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「巌流島の決闘」の約束時間

   1612年(慶長17年)4月13日、宮本武藏と佐々木小次郎が戦った「巌流島の決闘」の詳しいことは、吉川英治の小説「宮本武藏」に負うところが多いのですが、丸谷才一氏の随筆「遅刻論」の中に、宮本武藏が約束の時間に大幅に遅れた時の吉川英治の文章が出ていて、面白いので紹介します。

   《潮は上げている盛だった。海峡の潮路は、激流のように早い。風は追手。赤間ヶ関の岸をを離れた彼の小舟は、時折、真っ白なしぶきをかぶった。佐助は、きょうの櫓を誉れと思っていた。漕ぐ櫓にも、そうした気ぐみが見えた。「だいぶかかろうな」行く手を眺めながら、武藏がいう。

   舟の中ほどに、彼は、膝広く座っていた。「なあに、この風と、この潮なら、そう手間はとりません」「そうか」「ですが…だいぶ時刻が遅れたようでございますが」「うむ」「辰の刻は、とうに過ぎました」「左様…すると船島へ着くのは」「巳の刻になりましょう」「いや巳の刻過ぎでございましょうよ」「ちょうどよかろう」》。

   辰の刻を調べてみたら午前7時。そして、丸谷さんの文章を書き出すと《巳の刻すぎなら10時15分か半ですか。ずいぶん待たせるのに、ちょうどいいもないものだ》。つまり、武藏は約束の時間を3時間以上も遅れていたのです。それにしても、決闘の時間が朝の7時とは驚きで二人の合意だったのでしょうか。

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