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藤井七段の九段への険しい道

   高校1年生の将棋棋士藤井六段(15)は、5月18日に行われた第31期竜王戦5組ランキング戦準決勝で船江恒平六段(31)に勝ち、昇段規定を満たして七段に昇段しました。ネットに《「ななだん」じゃなくて「しちだん」です 藤井聡太七段を何と呼ぶ?》という記事を見つけ、八段になる条件がありましたので紹介します。

   何しろ、藤井聡太さんは2月1日に四段から五段になったばかりなのに、4ヶ月も経たないうちに六段、七段と駆け上がってしまったのです。何という強さでしょう。この調子なら、八段も最高位の九段も、直ぐになると思う方がおられるかも知れませんが、七段以降はハードルが一段と高くなり簡単にはいきません。

   この記事に七段から八段になる条件が書いてあるので紹介すると①「竜王」一期獲得②順位戦A級への昇級③七段に昇段した後の公式戦を190勝のいずれかを満たさないと八段にはなれないのです。このうち①については、竜王戦の挑戦者になり7番勝負を羽生竜王に勝つ可能性はゼロではありません。

   しかし、②と③については、棋戦の制度上、最低でも3~4年は要することになり、藤井七段の時代は、藤井六段の時代より長くなる可能性があります。そして、八段から九段になる条件を調べてみたら①名人位獲得②竜王戦獲得2期③八段になってからの公式戦250勝のいずれか。藤井七段の九段への道は険しいです。

活劇の極限「ダイ・ハード」

   つい最近、WOWOWで「ダイ・ハード」を放映しました。この映画はDVDを持っていて、何度も観てるのに録画してまた観ました。何しろ「映画大辞典」のコメントが、519人中、7~10点が468人で何と90.2%と言う圧倒的な人気です。ともかく、アクション映画の極限に到達しています。

   アクション映画が好きな人でまさかこの映画をご覧になって無い方は恐らくいないと思いますが、主演のブルース・ウィリスを、一躍、大スターにした映画と言っても過言ではないでしょう。映画は、ニュヨーク警察の刑事がロサンゼルスの日本企業で部長をしてる奥さんに会うためにやってくる所から始まります。

   その日はちょうどクリスマス・イヴ、会社はパーティが始まろうとしています。部長室で夫婦が話をしてる最中に、部長にスピーチの要請がきて会場に行ってる時に何と銃声。ウィリスがドアを少し開けて様子をうかがうと、どうやら会社は悪いグループに占拠されたようで、社長をはじめ社員全員が人質になったのです。

   ウィリスは刑事ですから、当然、拳銃を持っているわけで、彼が悪いグループと一人で戦うのがこの映画の骨子です。ジョン・マクティアナン監督はあらゆる手を使って、 観客を興奮の極致に引きずり込みます。「映画大辞典」のコメントを沢山お読みになると「名作」を共感出来るでしょう。いやはや、何度観ても凄い映画です。

川端康成と「四字熟語」

   円満宇二郎著「心にしみる四字熟語」(光文社)という本の中に、《「無為徒食」と澄みきった鏡》といタイトルの一文があり、川端康成の小説「雪国」のことを書いています。誰でもご存知のことですが、川端康成は1968年(昭和43年)、日本人としては初めてノーベル文学賞を受賞しています。

   その川端康成は、四字熟語をあまり使わない作家だそうで、例えば初期の代表作「伊豆の踊子」には四字熟語が一つも出てこないのだとか。ともかく、日本には日本独特の「四字熟語文化」があり、これをよく使う作家が多い中で、代表作の「雪国」にしても出てくる四字熟語は「一生懸命」と「無為徒食」の二つだけ。

   それも、川端康成はこの小説の中で「無為徒食」を何と三回も使っているのだそうで、「無為徒食」の「無為」は何もしないこと、そして「徒食」はたただひたすら食べること。つまり「無為徒食」の意味は何もしないでただ食べているだけで、小説の中で川端は《「無為徒食」の島村は……》と三回も使っているのです。

   川端康成(笑顔の写真)は「風景」という雑誌の中で「雪国」について《島村は私ではありません。男としての存在ですらないようで、、ただ駒子をうつす鏡のようなもの、でしょうか》と書いていることを著者の円満さんは紹介しています。これは「無為徒食」の島村を主人公にした小説を書いたことを気にしているように思えます。

宅急便で手紙は郵便法違反

 もし、あなたが宅配便で友人に自分の好きなジャズのCDを送ったとしましょう。そして、そのCDとはまったく関係のない話の手紙を書いて、そのCDの宅急便の中に入れたとします。こんなことは、別に何の問題もないと思いきや、これが郵便法第4条に触れる立派な犯罪なのです。

   つまり、この罪は郵便法第76条により3年以下の懲役、または300万円以下の罰金が科せられるかなりの重罪です。この郵便法第4条は《日本郵便以外の事業者が「信書」の送達を行うことを厳しく禁じられていて、もし、それを行うと、宅急便業者だけではなく送り主も受取人も法律違反になるようです。

   ところで、《「信書」とは、特定の受取人に対して、差出人の意思を表示し、または事実を通知するもの》と定義されていて「手紙」「はがき」「請求書」「許可証」「領収書」「証明書」などがこれに該当します。「信書」か否かの判断を下すのは所轄官庁ですが、その基準はかなり解りにくい感じです。

   だが、もし誰かに郵便法違反を告発(誰が?)されたら、関係者はみんな容疑者として警察の取り調べを受ける厄介なことになるのです。ただし、その手紙がそのCDの説明、つまり、宅急便の品物の従として添えられていた場合は単なる説明文書で法律違反とはならないようです。では弁護士の話です。

世界遺産「富士山」のトリビア

   平成25年(2013年)に世界遺産に登録された「富士山」。ネットで《富士山頂には住所がない?!富士山の知られざるトリビア》というサイトを発見しました。それによると、富士山は、静岡県と山梨県にまたがっていて、国土地理院の地図には、山頂付近は住所が書いてないのだそうです。

   何しろ、富士山の山頂を巡る争いは、江戸時代からあり、駿河の国(現在の静岡)と甲斐の国(現在の山梨)には、富士山の帰属を巡る論争はずっと続いていたのです。その後も県境についての議論は何度かありましたが、現在では静岡、山梨の両県知事ともに「議論の対象としない」との考えが一致してるのだとか。

   現在も住所ははっきりしてないのですが、郵便番号だけは、「418-0011」と決まっていて、扱いは富士宮郵便局で、富士山頂にある電話の市外局番は、富士宮市の扱いになっているとこの記事には書いてあります、きっと住所が無くても郵便番号と「富士山頂」と書けば郵便物は届くのでしょう。

   ところで、山頂は住所がないので国有地と思ってしまいますが、ちゃんとした所有者がいて、八合目から山頂までは富士山本宮浅間大社が保有しています。その経緯は江戸時代に、徳川家康から寄贈された形で保有を始めたのですが、最終的に浅間神社のものと認められたのはずっと後で、国を相手の裁判の結果です。

村上春樹氏への473の質問

   新刊の本屋の店頭で、村上春樹氏に届いた37,465通の質問のうち473通を村上氏とスタッフが選び、質問と答を掲載している文庫本「村上さんのところ」を見つけ買いました。奥付を見ると、平成30年5月1日発行なので、つい最近、出版されたばかりでこの催しは9年ぶりだそうです。

   ところで、この465通の質問の中に「丸谷才一さんの慧眼」という質問があり、その出だしに《私にとって、好きな作家と言えば、村上さんと丸谷さんの両氏です。これは数十年間ずっと変わらず、丸谷さんが群像新人文学賞の選考時に村上さんの「風の歌を聴け」を強く推されたことも承知してました》とあります。

   実は私が興味を持ったのは、この質問者の好きな作家の二人が、私とまったく同じだからです。そして、村上さんへの質問は《村上さんにとって丸谷才一という人はどういう方だったのか、何かエピソードなども含めてお教えいただけたら幸いです》で、この質問は何と私も村上春樹さんに聞きたいことなのです。

   そして、その答は《僕はなかなか文壇方面に出て行かない人間なので、丸谷さんと直接お目にかかったことはあまりなかったのですが、一度だけ二人で食事をしたことがあります。原宿駅近くにある有名なカウンター割烹で、でも緊張してうまく話せませんでした》とか。一度だけでも会話されたのを知り、何だか嬉しいです。

色彩感覚が誠に素敵な画家

   我が家の小さな庭に「ヤマボウシ」という落葉高木があり、葉が伸び過ぎたので植木屋さんに切って貰いました。その切った葉を捨てるのは勿体ないので、家内が玄関の花瓶に植えたのです。しかし、そのままでは何だか寂しげで、きれいな花を数本仲間入りさせたら「ヤマボウシ」もきっと喜ぶに違いないと思いました。

   そこで、散歩に出たついでに、近所の花屋に寄って、見事な純白の百合、黄色い薔薇、真っ赤な薔薇の3つのを買ってきて、指導してない草月流の師範の家内が腕をふるい、「ヤマボウシ」の葉の間に入れたのです。すると緑、白、黄、赤の絶妙なコントラストで、眼の保養になって癒やされています。

   それを眺めていたら、何年か前、銀座の「日動画廊」で観た松井ヨシアキさんの絵が、ふと脳裏に浮かび上がり、その時、画集を買ったことを思い出し、本箱を探したらありました。そこで、このところ毎日のように眺めていますが、松井さんの色彩感覚が私の好みにぴったり合っているのが思い出した要因でしょう。

   その松井氏の沢山の絵をネットで見つけましたのでちょっとご覧になって下さい。どうです。誠に見事な色遣いとタッチでしょう。それにどうやら松井さんはジャズがお好きなようで、数々の絵の中に楽器もありパリの街にマッチングしています。玄関の花を買ったことで松井さんの絵を思い出し、沢山の方に観て頂きたくなりました。

ヒッチコック監督の驚く裏話

   洋泉社出版の「ヒッチコック殺人ファイル」という本はヒッチコック映画を集め、その主演女優との裏話を紹介しています。その中から映画「鳥」に主演したティッピ・ヘドレンのことを書きます。勿論、ヘドレンはヒッチコックに特別な感情などいささかも持っていませんでしたが、ヒッチッコック監督は違いました。

   当時、ヘドレンは最初の結婚に失敗し、一人娘を抱えて不安定なモデルをして生計を立てていました。そこに、ヒッチコックとの7年間の専属契約の話が飛び込んだのです。ヘドレンはこの話をどんなに喜んだか解りませんが、実はこの話はヒッチコックの求愛の表現だったのに彼女は気がつきませんでした。

   やがて、ヒッチコックから彼女に贈られてくる豪華な衣服やアクセサリーの数々。ヒッチコックは女優経験のない彼女を一から教育する積もりで、それが、映画「鳥」への主役抜擢につながります。実は「鳥」は彼女無しでは考えられない作品で、観客に恐怖感を与えることに大いに成功しました。

   彼女が鳥に襲われるシーンの撮影は一週間にも及び、このシーンの撮影後、倒れて入院。その後、ヒッチッコック監督の愛情表現はますますエスカレートして、ある日、控え室で二人きりになった時、ついに監督は飛んでもないことを要求して彼女は拒否。あまり書きたくないことを書いてしまいました。では彼女の談話です。

ペットとして飼えるカラス

   何となくテレビを観ていたら、家でカラスを飼っている人の映像が眼に留まりました。かねがねカラスが頭がいい動物であることは知っていましたが、人間の顔を覚え、優しくしてくれる人にはなつき、ペットとして飼えることが出来るとは驚きです。そこで、ネットを探したらカラスに関しての興味深い10項目を発見。

   この記事のすべてを書ききれないので、私が「これは凄い」とうなった部分を少しだけ紹介します。カラスは親の巣を敵から守り、親や雛のためにエサを取ってきます。また、カラスは仲間が亡くなるとその亡骸の回りに集まり、命を落とした原因が何だったかをチェックするというから凄いです。

   カラスは信号が赤か青かを識別出来て、クルミなどの好物を車が通る路上に置いて暫く様子を見ます。そして、車がその上を通過して殻が割れたら、信号が青の時に路上に来て美味しい中身を頂くので車に轢かれたりはしないというから驚きです。つまり、カラスは霊長類に匹敵する知能を持っているのです。

   カラスは欲求を我慢出来る能力も持ってるようで、ある大学の実験によると、まず、あるカラスの大好物を把握します。その上で、それとは別の少量のエサを差し出し、次いで、大好物のエサを提示すると、最初に出したエサを我慢すれば大好物のエサが食べられることを察知するのです。ではカラスと人間の愛の物語です。

レストランの中に大きな犬

   都電「荒川線」「東池袋四丁目」駅の直ぐ前にレストラン「かざみどり」があり、とても大きな犬が店内を歩き回っています。しかも同じような犬がニ匹です。ステーキが美味しいので二ヶ月に一度くらい行くのですが、不在だと特別に犬好きではない私でも何だか寂しい気持になるから不思議です。

   店にいる時は、私と眼が合うと直ぐに近づいてきて、「頭撫でてよ」とばかりに頭を差し出すのです。また、店に入った時には散歩に出てるらしくいないで、帰ってくると私を見つけ、こちらが気がつかないといつの間にかそばに寄ってきて、鼻の頭で食事してる私の後をツンツン突っつくのです。

   これは自分の存在を知らせるような仕草で、きっと挨拶しないと悪い気がするのでしょう。まるで「留守してゴメン」と言ってるようです。私が「気が付かないで悪かった」と優しく頭を撫でると、直ぐに私から離れて、店内の片隅に静に横たわり、眼をつぶったりしています。たまにしか会わないのに、何だかとても愛おしいです。

   ところで、東京で店内に犬がいるレストランはここだけだと思っていたら、ネットで 《かわいい看板犬にメロメロ、看板犬がいる東京のカフェ&レストラン8選、お目当てはあのワンちゃん!》というサイトを見つけました。でも「かざみどり」のワンちゃん、本当に可愛いので、是非、一度会いに行ってみて下さい。

実際に飛び降りた清水の舞台

   国宝で世界遺産の京都の清水寺。何か思い切ったことをやる時に「清水の舞台から飛び降りる」という諺がありますが、江戸時代中期の元禄7年(1694年)から末期の元治元年(1864年)にかけて、実際に飛び降りた人が234人もいるのをご存知でしょうか。そのうち命を落とした人は34人。

   犠牲者が割合少ないのは、昔は舞台の下に木々が多く茂り、地面も軟らかな土だったからで、四階のビルの高さでは、今だったらこうはいかないでしょう。そして、試みた人の大半の動機は自分や家族の病気が早く治りますようにという願掛けで、まだ医学が進んでいなかった時代のせめてもの願いでした。

   この現象は明治政府が「清水の舞台から飛び降りないこと」と禁令を出した明治5年(1872年)まで続いたそうです。また、近年では、1995年2月に阪神・淡路大震災に被災した80歳の男性が、そして、2006年5月15日に30歳代~40歳代と見られる男性が飛び降りていずれも亡くなっています。

   また、清水寺の舞台は、本来の役目は御本尊の観音様に御利益をいただいたお礼に 舞楽などを奉納するための舞台で、この舞台に立ち、演じることは名誉なこととして、一世一代の晴れ舞台を意味する「檜舞台」の語源となったとも言われています。私も家族と何回か行っていますが「清水寺」大好きです。

ゴーギャンの遺書代わりの絵

   「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」、これはポール・ゴーギャンが1895年、タヒチで描いた絵のタイトルです。この作品には様々な解釈がありますが、三笠書房の「世界の名画 仕掛けられたメッセージ」によると《誕生と死の間で繰り広げられる人生の流転を描いた》と言われています。

   ゴーギャン自身の解説は「右端の赤ん坊が生命の起源を、中央で果実をもぎ取るようなしぐさをしている人物が活動期、そして、左端の老婆が人生の終末を表している」のだそうで、もぎ取ろうとしてるのは人類の原罪を表す禁断の果実。老婆は避けることが出来ない死を象徴しているのだとか。

   それにしても、なぜゴーギャンが二度もタヒチに渡ったかというと、パリの万国博覧会でジャワ舞踏を見て、彼が絵の題材として追い求めていた「原始」の世界がタヒチにあると感じたからだそうです。しかし、タヒチという土地は、彼が思っていたものとは決定的に違っていました。

   その上、ゴーギャンは病気の悪化に苦しんでいて、相変わらず描いた絵が評価されずに売れないで、治療費にも困る始末。そこに追い打ちをかけるように最愛の娘アリーナが亡くなった知らせが届いたのです。その知らせに絶望し生きる希望を失ったゴーギャンが遺書として描いた絵がこれです。よく味わって下さい。

老いたチェット・ベイカー

    数十年前のクリスマス・イヴに銀座のジャズ喫茶「スイング」で、私をジャズの魅力に引きずり込んだチェット・ベイカー。彼が56歳の時の「CHET BAKER TRIO SWEDEN 1985」というDVDを久しぶりに観ました。アクシデントで他界する3年前の貴重なDVDです。

   村上春樹氏が《チェット・ベイカーの音楽には、紛れもない「青春」の匂いがする。ジャズシーンに名を残したミュージシャンは数多いけれど「青春」というものの息吹をこれほどまで鮮やかに感じさせる人が他にいるだろうか?》と言っているチェット・ベイカーは、20台の終り頃から悲惨でした。

   28歳になった彼は。薬物中毒の治療のため、療養所生活を余儀なくされ、30歳の時に薬物が原因で逮捕。一時は釈放されましたが、翌年に再逮捕され35歳の時にイタリアからアメリカに戻ります。それが、40歳を迎えた年に薬物がらみの事件で暴漢に襲われて歯を折られ演奏活動が出来なくなりました。

   しかし、44歳になってようやく入れ歯を入れて演奏が出来るようになりはしたものの全盛期の面影はなく、1988年5月13日、西ドイツでの公演を終えた後、オランダのホテルの窓から転落して、58歳でこの世を去りました。老いたチェット・ベイカーはあまり観たくないのですが、つい観てしまうのです。 では若き日(  )を。

私を泣かせた二本の映画

   ある出版社が各界の著名人50人にアンケートをした「私を泣かせた一本の映画」という本を持ってます。著名人ではない私には、誰もそんな質問をしてくれないので、終演後、涙で映画館の席を暫く立てなかった映画を二本、書かせて下さい。まず最初の一本は山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」。

   高倉健と倍賞千恵子の共演で、初めて映画に出た武田鉄矢がとてもいい味を出していました。もしかしたら、山田監督の代表作と言ってもいいかも知れません。前半は喜劇調で観客を大いに笑わせ、ラスト近くの場面で、例の黄色いハンカチがいっぱい画面に出て「よかったなぁ」と私達を嬉し泣きさせてくれました。

   そして、二本目は成瀬巳喜男監督の不朽の名作「浮雲」。森雅之と高峰秀子がどうしようも無い男女の悲しさを演じて、思い切り私達を泣かせてくれました。この映画の原作は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の林芙美子。どしゃぶり振りの雨の屋久島、ラストの救いの無い悲しさが今も脳裏に鮮明です。

   何しろ、小津安二郎監督をして「オレにはこのシャシンはとれない」と言わしめた「浮雲」。この映画を実に的確に解説したサイトがあり、読んでいるとまた映画を観たくなるのは間違いないでしょう。森雅之と高峰秀子が寄り添う写真がいっぱいあるこのサイト、じっくりご覧になって下さい。もしかしたら映画観なくても涙が……。

最高に楽しんだ「世界卓球」

   若い頃からほとんどスポーツをしなかった私が、唯一、夢中になったスポーツに卓球があります。家の近くにあった卓球クラブによく通い、時に夜遅くまで知らない人と遊んでいた覚えがあります。長じてサラリーマンになって、会社の本社が東京相和銀行のビルの中にあり、後に銀行が破綻して別のビルに移りました。

   ところで支店長が卓球が好きだったこともあり、たまの土曜日にはお互いに何人かの社員が出社して、卓球大会を開催したのです。卓球の経験があることから私も選手の一人で出場し、まったく運動が駄目と思われていた私がバック・ハンドのスマッシュを決めたのを見た社員が仰天していたのを懐かしく思い出します。

   そんなことで、少しでも経験がある卓球の試合を観戦するのが好きで、現在、スエーデンで開催中の「世界卓球」のテレビ中継を毎日のように観ています。そして、昨日、メダルがすでに確定してる女子は中国との決勝戦。夜9時からの放映を、録画しておいて今朝一番に家内と一緒に見ました。

   まず、第1戦、伊藤美誠が劉詩分にフルセットで勝った時には、もしかしたらの期待が脳裏をよぎりましたが、中国の強さはそんな甘いものではありません。2番手の平野美宇が丁寧に、3番手の石川佳純が朱雨玲に破れ、結局、日本は銀メダルで終わりました。しかし、日本選手の健闘に最大の拍手を贈りたいです。

昔が懐かしい「端午の節句」

   今日5月5日は「端午の節句」、そもそも節句とは、季節の節目にその季節の草花や食物などを神様に供え、それを家族で頂いたりして邪気を払い、男の子の成長を祝う行事です。古代中国では5月は物忌みの月で、厄払いが行われていました。もともと、「端午」とは5月のはじめの「牛」(うま)の日のこと。

   「午」と「五」の発音が同じなことから、5月5日が「端午の節句」となり、厄払いを行う日になりました。それが奈良時代に日本に伝わり、日本全国に定着したと言われています。やがて、鎌倉時代に入り武家社会になると、厄よけに使用する「菖蒲」と「尚武」(武道を重んじること)をかけて、祝うことになったのです。

   そして、江戸時代には「端午の節句」として男の子が無事に成長することをお祝いする大切な行事となり、庶民の間に広がったとされています。このお祝いには関東地方では「柏餅」、関西地方では「ちまき」を食べることが習慣になって、街のいたるところで売られています。

   柏の葉は新芽が出るまで落ちないので、子孫繁栄の意味を持ち、「柏餅」は縁起がいい食べ物になったのです。また「ちまき」は 中国の故事で笹の芽は繁殖力が強く、邪気を払う植物とされていたため、餅米を笹の芽で包んだ「ちまき」をよく食べるのです。「端午の節句」の詳しいことはこの記事をお読みになって下さい。

目的の物を1分で探す醍醐味

   マイクロソフトには「エクセル」という有名なソフトがありますが、そのほかに、まだ、MS-DOSの時代から存在する「ワークス」というソフトがあります。機能としては「エクセル」と同じに、表計算、ワープロ、データベースなどですが、このソフトの圧倒的に凄いのがデータベースで、私としては「エクセル」を超えています。

   かなり前から「DVD」「ビデオテープ」「CD」「LP」「カセットテープ」「MD」のコレクションを持っいて、これらの管理の方法を披露すると、すべてに連番を振り、番号順に並べて収納しています。そして、分類コードが用意してあり、大別すると「DVD」「ビデオテープ」が映像、「CD」「LP」「カセットテープ」「MD」が音楽。

   映像の分類コードは、1外国映画、2日本映画、3ドラマ、4音楽、5スポーツ、10その他。音楽はクラシックとポップスとに分け、クラシックは、1交響曲、2ピアノ協奏曲、3ヴァイオリン協奏曲、4チェロ協奏曲、5その他の協奏曲、6声楽曲、7管弦楽曲、8器楽曲、9室内楽曲、10歌劇、15その他。

   またポップスは、16ジャズ、17ジャズ・ヴォーカル、18海外のロック&ポップス、19日本のロック&ポップス、30その他。パソコンに入力している項目は、映像は番号、タイトル、分類コード、音楽は番号、曲名、演奏者、分類コード。すべて「ワークス」の管理で、検索キーの入力によって1分で目的の物を取り出せます。

丸谷才一氏の随筆は超魅力

   丸谷才一さんの随筆が好きで、何度、ブログのテーマにして頂いてるか解りません。今回は「マエストロ!」というタイトルの一文で、1986年(昭和61年)にクライバーの指揮でバイエルン国立管弦楽団のモーツアルトの交響曲第33番やブラームスの交響曲第2番を聴いた時の感動を書いています。

   丸谷さんは《本当にすばらしかった。音楽を聴きに行ってこんなにいい気持になったことは滅多にないし、殊に指揮者に夢中になったのはこのとき一度だけだ》そうです。アンコールの「こうもり」序曲(必聴必見!)が終わり、男の子を抱いた女性がステージの下に近づくと、クライバーが子供に握手をしてくれたのだそうです。

   つまり、気むずかしいので有名なクライバーが、子供に握手したのを見て、丸谷さんもこの指揮者なら握手して貰いたいなと思ったと言うのです。丸谷さんはこう書いてます。《なるほど、世の中にはあらゆる者をミーハーにしてしまう人がたしかにいるんだな》と。丸谷さんがこの随筆を書いた理由が解るような気がします。

   ところでクライバーは1960年代にデュッセルドルフでオペラ「椿姫」を指揮するに当たり、二回のリハーサルを要求したが、ヴィオレッタ役の歌手がリハーサルに出てこなかったのでカルロス・クライバーは直ちに帰ってしまったとか。非常に博学な丸谷さんの随筆、色々な知識が増えて超魅力です。

地球誕生から生まれた人の数

   ネットには実に興味深い記事が時々載っています。つい最近眼に留まった記事は、地球が誕生してから今まで地球上に生まれてきた人間の数は、107,602,707,791人。つまり、約1,076億人だそうです。現在、地球には70億人の人がいるので、これまでに生まれた人の6.5%が生きていることになります。

   これは、アメリカの人口調査局によるもので、人の発祥をいつに設定し、ある時代の死亡率をどう考えたらよいのかといった事を考慮しなければなりませんが、人の発祥は紀元前5万年にはたった二人の男女だったのが、子孫を増やし続け、現在、地球上には70億人の人間がいるなんて信じられません。

   そして、人口の推移をよく見てみると、紀元前8000年には500万人、紀元1年には3億人、1200年には4億5千万人、1650年には5億人、1750年には7億9500万人。1850年には12億6500万人、1900年には16億5600万人などとし、色々な計算をすると、この数値になるのだそうです。

   この数値から、1650年から1750年の100年間で、2億9500万人も増加したことが解り、1200年から1650年の450年間で5000万人しか増えていないことを考えると、前者の時代に産業革命が起こったことが、人口が爆発的に増えた要因と考えられると書いてあります。では、これからの地球の人口予測です。

皇居の住所を本籍に可能

   ネットに《皇居の住所を本籍とすることは可能か?》という記事を発見しました。答を先に言うと、実はイエスなんです。一般的に「本籍」とは「戸籍の所在地」のことを指し、そこが自分に関係があるなしに拘わらず、自分の意思で日本国中どこでも好きな所に決めてもいいのです。それに本籍の変更はいとも簡単です。

   皇居の住所とは「〒100-8111東京都千代田区千代田1丁目1番地」で、昭和57年(1982年)現在、557人がこの住所に本籍を置き、筆頭者として届け出ているのだそうです。その人達がなぜここを本籍にしているのかについては個々の理由があるようで、中には話の種にしてる人もいるようです。

   ともかく、誰かに本籍を尋ねられた時「私は皇居の住所なんだ」と答えると、相手は「へー」と面白がってくれるかもしれませんが、中には「皇居が本籍?」といぶかしげな目で見られ、人格に影響することだってあるかも知れません。面白半分でこんなことをするのは避けた方がよさそうです。

   ところで、皇居を本籍にすると皇族に迷惑が掛かると思う方がいるかもしれませんが、皇族には本籍や住民票が無いので関係ありません。しかし、人に話すと変わり者に見られる可能性があり、メリットよりデメリットの方が多い気がします。ちなみに、住所さえ解れば、本籍を富士山頂にしてもいいのです。

何度観ても素晴らしいDVD

   クラシックとジャズで耳いっぱいの私ですが、時々、「ザ・ローリング・ストーンズ」の演奏会の映像が観たくなります。その映像とは、映画「シャイン・ア・ライト」。2006年11月、ニューヨークのビーコン・シアターで行われた演奏会をマーティン・スコセッシ監督が18台のカメラを駆使して撮ったライブ映像です。

   実はこの映画、映画館で上映中だった時に、雑誌でこの映画ばかりは映画館の大きなスクリーンで観るべきだの記事を見て飛んで行き、その圧倒的迫力に度肝を抜かれ、DVDまで買ってしまいました。何しろ、この映画が凄いのは、監督とメンバーの打ち合わせシーンから入っていて、熱の籠もった会話も一見に値します。

   やがて当日、ところ狭しとミック・ジャガーがマイク片手にステージを歌いながら駆けずり回る映像を観て、「ザ・ローリング・ストーンズ」が今も人気が落ちていないことに納得せざるを得ません。そして、私が大好きなバラード「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」(涙あふれて)の演奏にはそれこそ涙が出そうになりました。

   では「映画大辞典」のコメントを一つ紹介しましょう。《しまった。絶対に劇場の大きなスクリーンで観るべきだったと後悔している。これは凄い。これこそ本物のライブだ!映画館で観ていたらと思うと本当に悔しい》。そうなんです。私は映画館で観たんです。このDVDばかりは、持っていて絶対に損ではないと声を大にして言いたいです。たとえ「ザ・ローリング・ストーンズ」のファンでなくても。

免許不要の江戸時代の医師

   現在、医者になるためには、医師の免許を取得しなければなりません。その免許を取得するためには、医学部がある大学や医科大学に行き、何年かかけて必要な知識を学び、それらの大学を卒業した人ににのみ、医師の国家試験の受験資格が与えられ、無事に合格すれば晴れてお医者さんになることが出来るのです。   

   ちなみに、平成29年(2017年)の合格率は88.7%、つまり、9618人のうち合格者は8533人の約9割で、毎年、ほとんど変わらない率であるところをみると、大学で6年間みっちり勉強すれば、医師になる確率は相当に高く、要するに国家試験を受ける前にかなり絞られているのです。

   ところで、現代は以上のようですが、実は江戸時代には医師の国家試験に相当するものはありませんでした。つまり、基本的には、お医者さんになりたいと思ったら誰でもなれたのです、その中にはかなり医学の知識を持った名医もいたのですが、医学の知識が無いお金持が医師の看板を掲げる例もあったようです。

   ともかく、江戸時代の医師は、御所所属の朝廷医、幕府専属の官医。各藩専属の藩医、そして、開業医の4つに大別され、初期の医師は漢学の知識を持った僧侶がなることがかなりいたようです。なお、江戸時代の医師は頭髪を剃らずに髪の毛を後になでつけた総髪、髪の毛を束ねて結った束髪の人が多かったそうです。

「エベレスト」に登る費用

   世界で最も高い山は「エベレスト」、ネットに「登頂費用やその他諸々」が書いてありましたので、登る気がない人には役に立たない情報ですが、知識として紹介しましょう。もしかしたら話の種になるかも知れません。ともかく、山が好きな人にとっては、出来たら登りたいと思ってるに違いない山です。

   では「エベレスト」の位置は、ネパール、中国の境にあるヒマラヤ山脈で、標高8,848メートル、英語名は「エベレスト」ですが、チベット語では「チョモランマ」(大地の女神)、ネパール語では「サガルマータ」(大空の頭、世界の頂上)と言います。さて、ここに登るにはネパール政府の許可が必要です。

   そして、山頂まで到達するかしないかに関係なくネパール政府に入山料を支払わなければなりません。入山料は、2015年から登録人数が単独かグループに関係なく、1人11,000ドル(約110万円)。そして、登山許可は一度の申請で2年間有効なので、その間ならば再度挑戦が可能です。

   そのほかの掛かる費用は、勿論、入山料だけではなく、登るためのトレーニング費用、装備の購入費用、旅費、ガイドの費用などを合計すると、1人当たり500万円~1000万円。つまり、「エベレスト」に登るには1人1000万円の支出を覚悟しなければならず、それで頂上に行けるか否かはまったく不明の過酷さです。

追憶の「パーソナルチェック」

   みずほ銀行がまだ第一勧業銀行の2002年、経理部長だった私は、銀行に勧められて「ハートのパーソナルチェック」という個人用小切手を持ってました。これは金額を壱、弐、三、四、五などの漢字を使い、12,500は金壱万弐千五百円也と書き、氏名を署名するだけの印鑑なしで相手に渡すのです。

   勿論、今やこの小切手は使えないのですが、その使い残した小切手帳をいまも後生大事に保存していて、何かの機会にみずほ銀行の行員さんに「ちょっと珍しいモノをお見せしましょう」などと言って見て貰うのです。つい最近、どうしても、みずほ銀行で聞かなくてならないことが発生しました。

   私が30年以上前から加入しているみずほ銀行の「モバイル・バンキング」(スマホ)がどうしてもログ・イン出来ない事態になったのです。そこで、近くの支店に行って聞いたら、最近、「お客さん番号」を入れるところが法人と個人では違うシステムになって、行員さんの説明でものの5分でたちどころに解決。

   そこで帰り際に、対応してくれた二人の女性に、おもむろにバッグから取り出した使い残した小切手帳を「これ、ご覧にななったことありますか?」と言って見せたたのですが、お二人とも16年前のことを知る由もなく驚いていました。「この小切手、必ずモンブランの万年筆(!)で書いたんですよ」と少し自慢げな口調でした。

100万桁の「円周率」の表示

 円周率、3.141592653が無限小数であるのは誰でもご存知でしょう。これを解りやすく説明すると、1÷3=0.33333333…で、この答は永久に3が続き、変わることなくいつまでたっても3です。これを数学の世界では、循環小数と称し、別に珍しい現象ではありません。

   ところが、円周率は何桁先になっても、数字の並び方が同じであることはなく、これを頭に入れるには記憶するしかないのです。日本に原口證(はらぐちあきら)さんという記録保持者がいますが、現在、まだギネス・ブックに正式に認定されていません。ともかく、今の記憶している桁数は何と101,031桁。ちなみに「原口式記憶術」の動画です。

   ネットのウィキペディアから経歴をちょっと紹介しておくと、1945年11月27日生まれの72歳、宮城県古川市で生まれ、古川工業高等学校を卒業後、日立製作所茂原工場に30年余り勤務し、退職後、円周率の暗記を始め、2004年に当時の世界記録54,000桁に達成しています。

   その後、記録を伸ばし、2006年には100,000桁の暗記に到達しています。しかし、この記録はギネスに申請中で、2017年現在、インド人のスレシュ・クマール・シャルマの70,030桁が、ギネス世界記録公認。ところで、ネットに驚くなかれ100万桁の円周率(壮観!)の表示がありますので、とくとご覧になって下さい。でも絶対にチェックしようなどと思わない方がいいでしょう。

エレベーターの中は誰も無言

  友達同士がエレヴェーターに乗った時、大方のグループが会話が無いのに気がついたことがあるでしょう。ネットで《エレベーターで会話が無くなり無言になる理由》というサイトを発見しました。確かに、エレベーターに親しそうなグループが乗っても、会話が弾んでいるのを体験したことがありません。

   この現象は単なる偶然ではなくて、ちゃんとした理由があるのです。考えられる理由の一つは、エレベーターの中で会話を始めても、乗っている時間が短いので、直ぐに中断することになり、エネルギーの損失になるので無駄なことは止めておこうの意識が乗っている人全員に働いて無言になるのです。

   また、エレベーターの中では、いくら小声で話しても、会話の内容を見ず知らずの人の耳に入れることになり、たとえ大した話でなくても一種の秘密漏洩で、それを何もエレベーターの中で話す必要がないと口を閉ざすのです。確かにエレベーターでの会話は乗ってる人全員に聞かれるのは避けられません。

   それに、人間は自分の周囲に自らの空間を持っていて、それを侵害されると不愉快になったり、緊張感で口が開きたくなるんだそうです。そこで、全員がどうしたらいいか解らない不気味な沈黙が続くことになります。そういう訳で、エレベーターの中では誰も押し黙ったままで、何分間かの時間を過ごすことになるのです。

「百人一首」のミステリー

   昔から「百人一首」が大好きです。林直道著「百人一首の秘密」(青木書店)の中に「百人一首のミステリー」という一文があり、いずれ劣らぬ妖艶華麗な歌、あるいはしみじみと人生を述懐する味わい深い歌の中に、ただ二首だけ、毛色の変わった、いわば場違いな感じのする政治的な歌が入っているというのです。

   その二首とは《人も愛(を)し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は(後鳥羽院)》と《ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり(順徳院)》。この前者の意味は《人がいとしく思われ、また人が恨めしくも思われる。味気ない思いで世の中のことを憂えている私にとっては》。

   また、後者は「皇居が荒れ果て、古びた軒端には忍ぶ草が生えているのを見るにつけても、栄えた昔のことがしのばれる。」前者の歌の作者後鳥羽院は、第82代の後鳥羽天皇(1180~1239)で、順徳院はその第三皇子、つまり、第84代の順徳天皇(1197~1242)です。

   この二人の親子の天皇は、13世紀のはじめ、武士の権力が強大化していく中で、京都王朝の覇権奪回を意図して鎌倉幕府に戦をいどんだ「承久の乱」の首謀者です。そして、戦は幕府の圧勝に終わり、二人の天皇は島流し。それなのに藤原定家が最後の二首に選んだのは「百人一首のミステリー」なんだそうです。

日本銀行の地下の巨大金庫

   好奇心旺盛な私は、つい最近、《立入禁止地帯》という文庫本を買いました。その立入禁止地の一つが、日本銀行地下にある巨大金庫。何しろ、銀行の銀行と言われる日銀の金庫とあれば、想像しただけでも凄いに決まっています。どうやら、最近は見学ツアーがあり、この本の出版社「彩図社」も行っているようです。

   この金庫の設計を手がけたのは東京駅の設計も担当した建築家の辰野金吾氏。ここの紹介文に《ネオ・バロック様式の美しく重厚な西洋建築は、明治中期の石造建築の傑作と言われていて、建物の内部にエレベーターや日本初の水洗トイレなど最先端の設備を取り入れたことでも話題になった》とあります。

   ともかく、明治に建設されたこの地下金庫は、東京の多くの建物ががれきと化した1923年(大正12年)の関東大震災でも、建築技術の粋を集めただけあって、地上の建物も地下の金庫もびくともしなかったというから驚きです。ただ、消化に使われた大量の水が地下に流れ込み、壁にうっすらとシミがあるとか。

   しかし、開館当時から使用されていたおよそ1500平方メートルのバスケットボール・コート4面分ほどの巨大地下金庫。金庫としての役割を2004年(平成16年)に終え、現在は一般公開されている状況だそうですから、きっと「立入禁止」などの重要な価値を持っていないのかも知れません。でも、一度観てみたいものです。

150面の「ロード・ランナー」

   その昔、パソコンのOSがまだ「ウィンドウズ」ではなくて「MS-DOS」だった時代、富士通が「FM-7」というマシンを販売していて、大いに楽しませてくれました。しかし、手に入れるのに苦労した覚えがあります。このパソコンに、実に面白い傑作ゲーム「ロード・ランナー」があり、寝食を忘れて夢中になりました。

   このゲームは最初は100面、会社が休みの土日は、朝から晩までこれでこれで遊んでいた覚えがあります。何しろ、「ランナー」が上からランダムに降ってくるのが、何度遊んでも飽きずに面白くしてる要因で、クリアした時の達成感は、正に難しいパズルを解いた時の喜びとまったく同じでした。もう最高の最高!

   ともかく、超難解な時は1ゲームに何日も掛かることもあり、全100面を一年ほど掛けてすべてクリアしたら、一段と難しくなった50面の「チャンピオンシップ・ロード・ランナー」が発売になり、これは1面クリアするたびにアルファベット数桁の暗証記号が画面に出てくるのです。これもまた約一年。

   この50個の暗証記号をゲームのメイカーに送り、メイカーから送られてきたのが、APR.14.1989の日付が入った「CHAMPION LODE RUNNER CERTIFICATE」。つまり、「ロード・ランナー」全150面をクリアした「証明書」でまるで宝物のようにケースに入れて保管しています。あまり自慢出来るものではありませんが。

句読点「。」や「、」の使い方

   映画字幕翻訳者の太田直子さんが書いた「字幕屋の気になる日本語」というエッセイ集面白いです。太田さんが気にしてるのは句読点の使い方。太田さんは映画のタイトル「涙するまで、生きる」の「、」は無くてもいいのではないかなどの話から始まって「、」は自由度が有り過ぎてプロでも悩むと書いてます。

   ネットにも《意外と難しい句読点の打ち方に気をつけよう》という記事がありましたので、作文する上で役にたちそうなので紹介しましょう。まず、例として《この度毎日配達される新聞をとるのをやめました》。それを《この度、毎日配達される新聞をとるのをやめました。》とすると、大分、読みやすくなるでしょう。

   つまり、ルールなどなくて、書く人の感覚的なセンスの問題です。次に主語と述語をそなえた文章が二つ以上含まれている重文《私は床に落ちているゴミを拾い上げ、彼女は本棚を整理した。》や《私は床に落ちているゴミを拾い上げ、ごみ箱に向かってほうりなげた。》などでは間に「、」は絶対必要です。

   また、《昨年の夏に結婚式を挙げたわたしたちの担任は、今年の春に産休をとった。》や《三階にある総務部の奥に座っている部長は、私の叔父だ。》など長い主語の後に「、」を入れないと文章が解りにくくなります。そして、文章の終わりでも、「?」や「!」の後には「。」は附けないことがルール(になっています。

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