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心に響く島崎藤村の詩二つ

 本箱の中の「藤村詩抄」がふと目に留まり取り出しました。日本の近代詩の出発点になった島崎藤村の詩集です。理屈に囲まれギスギスしているコンピューター時代、時に美しい詩に接するのも悪くはないでしょう。この詩集の自序に「遂に、新しき詩歌の時は来たりぬ」と書いてある詩集、まず有名な「初恋」です。

 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃を 君が情けに酌みしかな。

  林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ》。そして、もう一つ「銀河」。《天の河原を ながむれば 星の力は おとろへて 遠きむかしの ゆめのあと ここにちとせを すぎにけり そらの泉を よのひとの 汲むにまかせて わきいでし。

  天の河原は かれはてて 水はいづこに うせつらむ ひびきをあげよ 織姫よ みどりの空は かわらねど ほしのやどりの 今ははた いづこ梭の 音をきかむ ああひこぼしも 織姫も 今はむなしく 老い朽ちて 夏のゆふべを かたるべき みそらに若き 星もなし》。藤村の詩には心に響く何かがあるのではないでしょうか。ところで、「初恋」にこともあろうにメロディを附け舟木一夫が歌っている作品があります。藤村の詩にフシをつけるなんてと怒っている方がいたらごめんなさい。

 

指揮者が語る「CD鑑賞法」

  東京芸術大学名誉教授で、カラヤンの薫陶を受けた指揮者の大町陽一郎さんが書いた「クラシック音楽を楽しもう!」に「CD鑑賞法」があり、音楽ファンの参考になりそうなので、掻い摘んでブログにアップしたくなりました。まず、大町氏は生演奏とCDの違いについて詳しく書いています。

  大町氏は、ご自分が住まわれているウィーンと日本とのCDに対する考え方を書いていて、ウィーンの音楽ファンはあまりCDを買わないのだそうです。その理由は、ウィーンには、非常に多くのオーケストラがあり、市民たちは生の音楽になじんでいるために、CDを買う必要が無いのです。

  ところが、日本では、今度、こんなCDが発売になったので一つ買っておこうかといったような、CDは切手の収集に似た一種のコレクションになってる気がすると大町氏は書いています。では、生演奏とCDはどう違うのかと言うと、生演奏は直接の場で聴ける音楽ですが、CDは言わば音楽の缶詰。

  缶詰ですから、出来るだけ鮮度を保とうとはしていますが、どうしても、そこには色々な技術的、時間的制約があって、生演奏のようにはいかないのです。例えば、演奏家が同じ曲をCDに録音する場合には、生演奏と違った観点から演奏することになるというのです。つまり、「CD」を聴く際には、演奏家が「生演奏」の時とは違う意識で演奏をしていることを知っていた方がいいのです。

生命誕生の謎に迫る技術力

 今日(7月12日)の朝日新聞1面の見出し《はやぶさ2 地下の砂採取か「太陽系の歴史のかけら手に入れた」》は宇宙や地球誕生に興味のある私のような者には、ゾクゾクするような記事で、目を皿のようにして、全文を最初から最後まで丹念に読みました。そこでその概略をちょっと紹介しましょう。

  「宇宙航空研究開発機構」(JAXA)は、7月11日、探査機「はやぶさ2」が地球から2.4億キロ離れた小惑星「リュウグウ」への再着陸に成功したと発表したのです。つまり、この小惑星の地下で眠っていた、太陽の光や放射線で風化してない砂や石を採取出来た可能性が高いというのです。

 この事が何でそんなに凄い価値を持っているかというと、約46億年前に太陽系が誕生した頃のままの姿の物質を調べることで、太陽系の成り立ちや生命誕生の謎に迫る可能性があるのです。「はやぶさ2計画」の責任者が「太陽系の歴史のかけらを手に入れた。100点満点でいうと1千点です」と言うほど凄いことなのです。

  この「リュウグウ」は、地球と火星の軌道付近を回る直径約900メートルの小惑星。ここには炭素や有機物が豊富にあるとされていて、その成分を詳しく分析すれば、生命のもとになった材料がどこから来たのかの解明につながるというのです。その小惑星を見つけて、そこに着陸させた「JAXA」の技術力に盛大な拍手です。勿論、太陽系の歴史のかけらを手に入れたのは、日本が世界で初めてなのです。恐らくアメリカのNASAも大いに祝福してくれてることでしょう。

後鳥羽上皇と藤原定家

 ネットで《和歌の天才「後鳥羽上皇」と「百人一首」にまつわる人間模様》というサイトを見つけました。どなたもよくご存知のことですが、「百人一首」には番号が振ってあり、99番が後鳥羽上皇の《人もをし 人も恨めし あじきなく 世をおもふゆえに もの思ふ身は》。

  そして、最後の100番は、後鳥羽上皇の子息、順徳院の《ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりける》。藤原定家が選んだ100首の中にあって、この2首はちょっと異質の感じがしませんか。実はこの2首は色恋に関係なく「承久の乱」の戦火の匂いが漂っているような気がします。

  承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対し討伐の兵を挙げ、結局、破れて後鳥羽上皇は隠岐に、息子の順徳天皇は佐渡島に島流しになった「承久の乱」。和歌のライバルで、後鳥羽上皇に「百人一首」の編纂を命じられた藤原定家は、後鳥羽上皇との交流を絶たれてしまいました。

 ちなみに、藤原定家(「さだいえ」より「ていか」の方がカッコいいです)は97番目に自作の《こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ》を入れていますが、もしかしたら、後鳥羽上皇と和歌の上で親しかった頃の懐かしさを思って詠んだ一首かも知れません。ところで藤原定家、かなり激しい性格だったようです。

渋谷の名曲喫茶「ライオン」

 ジャズのLPやCDを聴かせる店を「ジャズ喫茶」と言い、クラシック音楽を聴かせる店は「名曲喫茶」と呼びます。東京の名曲喫茶をいっぱい紹介している「東京クラシック地図」という本を持っていて、一番最初にある店は名曲喫茶「ライオン」。時々、レコード・コンサートを行うこの店に、昔、本当によく行きました。

 この本に載ってる紹介記事をちょっと書き出しましょう。《道玄坂の一画にひっそりと立っている古風なヨーロピアン建築の一軒屋。外観からも歴史の重さは感じられるが、店内に一歩足を踏み入れてみれば、平成の渋谷とは思えない異空間が広がる。創業はなんと昭和元年(1926年)。

  当時の建物は戦争で焼失してしまったものの、ヨーロピアン建築に造詣が深かった創業者が戦後すぐに建て直し、それがそのまま現在の店舗になっているのだから、存在そのものが文化遺産とも言えるだろう。クラシックファンに限らずとも、一度は行ってみる価値がある名店中の名店だ。

  現在、条例の関係で3階と地下室は営業に使われていないが、吹き抜けになっている1・2階はまさにコンサートホールの佇まい。客席のほとんどが前方に向けられた劇場型の造りになっていて、その正面には巨大としか言いようがないスピーカーが鎮座している。……》。音楽もオーディオもお好きな方は、是非、一度お聴きになって下さい。クラシックによく合っているこのスピーカーの音、きっと気に入ります。

生物が持つ驚きの「体内時計」

 ネットで「体内時計とは?」というサイトを見つけました。読んでみると、冒頭にこんなことが書いてあります。《生物は1日周期でリズムを刻む「体内時計」が備わっており、意識しなくても日中はカラダと心が活動状態に、夜間は休息状態に切り替わります。体内時計の働きで人は夜になると自然な眠りに導びかれるのです》。

  また、かなり売れている「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」(文響社)によると、すべての生物は生まれながらに体内時計を持っていて、覚醒と睡眠、代謝、心拍数、血圧、体温がコントロールされています。つまり、24時間を1サイクルとする概日リズムに合わせられているのです。

  哺乳類では。体内時計は「視交叉上核(しこうさじょうかく)SCN」にあり、ここで体温、水分と電解質の量、及びホルモンの生産を調整しているのです。SCNは、目の組織のうち、光についての情報を受け取る網膜とつながっていて、外が暗ければ、SCNは体を眠らせるホルモン「メラトニン」の分泌を命じます。

  つまり、この「メラトニン」の分泌により体が眠くなってしまうのです。そして、外が明るくなれば、「メラトニン」の生産をやめさせることによって目覚めるのです。ともかく、SCNが正常なら、人間も動物も途切れることなく、一定時間覚醒し、一定時間眠るのです。身体のメカニズムって凄い!

続けて欲しい「七夕」の行事

 今日は7月7日、つまり「七夕」で天の川を隔てて暮らす「彦星」と「織姫」が一年に一度、会える日です。有名な話ですが、ご存知ない方もおられるかも知れないので、この七夕伝説を少し紹介しましょう。天に「彦星」と「織姫」という真面目な恋人同士がいて、やがて結婚しました。

  すると、いつしか二人は、仕事をせずに遊んでばかりいるようになり、怒った天帝は二人を天の川を隔てて暮らすように命じ、でも年に一度、「七夕」の日だけ会ってもいいということにしたのです。従って、今日は二人の一年ぶりのデートの日ですが、もし雨が降ると天の川が溢れて会えなくなるのです。

 そこで、そのごとになぞらえて、短冊に願いを書き、笹の木にくくりつけると必ず思いが叶うと言うしきたりが生まれたのです。現役時代、私は地下鉄有楽町線の有楽町駅で京浜東北線に乗り換えていた関係で、地下鉄の有楽町駅の改札口近くに机が置いてあり、そこに短冊と筆があったのを覚えています。

  私は「七夕」前になると、改札口近くにある笹の木に飾ってある「○○ちゃんが私の思いを解ってくれるように願っています」のような文章を読むのが楽しみでした。最近は有楽町駅にご無沙汰していますが、今の駅長もこの行事を続けているのでしょうか。何だか電話で聞いてみたくなりました。

「左利きの武士」の刀の位置

  昔にも「左利きの武士」はいたと思います。なら、刀は右の腰に差していたのかという疑問が生じ、調べたくなるのは当然で、ネットに「左利きの武士」というサイトがあり、こんな質問が載ってました。《江戸時代の武士にも左利きはいたと思います。ですが刀を右の腰に差している武士を見た事がありません。

 実際いなかったのでしょうか?それとも不利な右腕を無理やり使っていたのでしょうか?》。好奇心旺盛な人の当然の質問で、私も身を乗り出して解答を探しました。その回答の中に、一つ、面白いのを見つけましたので紹介しましょう。《剣豪として有名な宮本武蔵は左利きでした。

 これは宮本武蔵が晩年に描いた水墨画の筆使いから判明した事です。宮本武蔵が二刀流を編み出したのも、利き腕の左腕を有効利用したかったからだと思われます。また、時代劇によく出てくる丹下左膳も左で刀を振るっていますが(というのは右腕がないのです)刀を差していたのは左腰でした。

 つまり、当時の武士たちは習慣として左利きであろうがなかろうが左腰に刀を差していたと思われます。……》。どうやら、利き腕に関係無く、差していたのは左の腰だったようです。というのも、江戸時代から左側通行で、刀を左の腰に差していないと、すれ違った敵と戦うのにも不自由だったのです。余談ですが、現役時代、会社に両刀遣いの男性がいて、左手で電卓を操作しながら、右手でメモをとっていました。

缶切は缶詰が出来て48年後

 今日は意外な話を提供しましょう。ネットの「缶切り」のウィキペディアによると,「缶詰」を発明したのは、1810年、イギリスのピーター・デュラントという人で、軍隊の保存食として画期的な製品でした。ところが、発明者はそれを開ける道具を考えなかったために、開けるのに四苦八苦。

 ハンマーとのみで叩いて開けるか、そんな道具がない戦場ではナイフを缶に突き立てて無理やりこじ開けたり、銃で撃ち飛ばして開けたりしていたのです。そのため、折角の画期的発明も台無しで、中身が周囲に飛び散ったりして惨憺たる状況になっていました。正に片手落ちと言っていいでしょう。

  これを何とかしないといけないと、缶詰の発明から何と48年経った1858年、アメリカのエズラ・J・ワーナーという人によって、引き廻して開ける方式の缶切りが発明されました。そして、その約10年後、現在、市場に出回っている缶の縁を切る方式が発明されたのです。

 缶切りは、使用者の利き手の違いに対応するため、右利き用と左利き用とがあり、一般に市販されているものの多くは右利き用。かつては、缶詰は缶切りが無ければ開けられなかったのですが、1970年代後半より、「イージーオープンエンド」の採用がすすみ、大抵は缶切りを用いなくても開缶可能となりました。いやはや。

他界したジャック・ルーシェ

 ネットサーフィンをしていたら、何とジャック・ルーシェのYouTubeが出てきました。前にバッハをジャズで演奏したCDを出して大ヒットしたアーティストです。私など、このCDを買った日は、かなり長時間聴いた覚えがあります。何しろ、バッハが最初からジャズで作曲したように、バッハはジャズがよく似合います。

  ところが、ルーシェは、その後、バッハだけではなく、ラベルの「ボレロ」、ヴィバルディの「四季」、ショパンの「夜想曲」、モーツアルトの「ピアノ協奏曲第20番」などをジャズ化したCDを次から次に出し、クラシックもジャズも好きな私はすべて買うことになり、何度繰り返し聴いたか解りません。

 それに、バッハも小曲だけでなく「ゴルドベルク変奏曲」、「イタリア協奏曲」などすべて全曲を編曲したのです。何と意欲的な出来事でしょう。正にクラシック音楽を完璧にジャズにつなげてしまったのです。ともかく聴いていてまったく違和感がないのです。私の所持してるルーシェのCDは全部で29枚。

  ところで、ジャック・ルーシェは1934年10月26日生まれのフランス人。10歳からピアノを始め、パリ国立高等音楽学校に進み、イヴ・ナットに学びました。卒業後、ピエール・ミシュロとクリスチャン・ギャロのの3人でピアノ・トリオを結成。世界中の音楽ファンを喜ばせました。そして、つい最近の3月5日、残念ですが85歳でこの世を去りました。何だかとても悲しいです。では、ルーシェが初めて出したバッハの演奏です。

夏越の祓(なごしのはらえ)

  今日は6月30日、この前買った本間美加子著「日本の365日を愛おしむ」を見たら、《新年が明けて半年。今日は、一年の折り返し地点となる節目の日です。明日から下半期がスタート、と考えると気持ちも引き締まりますね。昔の人々は、私たち以上にその思いを大切にしていました。

 そのあらわれとして、明日からの半年を気持ちよく迎えるための行事、夏越の祓(なごしのはらえ)が受け継がれています。……》。つまり、夏越の祓は、新年から積み重なった穢れや降りかかる災厄をはらい清め、明日からの半年が無病息災を願うために行う神事なのです。

  各地の神社はイネ科の多年草、茅(ちがや)を束ねた「茅の輪」をしつらえ、これをくぐり、心身を清めます。神様が「茅で出来た輪を腰につけていれば、病気になることはない」と教えてくれた神話に由来するならわしなのです。ところで、最近、夏越の祓にまつわる新たな行事食が登場したそうです。

 その名も「夏越しごはん(なごしごはん)」。栗や豆などが入ったご飯の上に、茅の輪をイメージした夏野菜入りのかき揚げを載せ、生姜を効かせたおろしだれをかけて頂きます。まだ、知名度は低いのですが、各地の飲食店やスーパーなどでも取り扱いが増え、自宅で楽しむためのレシピもお目見えしてるそうです。では、皆様が明日からの半年を無病息災で乗り切る事を心から望んでおります。

謎の昆虫「ネムリユスリカ」

 生物は人間に限らず全て水無しでは生きていけません。このことは誰でも知ってます。ところが、アフリカには、一度、体中の水分を全て失って干からびた状態になっても、後で水分を得ると、生命活動を復活出来る「ネムリユススリカ」という不思議な昆虫が存在するのをご存知でしょうか。

  八ヶ月に及ぶ長い灼熱の乾燥の間、「ネムリユススリカ」の生息する乾燥地帯では一滴の雨も降りません。乾期が始まると、水溜まりに住む昆虫たちは、次々に干からびて死んでいきます。そんな中で、「ネムリユススリカ」もほかの昆虫と同様に干からびてしまいます。ところが、干からびたまま乾期を過ごすとその後がびっくり。

  何と雨期になって雨が降ると、もとに戻って何事も無かったように活動を始めるのです。十七年前に乾燥した「ネムリユススリカ」の幼虫を水の中に入れたら、生き返った記録があるというから驚きです。この不思議な生態の謎を解こうと、これまでにいくつかの研究が行われています。

  その結果、解ったのは乾燥のストレスを受けた「ネムリユススリカ」は、体内で大量のトレハロースを合成し、失われた水の代わりにトレハロースが体内に蓄積されていくのです。そして、更に乾燥が進むと、そのトレハロースの水溶液が脱水によって流動性を失いガラス化して、細胞膜や蛋白質を体内に閉じこめて保護するというのです。しかし、「ネムリユススリカ」がどうやってその機能を得たのかは今も謎だそうです。

鎌倉のフレンチと古歌「鎌倉」

  このところ、ちょっとご無沙汰していますが、鎌倉の街が好きで、ことに小町通りの喧噪には何とも言えない魅力を感じます。まだ、会社をリタイアしていない頃、鎌倉に行くと、小町通りのはずれにある箸で食べるフランス料理の店「ル・ポティロン」に必ずと言っていいほど行ってました。

 何しろ、美味しいフルコースが安い値段で食べられるこの店にいつも電車の中から予約の電話を入れました。カウンターとテーブル席が数脚しかない小さな店はいつも満席、予約しないととても無理で、予約が出来ると家内と大喜びしていたことを思い出します。ところで「鎌倉」という古い歌をご存知でしょうか。

  ①七里ガ浜のいそ伝い 稲村ケ崎名将の 剣投ぜし古戦場②極楽寺坂越え行けば 長谷観音の堂近く 露坐の大仏おわします③由比(ゆい)の浜べを右に見て 雪の下村(したむら)過行けば 八幡宮の御社(おんやしろ)④上るや石のきざはしの 左に高き大銀杏(おおいちょう) 問わばや遠き世々の跡⑤若宮堂の舞の袖 しずのおだまきくりかえし 返せし人をしのびつつ。

 ⑥鎌倉宮にもうでては 尽きせぬ親王(みこ)のみうらみに 悲憤の涙わきぬべし⑦歴史は長き七百年(しちひゃくねん) 興亡すべてゆめに似て 英雄墓はこけ蒸しぬ⑧建長円覚古寺の 山門高き松風に 昔の音やこもるらん。フランス・レストラン「ル・ポティロン」と古い歌「鎌倉」、それだけでも鎌倉大好きです。

一日が長くなりつつある地球

 天文学もどんどん進んでいます。ネットにアメリカの研究で「月が原因で地球の1日は長くなっている」という記事がありました。ということは、月の影響で地球の自転のスピードが遅くなっているのです。このことから推類すると、地球が誕生した当時の一日はとてつもなく短かったことが解ります。

  つまり、地球の自転は10万年に1秒遅れているのです。これを逆算すると、45億年前は地球の自転は一日に5時間程度だったのです。なぜ、このようなことが起きるかというと、月と地球の関係性でそうなるのです。どなたもご存知のことですが、月の引力によって潮の満ち引きが起きています。

 現在、45億歳の月は、地球から平均38万5000キロの地点にあります。しかし、地球と月の間に働く潮汐力のために、年間3.82センチという割合で、ゆっくりと螺旋を描きながら遠ざかっているのです。このため、地球の自転速度がどんどん遅くなっているのです。

  米ウィスコンシン大学マディソン校の研究チームは、天文年代学という新しい統計手法で地球の地質学的過去を探り、歴史を再構築しました。その結果、ちょうど14億年前の月は地球にかなり近い位置にあり、地球の自転も今より速かったことが判明し、当時の地球の1日は18時間程度だったのです。そして、地球の寿命は残り50億年と言われていますが、その時には一日の長さは何と44時間になる計算です。

 

世界1位陥落の大坂なおみ

 今朝のネットで、テニスの世界ランキングで、大坂なおみが1月28日から続けてきた世界1位の座から陥落することが決まったのを知りました。英国・バーミンガムで行われた「ネイチャーバレー・クラシック」で、世界2位のアシュリー・バーティ(オーストラリア)が優勝し、得点を6540点に伸ばしたのです。

  その結果、大坂なおみの6377点を抜き、アシュリー・バーティが1位になるのです。大坂は、全豪に優勝した直後に、シングルス世界ランキングで、史上初の世界1位となりました。それ以来、合計21週間、女王の座を維持してきたのです。21週は、過去26人いる世界1位経験者の中で、15番目の長さ。

  大坂なおみの次の戦いは、7月1日に開幕する「ウィンブルドン」の予定です。アシュリー・バーティは、1976年のグーラゴン以来、オーストラリア女子として、史上2人目の世界1位となります。これは私見ですが、大坂なおみが、折角、得た1位の座を落ちるのはやっぱりコーチを変えた影響に思えてなりません。

  この意見は私だけではなさそうで、ネットに《「サーシャなしで完全に別人」大坂なおみ、コーチ変更の影響を海外ファンも心配》という記事があり、「サーシャなしでは、前とは同じプレイヤーにはなれない。彼女の時代は終焉したのかもしれない」。とありました。大坂はどう考えているのでしょうか。

江戸時代の「大食い大会」

 昨日のトーク番組「メレンゲの気持ち」にギャル曽根が出演していましたが、ギャル曽根は空腹の時にコンビニには絶対行かないと言ってました。ところで、江戸時代にも「大食い大会があったのをご存知でしょうか。ネットに「江戸時代にもあった大食い大会の信じられないような大記録 ! !」というYouTubeがあります。

 それによると、特に有名なのは、文化14年(1817年)に、両国柳橋の料理屋「萬八楼」で行われた大食大会で、その時の記録が残っていますから、当時、かなり有名な出来事だったのでしょう。当時は参加者が同じ物を食べるのでは無くて自分が選んだ物を食べたようです。

  まず最初に紹介してるのはお菓子の部で、神田に住む56歳の男性は、饅頭50個、羊羹7棹、薄皮もち30個、お茶19杯も飲み、八丁堀の65歳の男性は、饅頭30個、うぐいす餅80個、松風せんべい30枚も食べたという凄まじい記録が残っているそうです。きっと暇な方が書き留めておいたのでしょう。

  お菓子の部のつぎはご飯の部で、このYouTubeに次から次に出てくるコメントを読んでいると、江戸時代にも大食いをこころみる人がいっぱいいたようで、リッチでない人の食べた代金はどうしたのかと心配になってしまいます。ネットに「早食い・大食い」のウィキペディアがありますから、お読みになって下さい。

 

 

「信用してね」がお辞儀と握手

 挨拶には基本的に、お辞儀と握手があり、日本人はお互いに頭を下げるお辞儀です。このしきたりがいつからはじまったのかは定かではありませんが、中国が古代の日本の姿を記録した「魏志倭人伝」にその姿が載っているそうですから、かなり古くからあるようです。

  実はこの行為にはある種の覚悟が込められいて、自分の首を相手に差し出しているのです。つまり、単に頭を下げているのでは無く、自分の首を相手に差し出して、いつでも首を攻撃して殺めることができますよという意思表示なのです。それほど、相手に敵意が無いことを示しているのがお辞儀の本質と言っていいでしょう。

  一方、西洋では握手というしきたりを生み、これはお互いに武器を隠し持っていないことを証明する意図で、利き腕である右手を握り合っているのです。しかし、正式なお辞儀のスタイルでは、左手で利き腕の右手を押さえながら頭を下げるそうですから、何ら握手と変わりありません。

   いずれにしても、挨拶は人間同士がお互いに相手を信用出来ないという不信感からから生まれたという悲しさを持っています。ともかく、人間はなにげない動作のうちに古代から続いている考え方は「相手を決して油断してはならない」ということなのす。ネットにも「お辞儀と握手」というサイトがありました。

あり得ない「タイムトラベル」

  「タイムトラベル」と言えば、タイムマシンなどに乗って、時間を自由に行き来することですが、あくまでもSFの世界の話で、現実には絶対にあり得ないと思っていました。ところが、最近になって、少なくても理論的には、過去へ時間旅行することは可能ではないかという主張が、物理学者たちによってなされています。

  それを証明するかのように、ネットで《世界的に有名となった10の「タイムトラベル」案件》というタイトルの記事を発見しました。この中から実際に起こったと言われる事件を二つばかり紹介しましょう。まず、最初は「モーバリー&ジョーダン事件(プチ・トリアノン宮殿の幽霊)」という話です。

  《1901年8月10日、フランス、ヴェルサイユ宮殿にあるプチ・トリアノンの庭でのこと。ここを訪れていたイギリス人教師のエレノア・ジョーダンとシャーロット・アン・モーバリーが、フランス革命時代にタイムスリップして、マリー・アントワネットやそのとりまきの姿を見たという》のです。

  そして、もう一つは「チャーリー・チャップリンの1928年の映画『サーカス』の中で、歩きながら携帯電話を使う女性」で、《2010年、映画製作者のジョージ・クラークが問題のこのシーンを発見しました。携帯電話のように見えるこの機器は、1924年に特許がとられたジーメンスの補聴器の可能性もある》とコメントがあります。あとの8つの事件は、ご自分でお読みになって下さい。話としては面白いのですがフランス革命が出てくるのはちょっと。

人が進化で体毛を失った理由

  人間にとって身近な犬や猫をはじめ、大抵の哺乳類は全身が厚い毛で覆われていますが、わたしたち人間はそうなっていません。恐らく人間も最初は動物と同じに毛があったと考えてもいいでしょう。ところが進化の過程で、人間から毛がなくなってしまったのはどんな理由があるのか考えてみたことがありますか。

  ネットに「ヒトはなぜ体毛を失ったのか!? ダーウィン説ではなく二足歩行が体毛を失わせた原因だった?」という記事を見つけました。それによると、《この謎は人類の長年の疑問で、沢山の学者が研究していますが、これまではダーウィンが提唱した「性淘汰」説が有力視されていたのです。

 「性淘汰」説とは、人間の体毛が退化したのは、異性の好みに合わせようとしたからだというのです。毛深い男女より、毛の薄い男女の方がもてるようになったため、毛深くない子どもが増えていったというのです。結果、生存にリスキーでありながらも、繁殖する確率の高い、薄毛の身体へと淘汰されていった》のです。

  ところが、近年は人間が二足歩行になったために体毛を失わせたという説が浮上しているのです。二足歩行となって活発に地上を動き回るようになった人類は、脳が過熱しないように体を冷やす必要が生じたため、体毛を減らして表面の汗腺の数を増やしたのではないかというのです。でも、まだ確信にはなっていないようです。

 

小澤征爾氏と村上春樹氏

  村上春樹氏が2011年に刊行した「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を、再度、読みたくなり手にしました。村上春樹さんがジャズに詳しいのは、早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開店するほどですから当然です。しかし、クラシック音楽の話で、プロの音楽家と対談することになった経緯を知りたくなりました。

 何しろ、音楽を学んだことが無い人が、普通、プロの音楽家と音楽の話をするのはかなり大変でしょう。そのことについて、もしかしたら17ページにわたる長い「序文」の中に何か書いているのではないかと、今回、それを読んでみることにしたのです。そして、音楽の話を活字に残したい「動機」みたいなことを知りました。

  それは、1962年にグレン・グールドとレナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルの演奏会でブラームスのピアノ協奏曲第1番を演奏した時の話です。演奏の前にバーンスタインが聴衆の前に立ち「これは私が本来やりたいスタイルの演奏ではない。ミスター・グールドの意思でこうなった」という話をしたのです。

 小澤征爾さんは《僕はあのときレニー(バーンスタインのこと)のアシスタント指揮者としてちょうどあの場所に居合わせたんです。……でもね。演奏の前にこんなことを言うのは、あんまりよろしくないんじゃないかなとそのとき僕は思いました》。つまり、演奏のテンポが異様に遅いのです。こんなことが書いてある対談、クラシック音楽がお好きな方は、是非、お買いになって持っていると、知らなかったことが会話に出てきて楽しいです。

魔の「バミューダ海域」の謎

 西大西洋のフロリダ半島、プエルトリコなどに囲まれた「バミューダ海峡」は、「バミューダ・トライアングル」と呼ばれ、恐れられてきました。その理由は、この海峡に入った船舶や航空機が忽然と姿を消してしまうという行方不明事件が相次ぎ、多くの人々がその真相に迫ろうと試みてきたのです。

  その結果、出た答えは、「天候の急激な変化」や「竜巻」などのほか「深海の怪物の攻撃」とかの奇想天外な説も飛び出したものの、科学が発達した現在もその謎は解けていないのです。世界にはこの話に基づいてドラマやフィクション小説が作られているようですが、私はその類のものに一度もお目にかかったことがありません。

  ともかく、バミューダ海峡の謎は解かれないまま、50もの船舶や航空機が失踪し、SOS信号を発信すことなく消息を絶ったり、その残骸が発見されない事件が相変わらず後を絶ちません。そこに痕跡を残さないという点で注目されたのが深海にある「メタンハイドレート」が関係しているのではないかという説です。

  この「メタンハイドレート」は暖流にぶつかると溶け、大量のメタンガスを発生して海面が泡立てられ、そこを通る船舶は制御不能。また、気化したガスは航空機のエンジンに引火して爆発して跡形も無くなります。これで解決したと思ったら、「メタンハイドレート」と暖流の組み合わせはここだけではなく、ほかの場所では何も起きてないので、この説は消えてしまったようです。

複数存在するムンクの「叫び」

  昨年の10月から今年の1月にかけて、私は行きませんでしたが、オスロ市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションを中心に、約60点の油彩画に版画などを加えた約100点の展覧会が東京都美術館で開催されました。勿論、多くの人の目的の作品はエドヴァルド・ムンクの「叫び」。

  ともかく、強烈な印象のムンクの「叫び」をご覧になって下さい。ここにムンクが1892年1月22日に書いた日記が載っていて、それによると《私は二人の友人と一緒に道を歩いていた。日が暮れようとしていた。突然、空が赤くなった。私は立ち止まり、疲れを感じ、柵によりかかった。

  そのとき見た景色は、青黒いフィヨルドと町並みの上に炎のような血と舌が被さるような感じだった。友人は気にせず歩いていたが、私は不安に襲われてその場に立ちすくんだ。そして私は自然を通り抜けていく無限の叫び声を聞いた》。どうやら、この絵はムンク自身が叫んでいるのではなさそうです。

   ところで、「叫び」には複数のバージョンがあり、最もよく知られている1893年の油彩版は、ノルウェーのオスロ国立美術館が所蔵しています。そして、1893年のパステル画版と1910年のテンペラ画版はオスロのムンク美術館。そして、1895年のパステル画版は、一般市場に流通していて、2012年5月2日に行われたオークションで競売にかけられ、1億2000万ドル以上の価格で落札され、現在、市場に流通している最も高額な美術作品の一つと言われています。それにしても、この絵にそんな値段がつくのはなぜなのでしょうか。

 

超初心者向けラグビー観戦術

 ラグビーのW杯日本大会の開幕が迫り、ワクワクしています。ラグビーが好きでも、まだ得点のルールさえよく解って無い方がおられるかも知れないので、本当に本当の超初心者のために、最低限、知っていて欲しことを書きますので、W杯観戦の参考にして頂けたら嬉しいです。

  まず、得点は、ボールを相手陣のインゴールに持ち込み地面につける「トライ」が5点。トライを取った後にボールを蹴りゴールポストの間をボールが通れば「コンバージョンゴール」と言って2点。相手チームの反則により、ペナルティキックの権利が与えられて成功すると「ペナルテイゴール」は3点。

  プレー中に、ボールをワンバウンドさせてから蹴る「ドロップゴール」も3点。相手チームの反則がなければ確実にトライを取れていた、という場面でレフリーの判断により決まる「ペナルティトライ」は2017年からコンバージョンキックが省略されて、一気に7点が入るようになりました、

 そして、最も多く発生する「オフサイド」の反則はサッカーのように解りやすくないので、レフリーの判定をそのまま信じるしかなくペナルティキックの権利が与えられます。また、ボールを前に投げる「スローフォワード」の反則も、ボールを前に落とす「ノックオン」の反則もレフリーの判定をそのまま信じるしかないでしょう。そして、陣地を前に進めるために相手ボールになるのを承知で、ワザとボールをタッチに蹴る「タッチキック」は作戦の一つです。では、ラグビーのルール」(動画)を書いておきます。ともかく早く来い来いW杯です。

進化の過程で喪失した器官

 ネットに《人体には「進化の過程で役割を失って退化した器官」の名残がいくつも存在する》という見出しの記事がありました。その記事の出だしの部分をちょっと紹介すると、生物学者のチャールズ・ダーウィンは、生存競争を乗り越えて自然環境により適応したものが子孫を残し進化していく「自然淘汰(とうた)説」を提唱。

 「ヒトはサルと同一の祖先を持ち、その祖先もまた別の生物から進化したものである」という現代の進化論の礎を築き、ヒトが進化する過程の中で必要がなくなった器官は退化して無くなってしまうというのです。しかし、その名残は今でも人体に残されていて、こんな例がありますから、説明を読みながら写真をご覧になって下さい。

  ①親指と小指をくっつけて、手首を内側に曲げます。この時、日本人では3~5%の人が画像の右の人のように筋が表れません。②手首に表れるこの筋は「長掌筋(ちょうしょうきん)」と呼ばれ、人体に残された進化の名残の1つです。長掌筋の機能は別の筋肉でも十分代行されるのです。

 ③従って、この筋がなくても握力が弱くなるということはないのです。つまり、長掌筋(ちょうしょうきん)」は人間の進化の課程でなくなっていまった器官で、別に人体に無くても支障がきたさないので、野球の投手が受けることで知られる「トミー・ジョン手術」では、この長掌筋を肘関節の靱帯に移植する施術が多く行われるのです。そのほか、進化の過程でなくなった器官の説明はこの記事をよくお読みになって下さい。

ヴェルレーヌの「秋の歌」三訳

 ちょっと季節はずれで気がひけますが、今日はポール・ヴェルレーヌが20歳の時に作った「秋の歌」の訳を三人の技を吟味して比べてみようと思います。この詩に接していると、ロマンに満ちていた遙か彼方の青春の日々がおぼろげに脳裏に甦ります。まず、最初は金子光晴の訳ですが、ほかの二人と少し感じが違います。

  《秋のヴィオロンが いつまでも すすりあげてる 身のおきどころがない さびしい僕には ひしひしとこたえるよ 鐘が鳴っている 息も止まる程はっとして 顔青ざめて 僕は思い出す むかしの日のこと するととめどない涙だ つらい風が 僕をさらって 落ち葉を追っかけるように あっちへこっちへ 翻弄するがままなのだ》。

   次は堀口大学で《秋風の ヴィオロンの 節長き啜り泣き もの憂き哀しみに わが魂を 痛ましむ 時の鐘 鳴りも出づれば せつなくも胸せまり 思ひぞ出づる 来し方に涙は湧く 落葉ならぬ 身をばやる われもかなたこなた 吹きまくれ 逆風(さかかぜよ》。

  そして、上田敏の「海潮音」の題名は「落葉」。《秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し 鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな》。やっぱり、上田敏が一番好きです。蛇足ですが、勿論、「ヴィオロン」は「ヴァイオリン」のことです。

正しい方向を判断する渡り鳥

 鹿児島県の出水市は、国の天然記念物に指定されているツルの飛来地として知られています。越冬のためにロシアや中国などから、毎年、10月頃に飛来してきたツルは、2月、3月になると、今度は繁殖のために飛び立って、北国に帰っていきます。ツルに限らず、毎年、決まった時期に移動を繰り返す渡り鳥。

  この渡り鳥が、どうやって飛ぶ方向が解るのか、ネットに「渡り鳥が移動する方向が分かる理由」という記事を発見しましたので紹介します。渡り鳥は、食糧や繁殖などの事情に応じて、何千キロという長い距離を移動しますが、渡り鳥が迷わずに移動出来る秘密は、生まれつき持っている体内時計にあるのです。

  渡り鳥は、昼は太陽の位置、夜は星座の位置から現在の位置と向かう方角が分かるというから凄いです。これに加え、地磁気や風向き、地形の情報なども参考にして、正しい方角に飛ぶことが出来るのです。渡り鳥が星座を参考にしていることを示すこんな実験をしています。

 プラネタリウムの中に渡り鳥を入れてみたら、鳥たちは常に星座の一定方向を目指して飛んだというのです。渡り鳥には、昼間に移動する鳥もいれば、天敵を避けて夜間に移動する鳥もいて、どちらにも対応出来るようになっているなんて驚きです。ともかく、遺伝子の記憶によって旅に出る渡り鳥に敬意を表します。

高倉健さんと降旗康男監督

 「週刊新潮」6月13日号を買ったら、5月20日、肺炎のため84歳で逝去された映画監督降旗康男氏の「墓碑銘」があって、《高倉健の新境地を開いた降旗康男監督、静かな信頼感》とありました。何しろ健さんは降旗康男監督と組んで「夜叉」「あ・うん」「鉄道員」などいい映画を何本か作っています。

 中でも、私にとって忘れられない映画が1981年に制作した倍賞千恵子と共演の「駅 STATION」。舞台は北海道で、健さんは刑事です。この映画の中に、日本映画史上、屈指の名場面と言われている酒場のシーンがあります。歳も押し詰まった12月30日の夜、健さんは倍賞が主の小さな酒場のノレンをくぐります。

  カウンターの端には小さなテレビが置いてあり、流れているのは八代亜紀の「舟歌」、健さんと倍賞の会話や仕草には何とも言えない哀愁感が漂います。恐らく、降旗監督と健さんは、演出上の細かいことを色々と話合ったことでしょう。ともかく、この小さな酒場のシーンは何度繰り返し観てもしびれます。

 健さんは年に一度か二度、一人で降旗監督の自宅を訪ね、15分ぐらいで帰りますからと言いいながら3時間ほど過ごしていたのです。ともかく、健さんと降旗監督は深い信頼感で結ばれていたようです。謹んで降旗康男監督のご冥福をお祈り致します。これは、映画「駅 STATION」で二人が初めて出会った翌日の大晦日の場面です。倍賞は「店にいるから来ない?」と旅館にいた健さんを呼び出し、テレビは「紅白歌合戦」が流れています。そして、次の場面は永遠の別れを決意し列車に乗る前に店に寄った所です。二人の顔が極度に険しいのは深いワケがあるのです。

紫陽花の「おまじない」

 玄関に近くのスーパーから私が買ってきた鉢植えの紫陽花が二鉢。さらにうちのすぐ前の家の奥さんが、庭の大きい見事な紫陽花を切って持ってきてくれて花瓶に活け、目下、我が家の玄関は紫陽花で賑わっています。ところで、今年4月に発刊された本間美加子著「日本の365日を愛おしむ」という本を持っています。

  その本の今日6月9日のところを見たら「アジサイのおまじない」という字が眼に留まりました。書いてある文章をそのままコピーさせて頂くと《梅雨時に開くアジサイを用いるおまじないがあります。6月の6がつく日(6・16・26日)にアジサイを一輪、軒下に逆さに吊すのです。

  厄除けや魔除けになるといわれ、さらにはトイレに吊るすと婦人病にかからないと言われています。地方によってはアジサイを半紙で包む、紅白の水引で結ぶ、といったしきたりもあるそうです。アジサイは有毒植物です。古(いにしえ)の人々は、この毒が病をはねのけてくれると頼みにしたのでしょう。

  また、花色が移りゆくアジサイを逆さにすることで「病が移らない」よう、縁起を担いでいるともいわれています》。私はこれを読んで「なるほど、こんなおまじないがあるんだぁ」と感心しましたが、もしこのおまじないを知らない人が逆さの紫陽花を見たら、首を傾げるに違いないと思い、本間さんには悪いけど実行はしていません。

日本で唯一の地下鉄の踏切

 ネットで《地下鉄なのに踏切が!?上野にただひとつだけの、銀座線の踏切を追え》という記事を発見しましたので紹介します。読んでみると、東京で最も古い地下鉄「銀座線」、この線には地下鉄なのに、何と踏切が存在するというのです。ともかく、説明文をそのままコピーしましょう。

  《銀座線の踏切は東京メトロの上野検車区内にあります。検車区とは、車両の検査や修繕等の役割を担う施設のこと。東京メトロの検車区は都内を中心にいくつかありますが、踏切があるのはここだけ。いえ、むしろ、地下鉄の踏切があるのは日本でここだけなのです!》。

 どうやら、「銀座線」の電車が上野検車区に行くための線路が公道と公差してるので、踏切を作らないと危険なのです。何しろ「銀座線」はなにぶんにも古いので、「サードレール方式」と言って線路の脇のレールに高圧電流が流れていて、車両はそこから電氣を取り、動力にしています。

  そのため、人が立ち入らないように遮断器を置いて、人に危険が及ばないようにしているのです、日本でたった一つしかない地下鉄の踏切。上野方面に行った時には、見学して写真でも撮って誰かに見せたら話のタネになるかも知れません。それにしても、高圧電流の流れているレール、私も前に一度見たことがあります。.

140円で楽しめる日帰り旅行

 鉄道が好きな方の遊びに「一筆書き」があります。大都市近郊の鉄道の駅、例えば、東京駅と有楽町駅は隣の駅なのに、東京駅から反対の神田駅に行き、沢山の駅を経過して、最後に有楽町駅に着くのは、鉄道好きにとって究極の遊びです。それを実行するには、ルールに基づかなければなりません。

  通過する駅は一度だけで、二度通ってはいけないのです。勿論、途中下車も駄目で、ただひたすら電車に乗っているのです。つまり、大回りしてどうやって隣の駅に行くかということで、これを鉄道マニアは少しもバカバカしいとは思わないのです。しかし、この実行には出来るだけ多くの駅を通るルートを設計する必要があります。

  ところで、この大回りをするためには、鉄道規則があり、それを説明します。まず、このルールが適用出来るのは①大都市近郊区間のみです。②実際に乗車する経路に関係なく、最も安くなる経路の運賃が適用されます。③途中下車は出来ませんが、駅構内にある飲食店で飲んだり食べたりは自由です。

  では、実際に東京駅から有楽町駅までを140円で大回りで乗る経路(地図はクリックすると拡大出来ます)がネットにありますから、よくご覧になって下さい。ともかく、この大回りの旅は、経路を自分で考え、休日にでも実際に実行するのが楽しみなのは言うまでもありません。140円で楽しめる日帰り旅行です。

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