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「オメガ」と国産の「電波時計」

 約10年前にリタイアした会社の話ですが、30年ほど前のある年、会社は驚くような利益を出し、暮には社員にかなり高額の賞与を支払ったにもかかわらず、もしこのまま三月末の決算をしたら、大変な税金を税務署に支払うことになりそうでした。そこで、役員で経理の責任者だった私は、社長にこう相談したのです。

  「社長、こんなことは滅多にない出来事です。このまま国に税金を支払うより、社員に追加賞与を支払った方が、どれほど喜こばれるか解りせん」。12月のある日、臨時役員会を急遽開催し、更に追加賞与を支給して、利益を減らすことを考えたのです。これは当然の判断と言っていいでしょう。

  それを知って大喜びしたのは、永くからいる社員ばかりではなく、最近入社して賞与を受け取れる資格を取得したばかりの社員も驚愕。凄い会社をハローワークは紹介してくれたものだと、わざわざ私のところにお礼にきて、昨晩、家内に話したらびっくりしてましたと言ってたのをよく覚えています。

 実は、私もこんなことは滅多に起きないと、清水の舞台から飛び降りるつもりで30年前に買った「オメガ」、それがつい最近故障して修理代が何と7万円近いというのです。それなら、かねてから使いたかった電池交換が無いソーラーで常に1秒も狂わない「電波時計」がいいと、故障していて使えない「オメガ」を抽出の奥深くしまい、池袋のビックカメラで買った28000円のSEIKOのソーラーの「電波時計」を腕にして悦に入ってます。

昭和40年代の歌と出来事

 本屋の店頭で週刊誌を見ていたら、「週刊現代」6月27日号の《昭和40年代の曲限定 あなたなら何を歌う》というタイトルの特集記事が眼に留まり、「スナックで歌いたい昭和40年代の名曲30選」がありました。昭和40年と言えば、今から55年も前で、まず真っ先に頭に浮かんだのが「夜霧よ今夜も有難う」。

 そうそう、祐ちゃんが歌ういい詞と旋律です。また、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」がありました。尾崎紀世彦はこの一曲だけの印象です。そして、吉田拓郎が切々と歌う「旅の宿」も大好きです。あと加藤登紀子の「知床旅情」」青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」千昌夫の「星影のワルツ井上陽水の「心もよう」。

  みんないい歌ですが、私が一曲だけ選ぶとしたら何と言っても、ちあきなおみの「喝采」。《いつものように幕が開き 恋の歌うたうわたしに届いた報らせは 黒いふちどりがありました あれは三年前、止めるあなた駅に残し、動き始めた汽車に飛び乗った……》の歌詞とメロディのドラマチックなこと。

 ところで、昭和40年は何が起きてたかちょっと振り返ってみました。まず、総理大臣は佐藤栄作、プロ野球は巨人が二年ぶりに優勝し、ドラフト会議の第1回が行われました。また、映画は「サウンド・オブ・ミュージック」がアカデミー賞を受賞し、10月に国鉄が大ダイヤ改正を行っています。何だかとても懐かしいです。

人類の危機を救うハムスター

 昨日6月24日付朝日新聞夕刊に《コロナの薬開発 ハムスターの出番 人間と似た症状》という見出しの記事を見つけましたので、お読みになって無い方のために紹介します。何しろ、全世界の新型コロナウイルスの感染者は9,263,466人、死者は477,584人という凄いことになっているのです。

  早く全世界の知能を集めてなんとかしないと、人類は大変なピンチに見舞われています。その新聞記事によると、東京大学医科学研究所の河岡義祐教授らのグループは人の患者からとった新型コロナウイルスをハムスターの鼻の穴に入れ、気道や肺で増えることを確認したというのです。

  つまり、コンピューター断層撮影法により調べた12匹すべてが、新型コロナの患者によくみられる肺炎の特徴を確認出来たのです。肺炎は2日目ごろから現れ、6~8日ごろピークになり、その後回復に向かいました。そして、感染から20日後、回復したハムスターに再びウイルスを加えるとウイルスは検出されず再感染に抵抗力があることも判明。

 ともかく、治療薬やワクチンの研究では、人に近い症状を示し、扱いやすい小動物が求められていたのですからハムスターはぴったりです。コロナウイルスが人間と同じ症状になることを発見されてしまったハムスターには気の毒ですが、危機にひんした人類のためにここで一肌脱いで下さい。

路線バスの団子状態の解析

 現役時代、私は通勤にバスを利用した経験が無いので、路線バスが遅延して数台のバスが前後に並んで運行してしまう状態を目の辺りにしていません。これを「bus bunching(バスの団子運転、団子バス)」と呼び、これがが起こるワケをアニメーションで体感できる「Bus Bunching Explained Visually」がネットにあります。

 ともかく、この状態は非常に不快なのは間違いなく、バスを、毎日、利用してる方にとっては、この動画はとても興味があるでしょう。何しろ、会社や学校に遅れることを心配してイライラしながらバスを待ってるのは、精神衛生上、最悪で、雨が降っている時などは絶対に避けたい状況です。

  何しろ、バスの団子状態により遅れても、乗客は運転手に「遅れたのに何で謝らないの?」と文句を言うくらいで、中には「遅延証明書」の発行を要求する乗客もいるようですが、運転手の方は「遅れるのがイヤだったらバスを使わないで欲しい」と言わんばからにいくら文句を言われても平気の平左です。

  ところで、これは日本ばかりで起きてる現象ではなさそうで、ネットに《スマートフォンアプリケーションによる「バスの団子運転」の防止》という論文を発見。どうやらアメリカのボランティアのソフトウェア開発者兼データ・アナリストは、彼の論文で"、バスの団子運転の防止にAnyLogicシミュレーションを使用し、バス乗降客の体験を改善することができればと考えたとありますので読んでみましたが、よく解りませんでした。興味のある方はご一読下さい。

とても甘党だった織田信長

 鈴木真哉著「戦国武将のゴシップ記事」という愉快な本を持ってます。例えば、織田信長は大酒飲みだったというのが通り相場で、中には酒乱だったという噂もあります。自分がお酒が好きな故に、下戸の明智光秀に酒を無理強いし、それが光秀謀反の一因になったというような話がいまだにささやかれているのだそうです。

  ところが信頼出来そうな資料によると、織田信長が酒が好きだったことを証明できるものは一つもなく、逆に彼が酒を飲まなかったことについては、確かな証言があり、宣教師のルイス・フロイスは、信長に会った後、ほかの宣教師に送った書簡には「信長は酒を飲まず、自ら奉ずることは極めて薄い」と書いてるそうです。

  その後、フロイスは二十回近く信長と会って、食事ををともにしていますが「彼は酒を飲まない」とはっきり言ってるようで、むしろ、信長が甘党だったことを証言してるようです。それが証拠に宣教師らが信長に手土産を持っていくと、要らないものは返し、「コンフェイト(金平糖)」は確実に受け取ったそうです。

  また、金平糖を人を介して届けた時には、信長は大いに喜び、丁重なお礼の書状を送ったそうですから、信長が甘い物を好んだのは間違いないでしょう。何しろ、金平糖を好んで食べた人間が酒乱のわけがなく、酒を光秀に無理強いしたのが、例の事件の原因だなんてあり得ない話に決まっています。

窮地に陥ったトランプ大統領

 「週刊文春」6月18日号を読んで驚きました。白人警官による黒人暴行死をめぐり全米で抗議デモが巻き起こる中、元側近による異例のトランプ大統領批判が注目を集めているそうです。ジェイムズ・マティス前国防長官は、6月3日、米アトランティック誌に寄稿してこう言ってます。

  「どんな状況であれ、軍が憲法で保障された市民の権利を奪うよう命じられるかもしれないなどとは夢にも思わなかった」。また、「トランプは我々を分断しようとしている。ドナルド・トランプは私が人生で初めて見た、アメリカ国民をひとつにしようとしない大統領だ。その素振りすら見せない」。

  マティス氏は2018年末、シリア撤退に抗議する形で国防長官を辞任したが、これまで大統領を直接批判したことはなかったのです。デモの沈静化に「軍の投入も辞さない」と表明したトランプに対し、マティス氏以外にもエスパー国防長官をはじめ、共和党議員や元軍人からも非難が巻き起こっています。

  こうした自陣営からの批判の背景には、トランプによる米軍の政治利用への懸念があります。6月1日、ホワイトハウス近くの教会前で写真撮影にのぞむトランプのために、連邦公園警察などが平和的な抗議活動をしていた人たちを催涙弾やゴム弾で排除。マティス氏はこれを「国家元首の職権乱用」と大々的に批判しました。一体、大統領選挙はどうなるのでしょうか。

 

映画「浮雲」と真の高峰秀子

 女優の高峰秀子と言えば、真っ先に頭に出てくるのは映画「浮雲」の彼女で、これでもか、これでもかと、救いようが無い暗さにうんざりされた方も数多くおられるでしょう。ところが、古本屋で見つけた「高峰秀子 暮らしの流儀」(新潮社)には冒頭にデコちゃんこと高峰秀子が夫の松山善三氏と笑顔で食事をしてる写真がありとても明るい雰囲気です。

 この本にはデコちゃんの夫、脚本家の松山善三、デコちゃん、そして、2009年にデコちゃん夫婦の養女になった斎藤明美さん三人が登場し、斉藤明美さんの文章がやたらに出てきて、それを読んでいると、高峰秀子さんの生活がよく解ります。例えば「高峰秀子の理想の家」と言う一文には、デコちゃんが住んでいた家のことが書いてあります。

  それによると、デコちゃんは家を替えるのが好きだったようで《十四度目の麻布の家は、映画五本のギャラ、昭和二十七年当事の五百五十万円を前借りして、それを現ナマで風呂敷に包んでポンと渡し、英国人から邸宅を購入したのが、同地の最初の家だった。「ガバガバの古い洋館」だったその家を八年余りで壊して三階建ての教会建築にした。…》。

 これを読んだら、映画「浮雲」の中で、高峰秀子が戦争中に海外で一緒に仕事した森雅之と、戦後、東京の街を歩くシーンがふと脳裏に甦り、高峰秀子が実際は麻布の洋館に住んでいたなんて何だか不思議な気がしました。それにしても、この本 、映画「浮雲」がなお一層強烈に胸を締め付けます。この映画をこれからご覧になる方はこの一文を是非お読みになるといいでしょう。涙無くしては観られない「浮雲」、絶対に観るべき映画です。

 

絶対に欲しいジャズのCD

 吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」、東京のジャズファンで、この店をご存知ない方はまずいないでしょう。かって私も足繁く通いました。ところが、オーナーの寺島靖国氏は2018年2月28日をもって閉店し「メグ」の名称をどなたかに譲ったようですが、私はその店にまだ一度も行っていません。

 ともかく、「メグ」は40年以上も続いた店で、寺島靖国氏は、ジャズについての知識は抜群の上、オーディオについてもその力の入れようは誰も比較出来ない気がします。さらに筆が立ち、ジャズやオーディオ関係の出版している本もハンパではなく、私もかなりの数を所持しています。

  その中から、今日、私の眼にとまった本のタイトルは「JAZZはこの一曲から聴け!」。そして、これは絶対にブログにアップしなけらばと思ったのが「ジャズ・ファンのみが知るエクスタシー!」。ちょっと、寺島さん独特のハギレがいい文章をそのままコピーしした方が、寺島さんの気持ちが伝わるような気がします。

 《いやはや、これは凄い。私は今、書く勢いをつけるためにもう一度聴いたのである。思い切りヴォリュームを上げて。近所から苦情がこないかと冷や汗の出る思いだ。ピアノとべースとドラムス、この三人の気持ちが合わなければこういう演奏はできない。一聴してブルースとわかるテーマが終わる三八秒あたりから三人の「斬り合い」が始まる。……》。ジョン・ステッチ「グリーン・グローブ」という寺島さんに「これは凄い」と言わせた輸入盤のジャズのCD、今日、池袋の西武デパートの中のヤマノ楽器に行って探そうと思っています。

幕末に起きた「寺田屋事件」

 《教えちゃいけない!?日本史の「裏」》という本に幕末の歴史ファンが、是非、訪ねてみたいスポットの一つ、京都の寺田屋事件のこことが出ています。 1866年(慶応2年)、1月23日、坂本龍馬が定宿として使っていた寺田屋が、幕府の官吏に包囲され、入浴中のお龍がそれに気づき、裸のまま飛び出して龍馬に知らせと言われています。

  その寺田屋にはお龍が使った風呂桶や龍馬が撃ったピストルの弾、刀傷が生々しく残る柱などがあり、当然、京都の人気の観光名所です。ところが、この寺田屋は当事のの建物ではないという驚愕の事実が判明したのです。2008年(平成20年9月1日に発売されたある週刊誌によると、寺田屋は鳥羽伏見の戦いで焼失したと言うのです。

  従って、現存する建物は後から再建された物で、1906年(明治39年)に寺田屋七代目が書いた資料には「戊申の兵火にかかり家屋もろとも焼失」しと記載され、お龍が入っていたとされる風呂場も登記簿には1908年(明治41年)に新築された記録が残っているそうですから驚きます。

  さらに、寺田屋の隣にある記念碑にも「寺田屋遺跡」とはっきり書いてあり、寺田屋が焼失したことはもはや疑う余地がないのです。行政も実態調査に動き、京都市歴史資料館が調査した結果、寺田屋は確かに鳥羽伏見の焼失したことは間違いないと結論づけられたそうです。この本には、寺田屋に残る刀傷やピストルの弾は、一体、何なのだろうかで本を締めています。、

お金が掛かる感染症対策

 池上彰さんと國學院大學を卒業し、高校で歴史を教えている増田ユリアさんの対談、「感染症対人類の世界史」という本を読みました。この中に「感染症が世界を変えた」という章があり、増田さんは、奈良時代、735年から737年にかけて、日本で「天平の大疫病」と呼ばれた天然痘が大流行したことがあると発言しています。

  それに対し、池上さんは「奈良の東大寺の大仏が疫病対策で作られたことくらいしか知りません」と言っていて、盛武天皇は734年に、国内に流行する疫病など不穏な状況を仏教の力に頼って鎮めようとし、精神復興のために大仏を作ろうと考えたのだそうです。つまり、感染症が影響してるのです。

  増田さんが「東大寺要録」という資料を基に試算すると、奈良の大仏の建造費は今の価格に換算して何と4657億円。つまり、感染症は経済に大きく影響し、阿倍首相が、「新型コロナウィルス」対策で消えたお金は、正に空前絶後の規模で160兆円を超えたそうですからいささか心配です。

 いずれにしても、早くコロナウイルス問題が決着しないと、日本経済は大変なことになりそうです。「週刊文春」6月11日号の《阿倍「血税乱費」》を読んだら、「コロナウィルス」のワクチン関係にも沢山のお金が動いているようで、アビガンを製造する富士フィルム分として約47億円が割り当てられたと書いてありました。いやはや、新型コロナウイルスを早く撲滅してほしいものです。

「黒部ダム」と「ブラタモリ」

   ウィキペディアによると、「黒部ダム」は、黒部川に建設された水力発電専用のダムで、1956年(昭和31年)に着工、太田垣士郎指揮のもとに、171人の殉職者と7年の歳月をかけて、1963年(昭和38年)に完成しました。映画「黒部の太陽」は、勿論、ここがモデルになったものです。

  ところで、NHKの人気番組「ブラタモリ」は大抵の方が御存知だと思いますが、5月23日午後7時30分からの放映はこの「黒部ダム」でした。タモリさんと女子アナウンサーの出発は扇沢駅。タモリさんに渡された題は《黒部ダムはなぜ秘境につくられたか》で、これをタモリさんがご存じないわけがありません、

 二人は扇沢駅からトロリーバスに乗って黒部ダムに向かいます。私はここに行ったことがありませんが、過去、何度も映像を観ていて、いくら繰り返し観ても決して飽きることが無いのです。今回、1秒間に10万トンの水を放水している壮大な現場の映像をタモリさんと一緒に観ました。

  何しろ、関西電力が社運をかけて建設したアーチ式ダムの貯水量2億立方メートルは東京ドームの160杯分、高さ186メートル、幅492メートル、総工費は建設当時の費用で513億円。これは当時の関西電力資本金の5倍という金額だったのですから凄いです。今回、「ブラタモリ」のお陰で「黒部ダム」を堪能しました。

正に宝「FM-7」と「BASIC」

  今日の私のブログのタイトルを見て、懐かしい思いをしている方が、いっぱいおられるに違いありません。「FM-7」の事を書くにあたり、ネットを探したら《あぁ青春の「FM-7」'80年代のマイコン少年が当時を振り返ってみた》という記事を発見。「FM-7」と「BASIC」は生涯忘れ得ぬ正に宝です。

  本当はこの「FM-7」の前に発売になった「Micro-8」があるのですが、私は「FM-7」の発売を待って買いました。懐かしい「富士通」のロゴとタモリの顔。秋葉原の「サトー無線」で「FM-7」を手にした時のめくるめくような興奮が今も私の脳裏にかすかに残っています。

  「サトー無線」から「予約の品物が入荷しましたので取りに来て下さい」と電話が入ったのは、12月の末近くで、ちょうど会社の納会の最中でした。「サトー無線」の店員が「暮にお渡し出来るのはウチだけですからどなたにも話さないで下さい」と言ったのが今も耳に残っています。

  後生大事に抱えて家に帰り、正月休み中、ずっと「FM-7」に触りっぱなしでことに「BASIC」の研究をしていたのを今もよく覚えています。コンピューターのプログラムとはこういうものなのかと初めて知り、本を買い10日もかけて見よう見まねで作ったゲームはヘタな「ブロック崩し」。その「BASIC」も今や消えてしまい何だか悲しいです。ネットに「FM-7」のデモがありました。

古典落語の傑作「寿限無」

 寄席が減り、テレビでもほとんど放映しない古典落語、その中から立川談志が演じている「寿限無」をネットで見つけましたので、このところすっかり新型コロナウイルス騒ぎで暗い気分になっている方に紹介します。是非、お聞きになって大いに笑って下さい。何しろ、笑う門には福来たるです。

  その前にこの落語がどういうものかネットの解説をお読みになるといいでしょう。《とある家にかわいい男の子が生まれました。七日たつのでそろそろ名前を考えようとする八五郎とおかみさん。でも、子どもの名前をつけたことがないので、どんな名前がいいかわかりません。

 そこで、物知りなお寺の和尚さんに名づけ親になってもらうことにしました。さっそく八五郎は和尚さんをたずねます。おめでたい、長生きするようないい名前を考えてもらいたいと言われた和尚さん、「では、経文(きょうもん)の中に「寿限無(じゅげむ)」というのがあるがどうじゃ」と言います。

 「寿限無」とは、「寿(ことぶき)限(かぎ)り無(な)し」、つまり「おめでたいことがずっと続く。死ぬことがない」という意味です。よろこんだ八五郎が「まだほかにありませんか」と言うと、 和尚さんは「五劫(ごこう)のすり切れ」というのがあると言います。……》。では、これから先は立川談志の「寿限無」をどうぞ。ちなみに2012年の8年前《「広辞苑」に載ってる「寿限無」》という一文をブログにアップしたことがあります。

夢の様なテレビ将棋を観戦

  このところ、NHKのテレビ将棋のトーナメントは、例のコロナウイルスの関係か放映が中断されて将棋ファンは寂しい思いをしています。それを慰めるためなのか、5月24日(日)、NHKはすでに1988年12月に放映した「大山九段対羽生五段」(何と五段の時代です)という凄い対局を、再度、放映したのです。

  何しろ、32年前の対局ですから、結果が頭に残ってるはずもなく、また、NHKが沢山持っている対局のデータベースの中からまさか、目下、大活躍の羽生五段が負けた対局を選ぶはずもも無いのははっきりしています。ともかく、将棋ファンが見逃す可能性は絶対に無いと言ってもいい将棋、私はHDDに録画した映像を、昨日、観ました。

  この将棋の展開は、大山康晴九段の中飛車で始まり、羽生善治五段の僅かなスキをついた大山九段の攻め、そして、羽生五段が巧みに受けて、大山九段が勝つ可能性がなくなってしまい投了せざる得なくなったのです。つまり、キレた将棋です。さすがNHKは、いい将棋を選んだものだと感心するばかりです。

  大山九段の対局の場面を観ていたら、懐かしくて堪らなくなりました。ともかく舛田幸三九段との死闘は有名で探したら棋譜の動画がありました。恐らく将棋の好きな人にとっては大変な贈り物でしょう。さて今回は最初から羽生五段の負けた将棋は見せないだろうという先入観があったのでカチマケは度外視して観ましたが面白かったです。それにしても、棋譜読み上げの蛸島五段、久しぶりに画面で見ましたが懐かしかったです。

親友の夏目漱石と正岡子規

  文豪夏目漱石と俳人正岡子規が親友だったのは有名です。今日はネットをベースに二人の人生を追ってみました。二人が初めて出合ったのは、東大予備門の同窓生だった22歳の頃で、二人は落語が好きで、一緒に寄席に行くことで仲を深めたのです。子規は幼少の頃、寄席に行くため塾をサボり母親から大目玉をくらったことがあります。

  何しろ、二人はよく気が合い、子規が自分の俳句や短歌を集めた「七夕集」を作り漱石が眼を通した際、漱石は漢文を使った評論を書いて、子規に「得意なのは英語だけではないのか」と感心させた逸話もあります。やがて二人は無事に東大に入学しましたが、子規は中退して新聞記者、漱石は卒業して英語教師になりました。

  二人はしばらく別の道を歩んでいましたが、同い年の二人は28歳の時に再会します。そして、漱石が子規の故郷の愛媛県松山市の中学校に赴任した折、子規を自分の下宿先に招き入れ、それを機会に52日間の同居生活が始まります。一緒に暮らすのはかなり気心が分かってないと出来ません。

  やがて漱石はイギリスに留学し、二人は手紙のみの関係になってしまいます。それに、子規は持病の結核が悪化して、苦しい生活を余儀なくされていましたが、周囲には弱音を見せず、漱石は安サリーマンの子規をお金の面でも助けていたようです。では、「正岡子規俳句集」と「夏目漱石俳句集」です。「これ見よと 云はぬ許りに 月が出る」いかにも漱石らしい俳句です。

「週刊文春」の「カケてる検事」

 「週刊文春」5月28日号を買いました。《黒川検事長は接待賭けマージャン常習犯》と題された特集記事が載っている週刊誌です。それにしても、週刊誌はうまい言葉を考えるもので、黒川検事長が駆けてるような急ぎ足で、現場に向かっている写真が載っています。つまり、カケているのです。

 お読みになって無い方のために、この記事の一部を紹介すると、書き出しは《五月一日夜七時半、黒いスーツにノーネクタイ、マスク姿の男性が、隅田川のほとりにある、茶色の瀟洒なマンションの前に現れた。……》。勿論、黒川検事長がマージャン現場に向かっているところです。

  何しろ、法律のプロと言える検事がこれからカケマージャンをしようとしてる写真を簡単に撮られてしまうことに驚きます。その写真が公開されれば大変なことになるのは、充分に知ってるはずなのに、写真を撮られたことにまったく気がついていないとは、「びっくり仰天」を100回位並べて書きたいほどです。

 しかも、相手は何と新聞記者。「週刊文春」はこの情報をかなり前に入手して、「時こそきたれこのあした」と「てぐすねひいて」待ちに待っていたに違いないのに、モノの見事に見つかってしまったのです。「週刊文春」の宣伝になってしまいますが、これから先は買ってお読みになって下さい。世の中、解らないところで何が起きているか知って驚きます。それにしても、「週刊文春」のウデいつも鮮やかです。

江戸時代や明治の喫茶店

  ウィキペディアによると、日本でコーヒーを飲みながら語る憩の場としての喫茶店は江戸時代にもあったようです。そもそも、コーヒーが日本に入ってきたのは5代将軍徳川綱吉の時代で、いたるところで見られるような本格的な喫茶店としての形態を初めて持ったのは、1888年(明治21年)に開店した「可否茶館」。

 それから、しばらく経った1911年(明治44年)に画家の松山省三、平岡権八郎、小山内薫がパリのカフェをイメージして開店した「カフェ・プランタン」をはじめ、「カフェ・パウリスタ」、築地精養軒の「カフェ・ライオン」などカフェと称する店が相次いで誕生します。

   日本初のカフェとしてオープンした「カフェ・プランタン」は経営の安定化を図るために維持会員を募る方式を採用、会費は50銭で、会員には、森鴎外、岡本綺堂、永井荷風、正宗白鳥、小山内薫、島村抱月、木下杢太郎、高村光太郎、北原白秋、谷崎潤一郎など、当時の有名な文化人が多数いたようです。

  そして、「カフェ・ライオン」の特筆すべき点は、女性給仕(ウェイトレス)のサービスにありました。和服にエプロンを纏った若い女給が客の話相手となったこの店は、いわゆるカフェを代表する存在で、後年の美人喫茶やメイドカフェのはしりとなったという見方もあります。ところで、現在、渋谷の道玄坂にある名曲喫茶「ライオン」は1926年(昭和元年)に創業なので、どうやらこの喫茶店とはまったく関係がなさそうです。ところで、かなり前に非常にクラシックに詳しい友人とほんとに小さな会話を交わし、人差し指を口に当てられて店員に注意されたことをふと思い出しました。

 

「天声人語」と「コロナの自粛」

 昨日5月22日付朝日新聞「天声人語」に17世紀、英国で猛威をふるったペストのことが書いてあったのでお読みになって無い方のために紹介します。この時代、若かったニュートンは住んでいたロンドンを離れ、郷里の村に避難。つまり、自粛生活に入ったわけで、ニュートンの万有引力の法則は、この間に生まれたのです。

  そのほか、微積分と光学という画期的な発見もこの時代で、東京理科大学の川村康文教授は「もしペスト疎開をしていなかったら、20代前半の短期間に発見を三つも成し遂げられなかったかも知れません」と言ってます。この時代、ニュートンは学位を得たばかりで、大学の閉鎖がかえって思考を深めてくれたかも知れないのです。

  自粛中のニュートンは、昼間、農場の納屋にこもり、穴から差し込む陽光は白いのに、壁に映るのが七色なのはなぜだろうと考えた末に、光の正体は屈折率の異なる線だと発見したのです。ペストが去った後、ニュートンは大学に戻って研究に打ち込みますが、自粛中に成し遂げた眼が覚めるような大発見は無かったようです。

  きのう、大阪、京都、兵庫の3府県で緊急事態宣言が解かれましたが、首都圏や北海道ではなお自粛が求められています。《コロナ禍で日常が一変してしまい、学びに没頭出来ないと悩む若者も少なくないだろう。……でもここは発想を転換して、後世の歴史家から「コロナ時代のニュートン」と称賛されるような才能と出合いたいものである》で「天声人語」を結んでいます。さすが「天声人語」の著者は上手に筆を運ぶものです。

トランプ大統領が服用の薬

 トランプ大統領が新型コロナウイルスの予防に、抗マラリア薬「ヒドロキシクロロキン」を服用していると発言し話題になっています。しかし、この薬は新型コロナウイルスに対する効果はまだ未確認で、医薬品当局は心臓への悪影響など副作用があるから飲まない方がいいと警告しているのにです。

  トランプ氏は、記者団に「ヒドロキシクロロキン」をどれほど大勢が使っているか知ったら、びっくりするぞ」と自信満々。「感染する前に、特に最前線で働く人たちが、大勢が使っていて僕自身も使っている」と話したそうです。記者にこの薬についてどういう証拠があるのか質問されると、トランプ氏は「大勢が使ってよかったと電話してくる。それが証拠だ」と答えています。

 そして、《「ヒドロキシクロロキン」についていい話をたくさん聞いている。もし良くなくても、僕は傷つかないとも述べています。深刻な副作用が出る可能性を指摘されると、トランプ氏は今のところ僕は大丈夫そうだ。そうとしか言いようがないと答え、自分が聞いた「ヒドロキシクロロキン」の唯一の良くない話はトランプの大ファンじゃない連中がまとめたとても非科学的な報告だけだと述べています。

 何しろ、トランプ氏が触れたこの報告とは、アメリカ各地の退役軍人国立病院の新型コロナウイルス患者に対して4月に行われた予備調査のことと思われ、「ヒドロキシクロロキン」の使用よる効果はみられず、むしろ致死率が高くなったと結論しているのです。このことについてもっと詳しく知りたい方は本文をお読みになって下さい。

 

ズブの素人主演のテロ映画

 クリント・イーストウッド監督が2018年に制作した「15時17分、パリ行き」という映画をご存知でしょうか。つい最近、江古田駅近くの「ブックオフ」で見つけたDVD、ジャケットの裏に書いてある紹介記事をそのまま書くのがいいかの知れません。まったく予備知識が無く見つけびっくりです。

  ジャケットの説明は《2015年8月21日、世界中がそのニュースに釘付けになった。パリ行き高速列車タリス9364号で起きた列車テロ事件、その企てを阻止したのは3人の勇敢なアメリカの青年だったが、本作でその英雄を演じているのは、他ならぬ当事者本人たちである。

  少年時代から、思い掛けない経緯でテロに遭遇するまで、3人が互いに織りなす人生を追うのは監督のクリント・イーストウッド。3人にとってこの危機における最大の武器は友情であり、その勇気は実に500人以上の乗客を大惨事から救ったのだった》。つまり、3人のアメリカ人が危機を未然に防いだのです。

  この事件を知ったイーストウッドは、この実話を基に映画を作ることを企画し、出演者は俳優では無くて、実際に列車内で闘った三人の青年に出演を依頼することにしたのです。勿論、三人は演技の経験などまったくありません。青年たちは、天下のイーストウッドからの連絡に驚きながら依頼を承諾して映画が完成しました。この映画の「映画大辞典」、結構、いい点が付いているのでご覧になって下さい。調べたら「TSUTAYA」(03-5946-0140)にレンタルDVDがあるので借りられます。

井上陽水の言葉は超魅力的

   一ヶ月ほど前に、井上陽水が玉置浩二と1986年8月に神宮球場でジョイントコンサートを行ったことをブログに書きました。実は、このコンサートのDVD持っていて時々観ます。暮れなずむ球場を埋め尽くした大観衆。そして、東京大学を卒業し、明治大学教授の斎藤孝さんが書いた「軽くて深い井上陽水の言葉」という本を持っていて、今日はその話をします。

  斎藤さんと同じに、私も井上陽水の歌詞に魅せられている一人で、例えば「少年時代」、《夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに さまよう 青空に 残された 私の心は 夏模様 夢が覚め 夜の中 永い冬が 窓を閉じて 呼びかけたままで 夢はつまり 想い出のあとさき 夏まつり 宵かがり 胸の高なりに 合わせて 八月は 夢花火 私の心は 夏模様》。

 斎藤さんはこう書いています。冒頭に登場する「風あざみ」について、そんな名前の植物はないとか、こんな言葉は辞書にないとか、巷間いろいろいわれている。陽水さんにとっては、その言葉が実際にあるかはあまり大した問題ではなくて、歌としてどれだけ人の心に心地よく響きわたるかのほうがはるかに大事だったのだと思う。

  本当に心に心地よく響き渡っています。そこで、もう一つ、陽水さんが作詞して、玉置浩二さんが作曲した「ワインレッドの心」の出だしを書きます。《もっと勝手に恋したり もっとKissを楽しんだり 忘れそうな想い出を そっと抱いているより 忘れてしまえば 今以上それ以上愛されるのに……》。なんという素敵な言葉でしょう。どうしてもこの二曲、聴いて頂きたくなりアップしました。恐らく誰も井上陽水さんの言葉の力に圧倒されるのは間違いありません。

検察庁法改正に驚きの抗議

 昨日の朝日新聞に、検察幹部の定年延長の法改正案を巡り、最初は法務大臣が出席しない予定が15日の審議には、急遽、出ることになったとありました。それにしても、定年を延長しようとする法案に「検察庁法改正案に抗議します」の世論が異常に多いのは、どんな理由で反対してるのか首を傾げた方が沢山いるに違いありません。

  そこで、ネットを探したら《「検察庁法改正案に抗議します」は本当に世論のうねり?東大准教授にTwitter分析を聞いた》という次のような文章がありましたのでちょっとお読みになって下さい。もしかしたら、これを読んだ方は「やっぱり不思議に思ってる方がいるんだぁ」と納得するかも知れません。

 《5月8日から現れたTwitterの「検察庁法改正案に抗議します」。このハッシュタグ投稿が爆発的に増え、トレンド入りした。わずか3日弱で470万件のツイート。この膨大な数を挙げ「抗議殺到だ」とする主張がある一方、一人が数千のツイートで、抗議の数としては疑わしい」という声もあります。

 何しろ、わずかの間に圧倒的な多数のツイート。この膨大な数を挙げ「抗議殺到だ」とする主張がある一方、抗議の数としては疑わしい」という声がある。……》。恐らく、これを読んで準教授の意見に賛同された方が沢山おられると思いました。一体、これはどんな現象なのでしょうか。

観客が皆無の大相撲春場所

 いやはや、新型コロナウイルスは、令和二年春場所を「無観客」で開催せざるを得なくしました。日本相撲協会は議論を重ね。三月一日、無観客での開催を決断したのです。「文藝春秋」五月号に、相撲ライターの佐藤祥子さんが《大相撲戦後初「無観客場所」潜入日記》という一文を書き、読むと面白いので、ブログにアップしたくなりました。

  何しろ、約650名の力士、約100名の親方、行司、床山、呼出しら約150名、若者頭、世話人も含めると約1000名になる協会員の中から一人でも新型コロナウイルスの感染者が出たら、直ちに中止することを条件に、賛否両論が渦巻く中で、大相撲春場所は決行されたのです。

  力士や親方などの協会員は、一日に二度の検温が義務づけられ、三十七度以上の熱が二日間続いた力士は出場させない方針。報道陣も入館時は手首の消毒と検温が必須で、一度退館すると再入場は出来ません。また、土俵溜の勝負審判脇での撮影は不可。場内の案内は近大相撲部四年生のアルバイトです。

  シーンと静まり返る中での取組は、独特の緊張感が漂い、今、人気が高い炎鵬に無観客の感想を聞くと「やはり、声援の無いのは寂しいですね。闘争心が出なかったというか、いつもお客さんから力を貰っていたことが解りました。……」と。そして、千秋楽の協会ご挨拶で、「本日は……」と口を開いた理事長は、声を詰まらせ、何かを堪えるかのように十秒ほど無言で口元を引き締めたそうです。さて、次の場所はどうなるのでしょうか。給料を支払う協会に入場料もNHKからもお金が入らないのが心配です。

巌流島の決闘後の小次郎

 家の近くのコンビニ「ファミリーマート」で、面白い新書判の本を見つけよく買ってきます。つい最近、発見したのは、日本史探究倶楽部著「日本史の意外なその後」。今回、拙ブログ「ドアのない談話室」にアップしたくなったのは《巌流島の決闘後も生きていた?悲運の剣士》という佐々木小次郎の話です。

  宮本武藏と佐々木小次郎が剣豪として勝負した「巌流島の決闘」は、吉川英治の小説のみならず、伝記、ドラマ、映画などで数多く取り上げられています。通説では最初の一撃で勝負がつき、武藏が勝って小次郎はその場で息絶えたことになっていますが、実際はそうでなかったとこの本にあります。

 その状況を本に書いてある通りにコピーすると《決闘に敗れた小次郎だったが、その場で死んだのではなかった。重傷を負ってはいただろうが、武藏が立ち去った後も生きていたのである。そこに現れたのが武藏の弟子たちだった。多人数で小次郎に襲いかかり、ついに絶命させたのだった。……》。

  佐々木小次郎は、武者修行のために諸国を遍歴し、越前国の一番瀧で「燕返し」を編み出して巌流という流派を創始したとされています。ともかく、小次郎が武藏と決闘した時、すでに60歳近くになったいて武藏はまだ20代。小次郎の妻は夫の遺髪を届けられた後、山陰地方へ逃れ、現在の山口県の正法寺に身を寄せ、剃髪して尼になったそうです。こんな話を知ることが出来る本を売っているコンビニいいです。

現実的な火星への移住計画

  2020年4月25日、NHKテレビで放映した「火星への移住計画の道」という番組を録画して観ました。まさか、地球は新型コロナウイルスにおびやかされているので、いっそ、火星に移住しようとNASAで働いている人達が考えたこととは思えませんが、何だか現実味を帯びてる内容だったのでちょっと紹介したくなりました。

  それには、まず火星について語らねばななりません。火星はかなり昔から、火星人がいるとかいないとか何かと話題になった惑星で、生物の存在に不可欠の水が探査の結果、現在は流れていないようです。でも、何十億年前は水があった痕跡があるようですから、過去、生物の存在はあながち、絶対にゼロとは言えないような気がします。

  ところで、ネットをよく探したら「地球と火星の共通点」というサイトがありましたので、それから少し説明します。まず、火星は同じ惑星の仲間でも、木星のようなガスを纏った惑星ではなく、表面が酸化ケイ素・金属類で出来ています。それに、火星には二酸化炭素の大気があり、永久凍土が存在します。

   また、オリンポス山、タルシス山脈のようなホットスポットがあり、北極や南極に氷が存在し、フォボスやダイナモなどの衛星も周りを回っているのです。それにテレビでこの映像を観ていて驚いたのは、世界でこの移住計画に参加しているのはNASAだけではなく、人間が火星の重力に耐え得るかの実験に着手している国もあることでした。では「火星の移民」というサイトをご覧になって火星に思いをはせて下さい。

「いいえ」が言えない日本人

 親子三代にわたる日本語学者金田一春彦著「日本語を反省してみませんか」(角川書店)という本に日本人の「はい」と「いいえ」について書いてあるので、ちょっとブログでそのことを話したくなりました。金田一さんは、まず、聖徳太子の第17条の憲法の第1条に「和ヲ以テ尊シト為ス」と言ってます。

 日本人は、相手と同じ意見であることを非常に好み、会話をしながらもお互いに気持が一致していることを喜ぶのです。そこで、日本人は「……だねぇ」「……ですねぇ」などといって、相手が自分に同意してくれると嬉しくなる習性があるのです、つまり、相手の共感を求めて、あいづちを期待するのです。

  これはどういうことかというと、例えば相手から「コーヒーをお飲みになりませんか?」と誘われた場合、「いいえ、私は眠れなくなるといけないので飲みません」とは言えずに「はい、でも、ちょっと眠れなくなるタチなので、申し訳ないのですが止めておきましょう」とおもむろに断るのです。

  日本人がふだんの会話で「いいえ」と言うのは、二つの場合だけで、一つは、へりくだる時で例えば「あなたは英語がよくお出来になりますね」と言うと「いいえ、とんでもありません。私など……」と。もう一つは、相手を励ましたり慰める時で、例えば「私はやっぱりダメな人間です」といった時「いいえ、あなたは本当は力があるんですよ」と言ってくれるのです。本当に日本人はいいヒトです。

「吾妻鏡」と源義経と静御前

  鎌倉幕府が編纂した「吾妻鏡」によると、1180年(治承4年)源頼朝挙兵、1185年(元暦2年)平家滅亡(屋島・壇ノ浦)、義経逃亡、1186年(文治2年)静鶴岡に舞う 、1189年(文治5年)義経殺害、奥州藤原氏滅亡。さて、この中に登場する義経と静御前のことを書きます。、

  この物語の骨子になっているのは《静御前、義経との一世一代の恋に身を焼き尽くした悲劇の白拍子》というタイトルの永井路子の対談集です。そもそも、二人の馴れ初めは、静が京都で踊りを舞う「白拍子」という職業をしていた時に始まります。年齢は義経が20代後半、静は10代の後半のことでした。

  ところで、二人が幸せだったのは極めて短い間で、義経が、後白河法皇から勝手に任官を受けたことなどから、兄頼朝の不興を買って謀反人扱いされたことにより、急転直下、悲劇の主人公になってしまうのです。京都を追われ、都落ちした義経らですが、静は女人禁制の吉野山に入れず、しかも、捕らえられてしまいます。

 そこで、詠んだのが《吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき》.つまり、静はこの吉野山の入口で義経と別れ、これが二度と会えない永遠の決別になってしまうのです。何と二人の恋は切ないのでしょう。もっと、二人のことを知りたい方は、本文を読んで、頼朝の奥さん、北条政子の人を思いやる優しさを知って下さい。静の命はきっと政子によって助けられたに違いありません。

「新型コロナウイルス」の知識

 今や「新型コロナウイルス」のニュースが報道されない日は無いといっても過言ではないしょう。その状況のなかで、ネットに《「新型コロナウイルス」のワクチンは、いつできる? ──基礎から最新事例まで「知っておくべきこと」》という記事を発見したので、お読みになって無い方のために紹介します。

  そもそも、現在、世界中を恐怖に震えさせてる「新型コロナウイルス」の正式名称は「COVID-19」といい、このワクチンの製作にかかわっている企業は約30社だそうで、一体、それがいつ完成するかの質問に、米国立感染症研究所(NIAID)のアンソニー・ファウチ所長はこう答えています。

 《ワクチンが使えるようになるまでに少なくとも1年半はかかり、パンデミックを見据えていた公衆衛生当局には永遠の時間のように思えるかもしれません。しかし、本当に1年半で出来れば最短記録になり、ほとんどのワクチンは市場に出るまでに5年から15年も掛かるのが普通なんです。

  なにしろ、長い開発期間を要する理由があって、まず、テストにかける候補ワクチンを開発するための時間が必要なのです。これを発見(discovery)」と呼ばれ、普通は数年かけて実験台の上で慎重に進められます。ともかく、ワクチンが出来るまで時間が掛かるのを怒ってる方は、是非、この説明を丹念にお読みになって下さい。もしかしたら、納得されるかも知れません。

「世界遺産」アルジェのカスパ

  2012年1月に河出書房新社が発刊した「世界遺産に隠されたゾッとする話」という本にアルジェリアの首都アルジェの「カスパ」が載ってました。「カスパ」とはアラビヤ語で「城壁に囲まれた地域」という意味で、迷路にたとえられるほど道が入り組んでいることで知られ、1992年、アルジェリアの世界遺産に登録されています。

  カスパが迷宮都市に」なった理由の一つに暑さ対策があり、道路を広く真っすぎにすると、日当たりがよくなりすぎるので、わざと狭く曲がった道にして影つくり、暑さをしのいだのです。また、敵の侵略を阻止するために道路を複雑にしたという説もあり、1954年のアルジェリア戦争では、実際、フランスはこれに手をやいたとか.

  しかし、現在、「カスパ」は老朽化が進み、崩壊の危機に直面していている一方、この歴史的町並みを保存しようとする動きもあるようで、そのプロジェクトも進んでいるようです。いずれにしても、「カスパ」は昔から犯罪者が逃げ込む場所としても有名です。そこでこの街に眼をつけたのがジュリアン・デビビユエ監督。1937年にここを舞台にジャンギャバン主演で映画を作りました。

  ギャバンはパリで犯罪を行い、この街の帝王に君臨してるのです。そこにパリの匂いがする美女がここを訪れ、その美女を追って「カスパ」から出たために警察に捕まり命を落とすことになった映画「望郷」。まさか、この映画の舞台にした街が、後に世界遺産に登録されるとは、監督はきっと草葉の陰で驚いていることでしょう。

藤原定家選の情緒的歌11首

  百人一首は和歌のプロと言われる藤原定家によって編纂されたのをご存知の方は沢山おられると思います。そのことを書いた《百人一首はいかにして作られた?始まりは藤原定家が友達に頼まれて?》というタイトルの記事がネットにありますのでお読みになって下さい。ここにある友達とは宇都宮頼綱だそうです。

 今回は、私の独断と偏見で、この中から好きな歌を11首選びました。まず「逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」「由良の戸を わたる舟人 かぢをたえ 行くへも知らぬ 恋の道かな」「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」。

 「花さそふ 嵐の庭の雪ならで ふり行くものは 我が身なりけり」「淡路島 かよふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守」「村雨の 霧もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ」「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに」。

 「嘆きつつ 独りぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る」「恋すてふ わが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」「寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いずこも同じ 秋の夕暮れ」。では、最後に藤原定家自身の歌「来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」でしめます。それにしても、藤原定家が最後の二首を、大変お世話になった後鳥羽天皇と順徳天皇親子なのが何だか悲しいです。というのも百人一首は二人の天皇の鎮魂歌集と言った方がいいのかも知れません。では、藤原定家79年の生涯です。

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