石は、落下の跡が直径150メートル、深さ200メートルに達しています。

   ところで、地球にとって最も恐ろしいのが小惑星との衝突です。何しろ、1936年には「アドニス(ギリシャ語で美少年)」と呼ばれる小惑星が地球とかなり接近したのですが、幸いなことに「アドニス」が軌道を少し変えたために、地球との衝突を避けられました。ちなみに今度の大接近は2036年です。

「イチロー式瞬間記憶術」礼賛

   イチロー選手が、あれほど凄い記録を残してきたのは、瞬間記憶術の達人で、児玉光雄著「わかりやすい記憶力の鍛え方」にその詳しいことが書いてあります。イチロー選手に限らず、一流のプロ野球選手やプロテニス選手、あるいは、プロサッカー選手はすべて瞬間記憶の達人なんだそうです。

   イチロー選手は、パターン認識により、飛んでくるボールの情報を瞬時に画像処理しなければなりません。その時間はせいぜい0.2~0.3秒。ここに記憶術の達人になるヒントが潜んでいるのです。イチロー選手が、ほかの選手に比べてヒットを量産出来たのは、投手の手から離れたボールの情報把握が優れていたのです。

   《彼はボールの速度、スピン量、スピンの向き、軌道など複数の要素を脳内で瞬時に判断して、ボールがホームベースに飛んでくるずっと前に、すでにヒットを打っているはずです。つまり、イチロー選手は、ほかのバッターよりも球の見極めが早いため、ボールを打つまでの時間的余裕があるのです。

   その気になれば、私たちも瞬間記憶の能力を高めることが出来るのです。例えば、車の助士席やタクシーに乗っている時、反対方向から走ってくる車のナンバーを瞬時に読み取るのもこの能力を高めてくれるのです。事実、イチロー選手は小さい頃からこれを趣味にして、車に乗った時に実践していたそうです。

世界最小の国「バチカン市国」

 世界で最も小さな国家「バチカン市国」のことが吉田一郎著「国マニア」という本に実に詳しく紹介されています。何しろ、2008年現在の人口は791人。面積は0.44キロメートルで、日本の皇居の約3分の1ですから、到底、都市国家とは呼べない狭さですが、カトリック教徒の総本山です。 

   国家のある場所は、イタリアのローマ市内で、ローマ法王が暮らすバチカン宮殿、サン・ピエトロ大聖堂、バチカン美術館などが建ち並び、イタリア政府から治外法権を認められています。そして、バチカン国家元首はローマ法王で、首相に相当するのは国務長官で、その下に総務部、外務部などがあります。

   「バチカン市国」は世界178ヶ国と外交関係を結んでいて、主権国家として承認されていますが、「バチカン市国」が派遣している代表は、国家の代表なのか、宗教組織の代表なのか曖昧で、東京にある大使館は「バチカン市国大使館」ではなくて「ローマ法王庁大使館」と呼ばれています。

   一方、日本政府がバチカンに開設している大使館は「バチカン市国日本大使館」という名称ですが、住所はバチカンではなくてイタリアの領土内。つまり、バチカンの領土はあまりにも狭いので、ほとんどの国がイタリアの領土内に大使館を置いているのです。ちなみに、バチカンには軍隊は無く、法王の身辺警護はスイス人の衛兵だそうです。ではバチカンの映像です。

4億年前の魚「シーラカンス」

 およそ4億年前に出現した魚で、当時は世界各地の淡水域に生息していましたが、7000万年前に地球から絶滅したと考えられていた「シーラカンス」という魚がいます。ところが、1938年、南アフリカ東岸の近海で捕らえられ、今なお、古代のままの姿で生息しているのが解り、大きなニュースになりました。

   この「シーラカンス」の生息域は、主にアフリカ南東沖コモロ諸島周辺の水深70メートル~600メートルあたりで泳いでいるのが確認されています。全長は150センチぐらいで全身が硬いウロコで覆われ、胸びれと背びれが葉っぱのような形をしていて、尾びれは三葉に分かれています。

   こうした特徴は、脊椎動物が魚類から四足動物へと分岐する頃の変化を今に伝える、貴重な生きた標本ともなっているのです。この「シーラカンス」、1938年に魚師の網にかかった時、たまたま近くに海洋学者のJ・スミス博士が滞在していて、この魚を古代種と見抜いたことから注目を集めました。

   ところで、「シーラカンス」が4億年もの間、生き長らえてきたのは、勿論、環境の変化に巧みに適応してきたからですが、最大の理由は味がまずく人間が食べなかったからのようです。では、世界中の水族館が、何とか手に入れたいと躍起になっている「シーラカンス」が実際に泳いでいる映像です。

電話は最初「もしもし」の理由

   電話のベルが鳴り、受話器を取った時や掛けた時、ほとんどの人が、最初に「もしもし」と言いますが、ネットにその理由がありました。そもそも、日本で電話が開通したのは明治23年で、当時は電話交換手に口で相手番号を伝えるシステムで、その時の呼びかけは「おいおい」だったそうです。

   何だか偉そうに聞こえますが、最初の頃は電話を持っている人は高級官吏や実業家などのお偉いさんばかり。そのため「おいおい」にあまり違和感はなかったようです。しかし、横柄な感じで一般的ではなく、電話交換手が電話の相手に言っていたのが、「(これから話を)申します申します」だったのです。

   そこで、電話局が考えついたのが「申します申します」を縮めた「もしもし」が、電話に出た時の呼びかけの言葉として最適と判断し、統一するようにしたという説が最も有力です。ところで、日本の「もしもし」に該当する電話の呼びかけは、世界の国はどうなってるかがこの記事にあります。

   その幾つかを紹介すると、アメリカは誰でもご存知の「ハロー」、韓国は「ヨボセヨ」、中国は「ウェイ ウェイ ウェイ」、フランスは「アロ」、ドイツは「ハロ」、イタリアは「プロント」、スペインは「オラ、オイガ」、ブラジルは「アロー」、ロシアは「アローかアリョー」、トルコは「アロー」など。どうやら外国では「ハロー」と言えばよさそうです。

俳句に挑む人工知能(AI)

   昨日の朝日新聞夕刊の一面に、俳句に挑む人工知能(AI)の話があり、面白いので朝日新聞をお読みになっていない方のために紹介します。この話は、人工知能が専門の北海道大学の川村秀憲教授が、昨年、「AI俳句」に取り組み始めたのがこの発端のようです。まず人間の五感が凝縮した俳句をAIに理解させるのです。

   この試みを知ったテレビ局が人間との対決を打診したのです。川村教授によると、AIは過去に詠まれた大量の俳句をデータとして読み込み、単語のつながりや、季語などを学び、AI自らが「ディープ・プラーニング(深層学習)」と呼ばれる手法で学習を深めたのです。そして、今年の1月、テレビ対決を行いました。

   その方法は人間とAIが写真を見て句を詠む三番勝負です。この時、AIが《旅人の 国も知らざる 紅葉哉》と《又一つ 風を尋ねて なく蛙》の2句を披露しましたが、この時は読み込んだ句が古くて語感がこなれず、AIの負けになりました。そこで、再度、7月に北海道で俳句イベントを行ったのです。

   それも僅差で人間側が勝利しましたが、その時、人間とAIの全ての中で最高点はAIが詠んだ《かなしみの 片手ひらいて 渡り鳥》。ところで、AIの俳句を俳句会はどう受け止めているかというと、「過去につくられた俳句を元にした今のやり方では、人間は超えられない」とか。でもAIが詠む俳句、とても興味があります。

「100円ショップ」は知恵の宝庫

   家から歩いて約5分のところにある「100円ショップ」に時々行きます。別に買いたいモノがあるわけでなくても、時に思い掛けないアイデア商品を発見することもあれば、「へー、これが100円で買えるんだぁ」という品物を見つけ、現在、必要としてないのに、お店に敬意を表して買ってしまうこともあります。

   最近、私が100円で買ったのはステンレス製の「トング」です。これはパンなどを焼く時に、パンを直接手で持たないで、はさんでトースターに入れる道具です。形をアルファベットで表現すると、使わない時は、小さな金物が端にあって「I」の形になっていますが、その金物を反対側に移動すると、バネの力で開き「V」になります。

   つまり、「V」の広い方をちじめてモノをつかむのです。この「トング」が凄いのは「I」から「V」にする金具をずらす操作が片手だけで出来て快感です。そして、使った後、再び「V」を「I」に戻すのに、これも片手だけで操作可能。恐らく、この「トング」の設計者はこれが売り物に違いありません。

   私は、これを家に買ってきて、「I」から「V」に、「V」から「I」に片手だけで何度も素早く操作して、すっかりこの「トング」に感動してしまいました。私は家内に「これを100円で作るとは凄い!」と叫び、この感動を誰かほかの人に伝えたくて、親戚の奥さんに贈呈しましたが、私のように感動したかどうかはまだ聞いていません。

永遠のクリスマス・ソング

   毎年、12月が来ると、待っていたとばかりにブログにアップするのが古い3曲のクリスマス・ソングです。もう、どなたも聴き飽きてるかも知れませんが、この3曲は何度聴いてもいいと確信しています。まず1曲目は山下達郎の「クリスマス・イブ」(特別版)。何しろ、1983年のリリースですからもう35年も経ってます。

   《雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ 心深く秘めた想い 叶えられそうもない 必ず今夜なら 言えそうな気がした まだ消え残る君への想い 夜へと降り続く 街角にはクリスマス・トゥリー 銀色のきらめき》。なんという切ない歌詞と旋律でしょう。

   そして、2曲目はとても心地よいワム!の「ラスト・クリスマス」。《Last Christmas, I gave you my heart But the very next day you gave it away This year, to save me from tears I'll give it to someone special..Last Christmas, I gave you my heart But the very next day you gave it away This year, to save me from tears I'll give it to someone special》。

   昔、西武池袋線の江古田駅近くにあったカフェで、12月のある日、女子大生らしき3人が、ジューク・ボックスから流れるこの曲に合わせて歌っていた光景が今も脳裏に鮮明に甦ります。そして、3曲目は更に古い「ホワイト・クリスマス」。これはもうビング・クロスビーでなければなりません。今年も同じことを書きました。

慶大法学部教授の音楽評論家

   慶大法学部教授の私が好きな音楽評論家が二人います。許光俊氏と片山杜秀氏で、今日は片山杜秀氏の著書「クラシックの核心」の中から、《ショパン メロドラマと「遠距離思慕」》というタイトルの一文を紹介しショパンを偲びます。片山氏がショパンで印象に残っているのは、1974年に放映されたドラマ「白い滑走路」。

   ジャンボ・ジェット機の機長田宮二郎が主人公で、ショパンが重要な役割になってるのです。「白い滑走路」を制作した頃は、日本航空がボーイング747、いわゆるジャンボ・ジェットを導入したばかりの頃で、その宣伝もかねて、JALがが全面協力したドラマなんです。しかし、残念ですが私はこのドラマを観ていません。

   そこで、片山氏の文章で、このドラマを掻い摘んで紹介すると《田宮二郎が久々に家に帰ってくるところから始まったと思うんですね。都内の高級マンションではないですか。日本航空が747を導入する。操縦法を覚えなくてはいけない。国際線の機長の田宮二郎は747向けの要員にされて、講習をうけるためアメリカに出張。

   で、帰宅した。そうしたら妻が消えていたんですよ。……》。この妻はピアニストで得意な曲がショパンなんです。とにかくいない。口紅で洗面所の大鏡に別れの言葉が書いてあるのです。音楽評論家の片山杜秀氏、ショパンの魅力を語るのに人気ドラマを引用したりしてとても解りやすく、同じ慶大法学部教授の許光俊氏と共に沢山の著書がありますので、音楽愛好者に声を大にしてお奨めです。ちなみに、私が現役時代、大変お世話になった会社の顧問の公認会計士も慶大法学部卒業で音楽がとてもお好きで、仕事の合間によく音楽を語った事が懐かしいです。

一人の女性と文豪と詩人

   「不倫は文化」と言ったタレントがいますが、戦前は結婚して配偶者のある者が他の異性と深い関係になったら姦通罪になりました。ところが、この時代に堂々と人妻、それも親友の妻を愛し、親友とちゃんと話しあった上で貰い受け、声明文にして発表した有名な文豪と詩人がいます。

   その一人は、「さんま苦いか、しょっぱいか……」の詩人で小説家の佐藤春夫、もう一人は「細雪」などの小説を書いた谷崎潤一郎。二人は長年の親友でありながら、谷崎潤一郎は妻がいるのに奥さんの親類筋の女性といい仲になりました。谷崎の奥さんは、その悩みを谷崎の親友、佐藤にめんめんと訴えていたのです。

   そのうち、佐藤は谷崎夫人に同情し、この同情が次第に恋愛感情に発展してしまったのです。そこで、佐藤は谷崎と話し合った末に、谷崎は奥さんと円満に離別することになり、佐藤は谷崎の元の奥さんと正式に結婚し、終生、添い遂げたのです。しかも、三人は、この顛末を声明文にまとめました。

   そして、三人の連名で発表したのです。ところで、この話、ここまで聞けば、谷崎、佐藤、谷崎夫人の話し合いの結果、丸く収まり何の問題もなさそうですが、なんと当時、佐藤春夫にも妻がいたのです。しかし、佐藤は奥さんと不仲だったようで、谷崎元夫人と結婚して幸せな人生を送りました。めでたし、めでたしです。

僅か三代で崩壊した鎌倉幕府

   「おごる平家は久しからず」という言葉がありますが、平家を打ち倒し、初めて開いた武家政権、鎌倉幕府もたった三代で滅びてしまいます。その最大の原因は、頼朝と義経の対立で、幕府を開いた当初、しっかりした体制づくりが出来ていなかったからだと言われています。つまり、兄弟喧嘩がもたらした結果でしょう。

   頼朝が落馬して亡くなった後、その跡を継承した頼家は能を愛した軟弱将軍。そして三代目の将軍の実朝も和歌の達人だったことが有名で、侍としてはこれといった功績は残していません。結局、鎌倉幕府は後継者に恵まれずに三代にして崩壊してしまったのです。ところで、三代将軍実朝の暗殺の話です。

   実朝は承久元年の正月、雪が舞う中を鎌倉「鶴岡八幡宮」に参拝し、石段を登る途中、石段脇の大イチョウの陰に潜んでいた公卿ほか数名の反逆者の手により、命を落としたことになっています。公卿は二代将軍頼家の息子で、父頼家の死因に不審を抱いた末の暗殺と伝えられています。

   この暗殺は史実ですが、公卿らが大イチョウの陰に隠れいて不意をつかれたというのは真っ赤なウソ。というのは、イチョウは帰化植物で、日本に渡来したのは鎌倉時代になってからで、人が数人隠れるほどの大木に育つにはあまりにも歳月が不足していて、これは後世の人の作り話が本当のようです。歴史は面白いです。

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