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「ユーハイム」の絶品のお菓子

   私にとって「ユーハーム」の「フランクフルタークランツ」は絶品のお菓子で、池袋駅近くの販売店は西武デパートと東武デパートの二ヶ所あります。このファンならよくご存知のことですが、このお菓子には大中小の三種類あって、小は一人で食べるには最適の大きさと言っていいでしょう。

   しかし、人様の家に手土産で持っていくにはちょっと小さいかも知れません。ところで、同じ「ユーハイム」でも、東武は大中小すべてあるのに、西武には中しか置いてなく、また実に美味しいクッキー「テーゲベック」もありません。そこで、本店にその理由を電話で問い合わせたら、お店によってのブランドの違いによるのだとか。

   そして、今回、調べて知ったことですが、製造工場はドイツには無くて日本です。ドイツで作った商品を日本が輸入して販売してるとばかり思っていたらさにあらず。工場は日本にしかなく、そこから、各地にある販売店に送っているのです。でも、この会社の創始者はカ-ル・ユーハイムというドイツ人。

   「ユーハイム」は、従来、「バームクーヘン」の右に出るものは無いと思っていたのですが、今や最も美味しいと感じるのは何と言っても「フランクフルタークランツ」。このお菓子の美味しさたるやもう最高で「ユーハーム」から何も貰ってないですが、過去、何人の友人や知人に宣伝したか解りません。是非、ご賞味下さい。

「ゴルトベルク変奏曲」に陶酔

   所持してる数少ない音楽DVDのうちの一枚、グレン・グールドの弾くバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を久しぶりに観て陶酔しました。勿論、LPもCDも持っているのですが、この映像ばかりは絶対に手許に置いておくべきだと思い買ったDVDで、何度繰り返し観てるか解りません。

   何しろ、早くして世を去った天才ピアニスト、グレン・グールドのデビュー曲として有名で、1956年に発売になったLPは大変な売上を記録しています。ちょっと、この曲のウンチクを書くと、バッハはこの曲を「二段鍵盤つきクラヴィチェンバロのためのアリアと変奏」と名付けました。

   しかし、バッハが弟子のクラヴィア奏者、ヨハン・テオフィール・ゴルトベルクのために作曲した曲であることから、一般的には「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれています。ともかく、バッハが好きで、グレン・グールドを愛するクラシック・ファンだったらこのCDかLPを持ってない人は恐らくいないでしょう。

   音楽の友社発刊の「名曲ガイドシリーズ」によると、この曲に用いられてる主題は、すでに1725年のクラヴィア小曲集に現れているが、バッハはこの主題のアリアをもとに30の変奏を展開していくと書いてあります。ところでジャック・ルーシェがジャズ化した「ゴルトベルク変奏曲」も一聴の価値があります。

実に面白い新聞を作る仕事

   「音楽とオーディオを語る会」を横浜在住の友人と横浜で開催し「日本新聞博物館」に行ってきました。というのは、好奇心旺盛な私は、新聞作成の一部始終を専門家に詳しく聞きたかったのです。受付でその旨をお願いすると、その担当者を呼んでくれて、およそ二時間近く、私の質問に応じてくれました。

   昔と今と比較して、新聞社で最も大きな違いは、昔は活字を使っての活版印刷だったのが今はオフセット印刷、記者が取材して書いた原稿を、テーブルの上のパソコンに自ら打ち込み、植字工が活字を拾い、終わるとまた元の位置に戻す大変な時間と労力を大幅に省略したことと言っていいでしょう。

   しかし、私が最も関心があったのは政治部、社会部、運動部などの次長クラスが集まって行う編集会議。何しろ、一日に起こった出来事を新聞に載せるか否かの取捨選択や違うジャンルのニュースの重要度に順位を付ける会議です。何しろ一人一人の価値観が違うのですから、議論が伯仲するのは間違いありません。

   また、新聞社の大変な出来事としては、編集会議の末に何もかも確定し、新聞の印刷中に、一面トップになるような重大ニュースが突然入った時。直ちに印刷を中止して、緊急会議を開いて新聞の作り直しです、色々と話を聞いていたら、新聞を作る仕事って、大変さの中に緊迫感があり実に面白そうです。

阿倍首相の飛切りの内輪話

   阿倍首相の周辺に色々な話が出てきて、内閣の支持率が著しく低下したりして阿倍首相の表情暗いです。今朝(4月17日)のネットを見たら《「嫉妬深い晋ちゃんは…」安倍夫妻の恩人が“森友”の意外な真相を激白》という記事を発見、読んだら面白いので、別に政治に関係なく、読んでない方のために紹介します。

   まず、阿倍夫妻の恩人とは元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏で、36年前からの付き合いだそうです。何しろ、記事の内容が首相にとってあまり好ましい話ではなさそうなので、関心のある方は、直接、この記事を読んで頂くとして、この記事の核になる部分をそのままコピーしましょう。

   《「晋ちゃんは嫉妬深い男だから、常に昭恵さんの生活ぶりとか、行動とか、いろんなことを把握してないと気が済まない人です。巷間いわれるように、彼が昭恵さんをかばっているという話ではないと思う。昭恵さんはいろんなことを逐一、晋ちゃんに報告していた。勝手にやるということはないと思うよ。

   今度はこういう話があるからどうだろうねとか、今度はこういうパーティーに出るなどと報告し、了解を得てやっていたので、今、報道されていることと違うと思います」》だと。ともかく、この記事を書いた上田耕司氏という人が、、濱岡氏や阿倍首相の了解を得ているとは思えませんが大丈夫なのでしょうか。

アカデミー賞や芥川賞を辞退

   アカデミー賞芥川賞も欲しい人はいっぱいいます。しかし、アカデミー賞を辞退したり、授与式を欠席したりした人がいます。まず、1977年に「アレン・ホール」で監督賞と作品賞を受賞したウディ・アレンは、授賞式に会場に現れず、ニューヨークのライヴ・ハウスでクラリネットを演奏していました。

   何しろ、ウディ・アレンはこのほかにも、アカデミー賞を何度か受賞していますが、授与式に出たことが無いのは有名です。しかし、2002年のアカデミー賞授与式には、アメリカ同時多発テロ事件犠牲者の追悼企画があったために、アナウンスなしに登場し、観客の拍手喝采を浴びたそうです。

   また、1972年に「ゴット・ファーザー」で主演男優賞を受賞したマーロン・ブランドはやはり授賞式に来ないで、代わって登場したインディアンの女性が、マーロン・ブランドに頼まれたハリウッドの考え方に反対する声明文を読み上げたとか。でも、賞はそのままブランドに授与されたようです。

   では、芥川賞を辞退した作家は一人だけいて1940年の高木卓。辞退の理由は、自分が書いた前作の方が気に入っていたのに、次に書いた作品に賞をくれたので、折角だけど辞退すると発表しました。しかし、本当の理由は自分が辞退すれば、候補に挙がっていた友人が受賞すると思ったからだそうです。

「スタバ」にしかない飲物

   「スターバックス・コーヒー」、通称「スタバ」が好きで一時は本当によく行きました。何しろ、JR池袋駅 の周辺にある「スタバ」は私が行ったことがある店が8店舗。あと、銀座界隈も足を運んだ店が松屋百貨店銀座店近くにある日本第1号店を含めて3店舗、そして、JR金沢駅と横浜駅と藤沢駅。 

   この店の何がいいって、レジでお金を払って注文し、その情報がバリスタに伝達されて、カウンターでお客に渡されるスタイルが好きなのです。 そして、店員さんのフレンドリーな雰囲気も魅力があり、一度顔みしりになったら、次に行った時には「こんにちは」などと挨拶をしてくれて時に席まで取ってくれます。

   ところで、私がどの「スタバ」のレジでも言うセリフが決まっていて《「ほうじ茶ティーラテ」のショートをマグカップで》。ともかく、このドリンクの存在を知って以来、ずっとこればかり飲んでいます。何しろ、ほうじ茶とミルクの組合わせ考えた人天才です。ある店で、この「ほうじ茶ティーラテ」をバリスタが私に渡してくれた時の会話。

   バリスタ「これ好きですか?」私「大好きです」バリスタ「これにハチミツを数滴たらして飲んだことがありますか?」私「いいえ」バリスタ「実は私もこれ好きなんですが、ハチミツを入れて飲んだらもう最高、是非お試しになって下さい」。それ以来、ずっとこの通りにしていますが本当に美味しいです。一度、お飲みになって下さい。

40億年の生物の進化

   古本屋で買った「宇宙と太陽系を楽しむ本」によると、地球が出来たのは42億年前で、小さな生命が海で誕生したのは40億年前だそうです。何でそんな古い年数が解るのかとお思いでしょうが、科学の進歩は著しく、現在は「放射年代測定法」(PART1  PART2)によって、かなり古い年数が解るのです。

   今から40億年前、光が届かない暗い海底では、いたるところで、熱い水が噴出してました。この高温高圧の熱水の周囲こそ、実は生命誕生の故郷だったのではないかと考えられるほど研究が進んでいるのです。誕生したばかりの生命は、無酸素状態で生活が出来たのです。

   やがて、光合成生物の出現によって、一挙に時代は近くなり、6億年前、三葉虫などの進歩しした動物が続々と登場します。そして、光合成生物の活動が盛んになるにつれて、酸素が大気中で着実に増え、4億年前になると、安定したオゾン層が形成され、水から離れて陸上に進出する動物が増えてきました。

   その動物の中で、爬虫類が地上を席巻し、とりわけ恐竜が「陸の王者」として、地球に君臨し、2億3千年前に原始的なほ乳類が爬虫類から進化して出てきているのです。ところが、爬虫類が何かの原因で大絶滅し、やがて、地球はほ乳類が主役になるのです。40億年の歴史を持つ生物の進化って想像を絶する凄さです。

危機一髪だったチャップリン

   1932年(昭和7年)5月15日、いわゆる「五・一五事件」で時の総理大臣犬養毅が暗殺されました。ちょうど日本を訪れた喜劇王チャールズ・チャップリンも「日本を映画で退廃させた」として、暗殺される寸前だったのをご存知でしょうか。1932年(昭和7年)3月6日にチャップリンは日本に向けてナポリを出港しました。

   時あたかも満州事変が起こり、日本は国際的にも孤立への道を歩もうとしていた最中です。「日本とアメリカとの国際親善の役に立ちたい」という目的で、チャップリンは犬養に面談を申し入れます。犬養もまた、その時国際協調路線のもとにアメリカそして中国との友好を保っていかなければならないと考えていました。

   新聞には二人の会見が行われると大々的に発表され、犬養首相の暗殺を企む青年将校たちもこの記事を目にしていて、彼らはチャップリンまでも暗殺しようと考えていたのです。ところがチャップリンの犬養との面会が5月15日から17日に変更になったためにチャップリンを標的から外したのです。

   5月15日、チャップリンは大相撲を見物した帰りに、17日に会う予定だった犬養毅首相が暗殺された事を知ります。チャップリンは「ぼくの到着と同時にこんな不祥事件の起こったことはお国のためにご同情にたえません。犬養首相にはお気の毒でお言葉の申し上げようがありません。」と語りました。詳しいことはこの記事を。

野球好きが気分よくなる文章

 アメリカの野球ファンが大谷翔平選手に興奮し、大讃辞をしています。打者としては三試合連続ホームラン、投手としては二連勝、そして、あの爽やかなマスク。テレビを観ていたら、アメリカ女性のエンゼルス・ファンが「エンゼルスに入ってくれて本当に有り難う」と言ってました.

   何しろ、大谷選手はドジャースやヤンキースなどの有名球団に行かずに、どちらかというと無名なチームを敢えて選んでいるのです。今日、ネットで長野慶太氏が書いた《全米が大谷フィーバー! 「カネではない」純粋な野球愛に感動》という記事を見つけ、最初から最後まで読んで気分がよくなっています。

   別に大谷選手のファンで無くても野球が好きなら《筆者は在米21年になるが、ひとりの日本人がここまでアメリカを揺り動かすことはなかった。実はアメリカ人の大リーグファンにとって、大谷はこれまでの日本人大リーガーと大きく違う根源的なポイントがある》では全文を読みたくなるでしょう。

   そして、更に《MLBネットワークの著名な野球記者、ジェイスン・スターク氏は、「大谷は大リーグ史上、最高の才能を備えた選手だ」と語っている。これほどの修辞はかなり珍しいことだ》とあるので、是非、読んでいい気分になって下さい。きっとこれからの活躍が楽しみになるのは間違いありません。

娯楽映画の傑作の中の傑作

   敬愛する植草甚一さんの著書「映画だけしか頭になかった」(晶文社)を古本屋で見つけ買ってきました。そして、ペラペラ頁を繰っていたら、出てきたのがアルフレッド・ヒッチコック監督の「北北西に進路をとれ」の一文。数多いヒッチコックの作品の中で、私が好きな映画で植草さんも絶賛しています。

   何しろ植草さんは、この映画の見所を色々と挙げていて、この映画で最もヒッチコックの味がよく出ているのは、主人公のケイリー・グラントがある人物に会うために広い平原で待ってる時に飛行機に襲われるシーンです。ともかく、この場面は有名で、この映画の紹介には必ずと言っていいくらい出てきます。

   また、スパイのアジトに、単身、乗り込み、エバー・マリー・セイントとやり取りをしながら脱出させる演出のうまさににもハラハラドキドキ。正にヒッチコックは観客を楽します娯楽映画の極意をわきまえている監督と言っていいでしょう。そして、最後に追いつ追われつのクライマックスを用意しています。

   舞台はニューヨークから三千マイル離れた南ダコタ州ラビッド・シティに彫刻家ガッツォン・ポルグラムが彫った4人のアメリカ大統領の顔の絶壁。その上で、敵味方が死闘を展開して、ケイリー・グラントとエバー・マリー・セイントは勝利を収め、寝台列車の中で映画は終わります。未見の方に絶対にお奨めの映画です。

日本サッカー監督の電撃解任

   今日の「日刊スポーツ」の一面の大きな見出しは《ハリル監督解任 選手の総意 西野新監督の奇跡頼み》。そして、記事の抜粋を書くと《W杯ロシア大会(6月14日開幕)2ヶ月前のタイミングで荒療治を施し、1996年アトランタ五輪で「マイアミの奇跡」を起こした西野氏に6度目の舞台を託す。

   契約は大会終了まで、新コーチとして、東京五輪代表を率いる森保一監督の入閣も浮上、日本人の力を結集してチームを立て直す》。ともかく、突然の監督解任の発端になったのは3月23日のマリ戦、格下に引き分けるのが精いっぱいの大凡戦で、ハリルホッジス監督の「蹴れ、蹴れ」の虚しい指示。

   日本協会はマリ戦の内容にかってない危機感を覚えたのです。今回、監督に就任することになった西野技術委員長は同じようにW杯への危機感を抱いた選手から聞き取り調査を行いました。チーム状況、監督の求心力、そして信頼。主将の長谷部選手は選手の総意として現体制では厳しいと伝えたのです。

   マリ戦後、監督の求心力は急激に低下。翌日の練習後には、複数の選手が公然と戦術に異を唱えるようになり、大迫選手は「縦に速い攻撃だけじゃ…」と口にする始末で。監督と選手の溝はもはやうめがたいものになりました。そこで、協会トップの田嶋会長が何とW杯開幕二ヶ月前に解任を言い渡したのです。

東京のタクシー料金システム

   東京都内のクシーの料金計算はどんなシステムになってるかご存知でしょうか。まず初乗運賃は1052メートルまで410円。そして、以後、237メートル走るたびに80円が加算され、速度が時速10キロ以下になった場合は1分30秒ごとに80円加算されます。凄い精度の高いメーターですね。

   また、高速道路を利用する時は、恐らく渋滞なのでノロノロ運転が多くなることへの配慮で時速10キロ以下はメーターが上がる機能をオフしています。つまり、高速に入る時に運転手が切替ボタンを押すのでしょう。勿論、お客さんは高速料金の実費をメーターの料金と別に支払わなければなりません。

   そして、バックの走行に対してはメーターは動かず、その間の時間計算で料金が加算されます。従って、距離が戻ることも、無料になることも無いのです。でも、タクシーに取ってはあまり頼まれたくないことかも知れません。それから、指定した場所に来て貰う時は最初から310円か410円が加算されます。

   あと、もう一つ、お客さんに遠距離の行き先を言われた時、タクシー会社や個人タクシーによって距離の制約があって、50キロを越えて行ってはいけないことになっています。タクシーは基本的に乗車拒否は出来ませんが、この場合は拒否してもOKです。以上、タクシーをよく利用する方は知っていて欲しい知識です。

上野の「西郷隆盛」の銅像

   上野公園にどうして西郷隆盛の銅像があるのかご存知でしょうか。西郷隆盛は大久保利通、木戸考允と並んで明治維新の三傑といわれた大変な人物ですが、最後は新政府に反乱をを起こした「逆徒」になってしまいました。ところが隆盛は明治天皇の信頼が厚く、「逆徒」のまま銅像を建てることになったのです。

   では、なぜ上野公園かというと、ここには徳川将軍家の菩提寺の寛永寺があり、隆盛と勝海舟が江戸城の無血開城の会談を行った後、それに反対する徳川家の家臣たちが寛永寺に立て籠もったのです。そして、現在の銅像があるところが、隆盛が軍勢を率いて攻め込んだ場所なのです。

   しかし、最初の計画では隆盛の銅像は、軍服を着た陸軍大将の姿で製作されましたが、それがどういう経緯でそうなったか、最終的には隆盛が犬を連れて、野山で狩りをしていた時の姿に変更されてしまいました。そして、この像の除幕式の際、奥さんが「うちの主人はこげんな人ではない」と言ったという有名な話があります。

   それを聞いた人は、顔が違うと言ったと解釈したそうですが、奥さんの真意は「うちの主人はこんな浴衣姿で人前に出るような人ではない」と言ったのが真実かもしれません。それでは、西郷隆盛の銅像が建てられた経緯がネットにありますから、詳しく知りたい方はこの記事をお読みになって下さい。

届ければなれる日本の探偵業

   日本では、従来、探偵業は役所に届けなくても誰でもなれて、「日本探偵事務所」などの名刺持って活躍することが出来ました。ところが、2007年6月1日に「探偵業の業務の適正化に関する法律」が制定されて、公安委員会に届けを出さないと探偵を名乗ることが出来なくなったのです。

   でも、弁護士と違って、難しい司法試験などを受けなくてもいいので、地位的には低く見られるのは仕方ないでしょう。ともかく、「探偵業の業務の適正化に関する法律」に違反した探偵には、営業停止や廃止などの行政処分が行われるだけではなく、1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられます。

   ところで、アメリカなど海外の探偵はライセンス制になっている国が多く、ライセンスを取得するためには、職業訓練を受けたり実務経験が必要になったりします。また、アメリカなどでは、州によっては探偵のライセンスを持っていれば、調査のときに正当防衛のための銃の所持が認められたりします。

   そして、前科者リストなどを閲覧したり、社会保障登録番号などから情報検索をすることなどが許されていたりします。つまり、警察官と同じようなことが出来るようになっていて、国家から信頼されているステータス性の高い職業ということになるわけで、元警察官の探偵がかなりいるようです。

クイズ界のライバルの一騎打

   クイズがお好きな方なら、テレビ朝日にクイズ番組「Qさま!」があり、京都大学卒業の宇治原と同志社出身のカズレーザーがいて、常にライバルとして争っているのはご存知でしょう。ところが、このところ宇治原の調子が悪く、カズレーザーの成績の方が少し上回っているような気がします。

   そして、昨日、テレビ朝日のもう一つのクイズ番組「ザ・タイムショック」が放映され、常連の宇治原もカズレーザーも出演しています。カズレーザーは順調に勝ち進み決勝戦を戦うグループに入っていましたが、宇治原はいち早く敗退。それが、何と敗者復活で決勝戦の4人の中に入ってきたのです。

   その4人はカズレーザー、宇治原、宇治原と同じ京都大学を出た女流プロ麻雀士の松嶋桃、そして東京大学の三浦奈保子。ところが、松嶋と三浦が10問をクリア出来ずに敗退し、まるで最初から計画したように宇治原とカズレーザーの一騎打になったのです。宇治原にとっては、不本意な成績を挽回する絶好のチャンス.。

   しかし、宇治原が先に11問をクリア出来ずに敗退し、もしカズレーザーがクリアすれば優勝する場面でした。ところが、カズレーザーも優勝を意識してか敗退。そして、同じ問題による二人の対決はカズレーザーが「枕草子」の「春は曙 夏は夜」を間違えた時点で宇治原が優勝しました。ほんの僅かな知識の差です。

「清作」を改名した野口英世

   細菌学者で千円札にまで起用された野口英世が、生まれた時の名前「清作」を改名して「英世」になったのをご存知でしょうか。この経緯を詳しく説明した《学校では教えてくれない野口英世の秘密》という記事がネットにありますが、これとほとんど同じことを書いた伝記を見つけたので紹介しましょう。

   そもそも、改名したのは北里柴三郎の伝染病研究所に入って間もない頃です。野口はある時、坪内逍遙の著書「当世書生気質」を手にしました。その本の主人公の名前が「野口精作」。精作は秀才で将来を期待された医学生でしたが、好奇心から遊郭に足を踏み入れるようになりました。

   そして、堕落した生活を続けて、やがて人生に絶望した末に自分で自分の命を絶ってしまうのです。名前のヨミが同じばかりではなく、医学部に進んで自堕落な生活を送るという点でも共通してました。勿論、精作は架空の人物でしたが「このままでは自分がモデルだと勘違いされてしまう」と心配したのです。

   そこで、恩師の小林栄に相談。結局、よその村の「清作」という人を探し、その家族に頼んで同じ村の野口という人の一時的に養子になって貰い、強引に二人の「野口清作」を作り、その上で役所に行き「同じ村に同姓同名のもう一人の野口清作がいる」と言って野口英世に改名したのだそうです。いやはや。

「サッカー」のルールの変遷

   サッカーのルールに、最後にボールにタッチして外に出したチームの相手選手は両足を揃えて、両手でボールをピッチに投げ入れて試合を再開するこことになっていて、これを「スローイン」と呼んでいます。ところで、両手で投げ入れるルールは1882年からでそれまでは片手でもよかったのをご存知でしょうか。

   そのため、イギリスのウィリアム・ガンという強肩の選手は、相手ゴールに近いところからのスローインは、片手で投げると、直接、ゴールまで届いてしまうほどです。それでは、手を使ってはいけないサッカーとして大問題であることに気づき、1882年から現行のルールに改正されたのです。

   そのほか、ネットにあるサッカーのルールの変遷を書くと、試合時間が前半、後半で90分と決められたのは、1871年からで、それまでのサッカーは、どちらかが勝つまで続けたために、決着がつくまで3時間も掛かったことがありました。ところが、何が何でも90分で終了と決めたために不都合が出たのです。

   ペナルティ・キックを得たチームがボールを取りに行ってる間にちょうど90分になって試合終了ということが1891年の試合で起き、それからロスタイムというルールが採用されたのです。アイスホッケーが時間が来ると、ブザーと共に何が何でも試合終了のルールをサッカーに採用するのは無理そうです。

4月3日はブラームスの命日

   有楽町線の要町駅から歩いて数分のところに名曲喫茶「ショパン」があり、そのオーナーで音楽評論家の宮本英世さんが書いた《クラシック一日一名曲366日》(講談社)という本を持っていて、時々、眼を通します。今日、4月3日は好きなブラームスの命日で、1897年に64歳で亡くなっています。

   死因は肝臓ガンになっていますが、死を早めたのは、前年に親しくしてたシューマンの奥さんのクララを失ったことが影響していると言われています。ところで、この本に宮本さんが挙げている一曲は、交響曲第1番やヴァイオリン協奏曲などを書き、大作曲家になった46歳の時の作品で「大学祝典序曲」。

   これは、ブラームスがブレスラウ大学から名誉学位を贈られた返礼として作曲し、翌年の12月にベルリンで発表した管弦楽の作品です。しかし、宮本さんには悪いけど、もしブラームスの命日に私が一曲選ぶとしたら、やっぱり「ドイツ・レクイエム」ということになるかも知れません。

   何しろ「ドイツ・レクイエム」はブラームスの作品の中で、もっとも規模が大きなもので、彼を大作曲家の地位にすえた傑作であるとともに、音楽史の上でも重要な存在です。それでは、ブラームスの命日にあたり、テンシュテット指揮のロンドン・フィルでお聴きになって下さい。もし時間が許せば1時間を越す全曲を。

芥川賞を手紙で懇願の太宰治

   作家の太宰治も、芥川賞が欲しかったとみえて、当時、芥川賞の選考委員の一人だった詩人で作家の佐藤春夫に「第2回の芥川賞は、私に下さいますよう……‥佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。」などと、切迫した気持ちがつづられた長い手紙を送っています。

   実は、太宰治は、前年、「逆行」で第一回芥川賞の候補になっていたのに落選。この頃の太宰は腹膜炎の治療に使った鎮痛剤の中毒に苦しみ、薬代なので借金を重ねていました。そんな中、芥川賞の賞金を切望しての佐藤春夫への懇願でしたが、第二回も該当者なしで終わってしまったのです。

   その後も、太宰は芥川賞を受賞することがなく、その敗北感が後年の名作を生み出した原動力になったと考えられます。でも、太宰が芥川賞を求めていたのは、名誉ではなくて、お金だったとは何だか悲しいです。ところで、2015年12月に和歌山市の市立佐藤春夫記念館でこの手紙の展示会がありました。

 この展示会にはこの芥川賞を懇願する巻紙の長い手紙のほかに太宰からの手紙が何通か展示されていて、辻本雄一館長が見どころを解説するギャラリートークがあったようで、恐らく、熱烈な太宰ファンは和歌山まで足を運んだに違いありません。太宰治、芥川賞を受賞することなくこの世を去り気の毒でした。

大手企業のエイプリルフール

   今日は「エイプリルフール」、しかし、ウソをついても許されるのは午前中までで、午後はダメと言うことになってます。といって、午前中にちょっと聞いただけでウソと解るウソをついても誰も相手にしてくれっこ無いのは当然です。ところで、ネットで2016年に大手企業のついた大嘘を発見したので紹介します。

   まず《NISSANが開発した飛行物体「U.S.O.」が不時着した動画》。何しろNISSAN、NISSIN、NISSENの3社がついた大掛かりな嘘!ということでクオリティが高い!というコメントがあります》。でも最初からウソと解ってることに誰も驚かないのでお金を掛けた誰でも解る他愛ないジョークと言っていいでしょう。

   次は《ホンダが2016年のエイプリルフールに公開した「カブ」豊作の写真がシュールすぎる》と話題になったんだそうです。また、《トヨタがランドクルーザーに海中走行機能を追加》。「ランドクルーザー」は悪路性能を突き詰めた本格オフロードSUVで、その性能の高さにより、世界中で活躍しています。

   また、《スバルが「アイサイト付き“ヘルメット”」を発売!万が一のビジネスの衝突を軽減》するとか。《アウディ、「マトリクス“顔文字”LEDヘッドライト」をオプション設定\(^o^)/》。いやはや、大手企業もお金を掛けて色々とエイプリル・フールを楽しんでいます。前にグーグルの社名変更を見たことがあります、

村上春樹氏の文章の魅力

   村上春樹氏が早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開業したことは、大抵の方がご存知でしょう。村上春樹氏が2011年に刊行した本に「雑文集」があり、《余白のある音楽は聴き飽きない》というタイトルの一文があって、この中でジャズ喫茶を始めた当時のことを書いています。

   氏は《いろいろあって、学校には七年くらい在籍していて、その間に結婚もして、でも就職するのが嫌だから自分で店を開こうと。親はもちろんそんなこと認めません。アルバイトをしお金を貯め、いろんなところから借金しまくって、東京郊外にある国分寺という街でジャズをかける店を始めた》。

   そして、このジャズ喫茶を七年間やったのです。その間に小説を書き始めいつしかプロの小説家になってしまったのですが、ジャズ喫茶にはかなり未練があったようで「店はけっこう軌道に乗っていて、お客さんもたくさんついていたし、やめるのは惜しかったですね」と書いています。

   つまり、村上春樹さんの小説が面白いのはベースに音楽があるからで、大好きなジャズを聴きながら書いた小説。価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。それが人によって違い僕の場合は音楽ですと。そうなんです。村上さんの文章の魅力は偏に音楽によって培われたからに違いありません。何という幸せな人生を歩んでいるのでしょうか!

「自動販売機」あれこれ

   街を歩くとコーヒーやジュースの「自動販売機」が眼に入らないことが無いくらい普及しています。ところで、ある本で知ったことですが、世界で一番最初に出来た「自動販売機」は約2500年前のエジプトの寺院に設置された「聖水自動販売機」だそうで、ネットにもあるその記事です。

   この仕組は上部の口にコインを投入すると、その重みで受け皿が傾き、コインが落下して受け皿が元の状態に戻るまでの間、出口の栓が開き聖水が出るのです。そして現在、自販機だけのコンビニがあるくらい自販機は普及し、缶ジュースや食物だけではなく、花や下着など実に様々な品物が売られています。

   また、一つの自販機で熱いものと冷たいものを一緒に売ることが出来る機能があるのは日本固有だそうで、狭いスペースを有効利用し、冷却の排熱を無駄にしない日本人の頭のよさが現れています。それに最近は「エコベンダー」と呼ばれる自販機も出ていて、電氣を多く使う夏場の午後は冷却運転を停止。

   その前にしっかり冷却しておく機能が備えられていて、こうすることで、発電所の集中した負担を避けているとは凄いです。ところで余談、一度、掛かりの人が自動販売機に何種類もの缶ジュースを収納している所を、偶然、目撃したことがありますが、その鮮やかな手さばきに驚愕した覚えがあります。

益々普及した「LED照明」

   電氣無くしては、われわれの生活は成り立たないと言っても過言ではないでしょう。その中で照明の主力だった「白熱電球」や「蛍光灯」に代わり、「LED照明」が照明の主役になりつつあります。何しろエジソンが発明した「白熱電球」は、どなたもご存知の通りエネルギーの無駄が大きかったのです。

   その代わりに登場した「蛍光灯」もやはりエネルギーの無駄は同じで、それに代わって現れたのが「LED照明」。これはLED(発光ダイオード)を光源とした照明器具の総称で、消費電力は一般的な白熱電球の約1割、蛍光灯と比べても、約3割しか消費しません。そして、寿命が何と約4万時間という凄さです。

   ともかく、LEDは様々な製品に組み込まれ利用されていて、CDやDVDが製品化出来たのもLEDのお陰だし、カーナビや液晶パネルなどのバックライトとしても大変な活躍をしています。ここにきて、照明としてのLEDが脚光を浴びたのは技術革新の賜で、その明るさが充分な照度を得られるようになったのです。

   今後、ますます多くの「明かり」に利用されるのは間違いなく、実際に交差点の信号、自動車のヘッドライト、テールライトなどでも、LEDが主役になりつつあります。これからはLED一色かというとそうではなく、「有機EL照明」という強力なライバルが現れているようで、人間の頭脳の容量は底なしです

多様な「オノマトペ」の世界

 ちょっと言語に詳しい方なら「オノマトペ」をご存知でしょう。日本語で言うと「擬音語」や「擬声語」。ネットに《「オノマトペ」の不思議な世界》というのがありますからちょっとご覧になって下さい。世界中のどの言語にも「オノマトペ」(onomatopoeia)は存在しますが、ことに日本語は「オノマトペ」が豊富です。

   その幾つかを紹介すると、まず「イライラ」で、草木のとげに由来し、使い方としては《試験勉強が思うように進まず「イライラ」する》。「ピカピカ」は光るさま、《靴を「ピカピカ」にする》。「ワクワク」は《期待で気持ちが高ぶり「ワクワク」する》。「ニコニコ」は《楽しそうな微笑みを浮かべ「ニコニコ」する》。

   また、動物の鳴き声のオノマトペの表現は、犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」、からすは「カーカー」、豚は「ブーブー」。そして、人間の笑い声は「ケラケラ」「ゲラゲラ」「クスクス」「ニアニア」「ニタニタ」などいっぱいあり、正に日本語ならではのオノマトペの宝庫と言っていいでしょう。

   そして、痛みを表現するオノマトペも「キリキリ」「ズキズキ」「ピリピリ」「ジンジン」「ズキンズキン」「チクチク」「ガンガン」とどんな痛みにも対応出来ます。《そう考えれば、オノマトペをもっと有効に活用した方が、はるかに円滑なコミュニケーションが可能になる。そんな独特な世界を作るオノマトペが好きである》とあります。

何だかかっこいい宇喜多秀家

   江戸時代、八丈島は流人の島で、慶長11年(1606年)に最初の流人、宇喜多秀家が流されて以来、幕末までに八丈島に流された流人の数は述べ1822人。そして、明治元年(1868年)の恩赦を含め約800人が赦免となり、島を出ていますが、約1000人が八丈島の土となってます。

   ここで、第1号の流人になった宇喜多秀家についてちょっと書くと、秀家は豊臣家五大老のひとりで、備前美作四七万石の領主。関ヶ原の合戦では豊臣方に分が無いことを承知していながら、秀吉の恩義に報いるため、西軍の武将として戦い、敗退した人物で、この結果を受けて、徳川家から出された処罰が八丈島の流刑。

   実は秀家の妻が前田利家の娘、お豪の方であったことから、島津家の助命嘆願があったことで、死罪にならずに済んでいます。これにより、秀家は妻と別れ、慶長11年(1606年)、息子二人と下男、息子の乳母、前田家から同行を命じられた医師など総勢13名で八丈島に渡ることになったのです。

   その数年後、「もしその気があれば、徳川家と話し合い、小さいながら一国を領することを取り計ろう」と前田家から密かな申し出があったのに、今さら徳川家の禄をはむ気はないと丁重に断り、。84歳で他界するまで、八丈島でひっそりと暮らし続けたそうです。宇喜多秀家、何だかかっこいい人物です。

煙草が印象的な二本の映画

   映画の一場面で、煙草を吸うところが最も印象に残ってる映画は何かと聞かれたら、躊躇なくアーネスト・ヘミングウエイ原作、グレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナー主演の「キリマンジャロの雪」を挙げます。酒場で、ジャズの生演奏(ベニー・カーター)を聴いてるペックがくわえた煙草に火をつけようとマッチをすります。

   すると、いつのまにか隣にガードナーがいて、口にくわえたまま煙草をペックの目の前に突き出し「火を……」と言う場面。当然、二人は一本のマッチに同時に煙草に火を付けます。こんなシーンを演出したヘンリー・キング監督凄いです。この映画、何度繰り返し観てるか解りませんが、いつ観てもしびれます。

   次は「第三の男」のラスト・シーン。長い道にジョセフ・コットンは置いてある荷車に寄りかかり、歩いてくるアリダ・ヴァリを待っています。アリダ・ヴァリはコットンの親友の恋人で、少し前にヴァリの恋人の埋葬が終わったばかりです。ヴァリは前を向いたまま無表情でただひたすら歩いています。

   ヴァリはコットンが立っている前にきても、眼を移すことなく、一瞥もないままに通り過ぎます、すると、コットンは懐から煙草を取り出してマッチで火を点けます。バックにツイターが「第三の男」のメロディを奏で「THE END」が出て映画は終わります。煙草が印象的な映画を二本紹介しました。やっぱり古い映画いいです。

巌流島の決闘の新事実

   宮本武藏と佐々木小次郎が戦った巌流島の決闘、そもそも、従来、伝えられてる話は武藏が約束の時間よりかなり遅れて巌流島に到着、つまり、武藏は同年代の小次郎をイライラさせる作戦だったというのです。結局、小次郎は焦った状態で戦いに挑み、一瞬で命を落としてしまったのです。

   ところが、ネットに「宮本武藏の新事実」という記事があり、それによると、巌流島にやってきた時の武蔵の年齢は19歳とも29歳とも言われていて、ともかく若いです。それに対して、小次郎は60代、人生50年と言われていた時代ですから、かなりの老人と言ってもいいでしょう。最初から勝負あったという年齢差です。

   また、遅れてきたと言われている武藏はまったく定刻に着いてるそうで、決闘に立ち会ったとされる武藏の養子の宮本伊織の書き残した碑文に武藏はちゃんと約束の時間に着いていると書かれてあるんだそうです。また、細川家の家老の沼田延元が話した内容を家来が書き残した「沼田家記」という記録があります。

  それによると、決闘の発端はどちらが強いかのいい争いになり、それなら巌流島で戦おうということになって、お互いに弟子は連れてこないという約束だったので、小次郎は一人で来たのに武藏は何人も弟子を連れて来たとか。そして、瀕死の小次郎のとどめをさしたのは武蔵の弟子たちとかですが真実は不明です。

生放送で痛恨の発言

   ネットの情報って何だか愉快です。NHKの有働由美子アナウンサーが、自分が司会している3月23日(金)の生放送番組「あさイチ」の中で初恋の男性の名前をついうっかり口にしてしまい、放送終了後に「8年間のどの失敗より痛恨」と悔いてるそうです。ともかく、生放送は取り返しがつきません。

   私はこの放送を観てないのですが、この日のゲストはシンガー・ソングライターの松任谷由実さん。有働アナは、好きな曲に「ダンデライオン〜遅咲きのたんぽぽ」を挙げた上で、初恋の人。これって全部、初恋のストーリーを思い出す。中学のときの。この曲のなにが素晴らしいかと言うと出だし。

   「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」それだけで、その人のことずっと見てて、夕焼けでも見てて、くせのある歩き方だっていうのが…。好きな人の歌だって、あの一行で分かるのがすごいじゃないですかと力説。さらに剣道の年下の子。オオクラくんだったんですと発言してしまったのです。

   続けて「初恋の人の名前をオンエアで言ってしまいました。……該当者様、あのとき告白もしてないのに、30年以上も経って、驚かせてごめんなさい」と謝ったとか。もしかしたら、この番組を観てたオオクラくんから有働アナに連絡があったかも知れませんが、この後の話を聞きたいものです。ではその記事の全文です。

美容院の店名と「万葉集」

   月に一度、家内が髪をカットして貰っている美容院の店の名前が「ぬばたま」桜台店。世の中にはずいぶん洒落たネーミングを考える方がいるもので「ぬばたま」とはアヤメ科の多年草「緋扇(ひおうぎ)」の黒い実のことで、これを和歌の「黒」「夜」などの枕詞(まくらことば)として使っています。

   和歌といえば、約4500首の和歌を集めた「万葉集」。この中から「ぬばたま」が出てくる歌を二首紹介しましょう。《ぬばたまの 黒髪変り白けても 痛き恋には 逢ふときありけり》《ぬばたまの 夜渡る月にあらませば 家なる妹に 逢ひて来ましを》。1000年以上昔の人も現代人と少しも変わらずロマンチックだったこと。

   では、ウイキペディアによる「万葉集」のことを少し書くと《7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集です。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられています。

   日本文学における第一級の史料であることは勿論ですが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料になっています》。ネットに全20巻(約4500首)を載せてるサイトがありますので、和歌を存分に堪能なさって下さい。

寺島靖国氏が「MEG」を閉店

   吉祥寺のジャズ喫茶「MEG」のオーナー寺島靖国氏が2月11日に80歳になって、2月28日をもって閉店しました。幸いに「MEG」の名前を引き継いで経営してくれる人が現れたとはいえ、かって頻繁に行った店だけに何だか寂しいです。きっと、80歳になったら閉店しようと思ってたに違いないと推察しています。

   ところで、寺島靖国氏が自著の「JAZZリクエスト・ノート」の中に《「ワンス・アポン・ア・サマータイム」で思い出す愛らしい女性常連客を失ったあの夏の思い出》というタイトルのエッセイを書き、寺島さんがレコードをかけながらこんなことをしていたのを、全国のジャズ・ファンにどうしても紹介したくなりました。

   寺島さんの文章をそのままコピーすると《白状するとその頃ぼくはお客一人一人に等級を設けていた。レコード室から見ているとお客の聴き方や仕草によってどのくらいジャズが好きかがわかる。好きな順からA→Eの五ランクにわけていたというわけである。その女性は、たぶんD級くらいだった。

   たまに女性ボーカルがかかると本から目を上げた。そのレコードを目ざとく覚えていて次に彼女がくると裏面をかけて精一杯のホスピタリティを示した》。そんなレコードの中の一枚にこの「ワンス・アポン・ア・サマータイム」があり寺島さんは失敗して彼女のご機嫌を損ねたとか。寺島さん、48年間本当に有り難うございました。

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