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いい男でも卑屈な感じの俳優

   文藝春秋社刊行の「風貌談」(男優の肖像)の中で作家の阿刀田高さんがアラン・ドロンのことを書いています。どなたもご存知のことですが、81歳になったアラン・ドロンはすでに俳優業からの引退を宣言しています。何しろ「太陽がいっぱい」の時のような素敵な容姿が観られなくなってはやむを得ないでしょう。

   阿刀田さんが書いている内容も「太陽がいっぱい」がメインです。阿刀田さんは《この映画におけるアラン・ドロンは、はまり役などという、なまやさしいものではない。文字通りの超はまり役……》。私もまったく阿刀田さんと同感で、この映画はアラン・ドロンなくしては成り立ちません。

   ともかく《めっぽういい男だけれど、育ちが悪そうで、卑屈な感じ。これが実によく出ている。出ているというより、この人の地なのだろう》と阿刀田さんが書いている通り、ハンサムと悪い男の顔つきが同居している得難い俳優です。それに眼をつけたルネ・クレマン監督の眼は凄いです。

   ところで、ネットに《アラン・ドロン画像集》を発見しましたので眼を通して下さい。中で「太陽がいっぱい」のラスト・シーン、ウイスキー片手に「うまくいったぁ!」という顔つきが印象的です。今年2018年に一本映画が公開されて、それを最後に引退するようで何だか名残惜しいです。

足の爪に現れる体調

   先日の「朝日新聞」朝刊に《足の爪に現れる体調》が書いてありましたので、お読みになってない方のために紹介します。その記事によると、手の爪に比べて、足の爪の状態はあまり気にしないものですが、足の爪の形や色の変化は、時に重要な体調のシグナルとなるようです。

   ある皮膚科の専門医によると《爪の変化は局所的なものと、すべての爪に現れるものがある。すべての爪に現れるときは全身の疾患を現す可能性があり、注意が必要だ》そうです。ともかく《足は靴などで覆われ、通気性が悪いため、水虫(白癬)になりやすい。白癬菌が爪と皮膚の間に入り込むと、爪白癬にかかる。

   …全身疾患につながる可能性のあるシグナルは、爪のの中央がへこんで、スプーンのような形になるさじ状爪や爪全体が大きくなって、丸く隆起し、指の先端が厚く、太鼓ばちのように肥大するばち状爪などだ。前者は鉄欠乏性貧血、後者は慢性的な心疾患、肺疾患などで見られる。爪に普段と違う色が出た場合は、深刻な場合がある。

   例えば、黒は腫瘍、黄色や赤は心臓や肺、白は肝臓の疾患に可能性があり、いずれも医師の診断が必要だ》そうです。足の爪の特徴としては、伸びる速さは1日に0.05ミリほどで手の爪の半分、また親指や小指は靴の圧迫で変形しやすい。どうやら、足の爪には注意しないといけないようです。

10年ぶりに「広辞苑」が改訂

    国民的辞典と言われている岩波書店の「広辞苑」が10年ぶりに改訂になり、1月12日に「広辞苑」第7版が刊行されました。今日の「朝日新聞」にその裏話が書いてあるので掻い摘んで紹介します。そもそも「広辞苑」の初版が出たのは1955年、63年も歴史を積み重ねてきた辞典で、私も愛用者の一人です。

   インターネットの広がりや科学技術の進歩などで、約1万項目が新たに加わり、約25万に及ぶ言葉を連ねています。何しろ、「広辞苑」は一般名詞と固有名詞の両方が載っているため、非常に便利で、私のように、毎日、ブログを書いている者には信憑性のチェックや確認に欠かせない存在です。

   この辞書を編纂している辞典編集部のメンバーは十数人、社外の専門家約220人とやりとりをしながら進めてきました。どの言葉を選ぶかは「定着した語」か「定着すると考えられる語」。「定着」の基準はなく、新聞記事への登場頻度も調べるが「あくまでも感覚的なもので、それが辞書の個性」と編集部は言っています。

   今回の第7版は「原発」分野を特に充実したようですが、私のように第6版の電子辞書を使っている者が、果たして第7版の電子辞書に買い換える必要があるか否かは、もう少し考えようと思っています。いずれにしても「広辞苑」はブログの内容をチェックする時に非常に役に立っているのは間違いありません。

「参勤交代」の苦労話や裏話

 東京大学教授の山本博文氏が記した《「参勤交代」の不思議と謎》(実業之日本社)実に面白いです。何しろ、「参勤交代」に関わる苦労話や裏話がいっぱい書いてあって、その中から二つばかり紹介しましょう。「参勤交代」の行列は、他藩の手前、あまりみすぼらしくはしたくないけど、豪華にすると費用が掛かります。

   そこで、各藩が頼ったのは臨時のアルバイトだそうです。記録によると、1827年(文政10年)の加賀藩の「参勤交代」の総勢は1969人だったのが、そのうち、加賀藩の家臣は1割以下の185人しかいないで、家臣の奉公人が830人、残りの954人はアルバイトの人足だったそうです。

   また、「参勤交代」の時の藩主の移動手段は、駕籠に乗るか馬に乗るかの二つあって、警備上は、駕籠に乗ってもらった方が守り易いので、周囲の者はそれを望んだが、駕籠での移動は藩主にとっては苦痛だったようです。坐っているだけで、一見、楽そうでも、駕籠は狭くて窮屈な上に、下は薄い布団が一枚だけ。

   そのため、最初は駕籠に乗っていても、山道など急勾配の場所は駕籠は危険なので、途中から馬に乗り換えることがよくあったそうです。ただ、駕籠のメリットとしては、夜など先導の者に提灯を持たせて夜通し走り続けることが出来ましたが馬ではそうはいきません。いずれにしても「参勤交代」はとても大変だったようです。

興味津々の村上春樹氏の翻訳

   村上春樹氏の文体が好きで、5年ほど前に発刊した「雑文集」を思い出しては時々読んでいます。最近、目次に眼を通していたら、ふと眼に飛び込んだのが《準古典小説としての「ロング・グッドバイ」》。言わずと知れたレイモンド・チャンドラーの有名なハードボイルド小説のことです。

    どうやら、村上さんは高校生の時から「ロング・グッドバイ」を清水俊二氏が訳したものや英語の原文を何度も繰り返し読んでるようで、ちょっと、村上さんの書いているのをそのまま紹介します。《最初にこの小説を読んだとき、その文体の「普通でなさ」に僕はまさに仰天してしまった。

    こんなものがありなのか、とチャンドラーの文章はあらゆる意味合いにおいてきわめて個人的なものであり、オリジナルなものであり、ほかの誰にも真似することができない種類のものだった。…》。いやはや、村上さんは高校生の時に、英語の原文でこの小説を読み、こんな感想を書いているのです。  

   それが《早川書房編集部から「ロング・グッドバイ」を翻訳してみる気持ちはないかという打診があり、僕としては前々からやりたいと思っていたことなので、二つ返事でお引き受けした》と村上さんは書いているではないですか。村上春樹さんが訳した「ロング・グッドバイ」、興味津々どうしても読まざるを得なくなっています。

超絶ドボルザークの「新世界」

   ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」好きです。何が好きかって、CDを19枚も持っています。何しろ、指揮者によって演奏が微妙に違うものだから、ついつい買ったものや「音楽とオーディオを語る会」の友人がダビングしてくれたものもあって、いつしかこんな数になってしまったのです。

   1892年、ドボルザークは妻と二人の子供を伴って、チェコのボヘミヤの田舎町からニューヨークにやってきました。この年、アメリカはコロンブスの新大陸発見後、400年記念を迎えていて、ニューヨークの富豪夫人がこの機会に自分の運営している音楽学校の校長にドボルザークをを迎えるためです。

   夫人は破格の条件を出し、ドボルザークはこれを受け入れました。この頃、ドボルザークの作品はすでにアメリカでよく演奏されていて、また、チェコからの移民も多く、アメリカには彼を迎える下地が出来ていたのです。最初、契約は二年だったのが延長されて三年に及ぶことになりました。

   この時期、彼の作品は、ヘ長調の弦楽四重奏曲「アメリカ」、ロ短調のチェロ協奏曲など傑作が多く、中でも、この「新世界」交響曲は《アメリカから故郷の人達に送る印象記》と作曲者自身が言ってるように、アメリカの印象が強烈に表現されている名曲で、何度繰り返し聴いても飽きません。ことにワルターの指揮最高です。

スーパーマーケットと和菓子

   近くのスーパーマーケット「ライフ」の和菓子が充実していて下戸には頼もしい限りです。まず眼に留まったのはカステラとカステラの間に羊羹をサンドイッチした「シベリア」、何だか懐かしくてブログに書きたくなりました。ともかく、子供の頃からあった古い和菓子で、私の好物の一つです。

   次に「おはぎ」、あんこが粒あんとこしあんの二種類あって、この店はこしあんです。また「きんつば」はネットの《和菓子データベース》によると、この前身は京都の「銀つば」で亭保年間(1716年~1736年)に生まれた和菓子のようで、このスーパーで見かけて何だか嬉しくなりました。

   そして「桜餅」と「道明寺」がセットで売られていて、塩漬けした桜の葉を巻いた和菓子で、桃の節句によく見かけます。「大福」は「あん」を薄い餅の皮で包んだもので、江戸中期には、夜、焼鍋と「大福」を並べて焼きながら売り歩くことが流行り、江戸の人々に好まれた和菓子だそうです。

   「甘納豆」も昔からあるお菓子で、この店では色々な種類を小さな袋に入れて詰め合わせで売っていて、私は時々買ってます。「かりんとう」も定番のお菓子で、黒砂糖が何とも美味しくてこれも私の好物です。あと「羊羹」「くず餅」「最中」「石衣」「くずきり」など、しかし「五家宝」はいくら探してもこの店にはありませんでした。

ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」

 何だか「モナリザ」が代表作品のように言われているレオナルド・ダ・ヴィンチですが、ダ・ヴィンチを語る上で、重要な絵にサンタ・マリア・デッレ・グラツェ修道院の食堂を飾る壁画「最後の晩餐」があります。イエスが十字架にかけられる前夜に、12人の使徒を集めて開いた晩餐の様子を描いた大作です。

   PHP研究所が刊行した「世界の名画隠されたミステリー」によると、実はこの絵にはダ・ヴィンチが仕掛けた様々なトリックが秘められているのだそうです。近年、全面剥落の危機に瀕した名画を救うために行われた修復作業によって、そのトリックが明らかになったのです。

   ダ・ヴィンチが絵の題材として用いたのは、イエスが十二使徒の中に裏切り者がいるとみんなに告げる場面です。ちょっと絵をご覧になって下さい。イエスの両側に三人一組の使徒を二組づつ配し、衝撃が左右に波及していく様を見事に表現しています。つまり、動揺する使徒を冷静なイエスと対比させているのです。

   そして、食卓の料理がこれまでは子羊の肉だとされていたのが、修復作業の結果、魚の切り身であることが判ったのです。当時の食習慣では晩餐に供されるのは子羊が一般的なのに、ダ・ヴィンチが魚にしたのはギリシャ語の「イエス」「キリスト」「神の」「子」「救世主」の頭文字をつなぐと「魚」になるからだそうです。

国によって違う家庭用電圧

   電氣の流れには交流と直流の二種類あるのは、誰でも常識としてご存知でしょう。電力会社から家庭に送られているコンセントの電氣は交流で、乾電池の電氣は直流です。今まで何となく知っていた方は、この際、ネットにある図を眺めて、明確にその違いを把握しておいた方がいいかも知れません。

   まず、交流電源の最大の特徴はプラスとマイナスが常に変化していることで、瞬間的にゼロになるため、白熱電球など、眼では解りませんが、常に点灯と消灯を繰り返しているのです。でも交流電源の利点は、変圧が簡単に出来ることで、発電所の数十万ボルトが家庭に入る時には100ボルトになっています。

   ともかく、交流と直流の利点と欠点が詳しく書いてあるサイトがネットにありますから、時間がある時によく読んでおくといいでしょう。ところで、家庭用の電圧が100ボルトになっているのは、世界広しと言えども日本と北朝鮮だけなのをご存知でしょうか。ちなみにアメリカは120ボルト。

   イギリスは240ボルト、ドイツは220ボルト、フランスは230ボルト、韓国は1999年まで100ボルトでしたが現在は220ボルトになったようです。もう一つ知識ですが日本で家庭向け交流送電が始まったのは1889年で、当時、アメリカは110ボルトだったのに、日本は52ボルトでスタートしました。

名作映画とヴェルレーヌの詩

   ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が1937年に制作した「舞踏会の手帖」の中にルイ・ジューヴェマリー・ベルがベルレーヌの詩を二人で朗読する有名なシーンがあります。この詩のタイトルと全文をかねてから知りたいと思ってる方がおられるかも知れませんので、堀口大学訳「ヴェルレーヌ詩集」(新潮社)より紹介します。

   そのタイトルは「わびしい対話」で全文は《うら枯れて 人気なき廃園のうち かげ二つ現れて また消え去りぬ かげの人眼(まなこ)死に 唇ゆがみ ささやくも とぎれとぎれや うら枯れて 人気なき廃園のうち まがつ影ふたりして昔をしのぶ 過ぎ日の恋心地 君はなお思いたもうや? よし思い出づるとも

   今はせんなきことにあらずや? わが名きくのみにて 君が心は今もなおときめくや? 今もなお夢に わが魂見るや? 否よ 果てしなき幸にいて われらかたみに口吸いし かっての日美しかりき! さもありつるか その日頃 空いかに碧かりし 行く末の望みゆゆしく!  望みとや? 

   今はむなしく暗き空へと消えてなし!かくて影 烏麦しげるが 中を分けて消え その言葉ききたるは ただに夜のみ》。この詩の全文を知りたいとずっと思っていた方は、すっきりしたに違いありません。これをいつかブログに書こうと思っていたので、私もすっきりしました。この名作、未見の方は是非ご覧になって下さい。

ラグビーの醍醐味を満喫

   実に面白いラグビーの試合をテレビで観ました。昨日2018年1月7日、秩父宮ラグビー場で行われた全国大学選手権の決勝戦、帝京大学対明治大学の一戦です。19大会ぶりに決勝戦に出場した明大は8連覇の帝京大を苦しめ、前半、17対10とリードしました。しかし、帝京大は後半15分に秋山選手のトライで反撃。

   更に20分には岡田選手がトライを決め、竹山選手のゴールキックで逆転したのです。一時は13点の差をつけていながら明大は帝京大の何としても九連覇を達成するのだという気迫に押されてどうしても1点差を追いつくことが出来ませんでした。それにしても、1点差のラグビーの試合の面白さはもう最高。

   ここで蛇足ですがラグビーの得点について紹介しましょう。得点は4種類あって、①相手陣地にボールをつけるトライは5点②トライした後、その地点から真っ直ぐ後に下がった任意の場所からゴールが狙えて、これをコンバージョンゴールと言って2点。そして③ペナルテイゴールも④ドロップゴールも3点。

   今朝の「日刊スポーツ」に早大で活躍した今泉清氏がこんな事を書いているので紹介すると《前半7分明大梶村がインターセプトから先制トライを決めた。…もっと中央にトライすべきで、出来る場面だった。(独走トライ)》。つまり、場所が悪くコンバージョンゴールの2点を逃したことを言ってるのです。ではハイライトです。

根室のジャズ喫茶から年賀状

   昨年の秋、9月14日の「朝日新聞」夕刊に《ジャズの鼓動 聴く人 語る人 包み込む喫茶》という大きな見出しとジャズ喫茶「サテンドール」の写真入りの探訪記事が眼に留まり、そこに住所が載ってました。場所は北海道のこれ以上は東に行けないJR根室本線終着駅の根室駅の直ぐ近くです。

   その新聞記事を読むと、ジャズ喫茶「サテンドール」のオーナーは、元サラリーマンで脱サラしてこの店を始めたようで、月2回の例会が1134回にもなっていると書いてあるではないですか。何だか、北海道のジャズ喫茶に親近感を覚え、ジャズが好きな人間として激励の葉書を出したくなりました。

   そこで《……この喫茶店でマイルス・デヴィスの名盤「スケッチ・オブ・スペイン」を聴いたらどんなに心に沁みることだろうと思っています。いつまでも例会が続くよう遠い東京で心から念じています》という葉書を送り、そんな出来事があったのをすっかり忘れていました。そして、2018年が訪れたのです。

   配達された年賀状の中に何とジャズ喫茶「サテンドール」の年賀状があり、そこに《秋にはお便りありがとうございました。「地図の上で最果であっても、文化の最果にあらず」そんなキザな言葉を心にして活動してきました。ありがとうございます》というコメントが書いてあります。勿論、私の年賀状を急いでポストに入れました。

30年以上前の素敵な出来事

   30年以上前の心温まる素敵な出来事を書きます。1985年にアフリカの飢餓と貧困を救うため、著名なミュージシャンが集結して作った「ウイ・アー・ザ・ワールド」。とても魅力的なメロディに魅せられて私もDVDとCDを買いました。といっても、新品を買った訳ではないので、この活動に貢献したとは言えません。

   作詞、作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作、プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当しています。まず、ケニー・ロジャースが所有するスタジオにクインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダーが集まって先行レコーディングを行いました。

   そして、完成したデモ・テープが参加者全員に送られ、1985年1月28日、アメリカのみならず、当時の世界のポップス界を代表する45人が報酬無しでハリウッドのA&Mスタジオに集まってレコーディングしたのです。この日、マイケル・ジャクソンは欠席しましたが、すでにガイド・ボーカルは録音済みでした。

   全世界に販売したレコードとビデオは合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付され、ビルボード誌では、1985年には4週連続で1位を獲得。その後,CDもDVDも発売されています。では「ウイ・アー・ザ・ワールド」のYouTubeをじっくりご覧になって下さい。みんなの温かい心が伝わってきます。

6×6の驚異的「魔法陣」

   正方形のマス目の中の縦、横、斜の合計が同じなのを魔法陣と言います。勿論、そこにある数字はみんな違う数字でなければなりません。その最も小さな正方形は3×3の9マスで、ちょっと《魔法陣を紹介します!》というサイトをご覧なれば直ぐ見ることが出来ます。

   《この形は魔方陣の起源といってもよく、非常に歴史は古くて、中国最古の王朝である夏の始祖、禹(う)が洛水の治水工事をした時に川の中から出てきた大きな甕に刻まれていた文様であると伝えられ、これが後に「(河図)洛書」と呼ばれ、長年、九星占術(風水や気学など)で用いられてきました。

   他の対称形に、西洋数秘術の「サトゥルヌス魔方陣(土星方陣)」などがあります。因みに、「サトゥルヌス(Sāturnus)」は、ローマ神話に登場する農耕神のことです。英語では「サターン」といわれます。ギリシア神話の「クロノス」と同一視され、土星の守護神でもあります》。ともかく、魔法陣はかなり昔から存在したのです。

   また、4×4の16マスも歴史は古く、ドイツの画家アルプレヒト・デューラーが1514年に制作した銅版画「メランコリア」の中に描いていて、最下段の中央の2つの数字が制作年。そして、1956年に中国の遺跡で発見されたアラビア数字で記述された6×6の魔法陣(これは誠に驚異的!)もあります。

「もりそば」と「ざるそば」

   正直言って「もりそば」と「ざるそば」の違いは、「ざるそば」には海苔がかけてあって、「もりそば」には海苔が無い違いだけと思っていました。ところが、ネットの《もりそばとざるそばの違い!ざるの方が高い理由を解説!》によると、それだけでは無い理由があるようなので紹介します。

   それには両方の由来を知る必要があって、まず「もりそば」は、江戸時代中期に細長く切った麺を茹でて、漬け汁に漬けて食べる食べ方が主流になり、これをそば切りといい、やがて、汁を最初からかけた状態で提供する、今のかけそばと同じスタイルのぶっかけそばという形式が流行り始めたのです。

   この時にぶっかけそばと区別するために、そば切りのことを、麺をそのまませいろなどに盛って出すことから「もりそば」と呼びました。そして「もりそば」が定着すると、やがて蕎麦の実の中心部分のみの粉で作った白っぽい麺をざるに持って出すスタイルが流行り始め、「もりそば」と区別するために「ざるそば」と呼んだのです。

   つまり、「もりそば」と「ざるそば」の違いを整理すると①器がせいろかざるかの違い②漬け汁にみりんが入っているかどうか③揉み海苔がのっているかどうかの三つです。また、このほかに、「もりそば」には二番だしが使われていたのに対し、「ざるそば」は一番だしを使っていたという説もあります。ちなみに、私の親戚に日本そば屋がありますが、これを質問した事はありません。

昔から元旦に必ず聴く二曲

   毎年、必ず元旦に行っている私だけの行事があります。今年初めて、ステレオ装置の電源を入れて、最初に聴く曲が二曲あって。何年も続いています。その一曲目はブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィルのマーラーの「大地の歌」。李白などの漢詩のドイツ語訳にマーラーはメロディを付けています。

   なぜこの曲を選んでいるかと言うと、昔、新宿の映画館「帝都座」の裏に名曲喫茶「ランブル」があって、この店でよく聴いたのがこの曲で、いつしか虜になってしまい、私をマーラー好きにした思い出深い一曲なのです。思えばこの店は、レコードをかける前、若い女性が詳細な解説をしてました。

   そして、二番目に聴くCDは、サッチモことルイ・アームストロングのトランペットとヴォーカルの吹き語り「Hello,Dolly!」。何しろ、このCD実にいいのです。最初の一曲がアルバム・タイトルになってる「ハロー・ドーリー!」。続いて「IT’S BEEN A LONG LONG TIME」(久しぶりね)。

   《今年も新しい年が始まったよ》とサッチモが景気をつけてくれます。そして、8曲目に私が大好きな「MOON RIVER」。言わずと知れた映画「ティファニーで朝食を」の主題歌で、サッチモ独特のトランペットの後に、ヴォーカルが入ってくる境目が何とも言えません。今年一年が平穏であることを祈ります。

演奏会を拒否したピアニスト

   お正月なので、私が大好きなピアニストのことを音楽評論家中川右介著「クラシック音楽の歴史」(七つ森書館)から書かせて下さい。そのピアニストの名前は、ことにバッハの演奏で有名なグレン・グールド。ともかく、夏でも手袋をしていた逸話はクラシック・ファンは誰も知っています。

   しかし、変わっているのは、そんな小さなことではなく、音楽家なら誰でも好む演奏会の拍手喝采を何と拒否したのです。彼は演奏の最中に客席からの衣擦れや咳といったノイズを我慢することに堪えられず、1964年にコンサートから引退して、以後はスタジオにこもり、ひたすらレコードを作ることに専念しました。

   そんなピアニストはグレン・グールド以外に存在しません。と言っても、最初はコンサートでも演奏していて、公の場での最初の演奏は、1945年、13歳の時にオルガン奏者としてデビュー。そして、翌年にはプロのピアニストとしてトロント交響楽団のコンサートに出場しています。

   何と言っても、グレン・グールドを世界的に有名にした出来事は1956年にコロンビア・レコードから発売されたバッハの「ゴルトベルク変奏曲」のレコードで、かってない斬新なバッハ演奏として話題になりました。私もCDとDVDを持っていますが、クラシック・ファン必携と言っていいでしょう。とても魅力的ないい演奏です。

2018年の新年のご挨拶

   明けましておめでとうございます。2017年が足早に立ち去って、2018年が静かに訪れました。昨年中は私の拙いブログを読んで頂き誠に有り難うございました。テーマには気を使った積もりですが、好きな話題になると、文章を変えて書きたくなり、時にリメイクすることもあり申し訳ありません。

   ちょっと、テーマを決める裏話をさせて頂くと、基本的には私の好きな分野の話題を取り上げるのは仕方ないでしょう。しかし、本、インターネネット、新聞、雑誌などから入った情報の中には「へー、そうなんだぁ」という未知の世界に出合うことが多々あり、積極的にテーマにするように心掛けています。

   ともかく、出来るだけ斬新な話題を取り上げ、世間一般に周知なことは避けるようにしている積もりですが、時に「そんなことはとっくに知っている」になってしまうことだってあるでしょう。その場合は森羅万象は極めて奥が深いことを推察して頂き「知っていながら知らない素振り」でお助け下さい。

   ところで昨日の大晦日に同じ時間帯の「紅白歌合戦」をパスして観たクリストフ・エッシェンバッハ指揮のN響の「第九」、実によかったです。久しぶりに「第九」をテレビで観ましたが、歌詞が字幕で出るのと合唱やソロの口の動きが明確に解るのがよかったです。それでは、本年もどうぞよろしくお願い致します。

2017年の幕引きのご挨拶

   今年も大晦日が到来し、恒例の幕引きのご挨拶を致します。日本にとっても、世界にとっても、色々なことがあった2017年が、名残惜しげに手を振りながら、もうすぐ立ち去ろうとしています。何しろ、毎日更新をモットーにしている私のブログは、目標通りに一日も欠かすことなく終わろうとしています。

   これは偏に、決めたことは何としても実行したい私のこだわりと、一年間、健康を維持した賜で、2006年にスタートしてから、この記事が何と4,185件目。何はともあれ、晴れの日も雨の日も毎日更新を続けた着実な積み重ねの結果と言ってよく、よくぞ書いたと自分で自分にびっくりです。

   ところで、ブログを始めてから、朝、パソコンの電源を入れると、真っ先に気になるのは前日のアクセス数で、プロバイダーのニフティさんの集計テーブルを見るのが日課になってしまいました。それが前日に比べて増加していると嬉しくなり、減少していると落胆するのはテレビ局の上の人と恐らく同じ心境です。

   ともかく、読んで下さっている方が退屈しないように気を使っているつもりですが、決して意の如くにはなっていません。でも来年も精一杯頑張ろうと思っていますのでどうぞよろしくお願い致します。では、江戸時代の俳人井原西鶴の有名な一句「大晦日 定めなき世の 定めかな」で今年の締めと致します。いい年をお迎え下さい。

年の瀬に友人からの贈り物

   一昨日、暮も押し詰まった渋谷の街で、友人との二人きりの今年最後の「音楽とオーディオを語る会」の例会を開催しました。そこで友人が私にプレゼントしてくれたのは安田祥子と由紀さおり姉妹の全16曲の「スタンダードな日本の歌」。いい歌が何曲も収録さているCDでブログに書きたくなりました。

   その中から3曲だけ紹介すると、まず、西田佐知子が歌ってヒットした「アカシアの雨がやむとき」。《アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい 夜が明ける日がのぼる 朝の光りのその中で 冷たくなった私を見つけて あの人は 涙を流してくれるでしょうか》切ない歌詞とメロディがあたりに流れます。

   次の2曲目も私が好きな「」。友人は私にCDを渡す時、「これペギー葉山よりいいですよ」の一言、家に帰って聴くと正にその通り。《二人暮らしたアパートを 一人一人で出て行くの すんだ事なの今はもう とてもきれいな夢なのよ……》。破局した情景が脳裏に鮮明に浮かび上がります。

   そして、3曲目はちあきなおみの歌った「喝采」。《いつものように幕が開き 恋の歌うたうわたしに 届いた知らせは 黒いふちどりがありました あれは三年前 止めるアナタ駅に残し 動きはじめた汽車に ひとり飛び乗った ひなびた町の昼下がり……》。何とも言えない哀愁感が漂います。年の瀬の贈り物、友人に感謝です。

マラソン競技の起源と距離

  マラソン競技の距離が42.195メートルという半端な理由をご存知でしょうか。これを知るためには、マラソンの起源に遡らないといけません。そもそも、マラソンはアテナ軍とペルシャ軍が戦ったマラトンの戦いで、アテナ軍の勝利を伝えるためにある兵士がアテナまで約40キロを走ったのです。

   ところが、その兵士は完全武装だったために非常にハードで、アテナに到着すると同時に「我等勝てり」と叫びながら絶命。この故事を元にマラソン競技が考えられたのですが、第1回のアテネ・オリンピックでは距離は40キロで、そのまま第3回まではこの距離で行われていました。

   そして、第4回のロンドン・オリンピック大会の時に、計画では国王の住むウィンザー城の正門からスタートして、メイン・スタジアムでゴールする40キロのコースで行うことになっていたのです。ところが、王女が権力者のわがままで「マラソンのスタートを自分の部屋の窓から見たい」と言いだしたのです。

   そこで、スタートする場所を城の正門前から王女の部屋の窓の下まで延長せざるを得なくなり、その距離がなんだかんだで2.195キロ。この大会よりマラソンの距離は42.195キロメートルに定着したのです。つまり、王女のわがままが半端な数字になっている理由で、このことはネットのサイトにも書いてあります。

百人一首のパロディ

   もうすぐお正月がやってきます。お正月と言えば百人一首、パロディが好きな日本人は、大昔の人が詠んだ美しい歌を、物の見事にヘンな歌に替えています。それではネットにある幾つかの作品を紹介しましょう。まず、紫式部の「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」です。

   この意味は《せっかく久しぶりに逢えたのに、それがあなただと分かる前にすぐに帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように》ですが、これをどなたかが「殴り合って みたがそれでも 離られず 苦もなくすみし 痴話の果てかな」と痴話喧嘩の歌に替えてしまい、紫式部もがっかりです。

   次は西行法師の「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」で、意味は《月が私に嘆きなさいと言って、こんな思いをさせるのだろうか》ですが替え歌は「なげけども 質屋は金を 貸しくれず 困り顔なる 眼に涙かな」となり、ちょっと西行法師に悪い気がします。

   そして、もう一つ法性寺入道前関白太政大臣の名作「わたの原 漕ぎ出でて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波」が「ワシの腹 張り出し見れば夕方の 苦しまぎれに 公園散歩」になってしまいました。あなたもこれに負けない傑作を作ってみてはいかがでしょうか。それにしても、百人一首大好きです。

年賀状のコメントの考察

   今日はとても爽快な気分で朝を迎えました。というのは、生まれて初めてすべての年賀状を、昨日、12月26日に郵便局に持ち込んだからです。ちょっと例年のパターンを披露すると年賀状の作成は、毎年、「筆まめ」を使い、12月25日には宛先の打ち出しはすべて終わっています。

   そして、文面のデザインも済んでいて、後は相手へのコメントを考えるだけです。ところが年に一度のことなので、何か気が利いたことを書こうと思うあまり、時間は容赦なく過ぎて、結局、終わるのは28日~30日。「これでは、もう元旦に着くのはダメかぁ」と諦めながら郵便局に持っていく始末です。

   つまり、コメントを考えることに時間を取られて遅くなってしまうのです。それというのも、頂いた年賀状の中に、文面の片隅に「元気でやってます」などのコメントがちょこっと入ってると感じがよく、自分もそうしようと思うからです。そこで、今年は頭脳活動が11年前と変わってない事を知らせるコメントを考えました。

    それは《2006年7月にスタートしたブログが大晦日で4,185件になり、元気で生活している証に報告させて下さい。…》で全部同じなので、一気呵成に印刷が終わり、昨日、本局のポストに投函。最初考えたのは文末が《報告します。…》だったのを《報告させて下さい。…》に変えて、したり顔にならないようにしました。

言葉の遊び「アナグラム」

   最近はよくテレビのクイズ番組などでみかけるので「アナグラム」をご存知の方は沢山おられるに違いあいません。つまり、文章の文字を並べ替えて別の文章を作る「言葉遊び」の一種です。ネットで「いろは歌のアナグラム」というサイトを見つけたので紹介します。ともかく「アナグラム」の本家は英語です。

   まず、昔からある「いろは歌」を書き出すと「いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす」(色はにほへど 散りぬるを 我が世たれぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず)。これはかなり有名なのでご存知の方は沢山おられるでしょう。

   これを並び変えて、別の「いろは歌」を作った人が江戸時代にいます。「きみ(君)まくら(臣)おやこ(親子)いもせ(妹背)にえと(兄弟)むれ(群)ぬ ゐ(井)ほり(掘)た(田)う(植)へて すゑ(末)しげ(繁)る あめつち(天地)さか(栄)ゆよ(世)をわ(佗)びそふね(船)のろなは(艫縄)。

   これからすべての漢字を取れ去ればひらがなが47文字になります。江戸時代の人はかなり難解な作業をしたものですが、意味がよく解りません。それにしても、昔からある「いろは歌」は正に傑作と言っていいでしょう。恐らく、これを越える「いろは歌」は今後絶対に出てこないと私は思っています。

イギリス名門大学の入試問題

   「もし、地面を地球の裏側まで掘って、その穴に飛び込んだらどうなりますか?」。これは、つい最近刊行され、好奇心で買った《世界一「考えさせられる」入試問題》(河出書房新社)の中にあるケンブリッジ大学工学部の入試問題です。ともかく、この難しそうな問題をちょっと考えてみて下さい。

   恐らく、大抵の方が顔をしかめるに違いないので、そこに書いてある解説を紹介しましょう。実はこの穴を掘る試みはロシアのコラ半島で実際に行われ、1970年から22年間堀り続け、深さが7.6マイル(12,231メート)の所で、ついに熱さに負けて中止しているので、穴を掘ることが無理なのは証明されています。

   従って、この問題が仮説に基づくものであることは明白で、この質問に答えるには《魔法の力を借りて穴を掘り、しかも掘った穴が崩れずにそのまま開いていると仮定しなければならない。さらにあといくつ魔法の力を借りなければいけないかわからない。…》と書いてあり、むしろ想像力の問題と言っていいでしょう。

   では、この結論は《もし、穴が真空の筒状で地球が停止しているとしたら(あり得ない仮定)何ものにも邪魔されずにひたすら加速しながら落下していく。そして、地球の中心に近づくにつれて落下を引きとめようとしはじめ、結局、均衡点で浮遊することになる》。つまり、答をこう書くことを大学は望んでいるのです。

五輪に期待の小平奈緒選手

   「週刊文春」12月28日号の《平昌で金確実スケート小平奈緒ニックネームは「怒れる猫」》と題された記事が眼に留まりました。スポーツ紙の記者が「まさに絶対女王」と言って注目するのは、女子スピードスケートの小平奈緒選手だというのです。得意とする500メートルでは今季のW杯は四戦全勝。

   この種目における連勝を23に延ばし、更に12月10日には1000メートルでも世界新記録を樹立しています。平昌五輪で金メダル確実と言われる強さの秘密は、これまでW杯では好成績を残しても、五輪本番ではふるわないのをメンタル面での問題と分析し、その対策を考えたのです。

   そこで、メダルを期待されながら五位に終わったソチ五輪後、彼女はスピードスケート大国のオランダに単身で武者修行に乗り込んだのです。オランダでは金メダリストのマリアンヌ・ティメルコーチに入門。 ティメルコーチは二シーズンに渡って彼女を指導しましたが、劇的進化をもたらした言葉は「怒った猫になりなさい」。

   つまり、彼女にはスタートの姿勢で低く構えると頭が下がってしまうクセがあったのを、戦闘体勢で姿勢を低くしても、頭が下がらない猫をイメージしなさいという教えです。武者修行の成果はそれだけでなく、メンタル面でも色々と鍛えられ、二ヶ月後に迫った平昌五輪、小平奈緒選手に大いに期待出来そうです。

離されたショパンとサンド

   フランスのロマン派の巨匠ドラクロワが描いたショパンの有名な肖像画は、現在、「ルーブル美術館」が所蔵しています。ところが、ドラクロワが描いたのはショパン単独のものでは無くて、傍らにショパンの恋人ジョルジュ・サンドがいて、その前でショパンがピアノを弾いている絵でした。

   このことはドラクロワが残したデッサンで知ることが出来て、それをどこのどなたがしたことか解らないのですが、ショパンとサンドは二枚の絵に切り分けられ、別々に競売にかけられて、ショパンの絵はルーブル美術館に、そして、サンドの絵はデンマークの実業家に買い取られました。

   その後、どういう経緯か不明ですが、現在はコペンハーゲンから30分ほどの距離にある「オードルップゴー美術館」に展示されているそうです。ともかく、ドラクロワとショパンはかなり親しい関係にあったので、実際にショパンとサンドが一緒の時に描いたに違いないのに、誰がどんな意図で切り離したのでしょうか。

   もし、ショパンとサンドが並んでいる絵が残されていたら、その価値はもっと多大で、ショパンとサンドの関係を眼で見ることが出来たのにとても残念です。それにしても《切り分けられた名画 [ショパンとジョルジュ・サンド] の肖像》という貴重なサイト、厳寒のひとときにじっくりご覧になって下さい。ところで、39歳の生涯を閉じたショパンの葬儀は、遺言によってモーツアルトの「レクイエム」が演奏され、サンドの姿は無かったそうです。

副都心線の威力を改めて痛感

   年に一度の知人の写真展を鑑賞しに、12月20日にJR藤沢駅のビルのギャラリーまで行ってきました。知人は現役時代、会社のコンピューター・システムやプログラムで大変お世話になった方で、「湘南写真クラブ」には会社をリタイアされてから、奥さんと一緒に入会されています。

   私も若い頃、写真にこったことがある関係で写真を鑑賞するのが好きで、毎年、必ずこのクラブ主催の写真展に行っています。写真を鑑賞する以外にもう一つ、知人に年に一度会って、コンピューターの昔話をする楽しみもあり、今回も写真の観賞後、駅ビルの中のカフェで大いに語り、至福の時を過ごしました。

   ところで、池袋から藤沢まで行くルートは、昔、副都心線がまだ開通してなかった時は、池袋から丸ノ内線で東京に行き、ここからJR東海道線で藤沢。その後、JR湘南新宿ラインが出来たお陰で、池袋から藤沢まで乗り換え無しの直通になりましたが、1時間11分の時間を必要としています。

   それが副都心線が開通してから、池袋から横浜まで東横線の相互乗り入れで36分、そして、ここから東海道線で藤沢まで19分で合計すると何と55分。湘南新宿ラインの直通で行くより16分も短縮されて、しかも運賃も安く、改めて副都心線の威力を感じる小旅行でした。それにしても、日本の鉄道、驚きの進化です。

「スタバ」だけの飲み物が存在

   「スタバ」、つまり「スターバックスコーヒー」にしかない飲み物に「ほうじ茶ティーラテ」があるのをご存知でしょうか。よく「スタバ」に行く人は知ってることですが、「スタバ」はレジでオーダーし、お金を払うとその情報がバリスタにいき、お客さんはバリスタから品物を受け取るシステムです。

   かなり前にあるお店で顔見知りのバリスタに《「スタバ」さんだけにしかない飲み物って何かあるんですか?》の質問に答えてくれたのが《ほうじ茶とミルクをドッキングしたのがあって美味しいですよ》で、これを考えた人天才です。それ以来「スタバ」さんでこれ以外を飲んだ記憶がありません。

   それになぜか紙コップよりマグカップで飲んだ方が美味しいようで、私がどこの「スタバ」さんに行っても、レジで言う決まり文句は《「ほうじ茶ティーラテ」のショートをマグカップでお願いします》。そして、これも「スタバ」の店員さんが教えてくれたことですが、これにハチミツを数滴垂らすと更に美味しくなるのです。

   バリスタから受け取ったあとの私の手順は、調理カウンターでちょっとだけシェークしてから中に入ってるほうじ茶のティーバッグを捨てます。そして、台に乗ってるハチミツを数滴垂らし、席に持っていきおもむろに飲みます。今度、「スタバ」さんに行ったら、是非、お試し下さい。ただしマグカップで飲むことをお薦めです。

貴乃花親方を支援する講演

   弟子の貴ノ岩が例の事件で怪我をして、日本相撲協会から再三の事情聴取を求められていながら、それを頑なに断っている貴乃花親方、テレビに映る表情を見てると、何だか険しくて心中穏やかではなさそうです。理事全員にもっと納得がいく説明をすればよさそうなのに、現役時代のファンとして胸が痛みます。

   そんな状況下にある親方を夫人の景子さんがどうやって支えているのかと思っていたら、ネットで《妻・景子さんが明かす貴乃花親方の素顔 弟子の昇進、優勝に「電話の向こうでオイオイ泣いた」》という記事を発見。元アナウンサーの花田景子さんが12月14日、都内で講演会を開催したんだそうです。

   講演の内容を掻い摘んでコピーすると《親方は弟子に厳しくしていますが、「血のつながりはなくても、オマエたちはそれ以上だ。オマエたちの人生を預かったと思って、親方は命を張ってでもオマエたちの人生を切り開く。だからしっかりついてこい」と言っていることを力説しています。

   また、弟子が十両に昇進した時などは優勝でも引退でも、自分のことでは涙ひとつ見せたことがない人が、オイオイ泣いているんだとか。この記事の結びは《貴乃花親方が、景子さんが語るような素顔をちらりとでも見せれば、世間にも応援する声が増えそうなものだが…》。奥さんは充分に親方を支えています。

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