無料ブログはココログ

« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »

ロボットが主役の「旅番組」

   日曜日の午後2時30分、「路線バスで寄り道の旅|の直ぐ前に「ロボット旅」というロボットが主役の「旅番組」があります。このロボット、実にボキャブラリーが豊富で、人間と人間の会話の中に誠に適切に口を挟み、間違いなく日本製だと思っていたら、何とフランスのAldebaran社が開発したNAOというロボットです。

  昨日7月29日に放映した「ロボット旅」は、歌のおねえさんのはしだしょうこが花子と名付けられたNAOを車椅子に乗せて横浜の中華街や元町商店街をぶらぶら歩くのです。ともかく、歩きながら交わす、はしだしょうことロボットとの会話も、知的なユーモアに満ちていて思わず笑ってしまいます。

   そして、老舗の和菓子屋「金米屋本店」の女将との会話は驚きの一語。例えば花子の女将への質問「この店で一番のお奨めは何ですか?」に女将はすでに他界しているご主人の考案したとかの梅どら焼を奥から持ってきます。花子ははしだに「食べてみたいと思う?」と尋ね、はしだが頷くと女将はどら焼をはしだに渡します。

   はしだが食べ終わると、花子ははしだに「代金どうする?」と気を使います。はしだがちょっと考えると、花子は何と「代金はわたしが踊る」と提案し、花子はみんなの前で踊りを披露します。女将は感動の涙をハンカチで拭い、はしだと花子は店を出ます。、このロボット、まるで人間と同じ会話をしますから、来週の日曜は是非。

「つまり」と「むしろ」

   この7月で12年間、毎日、400字詰め原稿用紙約1枚半の長さの記事をブログに書いてるお陰で、作文に一段と馴れたような気がします。文章を作る上で、とても役に立つ本に一橋大学で文章論専攻の文学博士石黒圭氏著「文章は接続詞で決まる」という著書があり、その中に「換言の接続詞」についての一文があります。

   よく文章を書く人が役に立たちそうなので、掻い摘んで紹介します。そもそも「換言の接続詞」とは先行文脈では説明しきれない内容を、後続文脈で読み手にわかりやすく示すことを予告する接続詞です。つまり、読み手に文章を理解して貰う場合、今使っているこの表現でいいかなと不安になることがあります。

   その時、今表現している言葉と、もっと伝わりやすいと思われる言葉を両方示し、その二つを「換言の接続詞」で結ぶ方法。「換言の接続詞」には「つまり」系と「むしろ」系があり、「つまり」系には「すなわち」「ようするに」などがあり、これから表現を換えていい換えますよと予告する接続詞です。

   もう一つの「むしろ」系には「かえって」「そうではなく」「というより」などがあり、一見、常識的におかしく見える事態の方が、総体的に妥当性が高いということを予告する接続詞です。つまり、私たちが無意識のうちに寄りかかっている常識的な内容を否定するのは説得のレトリックとして有力なのです。接続詞って文章の要です。

クジラとカバは同じ祖先の説

   クジラについて、深く考えたことがおありでしょうか。海の中を泳ぎ、漢字で書けば鯨で、魚偏が付いているのにクジラは魚ではありません。ともかく、クジラはほ乳類です。ネットに「クジラは何処から来たの?」というサイトがありますので、この際、丹念に読んでクジラの祖先を調べてみましょう。

   このサイトによると、クジラの祖先は6500万年前に陸を歩いていた四ツ足の動物「メソニクス」と言われているそうです。しかし遺伝的な手法を用いて解析した結果、クジラの祖先は偶蹄目の仲間であるカバ科に最も近いという結果が近年報告されました。偶蹄目にはカバ科、ウシ科、シカ科、イノシシ科などがあります。

   形態学や遺伝学的な二つの研究からクジラの祖先とカバの祖先が同じ祖先の動物から進化していることがわかってきました。「メソニクス」がクジラの祖先ではないかというのは、前に何かの本で読んだような気がしますが、まさかカバとクジラが同じ祖先かも知れないというのはこのサイトで初めて知りました。

   つまり、白亜紀の7500万年前に「恐竜」が絶滅し、その隙間をぬって陸も海も哺乳類が急速に発展して多くの種が生まれ「哺乳類の天下」となったのです。「イクチオザウルス」等が絶滅していなければクジラは地球上にいなかったのではないかとも言われています。それにしても、クジラは不思議な生物です。

「ミロのヴィーナス」の両腕

   フランスのパリの「ルーブル美術館」にある「ミロのヴィーナス」は、1820年4月8日、エーゲ海のミロス島で農夫によって発見されました。そのヴィーナス像は、出土した時、すでに両腕が欠けていて、果たしてその腕がどんな形になっていたかは、誰にも解っていません。

   ネットのウィキペディアによると、この像はギリシア神話における女神アプロディーテーの像と考えられていて、高さは203センチ、材質は大理石で、発見した時には碑文が刻まれた台座がありましたが、ルーヴル美術館に持ち込まれた際にはすでに紛失して付いていませんでした。

   この彫刻の作者は、紀元前130年頃に活動していた彫刻家、アンティオキアのアレクサンドロスと考えられていますが、その人物像についてはほとんど解っていません。ヴィーナスの両腕については、沢山の芸術家や科学者が欠けた部分を再現しようと試みましたが、誰も成功していないのです。

   ともかく、この彫刻が「ルーヴル美術館」を出て海外へ渡ったことはただの一度だけ。1964年4月~6月、日本の「国立西洋美術館」と「京都市美術館」で行われた特別展覧会の時だけで、この際、日本への輸送時に一部破損が生じ、展示するまでに、急遽、修復されたという話が残っています。

江戸時代にもあった大食大会

   ギャル曽根の食べっぷりには驚きますが、ネットに「江戸時代がわかるお役立ちサイト」があり、江戸時代にも大食い競争があったのを知ってびっくりです。中でも有名なのは文化14年に両国の柳橋の「万八楼」で行われたもので、この大会の詳しい様子は「文化秘筆」などの文献に残っているそうです。

   まず、お菓子の部ですが、現代の大会のように参加者が同じものを食べるのではなく、参加者は自分の食べたいものを自由に選び、その食べた量を競い合ったようです。神田に住む丸屋勘右衛門さんという56歳の方は、まんじゅう50個、ようかん7棹、薄皮もち30個、お茶19杯を平らげています。

   また、八丁堀に住む伊予屋清兵衛さんという65歳の方は、まんじゅう30個、うぐいすもち80個、松風せんべい30枚、たくあん5本まるかじりの記録が残っているそうです。次ぎに麹町に住む佐野屋彦四郎さんという28歳の方は、まんじゅう50個、もち100個を平らげています。

   そして、丸山片町に住む足立屋新八さんという45歳の方は、今坂もち30個、せんべい200枚、梅干し2升、お茶17杯という記録を残していますが、以上、4名の方の量を比較しても、どなたが一番多いのかさっぱり解りません。もっと詳しく知りたい方は、この記事をよくお読みになって下さい。まさか、江戸時代に驚きです、

人に教えたくなる美味な食物

   スーパー「LIFE」に家内に頼まれて総菜を買いに行き、並んでいる品物を見ていたら、見ず知らずの品のいいおばさんが、ある品を指で指し、私に「これ召し上がったことあります?」と話し掛けてきました。言葉遣いが丁寧だったので、私はきちんと「いいえ」と答えると、その方は「これとても美味しいんですよ」と。

   折角、教えてくれたメンチカツですから、そのまま無視して売場を離れるワケに行かなくなり、追加の買い物にプラスチックの入れ物に入れ、そのご婦人に「有り難うございます」とお礼を言い、家内に頼まれた品物は確実に買ってスーパーを後にしました。その晩、食べたメンチカツ、おばさんの言う通りとても美味しかったです。

   ところで、私にも、売場に並んでいる品物の一つが美味しかった覚えがあり、知らない人に教えたくなったことがありましたが、食べ物の美味しいまずいは人それぞれの独自の感覚で、私が美味しいと思っても他人が同じ味覚を持っているとは限らず、教えるのをためらって売場を離れたことがありました。

   実は、私にはこのメンチカツ以前にも、漬け物売場で「この京都の漬け物、一度、食べたらヤミツキになるから、騙されたと思って召し上がって下さい」と中年の夫人に勧められたことがあり、その時は家内と一緒でしたが、その漬け物、今でも我が家の食卓に乗っています。やっぱり「召し上がる」の言葉は「美味」です、

ダジャレ好きへのブログ

   世の中には驚くような本を出版する方がいます。お名前は多治家礼さんで、本のタイトルは「これをダジャレで言えますか?」。東大を卒業されている著者は、裏表紙に《「寒~い」などといわれているものの、私たちがダジャレを耳にしない日はありません。…日々接しているあらゆる事物をダジャレにしてみました》と。

   この中から、日本の都市や名所をダジャレにしたものばかりを集めました。[稚内]はおっかない★日本最北とはいえ、恐くはないでしょう[仙台]で何せんだい★牛タン食べて青葉城見て、いろいろと[会津]あいつと会津に行こう★あ、いづ行くの[那須]那須でなすがまま★「もうどうにでもして」という心境です。

   [小諸]小諸にこもろう★もしやあなたは島崎藤村?[松本]松本に雪が、まーつがもっとる★毎年恒例の雪です[水戸]水戸をみとけ  ★みっともないマネだけはしないで下さい[富士山]富士山に麩持参★山頂で食べる味噌汁は格別です[芦ノ湖]芦ノ湖にあっしの子がいる★まさか訳ありですか?

   [神戸]さあ、神戸に行こうべ★そんな誘いには、こうべを垂れておうじましょう[姫路]香り松茸、味ヒメジ★姫路は人間味のある町だということでしょうか[高松]高松に期待が高まっている★讃岐うどんブームの次ははたして……[米子]米子のおなごはいいなあ★空を見上げながら、しみじみと。ダジャレの集まりでした。

アリをビンの中で飼った経験

   小学校低学年の頃、アリを小さなビンにいっぱい入れて飼ったことがあります。エサは、勿論、砂糖で、学校から帰ると、真っ先に見るのがビンの中のアリたち。アリがビンの中の土に巣を作り、行ったり来たりと忙しげに動く姿を見るのが楽しくて、時間が経つのを忘れ、かなり長時間眺めるのが常でした。

   多分、この経験を持っているのは私だけではないだろうと思っていたら、ちゃんとネットに「アリの飼い方」と言う記事というより論文がありました。何しろ、「アリの飼い方」がA413ページにびっしり書いてあるのです。例えば、アリを飼う楽しみを読むとこんなことが書いてあります。

   《アリの飼育で最も面白いのは、他の昆虫では見ることのできない、家族で協力をして生きていく社会生活にあると思っています。アリが大きなアゴを器用に使い、小さな卵や幼虫の世話をする姿などは、私たち人間や、他の哺乳類や鳥類と同じように子に対する強い愛情を感じることができるのです》。

   これは、子供の頃、ビンの中のアリが巣の中を動き回るのを観察していたのとは次元が遙かに違う話です。エサについても《多くのアリは、様々な餌を食べる雑食性です。そのため、飼育する時も栄養バランスを考え、様々な餌を与えなければいけません》。アリを飼った経験のある方は、是非、この論文をご一読下さい。きっと、もっと丁寧に面倒をみればよかったと後悔します。

日本の雑誌に多い対談記事

   つい最近、安西水丸さんが映画のことを書いた本を読んだら、ふと「村上朝日堂」が読みたくなり、取り出してページを繰っていると、眼に留まったのが村上春樹さんの《「対談」について》という一文です。それによると、日本の雑誌には実に対談が多いけど外国の雑誌にはほとんど無いのだそうです。

   その理由として、村上さんはこれはあくまでも僕の想像だけれどと断って、アメリカ人は対話についてシビアだからで、日本人は相手の言ってることがもう一つピンとこなくても「うん、そういうのもわかるような気がするなぁ」なんて言って「そのところをもう少しきちんと説明して欲しい」と話はエンエンと長くなります。

   それで雑誌のページにおさまりきらなくなっちゃいそうでも、日本人は器用で、話が一段落すると「じゃ、このあたりで一応結論らしきものを出しておきましょうか」「そうですね」なんて感じで、結構、ピタッと終わっちゃう。まさにあうんの国民性を持ってる日本人だからこそ雑誌の対談記事が出来るというのです。

   そして、もう一つ、日本人的なのが「対談ゲラの赤字入れ」というのがあって、話したことを後で訂正するテクニックが存在し、先にどちらかが自分のパートを訂正、その次ぎにもう一方の人が先方に合わせて  自分のセリフを訂正すのだとか。まさか、対談を訂正することがあるとは村上さんのお陰で初めて知りました。

ラベルの「ボレロ」を逆に演奏

   ラベルの作品の中で、最も人気があるのは「ボレロ」と言っても誰も異存はないでしょう。実は私も大好きで、何度繰り返し聴いているか解りません、この作品は本質的に舞踏ののために書かれたもので、何しろ、二小節のボレロのリズムが何と169回繰り返される単調な音楽です。でも、何故か飽きないのです。

   国立音楽大学教授の野中映氏が書いた「名曲偏愛学」(時事通信社)という本の中で野中氏は《「ボレロ」はさかさまに演奏した方が絶対にいい》と書いてます。つまり、《この曲、最初は三段の五線譜でこと足りるのに、おしまいになると、豪華三十五段飾りの楽譜になってしまうのだ。

   盛り上がって盛り上がって盛り上がりまくる宴会みたいな作品だから、演奏者たちもいい気になって、最後の方になると、自分だけ目立ちたい一心で、やたらと大音響を鳴らしまくる。目立ちたくても目立てない第二ヴァイオリンの後の奏者などは、バケツを叩いたり機関銃を乱射したりして必死に対抗しようとする。

   演奏が終わって普通に拍手が沸き起こるのでは、この作品はあまりに残酷である。だから「ボレロ」はすべて逆に演奏すべきなのだ。そうすれば、ジワリジワリと盛り下がり、没落の美学を漂わせた文学的な作品になる》。実はこの文章、前からブログで紹介したいと思っていました。では逆の演奏はないので普通の「ボレロ」です。

どうなるアメリカの最高裁

 「週刊文春」に、毎号、掲載している池上彰さんのコラム「池上彰のそこからですか!?」は面白いのでよく読んでいますが、このところトランプ大統領の話題が少ないと思っていたら、7月19日号は「アメリカ最高裁、保守化へ」のタイトルで、こんなことを書いているので、紹介します。

   《アメリカの大統領が変なことをしても裁判所がブレーキをかけるから、アメリカは成り立っている……と思っていたのですが、ここへ来て、アメリカの連邦最高裁判所にもトランプ色が強まりそうな勢いです。アメリカの司法制度は州レベルと連邦レベルに分かれます。州内の事件や問題を裁くのは州の裁判所。

   複数の州にまたがる事柄や憲法判断をめぐる裁判は連邦裁判所。州も連邦も、いずれも地方裁判所、控訴裁判所、最高裁判所の三審制です。連邦最高裁判所は、過去に同姓婚を認めるかどうか、女性の中絶権を認めるかどうか等、大事な判断で、アメリカ社会を動かしてきました。

   日本の最高裁判所の裁判官は15人ですが、アメリカは9人。いずれも人数を奇数にすることで意見が対立する問題は多数決で決められるようにしています》。日本の最高裁判所の裁判官の定年は70歳。しかし、アメリカは定年がない終身制。ところが、81歳になり自ら退任を申し出る人が出てきて、トランプ大統領が判事候補を指名し、そのまま判事になる可能性が高まっているのです。つまり、トランプ大統領と同じ意見の判事が新しく生まれるかも知れずトランプ大統領に有利になりそうなのです。

安西水丸氏の「二本立映画」

   村上春樹氏がお好きな方なら、イラストレーターの安西水丸さんがイラストを書き、村上春樹さんが随筆を書いた「村上朝日堂」と言う随筆集をよくご存知でしょう。イラストレーターの和田誠さんも安西水丸さんも、古い映画にやたらに詳しくて、映画の随筆を書いた本をいっぱい出版しています。

   今日は、いつもコンビの村上春樹さんがまったく登場しない《安西水丸の二本立て映画館》という全編と後編二冊の映画に関する随筆集を紹介します。安西さんは冒頭の「はじめに」にこんなことを書いてます。《映画を一人で見に行きはじめたのは中学生になった頃だったかと記憶しています。

   ぼくの母親は明治生まれの真面目一方の人間で、一人で映画に行くことにはあまりいい顔はしませんでした。仕方がないから友だちの家へ行くなどと嘘をついて出かけて行くわけです。嘘はなんとかのはじまりということをやっていたわけです。そして、高校、大学。社会人になっても映画は見つづけました》。

   つまり、安西さんの若い頃は二本立てで映画を上映していたことがよくあって、この本には安西さんが二本立てで観た映画を紹介していて、どちらかと言うと、二本立ての映画をほとんど観てない私など「恋人たちの予感」「許されざる者」の二本立てなど絶対に観ないだろうなと思いました。

完全では無い「毒味」の効果

   日本映画のファンなら、江戸時代、「毒味」役の武士を演じ、貝の毒にあたって失明した木村拓哉の映画をご覧になった方はいっぱいおられるでしょう。原作は藤沢周平で、題名は「武士の一分」、木村拓哉が素晴らしい演技を見せ、あまり日本映画を観ない私が感心した覚えがあります。

   確かに江戸時代には「毒味」役の武士は本当にいたようで、歴史学者の磯田道史氏が書いた「日本史の内幕」という本に《毒味をさせた「毒味役」》という一文があります。それによると、将軍夫人の食事は毒殺を避けるため、同じ料理を10人前も調理させていたのだそうです。

   要するに、10人前の料理を用意すれば、毒殺者は10人前全部に毒を盛らなければならずに、それだけ毒殺が難しくなります。何しろ、料理の担当者は10膳のうち2膳が「毒味」に回され、残った8膳のうち、将軍夫人の前に出されたのは3膳、夫人はその3膳のうちランダムに2膳に箸をつけたのです。

   そして、残ったお料理はお付きの当番の者が食べていたということですが、将軍夫人が食べる美味しい料理を食べられるのと引き換えに、運悪く命を落とすことだってあり得るのです。つまり、「毒味」というシステムは、いくら手間を掛けても完全無欠なものではないことがお解りになったことでしょう。いやはや。

読み直したら更に面白い小説

   5年ほど前の2013年4月に発売になった村上春樹氏の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。ともかく、村上春樹氏の文体の分かり易さと、物語展開の面白さに引き込まれ、一気呵成に読んだ覚えがあります。それから約5年、もう一度読みたくなり、単行本を持っているのに文庫本を買って(敬意!)読みました。

   小説の骨子は、主人公の多崎つくるに、高校時代、4人の親友がいて、その4人から田崎つくるに、ある日、理由がよく解らない絶交状が送られてくるのです。多崎つくるは付き合っている2歳年上の女性にこのことを相談すると、一人づつ会ってその理由をよく聞くべきだと提案します。

   ところで、この5人の氏名は、男性が主人公の多崎つくる、赤松慶。青海悦夫、女性が、白根柚木、黒埜恵理。多崎つくる以外は、すべて頭に色がついていて非常に解り易く、この点にも村上春樹さんならではの工夫があり、読者への配慮を感じます。

   このうち、白根柚木は他界してすでにこの世にいません。多崎つくるが最後に会ったのはフィンランドのヘルシンキに住んでいる黒埜恵理。すでに結婚している彼女に会ったことで、謎が解けたという、まるでミステリーのような組立で、実に面白い長編小説でした。村上春樹さんの類希な実力を感じます。

チャイコフスキーと謎の女性

   チャイコフスキーの6つの交響曲とピアノ協奏曲第1番、大好きです。ことに第6番の「悲愴」は特別に好きで、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団、マルケヴィッチ指揮のロンドン・フィル、マゼール指揮のウィーン・フィル、フリッチャイのベルリン・フィル、小澤征爾のサイトウ・キネン・オーケストラ。

  そして、 カラヤン指揮のベルリン・フィル、メンゲルベルグ指揮のアムステルダム・コンセルトヘボー、スクロヴァチェフスキー指揮の読売日響、フルトヴェングラー指揮のベルリン・フィルなど9枚のCDを持っていてどれもよく聴いてチャイコフスキー特有の美しいメロディーを楽しんでいます。

   ところで、チャイコフスキーは、本来、音楽家を目指していたのではなくて、1852年にペテルブルグの法律学校に入学し、卒業後は法務省に職を得ていたのです。しかし、彼は法律学校時代に声楽やピアノなどの音楽理論などを本格的に習得していて、音楽家になっても不思議ではなかったのです。

   チャイコフスキーは、作曲家の道に転向して、1878年以降、裕福な未亡人フォン・メック夫人から経済的な援助を受けていいたのです。彼女は鉄道経営者の妻で、夫が他界した後、鉄道会社の経営の後を継ぎ、お金を沢山持ってました。彼女とチャイコフスキーとの交際はそれから、14年間も続きましたが、何と二人は一度も会うことがなく、ただひたすらお金を援助するだけの関係でした。チャイコスキーは凄い女性と知り合ったものです。

脳にいい「CS19ペプチド」

   人間の脳の改善に「CS19ペプチド」が有効なのをご存知でしょうか。昔から「初恋の味」といわれるカルピスは、この甘酸っぱさが美味しくて大好きです。このカルピスの素となる「カルピス酸乳」の長年の研究の中で発見された「CS19ペプチド」。「ペプチド」とはアミノ酸が2個以上つながった構造の化合物を言います。

   そして、「CS19ペプチド」とは「カルピス酸乳(CALPIS Sour Milk)」由来の19個のアミノ酸がつながったペプチドという意味を持っています。つまり、《人間の脳は「生命活動」「知的活動」「情緒的な活動」など、日常生活におけるあらゆる活動をつかさどっているのです。

   中でも物事を記憶、判断して、考えたり理解する「認知機能」は社会生活を営む上で最低限必要な機能だといえます。この、物事を考えたり判断したりする時に、脳の中では神経細胞が神経伝達物質を使ってさまざまな情報を伝えるという重要な役割を果たしています。ところが、加齢とともにこの神経細胞が減少。

   認知機能が低下することで「もの忘れ」などの症状が出ることが多くなるのです。「CS19ペプチド」は、脳内の神経伝達物質の1つであるアセチルコリンや、脳の栄養分のような働きをする「脳由来神経栄養因子」の量を増やすことで、認知機能を改善しているのです》。どうやら、カルピスは脳によさそうです

類似性がある芥川賞候補作

   東日本大震災で被災した女子高校生を主人公にした北条裕子さんの小説「美しい顔」は、第61回群像新人文学賞受賞作で、講談社の文芸誌「群像」6月号(5月7日発売)に掲載されました。それだけなら、何も問題が無かったのですが、この作品が芥川賞の候補になって少し問題になってます。

   まずちょっと、ネットの記事《芥川賞候補「美しい顔」類似表現騒動、出版業界の甘さ露呈 被災地に一度も入らず執筆の新人のマナーは…》という記事をお読みになって下さい。6月18日発表の芥川賞候補作「美しい顔」の一部記述に、ほかのノンフィクション作品にある表現との類似性が指摘される事態となったのです。

   つまり、《同作を掲載した文芸誌「群像」を発行する講談社は「参考文献の記載漏れ」とし、6日発売の同誌最新号に参考文献一覧を掲載したが、作家本人に加え、新人作家を発掘し、育てる出版社側の対応の甘さを問う声があがっている》のです。何しろ、作家の北条裕子さんは被災地に一度も行かずに執筆しています。

   《「私は被災地に行ったことは一度もありません」と作者の北条裕子さん(32)は、「美しい顔」が掲載された「群像」6月号で明かしていて、このため、被災地の様子は参考文献などに依拠したとみられ、焦点となるのは参考元にあった表現との類似性です》。果たして「美しい顔」は芥川賞の候補になるのでしょうか。

随筆「枕草子」の美文に驚歎

   文学のジャンルに随筆があります。日本で初めての随筆と言えるのが清少納言が書いた「枕草子」。その全文がネットにあるのでちょっと出だしをコピーします。《春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 

  夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢(ほたる)飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。

   日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など。(いとあはれなり。冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、またさらでも いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)

   火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりぬるは わろし》。どうです。誠に鮮やかな美文でしょう。清少納言は平安時代中期の女流作家で、歌人でもあっただけあって、文章が実に美しいです。思わず声を出して読みたくなる魅力をもっていて、1000年も前から、こんな美文を書く人がいた事に改めて驚歎します。ともかく、二段以下、全文をお読みになって、清少納言の文章に酔いしれて下さい。

ショパンが作った19の歌曲

   ショパンは「ピアノの詩人」と言われ、ピアノ曲以外、作曲してないように思われますが、19曲の歌曲があるのをご存知でしょうか。東京芸大を出ている小坂祐子さんが著した「ショパン知られざる歌曲」(集英社)という本に詳しく出ています。歌詞はポーランド語で、親交のあったポーランドの詩人が作っています。

   この19曲のうち作品番号のついた作品は17曲で、CDが市販されているのをこの本で知り、ソフィア・キラノヴィチというソプラノ歌手が歌っている「17のポーランドの歌」というアルバムを持っています。この歌曲集に収められている17曲は、作曲年代が19歳から37歳で、生涯のすべての年代にわたっています。

   ともかく、ショパンは「葬送行進曲」「子守歌」「舟歌」など数曲を例外として、作品に題名をつけていません。ショパンは人にオペラ作曲家への道を強く薦められても、かたくなにそれを拒み、言葉と関係のないところに自分の音楽を位置づけていたのです。やはり、ショパンの本質はピアノ曲なのです。

   ところで小坂さんは最後に歌曲とは関係のないショパンの葬儀のことを書いていますので、ショパン愛好家のために紹介しましょう。《ショパンが自分の葬儀に望んだのはモーツアルトの「レクイエム」で、さらにサンドとの生活で作曲された「葬送行進曲」が演奏された》と書いてあります。ではショパンの「葬送行進曲」を。

バナナの叩き売りの口上

   バナナは今やコンビニやスーパーで安く売られていますが、高級品で簡単に食べられない時代がありました。ところで、バナナが日本に輸入されたのは明治36年頃で、台湾北部の基隆(キールン)の商人が神戸に持ち込んだのが始まりとされていて、まだ台湾が日本の植民地の頃です。

   そして、台湾と最も地理的に近い北九州市の門司港は、バナナの荷揚げによって市場が栄えたのです。青い時に輸入したバナナは地下の室で熟成してから市場に出していました。しかし、輸送中に熟してしまったバナナは出来るだけ早く換金する必要があり、そこで考えられたのが「バナナの叩き売り」です。

   つまり、露天商などが街頭で軽妙な軽口でお客さんを集め、独特の口上てバナナを叩き売りしたのです。現在のように安くバナナが買える時代ではとても考えられないような話です。ともかく、口上は、多種にわたり、地域、売る人によりオリジナリティがあって、大いに人気だったようです。

   ネットに「門司港名物バナナの叩き売り」の動画がありますからご覧になって下さい。これが全国的に有名になったのは映画「男はつらいよ」の寅さんの影響(バナナの映像が無くてすみません)と言ってもいいかも知れません。しかし、「バナナのたたき売り」は次第に廃れ、地元では保存会を設けて保存に必死のようです。

クラシックが次々と100曲

   クラシックもポップスも好きな音楽ファンで、まだもしお持ちになってなかったら、絶対にコレクションに入れて欲しいCDに「Hooked on CLASSICS(フックド・オン・クラシックス)」があります。LPの時代からあったCDで、今も廃盤にはなっていません。ともかく、一度聴いたら病みつきになるCDです。

   CDの中に入ってるノートに書いてある文言をちょっと書き出しましょう。《いちばん楽しいクラシックの世界へようこそ!106曲をいっきに聴かせる クラシック名曲メドレー第1弾!さあ、あなたは何曲知っていますか?理屈ぬきでおもいっきり楽しんで下さい!》どうです。これを読んだだけで 聴いてみたくなるでしょう。

   まず、冒頭に出てくるのは「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」、続いてリムスキー・コルサコフの「くまばちは飛ぶ」、そして、モーツアルトの「交響曲第40番」のあの美しいメロディです。さらに耳に飛び込むのはガーシュインの名曲「ラプソディ・イン・ブルー」、シベリュウスの「カレリア組曲」、ベートーヴェンの「運命」。

   一定のリズムに乗って、聴いたことがあるクラシックのメロディが矢継ぎ早です。思わずそのリズムに合わせて手で膝をたたきたくなるのは間違いなし。何しろ、106曲のクラシックのメロディが見事に並んでいるのです。すでに発売になっている12枚のCD、すべて持っていてしょっちゅう聴いてます。では、サワリをどうぞ。

「みつまめ」と「あんみつ」

   甘党にとっては「みつまめ」と「あんみつ」はどちらもお好きなはずです。ところで、ある本に先に出来たのは「みつまめ」と書いてありましたが、勿論、それはそうでしょう。「みつまめ」は江戸時代後期から売られていましたが、今のように洗練されたものではなく、駄菓子屋で売られている駄菓子の一種でした。

   当時の「みつまめ」は、サイの目状の寒天と塩ゆでした赤エンドウが十数粒、それに彩りとして求肥や干し杏などを器に入れたものに黒砂糖をかけて食べさせるという、至極単純なものでした。お客さんの中には「天ぬき」といって寒天を抜いて欲しいと言う注文もあったとその本に書いてあります。

   そして、「あんみつ」が初めてこの世に登場したのは昭和5年のこと。銀座に店を出していた「お汁粉屋」の「若松」の二代目が、ご贔屓にしていた宝塚歌劇団の一員に、何か新しいメニューを頼まれて、当時、少し飽きられて下火になっていた「みつまめ」にあんこを入れることを思いついたのです。

   この新商品はたちまちお店で人気になり、大いに売れたのが「あんみつ」が出てきたきたきっかけです。銀座の甘味処「若松」は現在も存在し、何回か行ってますが、この店がまさか「あんみつ」発祥の場所とは知りませんでした。今度行ったらこの事を話して知ってるのを自慢しようと思っています。

かって五輪にあった芸術競技

   何年も先だと思っていた東京オリンピックがいつしか二年後になりました。ところで、1912年の第5回ストックホルム大会からオリンピックに芸術競技があったのをご存知でしょうか。種目は、建築、彫刻、絵画、音楽、文学の5種目で、参加者はスポーツに関連を持つか、スポーツから着想を得た作品に限られてました。

   そもそもオリンピックに芸術競技を取りいれた生みの親は、近代オリンピックの創始者のクーベルタン男爵。古代オリンピックは、神を讃えるという信仰的要素が強く、スポーツは強く美しい肉体で神を表現することから生まれたものであり、芸術表現も同じく神を表現する一手段だと言うのが、その根本理念です。

   日本人の芸術競技のメダリストとしては、1936年のベルリン・オリンピックの絵画部門で、銅メダルを受賞した 藤田隆治、その作品名は「アイスホッケー」で、ナチス(恐らく絵が好きだったヒットラー)に買い上げられたそうですが、その後の行方については明らかになってないようです。

   また、「赤とんぼ」の作曲で有名な山田耕筰氏も、ベルリン・オリンピックに音楽部門で参加してるようですが、その結果がどうなったかは解りません。ともかく、芸術作品の評価は難しく、次第に問題が出て、1948年の第14回ロンドン大会を最後に芸術競技はオリンピックより消えました。

「ギネスブック」の歴史と申請

   「ギネスブック」とは何か知らない方は、今やほとんどいないでしょう。ネットのウイキペディアから、この歴史や申請方法を紹介します。普通、「ギネスブック」で通じますが、正式には「ギネス世界記録」、簡単に言うと、世界一と認定された記録を集めた本で、日本には「ギネスワールドレコーズジャパン」という支社があります。

   そもそも、「ギネスブック」が出来た発端は、アイルランドのビール会社ギネス醸造所の代表者だったサー・ヒュー・ビーバーが、仲間と狩りに行った時、狩りの獲物のうち、世界一速く飛べる鳥は「ヨーロッパムナグロ」か「ライチョウ」かの議論になり、これになかなか結論が出ませんでした。

   すると、ビーバーがもしこういう事柄を集めて載せた本があったら評判になるのではないかと発言したのです。そこで、ロンドンで調査業務を行っていた知人にこの話を持ちかけ、1955年に「ギネスブック・オブ・レコーズ」の初版が発売されたのです。そして、2000年に「ギネス・ワールド・レコーズ」に改称。

   これに日本から登録する方法は、「ギネスワールドレコーズジャパン」のサイトから、自分の住所、氏名、電話番号と具体的な内容や理由などを書いて申請します。申請には無料と有料があって、無料の場合は返答が来るまで約三ヶ月掛かるそうです。ともかく、申請の詳しいことをよく調べて、申請はここです。

島崎藤村の美しい「初恋」

   本当に久しぶりに「藤村詩抄」を手にしました。この島崎藤村の詩集を解説している吉田精一氏によると、藤村の詩集を一冊にまとめたものとしては、明治三十七年九月刊行の「藤村詩集」が最初で、私が手にしている「藤村詩抄」は、既刊の四詩集から、散文をはぶいて、発行順にまとめたのだそうです。

   それでは、この中からどなたもよくご存知の有名な詩「初恋」を書き出しますので、たまにはじっくり鑑賞してみたらいかがでしょう。《まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅(うすくれない)の秋の実に

   人こひ初めしはじめなり わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃(さかずき)を 君が情(なさけ)に酌みしかな 林檎畑の樹(こ)の下に おのづからなる細道は 誰(た)が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ》。何ともロマンに満ちた詩で、お好きな方はいっぱいおられるでしょう。

   ところで、島崎藤村は20歳の時に明治女学校高等科英語科の教師となり、何と教え子とただならぬ関係になって、教師としての自責のために洗礼していたキリスト教から離脱し、学校を辞職したのをご存知でしょうか。では、メロディを附けた「初恋」を舟木一夫が歌っているのをお聴きになって下さい・

必携の「大人の語彙力ノート」

   明治大学の斉藤孝教授が、昨年、発刊し、かなり売れている「大人の語彙力ノート」、絶対にお奨めです。斉藤さんがこの本の冒頭に書いていますが、同じことを言っても「言葉遣い」によって、相手に与える印象が大きく違い凄い偉力を発揮します。それを集めた本で、その中から幾つか紹介しましょう。

   例えば、知らないことを問われた時に、ただ「わかりません」と言うより「勉強不足で申し訳ございません」の方がどれほどいいか解りません。また、目上の人に同意する時、「それでいいです」というと何だか素っ気ない感じですが「それで異存はございません」だとへりくだった気持ちが相手に伝わります。

   また、上司から商談について来るように言われた時、「では一緒に行きます」と言うより「ではお供させていただきます」と言った方が、どれほど相手に与える感じが違ってくるか解りません。また、「知っておいて下さい」と言うより「お含みください」と言うと偉そうな感じが見事に消えます。

   誰かに何かを頼まれた際に、ただ「頑張ります」と言うより「最善を尽くします」「鋭意努力します」「尽力します」などほかにも色々な言い方があるのを頭の中の抽出から持ってくることが必要です。本屋の店頭で手に取ってみると、きっと持っていたくなるに違いありません。「語彙」が豊富だと非常に役に立ちます。

四ヶ月に一度の日銀の「短観」

   今朝の7月3日付の朝日新聞に《日本銀行が発表する「短観」って何か》という記事が載っていました。普通、「タンカン」と言ってますが、正式な名称は「全国企業短期経済観測調査」といい、日本銀行が全国の大企業から中小企業まで約1万社に対し、最近の景気について調査することです。

   何しろ、回答率99%以上で、毎年、3月、6月、9月、12月の年4回、日銀が選んだ企業に対し、売上高や利益など事業の現状や先行きを、「良い」「さほど良くない」「悪い」など送られてきた調査表に書いて送ると、日銀はそれを集計して発表するのです。例えば。7月2日に発表されたのは6月の調査の結果です。

   調査の中には、お金が借り易いか借り難いか、金利が上昇してるか下降してるか、また、材料の値段が安定してるか変動してるか、人手の調達が難しいか容易かなど、経済全般にわたってかなり広範囲だったことを覚えています。いずれにしても、日銀の金融政策や政府の景気対策の判断に影響を与えます。

   実は私は、経理部長の役職にあった関係で、この調査表を作成する役目で、この調査が国の経済を判断するために重要なことを自覚していた私は、出来るだけ正確を心掛け期限に遅れたことは一度もありません。すると、日銀からお礼のお菓子を送ってきて、社員みんなで食べたことを懐かしく思い出します。

追憶のシベリュウス第二番

   有楽町線要町駅近くにある名曲喫茶「ショパン」のオーナーで、音楽評論家の宮本英世さんの書いた「クラシック一日一名曲366日」の今日7月2日はシベリュウスの交響詩「フィンランディア」。1900年の今日、パリの大博覧会コンサートで初演さている美しい曲で大好きです。

   ところで、シベリュウスと言えば、これよりもっと好きな曲があって交響曲第2番が、突然、頭に浮かびました。というのは、何年か前のある日、「音楽とオーディオを語る会」の友人が、自分の母校の青山学院管弦楽団の定期演奏会のシベリュウスの2番のチケット持ってるとかでその誘いです。

   場所は初台の東京オペラシティ・コンサートホール、勿論、私は飛びついて、そのコンサートに行くことにしました。青学の交響楽団は前にヘンデルの「メサイア」を聴いたことがあり、いい演奏で感動した覚えがあります。当日、私は友人と初台駅で待ち合わせ、ワクワクしてホールの席に着きました。

   そして、その演奏の素晴らしかったこと。何しろ学生で生活の匂いがない若い演奏は、かって聴いたことがないような響きで、演奏が終わった後、しばし呆然として、席を離れることが出来ませんでした。プロの演奏と異質の青春を謳歌するシベリュウスの交響曲第2番をはからずも宮本英世さんが思い出させてくれました。

電圧100Vは日本と北朝鮮

   誰でも知ってる通り、日本の家庭用電圧は100ボルトで、この電圧を使っている国は、日本のほかに何と北朝鮮だけなのをご存知でしょうか。ちなみに、アメリカは120ボルト、イギリスは240ボルト、ドイツとフランスは230ボルト。韓国は1999年まで100ボルトだったのが現在は220ボルト。

   日本で始めて家庭向け交流送電が始まったのは1889年のことですが、その時の電圧はたったの52ボルトでした。当時のアメリカは110ボルトだったので、これと同じにしようとする動きはありましたが、国内の電球が100ボルト対応でかなり作られていたので、結局。100ボルトに決定し、現在に至っています。

   ところで、現実問題として困るのが、現在、使っている100ボルト用の電化製品を持って海外に行く場合です。海外と電圧が違うだけでなく、差し込みプラグも違います。従って、外国の電圧はほとんどが100ボルト以上なので、まず、電圧を100ボルトに下げる変圧器を用意し、差込みプラグの変換も必要です。

   それにしても、日本のネットは非常に親切で、《海外旅行に日本の電気製品を持って行く時に注意すること》というサイトがあり、かなり詳しく注意点が書いてあるので、これをお読みになるのをお薦めです。今や、なんでも便利になっていながら、まだ世界共通でない不便なことがあるのです。

« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »