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村上春樹氏の文章の魅力

   村上春樹氏が早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開業したことは、大抵の方がご存知でしょう。村上春樹氏が2011年に刊行した本に「雑文集」があり、《余白のある音楽は聴き飽きない》というタイトルの一文があって、この中でジャズ喫茶を始めた当時のことを書いています。

   氏は《いろいろあって、学校には七年くらい在籍していて、その間に結婚もして、でも就職するのが嫌だから自分で店を開こうと。親はもちろんそんなこと認めません。アルバイトをしお金を貯め、いろんなところから借金しまくって、東京郊外にある国分寺という街でジャズをかける店を始めた》。

   そして、このジャズ喫茶を七年間やったのです。その間に小説を書き始めいつしかプロの小説家になってしまったのですが、ジャズ喫茶にはかなり未練があったようで「店はけっこう軌道に乗っていて、お客さんもたくさんついていたし、やめるのは惜しかったですね」と書いています。

   つまり、村上春樹さんの小説が面白いのはベースに音楽があるからで、大好きなジャズを聴きながら書いた小説。価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。それが人によって違い僕の場合は音楽ですと。そうなんです。村上さんの文章の魅力は偏に音楽によって培われたからに違いありません。何という幸せな人生を歩んでいるのでしょうか!

「自動販売機」あれこれ

   街を歩くとコーヒーやジュースの「自動販売機」が眼に入らないことが無いくらい普及しています。ところで、ある本で知ったことですが、世界で一番最初に出来た「自動販売機」は約2500年前のエジプトの寺院に設置された「聖水自動販売機」だそうで、ネットにもあるその記事です。

   この仕組は上部の口にコインを投入すると、その重みで受け皿が傾き、コインが落下して受け皿が元の状態に戻るまでの間、出口の栓が開き聖水が出るのです。そして現在、自販機だけのコンビニがあるくらい自販機は普及し、缶ジュースや食物だけではなく、花や下着など実に様々な品物が売られています。

   また、一つの自販機で熱いものと冷たいものを一緒に売ることが出来る機能があるのは日本固有だそうで、狭いスペースを有効利用し、冷却の排熱を無駄にしない日本人の頭のよさが現れています。それに最近は「エコベンダー」と呼ばれる自販機も出ていて、電氣を多く使う夏場の午後は冷却運転を停止。

   その前にしっかり冷却しておく機能が備えられていて、こうすることで、発電所の集中した負担を避けているとは凄いです。ところで余談、一度、掛かりの人が自動販売機に何種類もの缶ジュースを収納している所を、偶然、目撃したことがありますが、その鮮やかな手さばきに驚愕した覚えがあります。

益々普及した「LED照明」

   電氣無くしては、われわれの生活は成り立たないと言っても過言ではないでしょう。その中で照明の主力だった「白熱電球」や「蛍光灯」に代わり、「LED照明」が照明の主役になりつつあります。何しろエジソンが発明した「白熱電球」は、どなたもご存知の通りエネルギーの無駄が大きかったのです。

   その代わりに登場した「蛍光灯」もやはりエネルギーの無駄は同じで、それに代わって現れたのが「LED照明」。これはLED(発光ダイオード)を光源とした照明器具の総称で、消費電力は一般的な白熱電球の約1割、蛍光灯と比べても、約3割しか消費しません。そして、寿命が何と約4万時間という凄さです。

   ともかく、LEDは様々な製品に組み込まれ利用されていて、CDやDVDが製品化出来たのもLEDのお陰だし、カーナビや液晶パネルなどのバックライトとしても大変な活躍をしています。ここにきて、照明としてのLEDが脚光を浴びたのは技術革新の賜で、その明るさが充分な照度を得られるようになったのです。

   今後、ますます多くの「明かり」に利用されるのは間違いなく、実際に交差点の信号、自動車のヘッドライト、テールライトなどでも、LEDが主役になりつつあります。これからはLED一色かというとそうではなく、「有機EL照明」という強力なライバルが現れているようで、人間の頭脳の容量は底なしです

多様な「オノマトペ」の世界

 ちょっと言語に詳しい方なら「オノマトペ」をご存知でしょう。日本語で言うと「擬音語」や「擬声語」。ネットに《「オノマトペ」の不思議な世界》というのがありますからちょっとご覧になって下さい。世界中のどの言語にも「オノマトペ」(onomatopoeia)は存在しますが、ことに日本語は「オノマトペ」が豊富です。

   その幾つかを紹介すると、まず「イライラ」で、草木のとげに由来し、使い方としては《試験勉強が思うように進まず「イライラ」する》。「ピカピカ」は光るさま、《靴を「ピカピカ」にする》。「ワクワク」は《期待で気持ちが高ぶり「ワクワク」する》。「ニコニコ」は《楽しそうな微笑みを浮かべ「ニコニコ」する》。

   また、動物の鳴き声のオノマトペの表現は、犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」、からすは「カーカー」、豚は「ブーブー」。そして、人間の笑い声は「ケラケラ」「ゲラゲラ」「クスクス」「ニアニア」「ニタニタ」などいっぱいあり、正に日本語ならではのオノマトペの宝庫と言っていいでしょう。

   そして、痛みを表現するオノマトペも「キリキリ」「ズキズキ」「ピリピリ」「ジンジン」「ズキンズキン」「チクチク」「ガンガン」とどんな痛みにも対応出来ます。《そう考えれば、オノマトペをもっと有効に活用した方が、はるかに円滑なコミュニケーションが可能になる。そんな独特な世界を作るオノマトペが好きである》とあります。

何だかかっこいい宇喜多秀家

   江戸時代、八丈島は流人の島で、慶長11年(1606年)に最初の流人、宇喜多秀家が流されて以来、幕末までに八丈島に流された流人の数は述べ1822人。そして、明治元年(1868年)の恩赦を含め約800人が赦免となり、島を出ていますが、約1000人が八丈島の土となってます。

   ここで、第1号の流人になった宇喜多秀家についてちょっと書くと、秀家は豊臣家五大老のひとりで、備前美作四七万石の領主。関ヶ原の合戦では豊臣方に分が無いことを承知していながら、秀吉の恩義に報いるため、西軍の武将として戦い、敗退した人物で、この結果を受けて、徳川家から出された処罰が八丈島の流刑。

   実は秀家の妻が前田利家の娘、お豪の方であったことから、島津家の助命嘆願があったことで、死罪にならずに済んでいます。これにより、秀家は妻と別れ、慶長11年(1606年)、息子二人と下男、息子の乳母、前田家から同行を命じられた医師など総勢13名で八丈島に渡ることになったのです。

   その数年後、「もしその気があれば、徳川家と話し合い、小さいながら一国を領することを取り計ろう」と前田家から密かな申し出があったのに、今さら徳川家の禄をはむ気はないと丁重に断り、。84歳で他界するまで、八丈島でひっそりと暮らし続けたそうです。宇喜多秀家、何だかかっこいい人物です。

煙草が印象的な二本の映画

   映画の一場面で、煙草を吸うところが最も印象に残ってる映画は何かと聞かれたら、躊躇なくアーネスト・ヘミングウエイ原作、グレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナー主演の「キリマンジャロの雪」を挙げます。酒場で、ジャズの生演奏(ベニー・カーター)を聴いてるペックがくわえた煙草に火をつけようとマッチをすります。

   すると、いつのまにか隣にガードナーがいて、口にくわえたまま煙草をペックの目の前に突き出し「火を……」と言う場面。当然、二人は一本のマッチに同時に煙草に火を付けます。こんなシーンを演出したヘンリー・キング監督凄いです。この映画、何度繰り返し観てるか解りませんが、いつ観てもしびれます。

   次は「第三の男」のラスト・シーン。長い道にジョセフ・コットンは置いてある荷車に寄りかかり、歩いてくるアリダ・ヴァリを待っています。アリダ・ヴァリはコットンの親友の恋人で、少し前にヴァリの恋人の埋葬が終わったばかりです。ヴァリは前を向いたまま無表情でただひたすら歩いています。

   ヴァリはコットンが立っている前にきても、眼を移すことなく、一瞥もないままに通り過ぎます、すると、コットンは懐から煙草を取り出してマッチで火を点けます。バックにツイターが「第三の男」のメロディを奏で「THE END」が出て映画は終わります。煙草が印象的な映画を二本紹介しました。やっぱり古い映画いいです。

巌流島の決闘の新事実

   宮本武藏と佐々木小次郎が戦った巌流島の決闘、そもそも、従来、伝えられてる話は武藏が約束の時間よりかなり遅れて巌流島に到着、つまり、武藏は同年代の小次郎をイライラさせる作戦だったというのです。結局、小次郎は焦った状態で戦いに挑み、一瞬で命を落としてしまったのです。

   ところが、ネットに「宮本武藏の新事実」という記事があり、それによると、巌流島にやってきた時の武蔵の年齢は19歳とも29歳とも言われていて、ともかく若いです。それに対して、小次郎は60代、人生50年と言われていた時代ですから、かなりの老人と言ってもいいでしょう。最初から勝負あったという年齢差です。

   また、遅れてきたと言われている武藏はまったく定刻に着いてるそうで、決闘に立ち会ったとされる武藏の養子の宮本伊織の書き残した碑文に武藏はちゃんと約束の時間に着いていると書かれてあるんだそうです。また、細川家の家老の沼田延元が話した内容を家来が書き残した「沼田家記」という記録があります。

  それによると、決闘の発端はどちらが強いかのいい争いになり、それなら巌流島で戦おうということになって、お互いに弟子は連れてこないという約束だったので、小次郎は一人で来たのに武藏は何人も弟子を連れて来たとか。そして、瀕死の小次郎のとどめをさしたのは武蔵の弟子たちとかですが真実は不明です。

生放送で痛恨の発言

   ネットの情報って何だか愉快です。NHKの有働由美子アナウンサーが、自分が司会している3月23日(金)の生放送番組「あさイチ」の中で初恋の男性の名前をついうっかり口にしてしまい、放送終了後に「8年間のどの失敗より痛恨」と悔いてるそうです。ともかく、生放送は取り返しがつきません。

   私はこの放送を観てないのですが、この日のゲストはシンガー・ソングライターの松任谷由実さん。有働アナは、好きな曲に「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」を挙げた上で、初恋の人。これって全部、初恋のストーリーを思い出す。中学のときの。この曲のなにが素晴らしいかと言うと出だし。

   「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」それだけで、その人のことずっと見てて、夕焼けでも見てて、くせのある歩き方だっていうのが…。好きな人の歌だって、あの一行で分かるのがすごいじゃないですかと力説。さらに剣道の年下の子。オオクラくんだったんですと発言してしまったのです。

   続けて「初恋の人の名前をオンエアで言ってしまいました。……該当者様、あのとき告白もしてないのに、30年以上も経って、驚かせてごめんなさい」と謝ったとか。もしかしたら、この番組を観てたオオクラくんから有働アナに連絡があったかも知れませんが、この後の話を聞きたいものです。ではその記事の全文です。

美容院の店名と「万葉集」

   月に一度、家内が髪をカットして貰っている美容院の店の名前が「ぬばたま」桜台店。世の中にはずいぶん洒落たネーミングを考える方がいるもので「ぬばたま」とはアヤメ科の多年草「緋扇(ひおうぎ)」の黒い実のことで、これを和歌の「黒」「夜」などの枕詞(まくらことば)として使っています。

   和歌といえば、約4500首の和歌を集めた「万葉集」。この中から「ぬばたま」が出てくる歌を二首紹介しましょう。《ぬばたまの 黒髪変り白けても 痛き恋には 逢ふときありけり》《ぬばたまの 夜渡る月にあらませば 家なる妹に 逢ひて来ましを》。1000年以上昔の人も現代人と少しも変わらずロマンチックだったこと。

   では、ウイキペディアによる「万葉集」のことを少し書くと《7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集です。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられています。

   日本文学における第一級の史料であることは勿論ですが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料になっています》。ネットに全20巻(約4500首)を載せてるサイトがありますので、和歌を存分に堪能なさって下さい。

寺島靖国氏が「MEG」を閉店

   吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー寺島靖国氏が2月11日に80歳になって、2月28日をもって閉店しました。幸いに「MEG」の名前を引き継いで経営してくれる人が現れたとはいえ、かって頻繁に行った店だけに何だか寂しいです。きっと、80歳になったら閉店しようと思ってたに違いないと推察しています。

   ところで、寺島靖国氏が自著の「JAZZリクエスト・ノート」の中に《「ワンス・アポン・ア・サマータイム」で思い出す愛らしい女性常連客を失ったあの夏の思い出》というタイトルのエッセイを書き、寺島さんがレコードをかけながらこんなことをしていたのを、全国のジャズ・ファンにどうしても紹介したくなりました。

   寺島さんの文章をそのままコピーすると《白状するとその頃ぼくはお客一人一人に等級を設けていた。レコード室から見ているとお客の聴き方や仕草によってどのくらいジャズが好きかがわかる。好きな順からA→Eの五ランクにわけていたというわけである。その女性は、たぶんD級くらいだった。

   たまに女性ボーカルがかかると本から目を上げた。そのレコードを目ざとく覚えていて次に彼女がくると裏面をかけて精一杯のホスピタリティを示した》。そんなレコードの中の一枚にこの「ワンス・アポン・ア・サマータイム」があり寺島さんは失敗して彼女のご機嫌を損ねたとか。寺島さん、48年間本当に有り難うございました。

全編が会話だけの恋愛小説

   文庫本で読んで、恋愛小説の傑作と思った鎌田敏夫さんの「恋愛小説」の単行本を古本屋で見つけ買ってきました。やっぱり、単行本には文庫本にない格調があり、すでに何回か読んでいる小説ですが、この際、久しぶりにまた読み直したくなりました。何しろ、この小説のスタイルはほかに例を見ない独特のものです。

   ともかく、テレビで何本もヒットしたトレンディ・ドラマの達人、鎌田さんならではの小説と言っていいでしょう。何しろ、最初から最後まで一行も説明文がなく、全編が会話だけなのにどこにいて、どんな状況か解るのです。その会話の主は36歳のバツイチの建築家と20代の上場会社の独身のOLの二人だけ。

   そして、小説は、過去、ヒットした恋愛映画「プリティ・ウーマン」「シー・オブ・ラブ」「月の輝く夜に」「恋人たちの予感」「旅愁」「愛がこわれるとき」「恋におちて」「昼下がりの情事」「ナインハーフ」「マンハッタン」の10章に分かれ、会話の中にこの映画の話題が出てきます。でも、読んでいて観てる観てないは関係ありません。

   ちょっと、小説の出だしを書くと「話って、何?」「加奈子のこと、あきらめてあげて欲しいんです」「え?」「加奈子、結婚することになったんです……ちゃんとお話しないといけないって、彼女も思いながら、なかなか言いだせなくて……私、気持ちを伝えてくれって、加奈子に頼まれてきたんです」「加奈子って、誰?」「え?」「知らないよ、加奈子さんなんて」「あの……小島さんじゃないんですか?」「ぼくは、森山直文」。何とか手に入れるか図書館で借りて、是非、お読みになって下さい。絶対に読む価値があります。

期待大きい川澄選手の加入

   ネットを見ていたら、日本の女子サッカーがW杯で優勝した時のメンバーの一人、川澄奈穂美選手が日本代表「なでしこジャパン」に2年振りに復帰したことが出てました。川澄選手は3月20日に自身のブログを更新し、ファンからの祝福コメントに大変に感謝していることを書いたようです。

   日本協会は3月19日、東京都内で来年の女子W杯フランス大会予選を兼ねたアジア杯(4月6日開幕、ヨルダン)に出場する代表23人を発表、高倉麻子監督は川澄選手について「経験も勝負強さもある。チームを締めてもらいたい」と期待を寄せているようですが、チーム最年長の川澄選手、大いに期待出来そうです。

   ともかく、川澄選手は「朝起きてコメント見たら、いつもよりすごく多くて、あたしなんかやらかしたかと思ってたまげました」と代表復帰の反響の大きさに驚いている様子。更に「高倉監督になってから、初招集ではありますが、今までやって来たこと、今の自分の全てを代表に捧げてチームに貢献出来るように頑張ります」と。

   そして「ところでどうやら私、今回チーム最年長らしいです。最年長らしく、お局プレーヤーたちには差し入れを多めに渡して上手くチームに溶け込みたいと思います」とユーモラスにまとめたようです。恐らく川澄選手の加入はチームの雰囲気が大きく変わり期待出来そうです。これがネットの写真入りの記事です。

オーディオ装置に満足の36年

   このところ、すっかりジャズ喫茶にご無沙汰です。というのも、あまりお金を掛けていなくても自分のオーディオ装置の音にすっかり満足してしまったからかも知れません。ともかく、一時、スピーカーを何度も何度も変えたことがありました。気がついて見ると、押入の中に使ってないスピーカーの山。

   何しろ、かって秋葉原はオーディオ好きにとってまるで天国のような場所で、会社が休みの日には、、オーディオ雑誌を片手に持って朝一番に家を出て、手頃の値段で買える秋葉原中のスピーカーを探し回ったと言っても過言ではありません。当時から私の好みはパイオニアのスピーカーで、一時、コアキシャルにコリました。

   コアキシャルとは、ウーハー(低音)の中心にツイッター(高音)が付いてるスピーカーで私が最も好きだったのがパイオニアのPAX-25A。これを長いこと使ってほぼ満足していたのに、ある日、同じパイオニアの完成型のスリーウエイ「S-180A」を聴いてあまりにも私の好みに一致しているのに驚愕。

   早速、愛用の自作のスピーカー・ボックスにセットして使っていたPAX-25Aと決別して、S-180Aに変えて約36年。他のスピーカーに変えたい気持はまったく起きずに、クラシックもジャズも大満足しています。吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」四ッ谷の「イーグル」も本当にごめんなさいです。

芸能人カップルの「相聞歌」

   ブログを10年以上アップしてると、前に書いた覚えがあるテーマで、文章を変えてまた書きたくなることがあります。つまり、自分自身によるリメイクです。というのは、本箱で、梯久美子著「世紀のラブレター」と言う本が眼に留まり、手に取ったら出てき来たのが美空ひばりと小林旭の有名な「相聞歌」。

   二人が盛大な華燭の典を挙げたのは昭和37年(1962年)、ハデな結婚式の元祖のような芸能人カップルでしたが、その二人が「相聞歌」のやりとりなどというゆかしいことをしていたのです。「相聞歌」とは愛する二人が取り交わす恋の歌で、「万葉集」にもいっぱいあります。

   まず、美空ひばりが詠んだ歌が「我が胸に 人の知らざる 泉あり つぶてをなげて みだしたる君」これに対する小林旭の返歌は「石を持ち 投げてみつめん 水の面 音たかき波 立つや立たずや」。どうです。最初に小林旭がひばりの泉に石を投げ、動揺した心のうちがよく出ているでしょう。そして、返事を待つ小林旭。

   著者の梯さんは、こんなことを書いてます。《自分の胸の中にはだれにも知られぬ泉がある、という表現は、幼い頃から人目にさらされてきた半生を思うと、切実なリアリティがある。その秘めた泉に、石を投げ込んだのが、突き抜けた明るさと強引さを持つ小林旭。美空ひばりは後年、小林旭との恋愛は、生まれて初めて経験したロマンティックで盲目的な恋の日々だったと述懐している》と。何だか悲しいです。

福島で発見された恐竜の化石

   ある本によると、とてつもなく古い話ですが、地球の約2億5000年前から6500万年前までを中生代と呼ばれ、大きな地殻変動がなく、陸地には大型の爬虫類や恐竜が生息してました。この時代に日本列島にも恐竜が生きていたことが初めて解ったのは1968年(昭和43年)のことです。

   福島県いわき市大久町板木沢で、当時、高校二年生だった鈴木直氏が大久川の左岸に露出していた双葉層群の玉山層と呼ばれる地層から化石を発見したのです。この化石は幸運なことに、頸椎と尾椎以外の主な骨格はすべて保存されており、世界的な大発見としてこの化石は「フタバスズキリュウ」と命名されました。

    しかし、これは厳密には恐竜ではなく、恐竜と同じ時代に生きていた爬虫類だったのです。とはいっても、一般的には首長竜は恐竜と呼ばれているので「フタバスズキリュウ」も恐竜の一種と言っても差し支えないのだそうです。こういったことから、双葉層群は古生物学者や地質学者の注目を浴びたのです。

   そして、1926年(大正15年)には東京大学の徳永重康と清水三郎の学者が詳細な調査内容を「徳永清水論文」というタイトルで発表しました、これはその後の研究者やアマチュアたちにとって貴重なマニュアルとなり、「フタバスズキリュウ」以後の恐竜化石発見者達のバイブルになっています。

勝っていた将棋なのに「投了」

   将棋の名人への挑戦権がかかった順位戦、一番下のクラスから紹介すると、C級2組、C級1組、B級2組、B級1組、A級の5クラス。プロ棋士は、毎年、クラスごとの総当たり戦を展開し、勝率が高い2名が上のクラスに進級、勝率の悪い2名が下のクラスに降格、A級の最高勝率の1名が名人戦の資格を得ます。

   従って、プロ棋士にとって一勝の重みは大変なものです。それが、今年のC級2組の順位戦で大変なことが起きました。それは、増田康宏五段(20)と神谷広志八段(56)の一戦。対局は午前10時に始まり午後10時45分になって、同じ手順が繰り返されて決着がつかなくなる「千日手」が成立です。

   30分後に指し直し局が始まり、終盤まで競り合いが続く展開となり、双方、持ち時間を使い果たし、1手1分未満で指さないといけない1分将棋。増田五段は、相手の玉将を窮地に追い込む手を指しましたが、自分の王様にツミが生じてしまったのです。ところが、神谷八段はそれに気づかずに何と頭を下げて投了(後の映像)

   つまり、勝っていた将棋なのに、自ら負けた意思表示をするという思いもしないことが起きたのです。詰みの手順には、増田五段も気づいていなかったようで、増田五段は本当に良かった」と胸をなで下ろしていたそうです。では、その棋譜がネットにありますから、神谷八段の痛恨の一局をご覧になて下さい。

15の独裁国家の潜入記

   世の中には凄いことを書く人がいるもので、本屋の店頭で見つけた本のタイトルは「独裁国家に行ってきた」(彩図社)。MASAKIという日本人が書いた15の独裁国家の潜入記です。著者のプロフィールを読むと愛知県出身で札幌大学卒業の1981年7月29日生まれの36歳、海外専門の旅行・ライターです。

   この本に登場する国は「トルクメニスタン」「リビア」「ジンバブエ」「サウジアラビア」「ベネズエラ」「キューバ」「ベラルーシ」「シンガポール」「ナウル」「コンゴ共和国」「ブータン」「リベリア」「シリア」など15ヶ国。今回はこの中から、「サウジアラビア」のお店がお祈りの時間になると完全にクローズする話を紹介します。

   何しろ約30分、どんな店でも完全に閉まるのだそうです。クローズしないと法律違反になり、もし下手に店を開けたら宗教警察に通報され、営業停止処分を受けるのは間違いなし。ジェッダの街には多くのショッピングモールがあり、メッカの現在が解るようにモニターが設置さているのだそうです。

   また、イスラムでは男性は女性にみだりに近づいてはいけないとされ、マクドナルドやスターバックスのような外資系チェーン店でさえ、購入するカウンターが男と女は仕切られているのだそうです。ともかく、著者が経験した面白い話が満載で、発刊されたばかりのこの文庫本、一読ををお奨めします。

超々名器「ストラディヴァリ」

   クラシック音楽がお好きな方なら、ヴァイオリンの名器「ストラディヴァリ」を知らない人はいないでしょう。中川右介著「クラシック音楽の歴史」(七つ森書館)によると、十七世紀後半から十八世紀にかけて、イタリアで弦楽器を製作していたアントニオ・ストラディヴァリが作ったヴァイオリンで、現存するのは約600。

   そして、一丁何千万円から何億円もして、中には25億円もしたものもあり、オックスフォード大学のアシュモリアン博物館が所蔵しています。これは、これまでに演奏したことがない新品同様ということだけでこんな高い評価になったので、いい音だという評判によってではありません。

   一流演奏家はお金持ちが多いと言っても、何千万円もするヴァイオリンを買える人は限られていて、そこで、ストラデヴァリは財団や銀行が買って所有し、それを一流のヴァイオリニストに貸与するシステムが生まれています。しかし、世の中にはコレクターと呼ばれる人がいることを忘れてはいけません。

   この高額のヴァイオリンを集め、秘蔵して眺めて楽しむ人に買われたら、折角の名器も音を出さないままに保管されていることもあり得ます。それに楽器の場合、高額のヴァイオリンであれば誰が演奏しても「いい音」が出るわけではなく、ことに「ストラディヴァリ」は演奏が難しいことでも有名だそうです。

「-」と「+」の二種類のネジ

   ドライバー、つまり、ねじ回しにはプラス(+)とマイナス(-)があるのは誰でもご存知でしょう。歴史は、勿論、マイナスの方が古く、日本に初めてドライバーが現れたのは1897年(明治30年)だそうで、それから約50年間はマイナスだけでプラスのドライバーは有りませんでした。

   それが、1935年(昭和10年)にアメリカのフィリップ社がプラスのネジを開発して特許を取り、日本人が初めてプラスのネジを見たのは、戦争中に墜落したアメリカ軍の戦闘機を解体した時だったと言われています。機能面で比較すると、プラスの方がメリットが多く、十字の中心にドライバーが ぴたりとはまるのです。

   従って、ずれが少ないので安定性が高く、接触面が大きいので大きな力が掛けられ、更に複数のネジを締め上げた時、マイナスのように縦になったり横になったりして方向が揃えにくいのを解消し、きれいに見えます。また、コスト面でもプラスのネジに軍配があがり、30%~40&安く出来ます。

   ただ、プラスのネジのデメリットは水滴がたまり易く、サビが早いことがあるのだそうですが、メリットを考えると、小さな問題だとか、プラスのネジとドライバーは1954年(昭和29年)にはJIS企画に採用され、いまや主流となったのです。では、詳しいことはこのサイトをお読みになって下さい。

2本のオムニバス映画の傑作

   フランス映画の巨匠、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は1937年に「舞踏会の手帖」、そして、1942年に「運命の饗宴」の二本のオムニバス映画を制作しています。ご存知のようにオムニバス映画とは一つの同じテーマをベースにした幾つかの話を集めた映画で、前者のテーマは「青春時代に踊った相手」、後者は「燕尾服」。

   「舞踏会の手帖」は夫が他界し、家の中を整理していて、偶然、眼に留まったのが青春時代に舞踏会で踊った相手の住所が書いてある手帖。彼女はこの機会にこの手帖を頼りにそれらの男性に会うことを思いつき、尋ね歩くのです。そして、月日の流れの虚しさや儚さを感じさせるる7つの話。

   そして、もう一つの「運命の饗宴」はフランスを離れアメリカのハリウッドで撮影されたもので、出演している俳優もリタ・ヘイワース、ジンジャー・ロジャース、ヘンリー・フォンダ、チャールズ・ロートン、エドワード・G・ロビンソンなどアメリカの俳優ばかりで、フランスの俳優としてはシャルル・ボアイエぐらいです。

   ともかく、一着の燕尾服が次から次に人手にわたっていく話が6話。中で、私が好きなのは、オーケストラの貧乏な指揮者の奥さんが中古屋で買ってきて手直しした燕尾服で指揮しているうちに破れ、ボロボロになってしまい、やむを得ず脱がざるを得なくなると、観客がみんな上着を脱ぐ話。是非、ご覧になって下さい。

江戸時代に繁盛した「損料屋」

   江戸時代に「損料屋」と呼ばれるレンタル業者が存在し、そこの主力商品が「ふんどし」だったとは驚きです。そもそも、現代人にとって下着をレンタルするなんてとても考えられませんが、江戸時代の「ふんどし」は高価な物で、男性も着物の下には何も付けてないのが普通だったのです。しかし、武士はそうはいきません。

   何しろ、一般的な6尺「ふんどし」の値段が250文もして、今の貨幣価値にすると5000円で、かなりの高級品だったのです。従って、身分の低い下級武士には「ふんどし」は簡単には買えずに「損料屋」に行って借りて使っていたのです。つまり、「ふんどし」が主力の損料屋はとても繁盛していたのです。

   というのは、当時の江戸の街は女性が55に対し男性は100で圧倒的に多く、街は独身の男性で溢れていました。独身とあれば炊事、洗濯を自分でしなければなりません。しかし、武士が自分の「ふんどし」を洗っている姿を見られるのは相当の屈辱だったようで、、ここにこんなことが書いてあります。

   《江戸の長屋では、洗濯は外にある共同の井戸脇で行われるのが一般的です。洗濯をする長屋の女性たちに交じって、大の男が自分の「ふんどし」を洗うなどというのは、武士として耐えがたきことだったと思われます》。そこで、武士は「損料屋」に行って「ふんどし」を借りてきたのです。詳しい事はこの記事お読み下さい。

驚くべき偶然

   ドイツのお菓子屋「ユーハイム」に「フランクフルタークランツ」という、滅法、美味しいお菓子があるのをご存知でしょうか。別に「ユーハイム」は親戚でもなく、何ひとつ貰っているわけではないのに、このお菓子ばかりは、私の友人や知人にどのくらい宣伝したか解りません。そして、こんな話がしたくなります。

   二人だけの「音楽とオーディオを語る会」の友人の家に初めて伺ったかなり前のことです。初めて訪問するわけですから、手土産に何を持って行くか散々迷った末に、決めた品物がこの「フランクフルタークランツ」です。何しろ、何人もの人から「これは美味い」というお墨付きを貰っているお菓子です。

   このお菓子なら、友人も間違いなく喜んでくれると、友人と待ち合わせした田園都市線の青葉台駅に降り立ったのです。改札口の前で私と顔を合わせた友人は、こう言いました。「ちょっと駅ビルに寄らせて下さい。そこでお茶菓子を買っていきたいのです」と。勿論、私は友人の後をついて行きます。

   すると、友人の入っていった店は何と「ユーハイム」。そして、店から出てきた友人は私に《恐らく「ユーハイム」の「フランクフルタークランツ」を食べたらあまりの美味しさに驚きますよ。家族全員がこのお菓子のファンなんです》と言うではないですか。世の中には星の数ほどお菓子の種類があるのに、二つの家庭が好きなのが同じとは。二人は顔を見合わせて絶句した覚えがあります。

「自動運転」の様々な課題

   交通事故を解析すると、運転手の「認知ミス」「判断ミス」「操作ミス」がほとんどで、この問題を解決する切り札が「自動運転」で高齢化社会における安全な移動の解決策と言われています。「自動運転」のレベルについては、アメリカの非営利団体「SAE」がレベル0~5の6レベルに分けています。

   涌井良幸、涌井貞美兄弟の共著「すごい技術」によると、レベル3以上は「運転操作の責任を車が持つこと」にして、2017年7月にドイツの「アウディ」が世界で初めてレベル3に対応する自動運転機能を搭載する市販車を発表して注目を集めました。ともかく、「自動運転」には、車の目や耳となる検知機能が要求されます。

   また、「自動運転」の実現には高精度の位置情報が欠かせません。2017年に4機目が打ち上げられた準天頂衛生「みちびき」は数センチの誤差で位置の特定を可能にしていて、この電波が届かない地下の対応が必要です。また「自動運転」に特に重要なのは人工知能(AI)と言っていいでしょう。

   「自動運転」の実現は、社会的にも様々な影響があり、万一、事故が起きた時の法律上の責任は誰になるのかの問題、制御用のソフトウエアが悪意を持ったハッカーに乗っ取られないようにするための対策をどうすべきかという課題もあります。住所を入れるだけで到着する自動車がいつの日か実現するのでしょうか。

大ヒット商品「コカ・コーラ」

   日本にも「コカ・コーラ」がお好きな方はいっぱいおられるでしょう。独特の味わいで人気がある「コカ・コーラ」は、歴史ミステリー研究会が編纂した《一般人は入れない立入禁止地帯》(彩図社)という本によると、世界200以上の国で販売されていて、驚くなかれ、毎日、18億本が売れているそうです。

   世界のどこの街でも飲むことが出来る「コカ・コーラ」は1886年5月にアメリカのジョージア州で誕生し、120年以上経った今でも発売当時の味を守り続け、誰でも、一体、どんなレシピの元に作られているのだろうかと思いますが「コカ・コーラ」のレシピを書いた一枚の紙があるそうです。

   それは、ジョージア州のアトランタにある「ワールド・オブ・コカ・コーラ博物館」の保管庫に、厚い鋼鉄の扉といくつもの防犯カメラに守られながら、厳重に保管されているというから凄いです。1886年、薬剤師のジョン・ペンバートンという人物が、アフリカで採れるるコーラの実を配合して作った「コカ・コーラ」。

   最初、彼は甘い香りのするそのシロップを地元の薬局で疲労回復や頭痛を和らげる健康ドリンクとして売り始めました。しかし、原料として使っていたコカの葉に含まれているコカインが法律で禁止されたためにレシピがら取り除き、エイサ・キャンドラー氏がコカ・コーラ社を創業し、最高のヒット商品になったのです。

肥満体だったシューベルト

   シューベルトの作曲した音楽には、肥満体のイメージはあまり感じないでしょう。ところが、ある本でシューベルトは非常に太っていてそれを気にしてダイエットしたことを知りました。幼い時から才能をのぞかせたシューベルトは、僅か11歳にして王室礼拝堂の聖歌隊員に採用され、国立神学校で音楽教育を受けてました。

   シューベルトの父親は、初等学校の経営者で、家庭は割合と恵まれていて、17歳の頃から作曲を始め「野ばら」「魔王」と言った代表作を若い時期に生み出し、音楽家として歩く道を決めました。そして、同じように音楽の道を進む友人や文学青年と交流を持ち、社交界で自由な生活を送り続けたのです。

   そのため、規範も制約もない野放図な生活が肉体に現れ、友人たちから「ビア樽」とからかわれる肥満体になってしまいました。しかし、シューベルトはそれを反省し、ダイエットに取り組んだのです。その方法は、水分もあまり獲らず、食べ物も口にしない過激さで、わずか数週間でダイエットに成功。

   その間、空腹をまぎらせるために作曲に没頭し、叙情詩にメロディをつける歌曲をいっぱい作りました。この不摂生な生活を長く続けたせいか、シューベルトは僅か31歳でこの世を去ってしまったのです。それにしても、「ビア樽」のようなシューベルト、ネットのこの記事をお読みになって下さい。

ヒッチコック監督の幻の映画

   先日、WOWOWでアルフレッド・ヒッチコック監督と映画評論家で映画監督のトリュフォーの対談のドキュメンタリー映画「ヒッチコック/トリュフォー」をブログにアップしました。その時に宣伝していたヒッチコックが脚本までほぼ完成していながら中止した幻の映画のドキュメンタリーを放映したので録画して観ました。

   ヒッチコック監督の最後の作品は「ファミリー・プロット」ですが、その後にヒッチコックはイギリスのスパイ小説「ショート・ナイト」が気に入り、映画化を考えていたのに理由はよく解らないで何故か中止してしまったのです。そのドキュメンタリーは、かなり詳しく、その作品の内容を紹介していました。

   ネットにもこの映画についての解説があるので書き出すと《キャストの選考も進められ、資金もスタジオも準備万端。だが、この作品は撮影されなかった。…その小説の作者はロナルド・カークブライド、ソ連のスパイがイギリスの刑務所から脱獄した実話をもとにしたスパイスリラー》です。

   ヒッチコックは人生の集大成のような映画を撮りたかったようで、当初、脚本を「北北西に進路を取れ」の脚本家アーネスト・レーマンに依頼しましたが、出来栄えに満足せずに若手のデヴィッド・フリーマンに変えました。かなり、意欲的だったのに、ヒッチコック・ファンとしてはとても残念です。

「グーグル」の役に立つ活用術

   検索エンジン、Googleには遊びごころがあり、ちょっと「Google裏技10選」を検索して見て下さい。例えば「一回転」を入れて検索すると、一回転の意味が一回転して出てきます。また、「インターネット速度テスト」はインターネットの速度を表示してくれますが、速度を知っても何に利用するかは解りません。

   「ATARI breakout」を入力し、検索すると、あの懐かしいゲーム「ブロック崩し」を遊ぶことが出来ます。この「ブロック崩し」は単純なものですが、かって「ブロック崩し」には色々なバージョンがあって、ボールが裏側に回ってブロックを崩すのもあり、時間を忘れて熱中したものです。

   そのほか、たとえ有名人でなくても、自分の氏名を入れて検索してみるのも面白いです。「グーグル100%利用術」(朝日新聞社)に《自分の名前を検索するのは、インターネットにおける自分の安全を確認する作業》と書いてあります。もしかしたら、同姓同名の凄い人物がこの世に存在しているかも知れません。

   また、朝一番に「グーグルニュース」を検索するのも非常に役に立ちます。セクションが[トップニュース][国内][国際][ビジネス][政治][エンタメ][スポーツ][テクノロジー]に分かれていて、今朝、[スポーツ]を見たら《イチロー、マリナーズ復帰へ6季ぶり》とありました。何だかとてもいいニュースです。

ジャック・ルーシェの近況

   音楽が全体的にお好きな方なら、ジャック・ルーシェをご存知でしょう。バッハのジャズ演奏で、一躍、名が知れたフランスのピアニストで、私など、すでにCDを数十時間聴いてると言っても過言ではないかも知れません。しかし、年齢は83歳、最近はどうしているかネットで「ジャック・ルーシェの近況?」で検索してみました。

   しかし、近況らしき情報は何も出てこないで、新しいCDの発売も、世界のどこかでのの公演情報も見当たりません。仕方がないので、古いCDを聴くことにしました。まず、何と言ってもルーシェを有名にした「プレイ・バッハ」(時間があれば1時間24分をどうぞ)、まるでバッハ自身がジャズにアレンジしたような演奏です。

   次に取り出したのはショパンの「夜想曲」をジャズにアレンジ(この演奏だけはトリオではなくてソロ)して、演奏しているCDです。もし、音楽はクラシック一辺倒で、ジャズに踏み込めないでいる方にお奨めのCDです。ともかく、ショパンの「夜想曲」全曲がいつも聴いてるのと違うのに驚くでしょう。

   きっとクラシック音楽を、長年、聴き込んでる方は、クラシックとジャズの鍵盤タッチの微妙な差を大いに楽しめて、もしかしたら、ジャズの扉を開くきっかけになるかも知れません。作曲者のショパンだって、まさか、こんな風に「夜想曲」を弾くピアニストが現れるとは夢にも思わなかったに違いありません。ルーシェ、大好きです。

ヒッチコック映画を語る映画

   3月1日の午後11時、WOWOWで「ヒッチコック/トリュフォー」というドキュメンタリー映画の放映があるのを知り、録画して観ました。今から37年前の1981年、晶文社から「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」という分厚い本が出版になり、ヒッチコック・ファンの私は大切に持っていて時々眼を通しています。

   実はこの本、ヒッチコック監督の熱烈な陶酔者で、フランスの映画評論家で監督でもあるフランソワ・トリュフォーがアルフレッド・ヒッチコック監督にお願いして、ヒッチコック映画を凄い時間を費やして、語りに語った対談を全359ページの本にまとめたもので、ほとんどが「H」と「T」の発言で埋まっています。

   この映画は、この本を映像化したもので、ヒッチコック映画が次から次に出てきてトリュフォーの質問にヒッチコック監督が答えたり、トリュフォーも評論家で映画監督の立場から色々な意見を言ってます。また、有名な映画監督10人がヒッチコックの「映画術」を語ったりで、1時間30分があっという間に過ぎ去ります。

   映画を観た後、本を見たら訳者の映画評論家山田宏一氏が「あとがき」に《ヒッチコック(全作品リスト)ほど徹底的に「恐怖」を描きつづけた映画作家はいない。ヒッチコックは気味のわるい話でひとを怖がらせるのが三度の食事よりも好きである》と書いています。持っているDVDを改めてみんな観直したくなりました。

講座の講師をした加藤九段

   このところ、何かとテレビに露出が多い将棋の加藤一二三九段(驚く伝説の数々)ですが、昨晩の「朝日新聞」夕刊にこんな記事がありました。東京の聖イグナチオ教会には挙式するカップルを対象に三ヶ月の「結婚講座」があるんだそうです。クリスチャンの洗礼を受けている加藤九段、教会とエンがあると見えます。

   加藤九段が43歳の現役パリパリの棋士だった時、この教会からこの講座の講師を奥さんと一緒にして欲しいという依頼があり、奥さんが「視野が広がり将棋の役に立つと思う」といって乗り気だったので引き受けたのだそうです。加藤九段はインタビューに答えてこんなことを言ってます。

   《謙虚に耳を傾ける姿勢は大事。若い人たちの考えに触れることが出来て、たくさんの発見がありました。男女は全く平等なものだということは、、講座でも言っています。男尊女卑も女尊男卑もいけません。もちろん、生活の中では、それぞれの役割はあると思います。例えば僕は料理が出来ない。

   でも買い物とか、出来ることは極力やってきた。そして、配偶者への感謝を公に言うことも大切だと思います。女の人へのメッセージは、自分は自分と割り切ること、他人の欠点を大きく見ないこと、「こうあるべきだ」という考えに縛られないこと。賢さと謙虚さ、そして柔軟な精神を持って欲しいです》と。加藤九段いいです。

「女性専用車両」のトラブル

   テレビを観ていたら、「女性専用車両」のことを論じてました。どうやら、その番組は、「女性専用車両」に何人かの男性が乗り込み、女性の「降りて下さい」の激しい声に応じる気配がなく、その押し問答に時間を取られ、電車が遅れたことを報道してました。男性が降りない理由としてこんなことを言ってます。

   何も「女性専用車両」に男性が乗ってはいけない法律が存在することではなく、鉄道会社は乗客にご協力を願っているだけなのに、それを通してしまうから、男性を痴漢扱いする風習が消えないと息巻いています。テレビが40歳代の男性にインタビューしてる映像が映されていましたが、その男性は実に堂々としてました。

   私は、その映像を見ていてきっと家族に厳しく怒られているのではないかと思いました。女性は、安心して電車に乗っているのに、何も「同じ料金を支払っているのにこの車両に乗るなとは失礼千万」とか「男性を痴漢と見る風習が消えない」などと言って、多くの女性相手に本気で争っている男性の存在にはびっくりです。

   ところで、ネットに「日本の女性専用車両」のウキペディアがあり、そこには《国土交通省は「鉄道事業者において、輸送サービスの一環として導入された女性等に配慮した鉄道車両」と定義していて、男性利用者の自発的な協力をもとに成り立っているもので「男性の乗車を禁止する法的根拠はない」と確かに書いてあります。

人生初めての骨折とギブス

   生まれて初めて骨折し、医師の誠に鮮やかな手さばきでギブスをつけて貰いました。話は1月25日に遡ります。特別に寒いこの日の朝、家内がキッチンの蛇口をひねってもお湯も水も出ずに私に訴えます。私は「瞬間湯沸器」が凍ったものと判断し、外にあるマシンを見ようと、サンダルをつっかけて外に飛び出しました。

   家の周囲には1月末に降った雪が凍って残っていました。当然、危険な状況への対処を充分にしなければならないのに急いでいたために注意散漫で、滑って尻餅をついた時、体重のすべてを乗せて左手を地面についたのです。私はそのままにしておいても、時間が経てば治ると軽く見てました。

   ところが、翌日の金曜日の夕方になって手の甲が腫れて赤く充血しています。いつも行く総合病院に行こうにも土曜、日曜ではどうしようもなく、月曜日の朝をひたすら待つしかありません。月曜日の朝、整形外科で診察して貰い、レントゲンを見た医師は「手首が骨折しています。手術するかギブスのギリギリの所です」。

   私は即座にギブスを選択し、医師への質問「全治、どのくらいでしょうか?」医師「一ヶ月ですね。でも厳密にいうと一ヶ月半」。左手が使えないとてつもなく不自由を味合いながら日々が流れます。そして、2月23日、医師の「レントゲンで見ると骨の具合がよさそうなので、今日、ギブスを取りましょう」で、人生を取り戻したのです。それこそ「第九」を高らかに思い切り鳴らしたい歓喜でした。

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