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2017年の幕引きのご挨拶

   今年も大晦日が到来し、恒例の幕引きのご挨拶を致します。日本にとっても、世界にとっても、色々なことがあった2017年が、名残惜しげに手を振りながら、もうすぐ立ち去ろうとしています。何しろ、毎日更新をモットーにしている私のブログは、目標通りに一日も欠かすことなく終わろうとしています。

   これは偏に、決めたことは何としても実行したい私のこだわりと、一年間、健康を維持した賜で、2006年にスタートしてから、この記事が何と4,185件目。何はともあれ、晴れの日も雨の日も毎日更新を続けた着実な積み重ねの結果と言ってよく、よくぞ書いたと自分で自分にびっくりです。

   ところで、ブログを始めてから、朝、パソコンの電源を入れると、真っ先に気になるのは前日のアクセス数で、プロバイダーのニフティさんの集計テーブルを見るのが日課になってしまいました。それが前日に比べて増加していると嬉しくなり、減少していると落胆するのはテレビ局の上の人と恐らく同じ心境です。

   ともかく、読んで下さっている方が退屈しないように気を使っているつもりですが、決して意の如くにはなっていません。でも来年も精一杯頑張ろうと思っていますのでどうぞよろしくお願い致します。では、江戸時代の俳人井原西鶴の有名な一句「大晦日 定めなき世の 定めかな」で今年の締めと致します。いい年をお迎え下さい。

年の瀬に友人からの贈り物

   一昨日、暮も押し詰まった渋谷の街で、友人との二人きりの今年最後の「音楽とオーディオを語る会」の例会を開催しました。そこで友人が私にプレゼントしてくれたのは安田祥子と由紀さおり姉妹の全16曲の「スタンダードな日本の歌」。いい歌が何曲も収録さているCDでブログに書きたくなりました。

   その中から3曲だけ紹介すると、まず、西田佐知子が歌ってヒットした「アカシアの雨がやむとき」。《アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい 夜が明ける日がのぼる 朝の光りのその中で 冷たくなった私を見つけて あの人は 涙を流してくれるでしょうか》切ない歌詞とメロディがあたりに流れます。

   次の2曲目も私が好きな「」。友人は私にCDを渡す時、「これペギー葉山よりいいですよ」の一言、家に帰って聴くと正にその通り。《二人暮らしたアパートを 一人一人で出て行くの すんだ事なの今はもう とてもきれいな夢なのよ……》。破局した情景が脳裏に鮮明に浮かび上がります。

   そして、3曲目はちあきなおみの歌った「喝采」。《いつものように幕が開き 恋の歌うたうわたしに 届いた知らせは 黒いふちどりがありました あれは三年前 止めるアナタ駅に残し 動きはじめた汽車に ひとり飛び乗った ひなびた町の昼下がり……》。何とも言えない哀愁感が漂います。年の瀬の贈り物、友人に感謝です。

マラソン競技の起源と距離

  マラソン競技の距離が42.195メートルという半端な理由をご存知でしょうか。これを知るためには、マラソンの起源に遡らないといけません。そもそも、マラソンはアテナ軍とペルシャ軍が戦ったマラトンの戦いで、アテナ軍の勝利を伝えるためにある兵士がアテナまで約40キロを走ったのです。

   ところが、その兵士は完全武装だったために非常にハードで、アテナに到着すると同時に「我等勝てり」と叫びながら絶命。この故事を元にマラソン競技が考えられたのですが、第1回のアテネ・オリンピックでは距離は40キロで、そのまま第3回まではこの距離で行われていました。

   そして、第4回のロンドン・オリンピック大会の時に、計画では国王の住むウィンザー城の正門からスタートして、メイン・スタジアムでゴールする40キロのコースで行うことになっていたのです。ところが、王女が権力者のわがままで「マラソンのスタートを自分の部屋の窓から見たい」と言いだしたのです。

   そこで、スタートする場所を城の正門前から王女の部屋の窓の下まで延長せざるを得なくなり、その距離がなんだかんだで2.195キロ。この大会よりマラソンの距離は42.195キロメートルに定着したのです。つまり、王女のわがままが半端な数字になっている理由で、このことはネットのサイトにも書いてあります。

百人一首のパロディ

   もうすぐお正月がやってきます。お正月と言えば百人一首、パロディが好きな日本人は、大昔の人が詠んだ美しい歌を、物の見事にヘンな歌に替えています。それではネットにある幾つかの作品を紹介しましょう。まず、紫式部の「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」です。

   この意味は《せっかく久しぶりに逢えたのに、それがあなただと分かる前にすぐに帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように》ですが、これをどなたかが「殴り合って みたがそれでも 離られず 苦もなくすみし 痴話の果てかな」と痴話喧嘩の歌に替えてしまい、紫式部もがっかりです。

   次は西行法師の「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」で、意味は《月が私に嘆きなさいと言って、こんな思いをさせるのだろうか》ですが替え歌は「なげけども 質屋は金を 貸しくれず 困り顔なる 眼に涙かな」となり、ちょっと西行法師に悪い気がします。

   そして、もう一つ法性寺入道前関白太政大臣の名作「わたの原 漕ぎ出でて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波」が「ワシの腹 張り出し見れば夕方の 苦しまぎれに 公園散歩」になってしまいました。あなたもこれに負けない傑作を作ってみてはいかがでしょうか。それにしても、百人一首大好きです。

年賀状のコメントの考察

   今日はとても爽快な気分で朝を迎えました。というのは、生まれて初めてすべての年賀状を、昨日、12月26日に郵便局に持ち込んだからです。ちょっと例年のパターンを披露すると年賀状の作成は、毎年、「筆まめ」を使い、12月25日には宛先の打ち出しはすべて終わっています。

   そして、文面のデザインも済んでいて、後は相手へのコメントを考えるだけです。ところが年に一度のことなので、何か気が利いたことを書こうと思うあまり、時間は容赦なく過ぎて、結局、終わるのは28日~30日。「これでは、もう元旦に着くのはダメかぁ」と諦めながら郵便局に持っていく始末です。

   つまり、コメントを考えることに時間を取られて遅くなってしまうのです。それというのも、頂いた年賀状の中に、文面の片隅に「元気でやってます」などのコメントがちょこっと入ってると感じがよく、自分もそうしようと思うからです。そこで、今年は頭脳活動が11年前と変わってない事を知らせるコメントを考えました。

    それは《2006年7月にスタートしたブログが大晦日で4,185件になり、元気で生活している証に報告させて下さい。…》で全部同じなので、一気呵成に印刷が終わり、昨日、本局のポストに投函。最初考えたのは文末が《報告します。…》だったのを《報告させて下さい。…》に変えて、したり顔にならないようにしました。

言葉の遊び「アナグラム」

   最近はよくテレビのクイズ番組などでみかけるので「アナグラム」をご存知の方は沢山おられるに違いあいません。つまり、文章の文字を並べ替えて別の文章を作る「言葉遊び」の一種です。ネットで「いろは歌のアナグラム」というサイトを見つけたので紹介します。ともかく「アナグラム」の本家は英語です。

   まず、昔からある「いろは歌」を書き出すと「いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす」(色はにほへど 散りぬるを 我が世たれぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず)。これはかなり有名なのでご存知の方は沢山おられるでしょう。

   これを並び変えて、別の「いろは歌」を作った人が江戸時代にいます。「きみ(君)まくら(臣)おやこ(親子)いもせ(妹背)にえと(兄弟)むれ(群)ぬ ゐ(井)ほり(掘)た(田)う(植)へて すゑ(末)しげ(繁)る あめつち(天地)さか(栄)ゆよ(世)をわ(佗)びそふね(船)のろなは(艫縄)。

   これからすべての漢字を取れ去ればひらがなが47文字になります。江戸時代の人はかなり難解な作業をしたものですが、意味がよく解りません。それにしても、昔からある「いろは歌」は正に傑作と言っていいでしょう。恐らく、これを越える「いろは歌」は今後絶対に出てこないと私は思っています。

イギリス名門大学の入試問題

   「もし、地面を地球の裏側まで掘って、その穴に飛び込んだらどうなりますか?」。これは、つい最近刊行され、好奇心で買った《世界一「考えさせられる」入試問題》(河出書房新社)の中にあるケンブリッジ大学工学部の入試問題です。ともかく、この難しそうな問題をちょっと考えてみて下さい。

   恐らく、大抵の方が顔をしかめるに違いないので、そこに書いてある解説を紹介しましょう。実はこの穴を掘る試みはロシアのコラ半島で実際に行われ、1970年から22年間堀り続け、深さが7.6マイル(12,231メート)の所で、ついに熱さに負けて中止しているので、穴を掘ることが無理なのは証明されています。

   従って、この問題が仮説に基づくものであることは明白で、この質問に答えるには《魔法の力を借りて穴を掘り、しかも掘った穴が崩れずにそのまま開いていると仮定しなければならない。さらにあといくつ魔法の力を借りなければいけないかわからない。…》と書いてあり、むしろ想像力の問題と言っていいでしょう。

   では、この結論は《もし、穴が真空の筒状で地球が停止しているとしたら(あり得ない仮定)何ものにも邪魔されずにひたすら加速しながら落下していく。そして、地球の中心に近づくにつれて落下を引きとめようとしはじめ、結局、均衡点で浮遊することになる》。つまり、答をこう書くことを大学は望んでいるのです。

五輪に期待の小平奈緒選手

   「週刊文春」12月28日号の《平昌で金確実スケート小平奈緒ニックネームは「怒れる猫」》と題された記事が眼に留まりました。スポーツ紙の記者が「まさに絶対女王」と言って注目するのは、女子スピードスケートの小平奈緒選手だというのです。得意とする500メートルでは今季のW杯は四戦全勝。

   この種目における連勝を23に延ばし、更に12月10日には1000メートルでも世界新記録を樹立しています。平昌五輪で金メダル確実と言われる強さの秘密は、これまでW杯では好成績を残しても、五輪本番ではふるわないのをメンタル面での問題と分析し、その対策を考えたのです。

   そこで、メダルを期待されながら五位に終わったソチ五輪後、彼女はスピードスケート大国のオランダに単身で武者修行に乗り込んだのです。オランダでは金メダリストのマリアンヌ・ティメルコーチに入門。 ティメルコーチは二シーズンに渡って彼女を指導しましたが、劇的進化をもたらした言葉は「怒った猫になりなさい」。

   つまり、彼女にはスタートの姿勢で低く構えると頭が下がってしまうクセがあったのを、戦闘体勢で姿勢を低くしても、頭が下がらない猫をイメージしなさいという教えです。武者修行の成果はそれだけでなく、メンタル面でも色々と鍛えられ、二ヶ月後に迫った平昌五輪、小平奈緒選手に大いに期待出来そうです。

離されたショパンとサンド

   フランスのロマン派の巨匠ドラクロワが描いたショパンの有名な肖像画は、現在、「ルーブル美術館」が所蔵しています。ところが、ドラクロワが描いたのはショパン単独のものでは無くて、傍らにショパンの恋人ジョルジュ・サンドがいて、その前でショパンがピアノを弾いている絵でした。

   このことはドラクロワが残したデッサンで知ることが出来て、それをどこのどなたがしたことか解らないのですが、ショパンとサンドは二枚の絵に切り分けられ、別々に競売にかけられて、ショパンの絵はルーブル美術館に、そして、サンドの絵はデンマークの実業家に買い取られました。

   その後、どういう経緯か不明ですが、現在はコペンハーゲンから30分ほどの距離にある「オードルップゴー美術館」に展示されているそうです。ともかく、ドラクロワとショパンはかなり親しい関係にあったので、実際にショパンとサンドが一緒の時に描いたに違いないのに、誰がどんな意図で切り離したのでしょうか。

   もし、ショパンとサンドが並んでいる絵が残されていたら、その価値はもっと多大で、ショパンとサンドの関係を眼で見ることが出来たのにとても残念です。それにしても《切り分けられた名画 [ショパンとジョルジュ・サンド] の肖像》という貴重なサイト、厳寒のひとときにじっくりご覧になって下さい。ところで、39歳の生涯を閉じたショパンの葬儀は、遺言によってモーツアルトの「レクイエム」が演奏され、サンドの姿は無かったそうです。

副都心線の威力を改めて痛感

   年に一度の知人の写真展を鑑賞しに、12月20日にJR藤沢駅のビルのギャラリーまで行ってきました。知人は現役時代、会社のコンピューター・システムやプログラムで大変お世話になった方で、「湘南写真クラブ」には会社をリタイアされてから、奥さんと一緒に入会されています。

   私も若い頃、写真にこったことがある関係で写真を鑑賞するのが好きで、毎年、必ずこのクラブ主催の写真展に行っています。写真を鑑賞する以外にもう一つ、知人に年に一度会って、コンピューターの昔話をする楽しみもあり、今回も写真の観賞後、駅ビルの中のカフェで大いに語り、至福の時を過ごしました。

   ところで、池袋から藤沢まで行くルートは、昔、副都心線がまだ開通してなかった時は、池袋から丸ノ内線で東京に行き、ここからJR東海道線で藤沢。その後、JR湘南新宿ラインが出来たお陰で、池袋から藤沢まで乗り換え無しの直通になりましたが、1時間11分の時間を必要としています。

   それが副都心線が開通してから、池袋から横浜まで東横線の相互乗り入れで36分、そして、ここから東海道線で藤沢まで19分で合計すると何と55分。湘南新宿ラインの直通で行くより16分も短縮されて、しかも運賃も安く、改めて副都心線の威力を感じる小旅行でした。それにしても、日本の鉄道、驚きの進化です。

「スタバ」だけの飲み物が存在

   「スタバ」、つまり「スターバックスコーヒー」にしかない飲み物に「ほうじ茶ティーラテ」があるのをご存知でしょうか。よく「スタバ」に行く人は知ってることですが、「スタバ」はレジでオーダーし、お金を払うとその情報がバリスタにいき、お客さんはバリスタから品物を受け取るシステムです。

   かなり前にあるお店で顔見知りのバリスタに《「スタバ」さんだけにしかない飲み物って何かあるんですか?》の質問に答えてくれたのが《ほうじ茶とミルクをドッキングしたのがあって美味しいですよ》で、これを考えた人天才です。それ以来「スタバ」さんでこれ以外を飲んだ記憶がありません。

   それになぜか紙コップよりマグカップで飲んだ方が美味しいようで、私がどこの「スタバ」さんに行っても、レジで言う決まり文句は《「ほうじ茶ティーラテ」のショートをマグカップでお願いします》。そして、これも「スタバ」の店員さんが教えてくれたことですが、これにハチミツを数滴垂らすと更に美味しくなるのです。

   バリスタから受け取ったあとの私の手順は、調理カウンターでちょっとだけシェークしてから中に入ってるほうじ茶のティーバッグを捨てます。そして、台に乗ってるハチミツを数滴垂らし、席に持っていきおもむろに飲みます。今度、「スタバ」さんに行ったら、是非、お試し下さい。ただしマグカップで飲むことをお薦めです。

貴乃花親方を支援する講演

   弟子の貴ノ岩が例の事件で怪我をして、日本相撲協会から再三の事情聴取を求められていながら、それを頑なに断っている貴乃花親方、テレビに映る表情を見てると、何だか険しくて心中穏やかではなさそうです。理事全員にもっと納得がいく説明をすればよさそうなのに、現役時代のファンとして胸が痛みます。

   そんな状況下にある親方を夫人の景子さんがどうやって支えているのかと思っていたら、ネットで《妻・景子さんが明かす貴乃花親方の素顔 弟子の昇進、優勝に「電話の向こうでオイオイ泣いた」》という記事を発見。元アナウンサーの花田景子さんが12月14日、都内で講演会を開催したんだそうです。

   講演の内容を掻い摘んでコピーすると《親方は弟子に厳しくしていますが、「血のつながりはなくても、オマエたちはそれ以上だ。オマエたちの人生を預かったと思って、親方は命を張ってでもオマエたちの人生を切り開く。だからしっかりついてこい」と言っていることを力説しています。

   また、弟子が十両に昇進した時などは優勝でも引退でも、自分のことでは涙ひとつ見せたことがない人が、オイオイ泣いているんだとか。この記事の結びは《貴乃花親方が、景子さんが語るような素顔をちらりとでも見せれば、世間にも応援する声が増えそうなものだが…》。奥さんは充分に親方を支えています。

師走にラブ・コメディの傑作

   もし1989年のアメリカ映画「恋人たちの予感」(原題は「When Harry Met Sally」)をまだご覧になっていなかったら絶対に損ですから、この師走,TSUTAYAにあるので、是非、観て下さい。洗練されたユーモアが好きな知的な映画ファンなら、恐らく私に勧められたことに感謝するのは間違いありません。

   何しろ、例の「映画大辞典」の137人のコメント中8点~10点が79人もいるのですから嬉しくなります。主演はビリー・クリスタルとメグ・ライアン、脚本をノーラ・エフロンが書いていて、ロブ・ライナー監督が実に巧みな演出で、ぐいぐいぐいぐい画面に引きつけられて眼が離せなくなります。

   正に俳優、脚本、監督が三位一体となった映画史上に残るラヴ・コメディの大傑作と言っても過言では無いでしょう。ともかく会話が秀逸です。私が特に好きなシーンはラスト近くの大晦日。人の歩いてない閑散とした街の雰囲気が何とも言えずいいです。意地を張っていたビリー・クリスタルは、もうそんな場合ではありません。

   タクシーが捕まらず、メグ・ライアンがいる大晦日のパーティ会場に全速力で駆けるビリー・クリスタルの表情が実にいいです。そして、いよいよ新年です。「蛍の光」が奏でられてる中での愛の告白。私はこのDVDを何度観たか解りません。見終わった後、恐らく気分がよくなるのは間違いないでしょう。未見の方は是非!

松尾芭蕉の幾つかの逸話

    自分では作れないのですが、森羅万象をたった17文字で表現するワザが好きで、ことに松尾芭蕉(発句全集)のファンです。ネットで松尾芭蕉のあまり知られていない逸話を見つけましたので幾つか紹介しましょう。芭蕉は何ヶ月も旅をしましたが、野宿したことは一度も無いのだそうです。

   旅の記録として書いた「奥の細道」ですが、その移動距離を現代の数値に換算すると、何と2400キロを150日で踏破していたことになり、1日16キロの距離は、何か訓練を受けた人物。つまり、松尾家は伊賀で優遇されていたことから、伊賀の国を守る忍者だったのではないかという説があります。

   また、芭蕉は実は同性愛者であることが、弟子の日記により知られていて、若い頃に詠んだ俳句には、自らが同性愛者であることを告白してるものがあるんだとか。そして、その恋人と一緒に住んでいたり、俳句を詠むために連れ出したりしてたこともあるとかで、何だか信じられません。

   そして、芭蕉はキリシタンであるというのも噂されてる事の一つです。その理由は芭蕉の俳句には聖書を彷彿させるものがたびたび登場し、弾圧されていたキリシタンの悲しみを読んでいたのです。従って、「奥の細道」(全文)」はキリシタンの巡礼の旅ではなかったかという説もあります。

「挟み将棋」と「坊主めくり」

   子供の頃、まだ将棋を覚えていない時、「挟み将棋」で遊んだ経験があるでしょう。また、百人一首は持っているけど、本格的なかるた取りが出来ないこれも子供の頃、「坊主めくり」で遊んだことがあるに違いありません。今日はこの二つのルールと遊び方をネットで見つけましたので紹介します。

   まず、最初に「挟み将棋」。このゲームは、将棋の駒の「歩」を全部、つまり18枚使って遊びます。最初の配置はAさんは9枚の「歩」をすべて一番下に並べ、相手のBさんは9枚の「歩」をすべて裏返して「と」にして一番下に並べ、じゃんけんに勝った方が先手になり戦闘開始。ルールと勝敗はこのサイトを見て下さい。

   次は「坊主めくり」。このゲームは二人から遊べますが、人数は多い方が盛り上がります。必要な札は絵が書いてある札だけで、輪になったプレイヤーの真ん中に裏にしてすべて積んで置きます。そして、順番にめくり、積んである札がすべて無くなった時点で一番沢山の札を手にしている人が優勝です。

   その遊び方は、絵札を「男性」「女性」「坊主」の三種類に区別さえつけばOKです。それぞれの札をめくった時のルールがあって、「男性」をめくった時はそのまま自分のものですが「女性」は歓喜で「坊主」は落胆。ルールと動画のサイトでよく把握して、お正月に、是非、遊んで下さい。

大谷選手の球団の選択理由

   いち早くヤンキースには行かないと宣言していた日本ハムの大谷翔平選手の入団先がロサンゼルス・エンゼルスに決まりました。「週刊文春」12月21日号にエンゼルスに決まった詳しい理由が書いてあるので、ご存知ない方のために紹介します。何しろ、ポスティング・システム申請後、一週間という異例の早さです。

   当初、大谷選手はサンディエゴ・パドレスで決まったと言われていて、エンゼルスのGMも半ば諦めていたのが、代理人から入団決定の連絡を受け、椅子から転げるほど驚いたそうです。では、なぜ大谷選手がエンゼルスを選んだかというと、ベーブ・ルース以来約100年ぶりの二刀流を実現させたいためです。

   つまり、DH制のないナ・リーグでは一年を通しての出場は難しく、野手としてプレーする時はDHで出場しないとメジャーの過酷な日程に対応出来ないと判断したのです。また、怪我への懸念もあり、今季、春先に足首を痛めた大谷選手は、今後の再発リスクに備えて、温暖な気候の西海岸を選んだのです。

   ヤンキースが早々に脱落したのも同じ理由ですが、ニューヨークには手厳しいメディアも多く、それを避ける意味もありました。それに、もう一つエンゼルスには、チームメイトに日本人がいないので、メディアが殺到して迷惑をかけることも無いと思ったのです。大谷選手(動画)のアメリカでの二刀流を早く見たいです。

ネットで「忠臣蔵」の裏話発見

   昨日、12月14日は討ち入りの日でした。一般的に語り継がれている話は元禄15年(1702年)12月14日に大石内蔵助が率いる赤穂浪士47人が吉良上野介邸に押し入り、主君浅野内匠頭の仇を討ったのです。ところが、ネットで《「忠臣蔵」の美談は、ほとんど大ウソだった!》という記事を発見。

   それによると、この討ち入りの表向きの理由は「主君の無念を晴らすため」ですが、本当の理由は、この仇討ちを成功させて世間の大きな話題になり、何とか再び仕官する道を見つけ、浪人生活から脱却することが目的だったというのです。つまり、命をかけた就職活動だったのです。

   吉良邸への討ち入り後、浪士達は吉良家と深い関係にある上杉家からの報復の恐れがある中、本所から浅野内匠頭の墓のある泉岳寺までの約9キロの道のりを堂々とパレードしています。それを、世間に向けての「仇討ち」を印象づけるための「意図的演出」だったとみれば納得がいくと書いてます。

   ところが、事件後、幕府では彼らの処分が検討され、当初は、幕府上層部においても彼らを好意的に見る人も少なからずいましたが、結局、「徒党」を組んで押し入ったという「罪」で、切腹となったのです。四十七人は仕官するどころか、命を失う結果になってしまいました。もっと詳しく知りたい方は本文を読んで下さい。

将棋も囲碁も七冠の偉業

   将棋も囲碁も、7冠を達成した圧倒的に強い二人に国民栄誉賞が取り沙汰されています。今朝の「日刊スポーツ」(将棋も囲碁も頭のスポーツ)にその7冠の内訳が出ているので、この際、知識として知っていても無駄では無いでしょう。私も初めて全14のタイトルを詳しく知り驚いています。

   まず将棋の羽生善治九段の7冠は「竜王」が通算7期、「名人」が通算5期、「王将」が通算10期、「王位」が通算10期、「王座」が通算10期、「棋聖」が通算5期、「棋王」が通算5期。よくぞ勝ったものだと感嘆するばかりです。47歳の羽生九段はこれからも同じペースで勝ち続けることでしょう。

   次に囲碁の井山裕太九段は28歳にして「棋聖」「名人」「本因坊」「王座」「天元」「碁聖」「十段」。新聞で知ったのですが、井山九段は本来は右利きなのに、囲碁の時だけ左手で碁石を打つんだそうです。野球が大好きで憧れているイチロー選手の右投げ左打ちとまったく同じです。

   羽生九段は日本記者クラブで会見しましたが、後進の育成について尋ねられると「強い若手がいっぱいいるので、育成しなくてもいい」と笑いを誘ったとか。また、井山九段は国民栄誉賞について「ただただ驚いています。信じられないという気持ちです」と語っています。それにしても二人とも目茶苦茶に強いです。

ジャズの「アランフェス協奏曲」

   スペインの作曲家ロドリーゴが作ったギターの曲に「アランフェス協奏曲」があり、よく第二楽章がジャズで演奏されてCDも出ています。その名盤を二つ紹介しますので、是非、コレクションに加えて下さい。音楽をこよなく愛する方ならあまりの素晴らしさに感動し、私に感謝するのは間違いありません。

   まず一枚目はタイトルがそのものずばり「アランフェス協奏曲」(Pt1 Pt2)/ジム・ホール(240E 6812)」。演奏メンバーの一部を書くと、ギターをジム・ホールがひき、何とトランペットにチェット・ベイカー、アルト・サックスにポール・デスモンドが加わるという豪華な顔ぶれで、19分23秒を陶酔させてくれます。

   このアルバムには他に3曲が収録されていますが、勿論、この曲が目玉で、クラシックをジャズに変貌させたドン・セバスキーの見事な編曲に感嘆します。そして、二枚目はマイルス・デヴィスの有名なアルバム「スケッチ・オブ・スペイン」(SICP 817)で、このアルバムの1曲目が「アランフェス協奏曲」です。

   このアルバムの中にあるライナー・ノートによると、マイルスが1959年初頭に西海岸にいた頃、友人から「アランフェス協奏曲」の原曲を聴かされ、二、三週間聴いてるうちに頭から離れなくなってしまったのがこのアルバムを作るきっかけだとか。マイルスの演奏も実にいいです。

魅力的な「フェルメール」の絵

   「週刊文春」に生物学者の福岡伸一博士が「パンタレイ パングロス」というコラムを書いています。最新の12月14日号は《今世紀最大のフェルメール展が来る》でフェルメールに関する一文を書いていて、どうやら福岡博士はオランダを代表する画家フェルメール・オタクのようでかなり詳しいです。

   今年は世界的な一大フェルメール・フィーバーだったとかで、たった37点しか現存しないフェルメールの絵のうち、主要作品がなんと12点パリのルーブル美術館に集結したそうです。もともとルーブル美術館には「レースを編む女」「天文学者」の傑作2点が所蔵されていて、外から借りてきたのが10点。

   このルーブル美術館のフェルメールの特別展覧会は、この後、アイルランドのダブリンに行き、そして、アメリカのワシントンのナショナル・ギャラリーで開催され、なんと来年の秋には東京と大阪にやって来ることが決まっているのだとか。何しろ、日本は世界最大のフェルメール・マーケットなのです。

   実は私もフェルメールのファンで、中でも一番好きなのは「真珠の耳飾りの少女」(「青いターバンの少女」とも言われています)。PHP研究所刊行の「世界の名画 隠されたミステリー」という本によると、この絵の所蔵は地元ハーグのマウリッツハイス美術館だそうですが、ルーブルが借りた中にあるか否かは解りません。

暮の和菓子の老舗「うさぎ屋」

   このところ、リタイアして五年後の2010年にアップした「取引銀行への年末年始の挨拶」がアクセスが多いようで、人気記事ランキングにずっと顔を出しています。久しぶりに読んでいると、社長と銀行への挨拶回りをした当時を思い出し、現役時代の色々なことが走馬灯のように脳裏をよぎります。

   銀行への挨拶は車で回るのですが、私は免許証が無いので運転は社長がして、私は助手席に座り暮れていく街を眺めているだけで、いつも申し訳なく思っていました。毎年、納会の後、銀行に行く道順が決まっていて、最後の挨拶はJR御徒町駅の直ぐ近くにある取引銀行で、その隣に和菓子の老舗「うさぎ屋」があります。

   銀行への挨拶が恙無く終わり、御徒町駅から電車に乗って家に帰る私は社長に年末の挨拶《本年は大変お世話になり有り難うございました。来年も相変わらずどうぞよろしくお願い致します。いい年をお迎え下さい》と言って社長と別れます。そして私が向かう先は、毎年、必ずと言っていいほど「うさぎ屋」です。

   ここで、家へのお土産にどら焼きを買いますが、そう大きくない店の前には、いつも暮は多くの人が並んでいます。買った後、私は電車に乗り、すっかり暗くなった街を眺めながら「今年も色々と忙しかったなぁ」と回顧しつつ家路を急ぎます。リタイアしてから約12年、当時がとても懐かしいです。

ローリング・ストーンズ絶賛

   時々観たくなるローリング・ストーンズのライヴのDVDがあります。アカデミー賞をとったことがあるマーティン・スコセッシ監督が2006年にニューヨークのビーコン・シアターで行われたローリング・ストーンズのコンサートを18台のカメラを駆使して撮った映画で、私は新宿の映画館で観ました。

   何しろ、見終わった後、暫く席から離れたくなかった凄い映像で、私はこの映画「ザ・ローリング・ストーンズ/シャイン・ア・ライト」ばかりは持っていたくて、後日、購入しました。ともかく、「映画大辞典」に寄せられている22人中8点~10点が10人もいるコメントをちょっとご覧になって下さい。

   中に《しまった。絶対に劇場の大きなスクリーンで観るべきだったと後悔している。これは凄い》というコメントがありますが、正にその通り。クラシックとジャズに耳いっぱいで、ロックはあまり聴かない私が、ローリング・ストーンズの圧倒的迫力に度肝をぬぎ、沢山のファンが世界中にいることに改めて納得しました。

   それにしても、ミック・ジャガーがマイク片手に歌いながらステージを駆けずり回る映像はとても還暦を過ぎてる人とは思えません。恐らくロックをあまり聴かない人でも、ローリング・ストーンズのロックなら、思わず引き込まれるのは間違いないでしょう。「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」実にいいです。

サッカーの女子が初戦に勝利

   サッカー東アジアE-1選手権、FIFAランク8位の「なでしこジャパン」は15位の韓国に3-2で勝ち、初戦を飾りました。この試合、日本は鮮やかなヘッディング・シュートが決まって先制するも、直ぐにPKで同点にされて、また、勝ち越せば追いつかれる予断を許さない展開で前半が終了しました。

   そして後半、残り7分のところで、中島選手の放ったシュートがクロスバーにあたり跳ね返ってきたボールを岩渕選手はフェイントで切り返してデフェンスをかわし、右足で冷静に流し込んで決勝点をあげたのです。高倉監督は「彼女はパフォーマンスが落ちずに、最後まで戦う姿勢を出してくれました」と日刊スポーツに絶賛の談話。

   「なでしこジャパン」のこの後の予定は12月11日(月)午後7時から中国戦、15日(金)も午後7時から北朝鮮。いづれもフジテレビ(8ch)が生放送をする予定になっています。そして今夜は男子が北朝鮮と戦うことになっていますが、北朝鮮は男子も女子も昨日の初戦に勝って中々手強い相手です。

   ところで日刊スポーツが北朝鮮のキム・グァンミン監督に「北朝鮮には大会の賞金が支払われないことになっていますが…」と問いかけると、監督は「我々は決して賞金目当てではないが、このような制裁は良くないことだ」と淡々と話していたそうです。どうやらスポーツにもミサイル発射の影響があるようです。(ハイライト

ヘンデルの「メサイア」の起立

   ヘンデルの宗教曲にオラトリオ「メサイア」があります。この曲はあらゆる宗教作品の中でも飛び抜けた傑作と言われ、クリスチャンではないのにレクイエムなど宗教曲がやたらに好きな私はカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団とロバート・ショー・オーケストラのどちらも二枚組を二つ持ってます。

   でも、この曲を全曲聴くには約二時間半掛かるので、本当にたまにしか聴きません。それが、数年前の師走、二人とも青山学院大学OBの知人夫婦が、東京芸術劇場での青山学院管弦楽団の「メサイア」のチケットが4枚手に入ったので、私共夫婦と4人で行きませんかと誘いがあり、勿論、喜んで受けました。

   何しろ「メサイア」を生で聴くのは初めてのことで例の「起立」が体験出来ると、ワクワクして当日を待ちました。クラシック・ファンは大抵ご存知ですが、この曲には「ハレルヤ・コーラス」があり、この部分がくると聴衆はみんな「起立」して聴くことになっていて、これを知らないと恥ずかしい思いをします。

   この慣習が出来た理由は1750年にロンドンで「メサイア」を初演した時に臨席した国王ジョージ二世が感動して「起立」したので、一般の人も座っているわけにはいかずにこの慣習が生まれました。当日、ほとんどの聴衆が「起立」し、これを知ってたお陰で私共夫婦も取り残されないでよかったです。

ゴッホと「ひまわり」

   「世界の名画 隠されたミステリー」という画集から、ゴッホはなぜ「ひまわり」を何枚も描き続けたのかを紹介します。ゴッホがゴーギャンとアルルの黄色い家で共同生活をしていたのは有名な話です。当時、色々な悩みでアルコールに溺れていたゴッホに弟のテオがゴーギャンとの共同生活を提案したのです。

   それを快く承諾してくれたゴーギャンを迎えるために、ゴッホはゴーギャンの部屋に飾ろうとして何枚も「ひまわり」の絵を描いたのです。ゴッホが「ひまわり」にこだわったのは牧師の家に生まれたせいだと言われています。ひまわりはキリスト教と関係が深く、忠誠心や愛の象徴と考えられるからです。

   ゴッホが描いた「ひまわり」は12本か14本なのは12本がキリストの十二使徒を象徴し、14本はよくゴッホの面倒をみてくれる弟のテオとゴーギャンの2本を加えたものではないかと言われています。しかし、ゴッホが待ちに待ったゴーギャンとの共同生活は期待に反し悲劇的な結末に終わります。

   最初は順調にいってたのですが、あまりにも個性的な二人は次第に衝突するようになり、ある日、言い争いの末にゴッホは精神錯乱の発作を起こし、自分の左耳を切って入院、ゴーギャンはアルルを去ってしまいます。精神を病みながら、幸せを夢みたゴッホの思いが凝縮されたのが、沢山の「ひまわり」の絵だったのです。

村上春樹氏とジャズ喫茶

   村上春樹氏が2015年に発刊した「職業としての小説家」(㈱スイッチ・パブリッシング)に氏が早稲田大学在学中に、朝から晩まで好きな音楽を聴いていられればいいという発想で、国分寺駅南口近くにジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開いたことが書いてあります。まだ小説家になっていない1974年のことです。

   この頃、私もジャズに夢中になっていたはずですが、なぜかこの店には一度も行っていません。その後、村上氏は「風の歌を聴け」で作家デビューしましたが、恐らくこの小説はこの店でジャズを聴きながら書いたのでしょう。ところで、ネットで「村上春樹のピーターキャット時代」という記事を見つけました。

   書いたのがどんな立場の方か解りませんが、どうやらこの店に通ったジャズ・ファンに違いなく、ジャズ雑誌「ジャズランド」1975年8月号に載ってた「ピーター・キャット」の広告や店内の写真、マッチ、そして、使っていたオーディオ装置が書いてある小さな文字など、眼を皿のようにして見ました。

   村上春樹氏がジャズ喫茶を経営してたことは、ジャズ好きとして親近感が大きく、いつしか村上ファンになったようです。ことに2013年の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んでから、一層、氏の小説に魅力を感じ「アフターダーク」「スプートニクの恋人」など古い小説を沢山読みすっかり「ハルキスト」です。

ヤンキース拒否の大谷選手

   今朝、ネットでメジャー移籍を目指す日本ハムの大谷翔平投手が、12月3日(日本時間4日)、ヤンキースに対し、契約の意思が無いので面談を行わないことを通知した記事を読んでびっくりしました。何しろ、人気球団のヤンキースには入らないことを最初から明言している日本選手は、過去、いないでしょう。

   ロサンゼルスに滞在している大谷選手は、4日にも球団との面談をスタートさせる予定ですが、ヤンキースは交渉の席につけずに、キャッシュマンGMは「事前に大谷に提出した我々の資料はとても評価されたが、大谷はもっと市場規模が小さい球団を好んでいる、との理由で断られた」と言っています。

   その記事によると《ヤンキースは大谷選手の二刀流を容認する姿勢を早くから表明し、レンジャーズに次ぐ350万ドル(3億9500万円)の契約金を用意。面談となればOBの松井秀喜氏を動員する可能性も伝えられ、最も大谷獲得に熱心で米国では本命視されていた》のです。

   それが《ヤンキースが東海岸で大きい市場規模のチームであるという事実は変えられない。カネはいらないがメジャーでプレーしたいと言った選手は初めてだ。こんな選手が出てくるとは思いもしなかった」とヤンキースのキャッシュマンGMは肩を落としている》そうです。大谷選手の真意は何なのでしょうか。

一枚のLPとの衝撃的な出合

   かなり前のクリスマス・イヴ、私は友人に誘われて、銀座の裏通りにあったジャズ喫茶「スィング」に行き、店内に流れていた「チェット・ベイカー・シングス」のLPと初めて出合い虜になりました。まだ、再生装置を持っていなかった私はこのLPを聴くために、足繁くこの店に通うよになり、常連の一人になったのです。

   ところが、何かの都合でこの店と足が遠のき、ある日、久しぶりに行くとこの店は閉店になっていて、ジャズ雑誌「スイング・ジャーナル」に電話で問い合わせて唖然。この店のマスターはすべてのLPを売却して故郷に帰ってしまい、「チェット・ベイカー・シングス」は廃盤になって、手に入れるには中古しかないことを知りました。

   私は東京中の中古店を探しましたが見つからず、もはや諦めるしかないと探すのを止めて何年も経ちました。そして、新宿にあった中古店「トガワ」でほかのLPを探している時に、偶然、目の前に現れた「チェット・ベイカー・シングス」。その時の私の心境は天にも昇る心地で、正に衝撃的な出合です。

   即座に買った私は、飛ぶように家に帰り、何度も何度も繰り返し聴いたことをよく憶えています。しかし、こんな思いで手に入れたLPはCD化され、勿論、買いました。また、LPも、後日、高田馬場の中古店で新品同様のものを見つけて購入。「チェット・ベイカー・シングス」は三枚もあります。ところで「バット・ノット・フォー・ミー」にあるチェット・ベイカーのYouTube、どれも圧倒的に凄いです。

珠玉のクリスマス・ソング

   もう直ぐ大好きなクリスマスです。毎年、12月が来るとどうしても古い3曲のクリスマス・ソングのことが書きたくなります。その3曲とは、山下達郎の「クリスマス・イブ」、ワム!の「ラスト・クリスマス」、そしてビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」です。みんな永遠の名曲で、何年経っても色あせません。

   まず山下達郎が1983年に発表した「クリスマス・イブ」。《雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ 心深く秘めた想い 叶えられそうもない 必ず今夜なら 言えそうな気がした まだ消え残る君への想い 夜へと降り続く 街角にはクリスマス・ツリー 銀色のきらめき》。

   何というロマンチックな歌詞とメロディでしょう。もう34年経ってるのにまったく古さを感じないで心に沁みます。次はワム!の「ラスト・クリスマス」、この曲も1984年にリリースされていますからほとんど同じ頃の名曲で、何度繰り返し聴いても、飽きることなく、ぐいぐい引き込まれます。

   そして、3曲目はアーヴィング・バーリンが1940年に作詞作曲した「ホワイト・クリスマス」。沢山の歌手が歌っていますが、何といっても、ビング・クロスビーが歌ったものがビルボードのポップ・チャートの首位を11週続けて大ヒットしました。この3曲、何年経っても珠玉のクリスマス・ソングとして歌い継がれています。

阿川佐和子さんと父親の対談

   「会話」の達人、阿川佐和子さんは「週刊文春」に《阿川佐和子のこの人に会いたい》をずっと連載しています。ところで先日、本箱の阿川さんの対談集「男を語る」をふと見たら、何とお父さんの作家の阿川弘之氏との対談があるのを発見、何を語っているのか気になり、読んでみたら面白いのでブログに書きたくなりました。

   そもそも、阿川さんは最初からこの対談は乗り気でなかったのに、どうやら編集部が勝手に予定に入れたようで、誰だってこの対談には興味があります。話の内容を少し披露すると、佐和子さん《たまプラーザの駅前にパチンコ屋ができて、そこを一番利用しているのがお父さんじゃないかと思うくらいに通って…》。

   阿川氏《そんなことないよ》佐和子さん《真っ昼間からあんまり行くものだから、店の人が……》阿川氏《お前、よせよ。俺の威厳を損じる。でもまあ、いいや》佐和子さん《お店の人が「おじさん、出てる?」「まあまあね」なんていって…》阿川氏《そりゃ、不正確だよ》佐和子さん《じぁ、説明して》。

   阿川氏《店長の奥さんと顔馴染みになったんだけど、俺が何してる人間だかわからないもんだか「おじさん、きょうも休み?」「うん、まあな」とか》佐和子さん《違うでしょ、「仕事あるの?」って、そんなこといわれたんじゃなかった?》。阿川弘之氏がまさかパチンコに夢中だったとはこの対談で初めて知りました。いやはや。

恒例の「第九」に行けない師走

   今年も師走が訪れました。本来ならかなり長い間続いている我が家恒例の東京芸術劇場での小林研一郎指揮日本フィルの「第九」演奏会の予定が入っているはずなのに今年はチケットを買っていません。その理由は、毎年、必ず組まれている昼間の演奏会(マチネー)の予定が無いからです。

    ともかく、チケット発売日近くに東京芸術劇場の予定表を見て愕然。12月27日と28日の二つとも開演が午後7時、これだと演奏が終わって、帰宅するのが午後10時過ぎになり、夕食抜きで「第九」を聴くのは抵抗があってほかの会場を調べてみると、サントリー・ホールも横浜みなとみらいホールも夜ばかり。

   これでは、今年は小林研一郎指揮日本フィルの「第九」を断念せざるを得ません。だからと言って、第1楽章から迫力があるコバケンさんの「第九」に魅力を感じている私共夫婦はほかの「第九」の昼間の公演を探して行く気にはならないので、今年は「第九」を生で聴くのは諦めて、家でCDを聴くことにしました。

   ところで、毎年、日本フィルの事務所に直接電話してチケットを送って貰っているのに今年は申し込みがない関係か「第九」のパンフレットが二度も自宅に送られてきました。そこで、日フィルに電話を入れて説明したら電話口の女性が「そうですよねぇ」と納得していました。来年はどうなるのでしょうか。鬼が笑いますが。

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